神経症からの開放
有力投稿
ただ・・・・・ 投稿者:タフ 投稿日: 5月31日(土)06時14分09秒 僕は神経症になった瞬間の事を覚えています。一瞬頭が真っ白になり、それから不安になって、自分の悪口を言っているのではないかと思っていた連中に対して、強い不安を持つようになり、それから様々な症状が増えていきました。一瞬頭が真っ白になって、その直後から気にしていたものへの不安と恐怖が強くなるという経験を、覚えているだけで2回あります。
ちなみに病院で脳波等様々な検査をしましたが、まったく異常がありませんでした。たぶん純粋な神経症と自律神経失調症だと思います。余談ですが、神経症の人は自分の事を考える時間があまりにも長すぎ、不安、緊張、虚勢、恐怖等のマイナス心理の状態が長いため、自律神経が常に刺激され、正常な判断が少し難しくなり、心が極度に内側に向いてしまっているので思考に余裕が無く、人間関係が不自然になり、自然に気を使うことも難しくなってしまっていると思います。
神経症の人間自体、不自然なのですが。神経症を治すとしたら、強い不安、緊張、恐怖を受ける環境を変えて、仕事や家の雑用等の嫌でもしなくてはならないことをただやって、空いた時間は、強迫観念により無理やり浮かんだものでなく、ただ自分のしたいことやって、こうゆう趣味などは、やらなくてはならないではなくて、やりたくない時はやらなくていいし、とにかくただ自分のしたい事を別に分析なんかしなくても、ただこころのおもむくままにすればいいと思います。
それと、神経症とは治そうとする病気なので、自分が気にしている症状を治そう治そうとすると神経症の症状が余計気になるだけなので(下品な例えをすると、ペニスが勃起してそれを抑えよう抑えようと思うと、全然おさまらないのと一緒です。)治さなくていいんだと思えるようになると、もちろんすぐには治りませんが、少しずつ少しずつ、気にしていた症状を忘れていく様になり、月日が経ち、いつの間にか気にしていた症状を忘れているときがきます。
もちろん、上文に書いた生活を送りながら、どんな嫌なことがあっても反省なんかせずに、(過去のイヤな事を思い出して思考錯誤して、どんなに思い悩んでも答えは出ないし、時間とエネルギーの無駄でしょ。)比較的リラックス出来る家を出る時に、あれこれ先のことを考えたり、恐怖、緊張、不安となる対象物に対して対応策なんて考えずに、このようなものを武器と例えて、武器を持たず丸腰で、ただ外に出る目的に向かって、ただ行動するだけ。
考えちゃダメ、考えちゃダメなんて心の中で呪文みたいに唱えないで、ただしなくてはならないこと、ただしたいと思ったことをするだけ。ただ行動するだけ。何事も神経症を治そうとする目的でしない。そんな必要ないから。とにかく気になる症状を治そうとしなくていいし、気になる人間関係も上手くやろうとしなくていい。一言で言えば、どんなことも悩まなくていい。
神経症の人は上文にも書いた通り早く言えば、気になる症状や自分の欠落、人と比べて劣っている事等、様々な自分のマイナス要素や気になる症状にとらわれすぎて、その事で頭が毎日いっぱいなので、脳の思考回路がその事で侵食されているから、新しい思考回路を少しずつ増やしていってやって、(上文に書いた生活で。もちろんこのことを目的として上文に書いた生活を送らないこと。考えてみたらわかるでしょ。)いつの間にか症状なんか忘れて、神経症の事なんか忘れている日が来るから。
人間関係、自分の嫌な部分(気が小さい、優柔不断、上手くしゃべれない等など、人それぞれきにしている所は様々だけど)そんなの、本を読んだから強い人間になれる訳じゃない、日々の経験によって、いつの間にか自信を持てるようになっていたり、想像もしてなかった自分になっているものなんだ。あせる必要は無いと思う。神経症が治らないうちで、上文のような生活をしていても、行動して人生経験してるわけだから。人のせいにして、人の責任にしても、結局自分が選んだことなんだから、ひとのせいにするより自分で何事も決めたほうが後悔しないじゃない。人生後悔が一番つらいことだからねー。斉藤さん、長文すみません。
下の2通のEメールは同じ人から来たものです。順調によくなっています。
3月17日のEメールから
失礼ながら途中経過報告させていただきます、以前は神経症が暴走してしまい、わけが
わからなくなってしまいましたが、方向性は定まってきました。雲を掴むような感じですが
これを会得してきてるように感じます。以前Dさんが掲示板で
Dさんの神経症新理論の紹介
ブレインロックとは脳の各機能がうまく働かなくなって固まっている状態です。
神経症の治療とは特にこの脳の前頭下部(眼窩皮質)の過活動を鎮めていくことです。
神経症内の問題を解決しようとして考えたり、行動したりするのをやめる事を続けていると、
次第に関心の焦点を別のことに移すことが出来るようになり思考は停滞しなくなります。
(尾上核のギアチェンジが正常に働くようになる)
と書いていましたが、なんとなくこのことが分かるようになってきました、
神経症者は自分で自分をブレインロックの状態に追い込んでるように感じます、
しかもブレインロックが解けるのは非言語的過程をたどる故にだれも言語で
説明できない。だからこそ神経症者に言葉で教えてもそれは余計に悪化させることに
なるのですね。それと神経症を治すための雑用とただやる雑用もぜんぜん根本的に質が
違うのを実感しております。
結局は脳のギアチェンジの仕方を忘れてしまっていたのでしょうかね?
5月26日のEメールから
無為療法を始めてからだいぶ時間が経ち、最近はムードスィングも少なくなりました。
学校にも行きだした事から動きが誘発されて、ポンッと外の世界に抜けた感じです、学校にも
当然今ままで通りに嫌なやつは居るのですが、不思議とそういうことはどうでもいいのです。
一日が風のように過ぎてしまいます。
彼が怒り狂ったときは私に説教を垂れるのですが、まさに狂った世界そのものの主張を
します、はっきり言って○○療法と同レベルのことです、意識して嫌なことに突っ込めと同じ事をいいます。
普通は誰もそんなことしませんが、話しても聞く耳持たずです。まさに神経症の真っ最中の人間と同じです。この説教を聞いて昔は自分が悪いんだ、その通りにしようと思い、狂気の世界に入っていきましたが、今はアホらしくて仕方ないです。
加藤諦三氏について 投稿者:たけ 投稿日: 5月20日(火)19時06分15秒こんにちは。神経症になると、なぜか、加藤氏の本を読んでしまいます。表題が変わっても内容は同じだと薄々気づきながら新刊が出る度に買っては真剣に読んでいました。このホームページを見て、一切捨ててしまいましたが、その前までは、本の内容を間に受けて、必死に「心の中の親」なるものを殺そうとしてみたり、「願望ノート」を作成してみたりしていました。今となると馬鹿らしい限りですが。加藤氏も結局は○○と一緒で、願望が充足されれば神経症が治ると考えているんでしょうかね。今となっては、興味もなくなってしまいました。
アライグマさんへ
私は釣りが大好きですが、釣りに行っているときは、「仕事を別の角度からみてみよう」なんて動機でいかないですよ。魚を獲るためだけに行きます。
せっかく好きなことをするのに仕事なんかの為に行くのはもったいないではないですか。
昔は、神経症を和らげるために趣味を探したりしていましたが、どうせ「神経症を治そうとする」生活にとらわれて生きているのですから、趣味の時間ぐらい、「ただ」楽しみたいですよね。
経過報告 投稿者:としぼ 投稿日: 5月 6日(火)19時27分58秒腐った自分の脳で自分の脳を治すのは不可能というのはもっともだと思いましたね。ただ腐った脳に自然治癒力なんてほんとにあるのかどうか半信半疑でしたね。でも試してみる価値はおおいにあると思い「治すのを止める」と決意しました。「治すのを止める」と頭の中で唱えながら「雑用」を「ただやる」を開始しました。
2ヶ月ほど経った頃、今まで経験したことのない、言いようのない不快感に覆われました。今思うとその時「治すのを止める」事が始めて実行できた瞬間だったようにも思います。「症状については打つ手なし」とありましたから、その場面を過ぎたら反省もしないで、対策もたてないで「ただやる」暮らしを続けてきました。
そして1年経ちました。鬱は消滅しました。穏やかな気分で過ごせていますのでずいぶん楽になりました。ほんの少しづつですが症状も軽減してるのが実感できます。自然治癒力ってほんとにあるんですね。
「忘れている」状態は健康な人と同じ状態だと確かに思います。一生「忘れている」状態では暮らせそうにありませんので完治はないと僕は思います。年月をかけて少しづつ治っていくんでしょうね。
斉藤さん、yosiさん、キザさん達ほんとに治った人の投稿、ずいぶん参考になりました。感謝してます。
○○療法と無為療法 投稿者:たけ 投稿日: 5月 1日(木)12時33分39秒最近分かったこと。工夫や気配りについて、ちょっと意見します。○○療法でも無為療法でも、神経症者に工夫や気配りがないことを指摘しますが、斎藤さんは脳がうまく機能していないが為の結果、工夫や気配りができないと考える。つまり、工夫や気配りが自然にできていることは、神経症が良くなった十分条件としてとらえている。
しかし、○○の場合は、神経症者は工夫や気配りが足りないことの結果として神経症になっていると捉えている。ゆえに工夫や気配りは神経症を治す為の必要条件として、患者に要求する。
これでは、論理が逆ですよね。まずは回路を修復しないと。
最近分かってきたことを書いてみました。
特になし 投稿者:たけ 投稿日: 4月29日(火)16時34分43秒この掲示板は思い出しては見てしまいます。皆さんも苦しんでいるんですね。神経症に関しては対人恐怖的なものは、ほぼ、消えましたが、以前として、自分の手に負えない状況に直面すると、パニックになる傾向があります。
それから、雑用にしても、無の状態で行えることは増えていると思いましたが、鬱に襲われて、まったく手がつけられない状況になることがあります。フラッシュバックなのか、いや、まだ神経症のままなのでしょう。うまくいくかうまくいかないかを判定しているのだから。
先日、いつもなら、3時間ぐらいかけて料理をしていましたが、30分ぐらいで、とてもおいしく
作れたので、自分でもびっくりしてしまいました。
この掲示板を知ってめっけもんだったのは、休日にまで、仕事のことを延々と考える癖がなくなりました。朝起きると、天気が気になって、洗濯機を回し、その間に朝ご飯を作って、掃除をして、
時間が余ると、英語の勉強をしたり、最近興味を持ったプログラミングを勉強したりと、楽しく過ごしています。仕事も楽しんだり、達成感を味わったりしてやっています。掲示板読んでるよりも、VBAでも立ち上げると面白いことがたくさん詰まっています。そのうち、仕事でも使えるようにと、勉強中です。パソコンも結構面白いものですね。
ひとつあるとすれば 投稿者:通りすがりのアシスタント 投稿日: 4月28日(月)23時38分28秒神経症にとって鬼門となるものはありますね。
討論番組や小説やマンガの類、コラム、ネットなど、頭の中にばーっと向かい、興奮させるものは控えたほうがいい。ところで、斉藤先生が精神疾患だとおっしゃってたことが最近わかってきた。
前の日にいくら「明日からは無心でいくぞ」と決心しようが、このとち狂ったosは
一度頭の中に向かうと、ブラウザクラッシャーそのもので呆れてしまう。永久に同じコマンドを呼び出し続け、最後はウインドだらけにしてしまうというバグだ。
yosiさんの言うように、意思の力や練習なんかでは止まらない。
正常な人間は無心でこの恐ろしさが分っていて避けるが、神経症者は妄想のやりすぎで
錯乱しており、一生やり続ける。それに気づいた人間は救われる。
つくづく斉藤さんに出会えなかったら・・、と思ってしまった。
ありがとうございます。では。
開票を終わって 投稿者:石原 投稿日: 4月28日(月)03時11分28秒私の地域では定数22に32人の立候補。無事に当選したものの票数が納得いかない。
これほど私が居住地のために奉仕しその候補を応援してきたのに最下位。それも次点と
2票差。楽観論をいましめて闘い、投票前に上位当選を考えていたのに何という結果で
あろうか。当選できたのは日頃の居住者への奉仕活動ですが、もしそれがなかったら
落選していただろう。
今回の選挙でその怖さを知りました。と同時に新しい友人が沢山出来たこと。それぐ
らいがせめてもの慰めである。でも、神経症から解放されてここに書き込みできる自分
がうれしい。
(無題) 投稿者:ボンボン 投稿日: 4月25日(金)21時52分09秒斎藤さんこんにちわ。
私は約10年間神経症を患いその10年間もの間ありとあらゆる療法を漁り実行してきましたが、一向に良くはなりませんでした。
10年もの間神経症をやっていると、神経症を治す生活が症状を悪化させているのではないか?との考えが自然と湧き上がって来るのですが、それもつかの間で強迫観念に襲われるとまた元通りの神経症を治す生活に逆戻りしていました。
このHPに出会ってから無為療法で神経症の治った方々の力強い発言を見て、治すことをやめることが正しい道であるとの信念が芽生え、ようやく実施できるようになりました。
現在は神経症を自力で治そうと思うことは実にくだらないことであるとの心境になり、一日中神経症について考えていたのが、身の回りの雑用が非常に楽しくやりたいことがたくさんあり、時間がいくらあっても足らないような生活が根付きつつあります。
私が思うに、無為療法は強制されても必ず失敗すると思います。自力で治そうとしないことがいいのでは?との自覚が芽生えた人のみがこのHPでその信念を得て初めて成功するのであろうと思います。
パピプさんへ 投稿者:yosi 投稿日: 4月24日(木)16時57分30秒誤解を恐れずに手短に言ってしまいます。
神経症脳が求めてやまない安楽や、疑問の解決は絶対にありません。つまり神経症側から見たは治癒像というのはこの世には存在しないのです。しかし神経症脳を、訓練ではなく日常を通して無視してやると、症状への関心をだいぶ減らすことが出来ます。ここに至るまでは苦難の連続ですが(どんな感想を神経症脳が訴えようが、きりきり舞いしていようが、絶対に行動を通してそれを具現化してはいけません。)究極、これは僕の場合ですが「なげやり」「ふてくされ」という感情を通過して、症状に興味のなくなる状態が現出します。そして興味が無くなると「症状」は雲散霧消する。症状ある?と訊かれて「気が付かなかったけど、そういえば無いみたい。」これが神経症の治癒です。しかしこれは、望んで得られるという種類のものではありません。そしてこの状態は体験した人でなければ理解ができない。遊び呆けて忘れていたというのとも違う。さらに「ぶり返し」もいく度となく経験することになる。ぶり返しというより「反応」としての症状は、程度の差こそあれおそらく一生続くでしょう。しかしそれに対する「興味」や「こだわり」が無くなっているので、苦手な環境が過ぎ去ってしまえば、即、平常に復帰できるようになる。
「真実だ」とか「真実ではない」とか言ってる暇はないのです。神経症脳の奴隷にならない生活へ今すぐに一歩でも近づいて下さい。
斎藤に来たEメールから 2003年4月22日
初めてのお便りですが、恐らく長文になることをお許しください。しかし、斉藤さんには一度お礼を言わなければ、と思っておりましたので・・。
斉藤さんのお陰で、この数ヶ月で自分の内面が劇的に変わることができたからです。
私は振り返ってみると中学生の頃から10年間症状に悩まされてきました。
しかし、自分でおかしいと認めたくないのと、症状だけが治りさえすればと勘違いしてました。そう思い返すと小学生の頃から妄想癖や考える癖がありました。
不安に耐え切れず、表面は普通を装い、家に帰ると疲れ果て、妄想やマンガを隠れて楽しむ、みたいな・・。今にして思えば本人はそれで普通のフリをしてたのだから、回りが見えなかったんでしょう。明らかにおかしかった。親も気味が悪かったんじゃないかなと思います。でも、その頃は頭ごなしにしかりつける親のせいだと思っていました。今は妄想に逃げてた自分のせいでしょ、という感じですが。仕事もこなしましたが、つらかった。本格的に治さなければと思い神経症関係の本をあさっていました。そして、自分は神経症なんじゃないかと怖くなり、治さなければ、と真剣に、書いてあることを唱えたりしてました。(あるがままにすればいいんだ、妄想はやめよう、妄想というのは・・・)みたいに。
もう明らかにどろんとしてるのに、やめられない。しかし仕事のせいだろうと思い、なんとか結婚退職しましたが。しかし時間ができ、結婚できても鬱念としたまま。そして ネット依存のように同人サイトの閲覧をひどくしていたのが決定的に悪くしました。あの頃は楽しそうだと思ってたんですよね。メディアやネットでも、マンガとか、さも時代の流行、楽しそうな世界と触れ込んでるし。この前覗いたら、うわ〜、狂ってるこの人たち、という魔窟なのに。それで斉藤さんのページに出会い、頭を殴られたような衝撃を受け、涙がでました。あーそうか、やっぱり妄想に狂ってたのか、この頭はおかしいのか・・と。同時に過去の10年間、自分は正常ではなかったんだな、という途方も無い気持ち。
それからやろうやろうと思ってた英語を学び始め、同時に快方に向かいました。症状はまだ癖なのか、しつこいですが落ち着いています。というより、発作がでてるな、という自覚があり、無理をしない。寝たり雑用してるうちにまたすっきりする
という感じ。そういえば子供の頃は、(なんか変だぞ)と思いつつ、なにかに夢中になってるうちに忘れてしまってた。あの単純な無意識さが大事なんでしょうね。息をすることを意識するとうまく吸えなくなるみたいに。
最初は斉藤さんの「ただやる」というのを「治すため」に一生懸命やってました。もう狂っていたから、ここから入ったのでしょう。しかし、2ヶ月して、ふと気付きました。自分は健康な人より、何か間違ってるのではないか。そして彼らより、その点に関しては駄目なのだ。ということ、そして、斉藤さんのページを見て、以前とはまったく違う解釈に気付きました。
快方に変に喜んだあと、妄想癖も気味悪くなり、今は落ち着いてまた勉強やら雑事に向かってます。妄想をつぶやくのと症状は10年来の癖もあり、晴れたり曇ったりですが、しょうがありませんし、斉藤さんの方法をしてからは全然違います。
あの爽快感を知っているので、なんとか正常がコンスタンスに軌道にのるようにしていきます。
増刷決定、おめでとうございます! 投稿者:yosi 投稿日: 4月22日(火)19時30分40秒僕が最初に出会った療法書は、地元の精神科医から進められ診察を受けた「○○智準」の診療所から求めた1冊だった。今になって思えば、カウンセリングや分析医などを紹介されなかったことに心底感謝している。
斉藤さんは○○療法を入院して受けられ、見方もだいぶ違うと思うが、僕が接したのは「著作」であるから、著者自身の抑制も効いていたのだろう。実際に斉藤さんのように入院経験のある方とは感想を異にするかもしれない。他にも1冊読んだし、会報「今に生きる」も読んでいた時期がある。「○○会」はクソ以下だが、この著作に関する限り、正直、斉藤さんの「徹底批判」とはだいぶ距離のある感想を持っている。
その感想とは「根源的な部分で斉藤療法とほとんど同じ」ということだ。おそらく「○○」は入院者の治療成績の向上を焦るあまり、よほど「力ずく」で入院者へ接していたのだろう・・・。そしておそらく、大半はその理不尽な入院治療の犠牲者となった・・・。
神経症からの脱却とは「窮すれば通ず」という種類のもので、精神生活に波風の立たない快癒というのは絶対にあり得ない。それはそうだろう。核たる脳の「OS」の総入れ替えに挑むわけだから・・・。「旧OS」で動く本人からは自覚できないブレークポイントを「旧OS」のままで、長期間に渡り嵐をくぐって超えるのであるから・・・。
さてその越し方だが・・・
入院○○療法では、クソ急がしい動きの中へ患者を強制的に追い込むことによって、ブレークポイントへ誘導しようとした。しかし結果は悲惨なものだったと想像出来る。「火事場の馬鹿力」が一生続くわけがない。入院中に違和感を感じ「○○劣等性」になればよいが、たまたま入院期中の雰囲気に飲まれて症状の良くなった人々の末路はさらにに悲惨だろう。
しかし、「斉藤療法」ではその重要なプロセス全てを、入院などという「おためごかし」なシステムに依存することなく、家庭内の日常に暮らす患者へ明快に説く。神経症の療法にあって、これほど良心的な療法があるだろうか。
しかし文字通り「窮すれば通ず」は必然であり、再度強調するが神経症からの脱却には、ある種の苦痛は避けては通れない。斉藤療法は「外力」による変革ではなく、自分からの自助努力による「変革」を迫っているのだと思う。より厳しい勧めかもしれないが、効果は確実だと思う。
斎藤に来たEメールの中から 2003年4月10日
そこで先生と同じ事ではあると思いますが私なりに神経症対策を考えてみました
1 今考えている不安は脳障害からきているものであるから考えても無駄であり幻覚(妄想)であると考えて思考を遮断する。
2 不安を覚える状況を極力避ける。何故なら不安発作が起きれば、又その事についての自動及び準備思考が始まってしまうからである。
3 他の誰にも相談、愚痴を言わない。上記と同じ理由で
4 自分の元々の趣味他に費やす時間を多くする(最も私の場合これさえも不安の種になってきましたが、色々な調査の末、自分にまだ可能性があると思え、また趣味が楽しくなったので効果があつたと思います)
5 斉藤先生の本、サイトですら見ない事にする。やはりこれも考える事に繋がるから
6 神経症的に思考しているのか健康脳的に思考しているのか分かる様にする。次第に良くなりさえすればこれが理解出来ると思いますが、治すのではなく癒されるという観点から考えると非常に重要な点であると思います。
命をかけた一週間 投稿者:石原 投稿日: 4月20日(日)02時32分49秒忙しい、昨年の10月から4月27日に向かって自分自身がんばり6カ月間の答
えが一週間後にでる。神経症のこと考える時間がない今、私は完全に正常な状態で
人を動かしている。
答えはあと一週間、今週は私の6カ月間の私の努力がどう結ぶか試されている。
勝利出来ればこの6カ月間の私の成果として私のこの21世紀の初頭に石原がどう
生きたか記念すべき歴史を書き残すことになるであろう。
私はこの6カ月間妻と交じり合っていない。先日警察に選挙届けに行く前、自分
自身、「書痙」は現れないか、も心配したが、ごく普通の届け出ができた。
もはや「書痙」は全くない。さぁ、これから一週間、多くの人たちの協力を得て、
27日にどういう結果が出るか、いのちをかけた勝負を必ず成功させたいものだ。
Re:D・K「道は開ける」 投稿者:キザ 投稿日: 4月19日(土)17時30分05秒なつかしい本の名前ですね、昔必死で読んだ記憶があります。
神経症当時はすばらしい本だと思ったが
治ってみると、あまりにも馬鹿馬鹿しさに見向きもしませんでした。
治す為のの努力の一つとしてこういった人生本を山ほど読むが、悪化にしかなりません
こいった本のたぐいを全部すて、治す努力を止めた時点で治癒が始まります。
こういった本を読むのは斎藤さんの言われる武器を持つ行為です。
武器は全部すて丸腰で生きる時に治癒があります。
それでいいじゃないですか? 投稿者:yosi 投稿日: 4月 9日(水)17時52分57秒人生相談っぽい「ノリ」は不本意ですが・・・ちょいと一言。
>Mr@さん
はじめまして。
最も忌むべきは、そういった「反省」や自分の性格を何とかせねばという「力み」です。そのままでいいじゃないですか。いや、そのままでやっていくしかありません。前の書き込みでボクは神経症のことを「BIOSのバグ」というように表現しましたが、性格なんていうものはもっとずっと下位のマザーボードだとかドライブだとか、物体として確認できる泥臭い領域だと思います。このあたりのトラブルはもうセット交換してもらうしかありません。(つまり、生まれ変わるしか方法がありませんな。)
前出の「BIOSのバグ」たる「神経症」というのは、これら自分の弱点ばかりにとらわれ、その解決のために(あなたの場合で言えば、このボードへ書き込むとか)あらゆる努力をし、あげくの果てには人生の目的が「弱点の克服」になってしまった人々のことを言います。さらに悪いことにはこの辺につけ込んで、健康食品とかを売付けるものから、自己啓発セミナー等々(含む、○○会)とまあ、快挙に暇のないビジネスや、ヒマつぶしの餌食になるわけです。
言ってしまえば人間苦手なものは苦手なのです。ヘビが嫌いな人は、なんでヘビを好きになる必要がありましょうか。問題は、なぜ毎日でくわしもしない「ヘビ」に対する単なる「反応」を厭い、変革せんがために全人格をかけて挑む必要があるのか? ということなのです。「人間関係も表面的には上手く出来ますが・・・」大いに結構。それでいいじゃないですか。
恋愛??
「行きずりの恋」なら別ですが、これはこれで「神経症」よりもさらに辛らつで、ディープな世界だと思います。成就の確率も低い。よってどちらかが傷付くのは当たり前。まあ、人間という動物の全知をかけた「一大イベント」ですからね。これは別格です。しかし「神経症者」とて「健常者」と「土俵はおんなじだ」とは言っておきましょう!!
腐っているという認識が第一歩。 投稿者:yosi 投稿日: 4月 7日(月)17時20分51秒腐っているという認識が、まず第一歩でしょう。しかし「患者第一」の普通の医療を受けていたのでは、その自覚が大いに遅れる恐れがある。これが危惧されますね・・・。
神経症の当面する世界(半狂気)と心理学で扱う精神世界では根ざした領域が違う気がしますね。BIOSのトラブルをOSで解決しようとしているようなものです。
しかし人間の脳は良く出来たもので、自然治癒という最強のシステムツールを持っている。ここにアクセスできるのは「無為療法」だけでしょう。
神経症によって出来上がった「わだち」からはみ出し、神経症脳の発する「何とかせよ!」の強引なルーチンも無視して、いわゆる訓練ではなく、ひたすら「人」という種に課せられた当たり前な行動が行われる時「修正」が敢行されるのだと思いますね。
一年経ちました 投稿者:としぼ 投稿日: 4月 5日(土)11時33分01秒確かに、yosiさんの言われるように、不快感との同居が第一歩でしたね。生まれてこのかた経験したことのない不快感でした。不安感とも思いました。それに関わらず日常生活を続けてきました。症状はむしろ以前よりひどく現れるようにも思いました。でもその場面を過ぎたら反省もしないで、対策もたてないで暮らしてきました。半年ほど経ったころでしょうかほんの少しづつですが症状も消えつつあるのを感じはじめました。不快感とか不安感はそれほど感じなくなりましたね。今でも決まった場面で症状は出ますので周囲の僕を見る目は以前と大差ないと思いますが、気分はずっと楽ですね。まだまだ時間がかかるのでしょうね。
僕は雪国に暮らしてます。雪消えももうすぐです。山歩きもまた始めます。息子は社会人になりました。研修が終わったら北海道に行きます。娘も大学2年になりサークルの勧誘で忙しそうです。いやおうなしに月日は過ぎていきます。
ごぶさたしております。 投稿者:yosi 投稿日: 4月 3日(木)18時00分15秒>ひがさん
こう思いをめぐらせてジッとしているさまが神経症特有の
「ヘッドゲーム」なんです。「否定」をいくら頭でやっても
意味がありません。治すのを止めろと言っても多分無理で
しょう。とりあえず不快感との「同居」から始めませんか?
感じる不快感は置いといて、とりあえず「今」です。
この生活を粘り強く保持すれば、斉藤さんやキザさんや僕の
状態まで持っていけるかも知れません。その際どれだけ良く
なったかと計測する自分を発見しても無視することです。
斎藤へのEメールから 2003年3月26日
斎藤さま はじめまして。去年の11月にHPを初めて拝見しまして、無為療法にピンと来るもの がありました。(医者や薬に頼らないという所にです。)精神科や薬の経験はありま せん。○○療法も知りません。今は引きこもり状態から社会に出て働いています。休む暇があまりなく、休みの日はほとんど睡眠にあてています。辛い事も悲しい事もありますがなんとかやっていっています。斎藤さんのHPへは久しぶりに行ったのですがHPにはまっていた当時の状況を思い出して「こんな事考えてたんだな〜。」と、タイムマシンに乗ったような気分を味わいました。本まで頂いてしまって斎藤さんにはお世話になりっぱなしです。新しいUPLを教えて下さってありがとうございました。斎藤さんがいつまでも元気でいられるように、そして斎藤さんの活動がよりよい方向に向かうように、祈ってます。それでは。
私の症状は不潔恐怖のようなものと、人に危害を加えてしまったらどうしようという 恐怖です。他人の唾液や血液が怖くなってしまい、自分の部屋だけが清潔と思ってい ました。 でも、手洗いは1〜2回洗えば気が済んでいたので、軽い方だったんでしょうか?それも無為療法を実行したところ、わりと簡単に治りま した。10年悩んでいたのに・・・。今、汚いかなと思うことがあっても、 すぐに消えてしまいます。これはすごいことなのに、 治ったことや嬉しさも忘れています。
危害を加えたらどうしようという不安の方は難しくて、 ニュースの事件を聞いてもフラッシュバックします。 高校生の時読んだそういう内容の漫画がきっかけでした。何ヶ月か苦しんだ後忘れ て、22歳頃また何ヶ月か苦しみ、忘れ、また去年の11月に思い出してしまいまし た。
ですが、今回は無為療法があるので、 以前とは違い忘れていることが多いです。絶対に 治します! 最近、人に対して優しい気持ちになってます。人間が 好きになりました。母も私の変化を感じ取っているようです。
普通に日常の動作は出 来るので、フラッシュバックを除いては問題ないのです。思い起こせば私は、頭の中 で考えすぎていたようです。空想や妄想や質問など常にぐるぐる回っていました。今 では、 考えを止めています。 自分のことばかり長くなってしまって申し訳ありません。読んで下さってありがとう ございます。斎藤さんに お礼が言いたかったんです。1番に出会えてよかったです。
斎藤に来たEメイルから 2003年2月26日
斉藤さん、お久しぶりです。
パソコンが故障して以来、掲示板の方は一度も覗いていないのですが、いかがお過ごしでしょうか?僕の方は4月から就職が決まりました。販売業です。対人恐怖だった僕が営業マンになるのも不思議な話ですが、今までの安定した様子から見て大丈夫だと確信しました。
ネットはしばらく覗かなくて正解でした。無意識のうちに現実逃避したり、依存したりしてしまう傾向は精神上良くないし、電源を切れば虚しい偽りの世界にすぎないことをつくづく実感してしまいます。観念の世界に救いがないならネットも同じ。ヨシさんもよく言ってますが、自分で現実の中で体験するしかないんですよね。仕事においても、ある一定のペースを保つことは大切だと思いました。斉藤さんがおっしゃった通り、無理をしないこと、バタバタ動かないこと、これは重要なキーワードです。
茶道にも通じるものがありますが、ゆるやかで無駄のない動きは呼吸を整え心身を安定させます。型・動きは心を調節し、ほど良い日常のリズムは健康をもたらすのです。
経過報告 投稿者:ダダ 投稿日: 2月26日(水)08時05分31秒睡眠薬を飲み始めて、1年、レキソタンとデパスも同じくらいでしょうか。で、最近やっと薬を飲むのを止める事が出来るようになりました。しかし、だるさはものすごく残っています。これが薬のせいなのか、生活が不規則なためかはよくわかりませんが。ただ、薬の眠気で自転車でこけたり、不注意になったり大変でしたけど。
軽快への一歩は、対人恐怖症で悩んでいる事が無駄に感じたからです。そりゃそうでしょう!自分は21ですが、斎藤さんはもっと上。けれども、斎藤さんは意気揚揚と人生を過ごしている。英語もペラペラ。自身満々。それなのに自分はどうでも良い事に振り回されている。ネチネチと同じ事の繰り返し。悩み、落ち込み、もがき、そして疲れる。結果はいつも同じ。俺は何時までもゴキブリホイホイの中で過ごすのは嫌だ!という訳です。
もう悩み悩んで6,7年。これからは生まれ変わって第二の人生を送るつもりです。斎藤さん、本当に感謝しています。キザさんのページも大変参考になりました。ありがとうございます。
あー、この出会いがなかったら・・・・考えるだけでもおそろしい。
チャット見ちゃったのですが 投稿者:YUNO 投稿日: 2月23日(日)14時23分23秒なんか興味本位に鬱のチャットのとこ行ったら、今まで普通に見えてた会話がとてもおぞましく感じました、ずっと自分がこの無為療法のサイトの事を知らなかったら、暗闇神経症人生まっしぐらだったと思います。 本当に神経症は恐ろしいですね。
私はまだ神経症だ!と言われそうですが、それでもいままでにない変化がありました。
まず精神的な疲労からくる鬱&吐き気がとても軽くなった。人の前にいくと汗がでてきたりとかいうのが消滅?しました。
あと無のことですが確認を求めた時点でもう有の状態で、無の状態は言葉を離れた状態と
いいましょうか、理解を離れた状態といいましょうか、どっちにしろ言葉では完全に伝わらないです。(こんなこと言ってること自体もあれなんですが・・・)
感激の多い人生 ・・。 投稿者:second 投稿日: 2月10日(月)21時41分14秒>>神経症が治ると本当に感激が多くなる。
確かに感激が多くなりますね。神経症真っ盛りの頃と比べるとなんと感情がみずみずしいことか。。
当時は八方塞がりで萎縮しまくり、狭い部屋の中で、さらに狭い自分の狂気な思考世界に住んでいたので、今はもう一度生まれ変わった様な感覚です。
また変な意味でなく、些細なことにも感動出来るようになりました。
健康世界のありがたさを感じながら、こちらをご覧の皆様のご回復を心よりお祈り致します。
私は斉藤さんの信者でもなんでもないのですが、やはり回復には、無為療法が良いと思いますよ。特に大事なのは動きです。
それではしばらく又こちらのサイト離れます。
斉藤さんありがとうございました。
rei さん 投稿者:second 投稿日: 2月 6日(木)19時08分00秒こんにちは、reiさん。
>>「神経症を治すために雑用をした方がいいといいながら、、神経症を治すために雑用(行動)すると治りませんよ。」と書きましたけど要するに神経症を治すためにするんじゃなくてただ雑用をすると言う事なんでしょうか。。
そうです。見返りを期待してはいけません。ただするだけです。
日常生活で雑用と言えば、掃除、洗濯、炊事などありますが、普通の人はただするだけですよね。。だから神経症を治す為に雑用をするのは異常だと思いませんか。
とにかく考えてるより動き出すことが賢明です。黙って無為療法を実行してください。
実行して何日かして、効果を感じなくても掲示板に書いたり、斉藤さんに聞いたりしない事がとても大事です。ここがとても難しいと思います。が、本気で治そうと思ったら本気の覚悟が必要です。
本気で神経症地獄からの脱出を願うならば、どんなに小さくても一歩踏み出すことが大事ですよ。
rei さん 投稿者:second 投稿日: 2月 5日(水)16時02分53秒はじめまして。こちらのサイトがきっかけで回復したものです。
>見なくなるのはいい事か悪い事か分かりませんが見なくていいとかは
逃避のようにも聞こえたりします。
神経症のぐるぐる思考状態から脱出すると、急に忙しくなるのです。それまでやろうと思ってやれずに溜まってたもろもろの事をこなすことで、毎日が終わっていきます。
ですからたまに、こちらのサイトを覗きに来ても前のように、掲示板をなめるようにみることもないし、文献を読み漁るということもありません。つまりこのサイトに来る必要がなくなるのです。もしreiさんが1日に何度もこちらに訪れて、なめるようにこのサイトを読み返しているとあなたの症状はきっと回復しませんよ。。
じゃどうしたら良いか。。斉藤さんが口酸っぱく言ってるように雑用(行動)するのです。ですが、ココが一番難しいと思うところですが、神経症を治すために雑用(行動)すると治りませんよ。
ココに書いてあることを信じて実行してみれば、何日かして効果を自分で感じるはずです。そうすれば勢いがついてきて、狂気の思考から徐々に脱出できますよ。がんばってください。
。。。 投稿者:りな 投稿日: 2月 3日(月)14時30分56秒久しぶりにふっと斉藤さんの事を思い出しこちらを覗かせていただきました。
でも、正直、時間の無駄でした(斉藤さん、ごめんなさい)
私は主婦ですが以前は対人恐怖で家事も外出も困難な状態でした。
そして主人にも自分の辛さを理解してもらえないといつまでも泣いて訴える毎日でした。
でも、今、考えたら理解できなくて当たり前だと思います。
しんどかっただろうな。。。。主人も。
今は朝、起きた時から御飯のしたく、洗濯、掃除、子供との散歩など。。。
次々とやらなければけない事はあるので次々とこなしてあっという間に時間が
過ぎてしまう毎日です。
以前はこんな普通の事ができなかったんですよ。
そして神経症が治った後のバラ色の人生ばかり思い描いていたんですけどね。。。
今は。。。小さいながらも目の前にもいくらでも幸せはありますよ。
今こんなふうになれたのも斉藤さんのHPに出会えたおかげです。
斉藤さん本当にありがとう!
ぷぅさんへ 投稿者:ひとみ 投稿日: 1月26日(日)02時06分13秒どうしたら病気が治るのだろうと方法を求めずに、そんなヒマがあったら
雑用見つけて動いている方が良いということですよ。無為療法、簡単じゃ
ありませんか。そうすれば忘れていられるとか、治るかもしれないとか
そんなことも考えない。いつの間にか治っています。
斎藤さん、覚えていますか?もう随分前に毎日このHPに訪問しては
掲示板の中の皆さんの書き込みの中に何かヒントはないかと読み漁っていた
者です。書き込みも何度かいたしました。時々軽い不安もありますが、
生活に支障をきたす程度でもありません。私も人生で一番今が楽しいです。
趣味もいろいろあり、毎日時間のたつのか早く感じられ、あれもしたい、
これもしたいのにと困るほどです。強迫神経症で昔は自殺願望もあったのですが、
今は一日でも長生きしてこの人生を楽しみたいと思っています。昔が嘘のよう!!
思えば昔は、書店にいけば心理学の本等数え切れないほど買いましたが
いつからか見向きもしなくなりました。このHPに出会えたお陰だと思っています。
あ〜、本当に最後に訪問したのはいつのことだったのでしょう?
平成15年1月18日 斎藤へのEメイルから
生命エネルギ−がほんとうに低下したようになったからです。近所の心療内科に連れて行ったらプロザックを処方してくれました。インタ−ネットでプロザックを検索したらその薬を飲んでどうだったかというまことに親切な日記を書いておられる人がいて、それを見るとそんなにスカッと治るものでもないようなので、その薬はとりあえず飲むのをやめジョンズセントワ−トというどこにでも売っているハ−ブをのませました。これは11月からのことです。それから○○の本やら鬱のほんやら読ませようとしたり、○○の教訓を語ってやったりしたのですが、そうすればそうするほどイヤ−な感じになって・・・。
昔、私が具合悪いときに読んだ話の中に心にのこっている話があります。悩みがあったらそれをとことん追求するのではなくて、例えば雪のうえのウサギの足跡を追って行っても、何処に行ったかわからないような感じでウヤムヤにするとよい。そんなことを思っているうちに先生のホ−ムペ−ジにたどりつきました。
私自身どつぼにはまった(汚い言葉だと思いますが、まさにこう言うしかない地獄でした)人間ですので、先生のおっしゃることは即座に理解できました。 あのときの感覚というのは、勝手に脳のなかからブクブクと恐ろしい考えが湧いてきて、身動きならないという感じでした。だからそこからぬけだすには脳の状態をよくしてやることが必要というのは理解できます。壊れた回路を補強をするような愚痴症状のことはつらくても言わない。そういう人の話も聞かない。精神科の待合室で人の話を聞いてグ−ンと悪くなったという人の話を聞きました。(それってきっと本当だと思います)
おかげさまで○が元気になりました。12月の末からは、セントジョ−ンズワ−トは止めてアメリカのサプリメントのmega-stressというのを飲ませています。もうこれも必要ないかなと思います。
学校へも元気に行けるようになりました。貴重なsuggestion ありがとうございました。どうか斎藤先生、頑張ってください。2チャンネルにつながってしまいまして、その内容を読んでみたのですが、健康な私でも読んでいるうちに具合が悪くなりそうなそんな悲惨なものですね。言えばラクになるんじゃなくて、言えば言うほどひどくなって共鳴増幅していくのが分からないのかなと思います。ということで まずはお礼まで。
僕の場合 投稿者:としぼ 投稿日: 1月10日(金)18時41分52秒28歳の時、10年間暮らした東京から、郷里の田舎町に帰り結婚しました。大きな環境の変化による重圧からか、緊張すると手が震えるようになりました。それから25年過ぎた昨年の春このホームページに巡り合いました。
25年の間、仕事はしてきましたし2人の子供も育ててきました。精神安定剤を服用した時期もありましたが効果がないのでやめました。精神科を受診しようともとりわけ思いませんでした。緊張場面はなるべく避けながらなんとか過ごしてきました。
「治すのを止める」「何もしない」「無」と念じながら雑用を昨年の春から開始しました。2ヶ月経った頃今まで経験したことのない言いようのない不安感に覆われました。その日から少しづつ軽快しはじめたと思います。鬱はすぐ消えました。ムードスゥイングもほとんど感じません。ただフラッシュバックの時の症状はむしろ強く出るように感じました。しかしそこを通過したら反省しないで対策もたてないで「ただやる」生活を続けてきました。そして数ヶ月まえから症状が少しづつ消えてきました。まさしく「除去する」でなく「消滅する」感じです。症状は60から70パーセント回復という感じです。
確かに無為療法は僕には効果がありました。このホームページに巡りあわなかったら一生神経症のまま終わったと思います。神経症世界から健康世界に戻るための日常生活の仕方の再訓練プログラムとして有効だと確信しています。
僕は雪国で暮らしています。春になって雪がとけたら昨年から始めた山歩きに妻と行こうと楽しみにしています。東京で一人暮らしの息子も大学を卒業して社会人になります。同じく一人暮らしの娘も大学2年になります。希望に満ちた春がもうすぐです。
平成14年12月29日 斎藤へのEメイルから
以前メールをしたことがあるものです。現在、一人暮らしをしているアパートから一時的に離れ、実家の方で暮らしています。自分のことが嫌になる、ある出来事がありまして、その日から少しずつですが、家の手伝いや外出などをしてきました。今は前と比べて考えることが現実的になってきて、自分の外に気がいくようになっています。
やはりまだ動きの不自然さは残っていると思いますが、以前より生活の充実感が違います。まだ全般的な不安や緊張感、ムードスイングのようなものがありますが、“神経症”というものにあきらめがついた気がします。
平成14年12月29日 斎藤へのEメイルから
私は確か、斎藤さんのHPを知って1年くらいになると思います。最初のうちは、とまどいもありましたが
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