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「道元」松原泰道著から "禅門では、本覚の仏性を信ずる「信」と、なぜ自分には分からないかという「疑」と、この疑いを晴らすべく努力精進する「進」を修行者が欠かしてはならない三項目に挙げます"これを神経症に当てはめると、人は皆人生を楽しんでいるだから自分も楽しめて当たり前だと信じる「信」と、それなら何故自分だけが楽しい会話に入っていけないかの「疑」、なら治してやろうの「進」があり、神経症者の生活は禅寺の修行者のそれと大変似ている。 神経症者の場合「信」と「疑」は敢えて言わなくても誰でもしている。問題は「進」であり、神経症者の誰もが間違った方向に努力をしているために大半が神経症で一生を終わってしまいます。 何故間違った方向に向かうかは神経症の脳に問題があり、健康でないために判断を間違えます。我々にもし脳が2つあるなら、一方の脳の判断の間違いをもう一方の脳が指摘出来ます。少しは間違っても30年も間違うことはないでしょう。 なら、どうしてこの迷路から脱するかですが、禅と同じく悟りの境地に達した人に指導をしてもらう必要があります。禅では一切の煩悩を断ち切る努力を放下し、ただ単に座禅することを命じられます。無為療法では一切の屁理屈を停止して、直ちに自分の目の前にある雑用を開始することを命じます。 雑用をしたら神経症が治る確証は決して与えません。ただやるだけです。何故なら、貴方はもう神経症を治す努力を停止したのだから止まって考える理由がないからです。これが健康世界であり、年収1,000万円への道です。 ホームページへ |