神経症からの開放
有力投稿 
斎藤宛てのEメイルから

2002年12月25日
私は子育て中の専業主婦です。よろしくお願いします。斉藤さんのHPを1年前くらいに知り、無為療法の事も知りました。その時は、理解しながらも、なかなか1歩が踏み出せない状態でしたが少し前から、まず身近な事から始めようと思い家事を進んでする様にしていました。

私の場合はですが、それだけで人が恐いと思う気持ちがかなり薄らいできました。前は、人と接するととにかく疲れて何もできない状態でしたし人に会う前も緊張で頭の中は不安でいっぱいになり家事も何1つできない状態でした。
今は人に会う前も家事も終わらせてから出かけて人に会って帰ってきてからもあまり疲れなくなりました。長い間、対人恐怖で苦しんできたので今の気持ちが本当に自分でも信じられません。

これからも無為療法を続けていこうと思います。本当にありがとうございました。

丸腰 投稿者:キザ  投稿日:12月 7日(土)10時02分56秒
「家を出る時に丸腰で出る」について語ってみよう
丸腰で生きるは、普通の人の普通の生き方であり、これの無いのは神経症者だけだと思う。
これが出来る様になったら神経症の治癒は完成といっても良いと思う。
丸腰で生きる裏側は、武器を持つ努力が無いことであり、武器を使って対応していない事です
理屈で言うと、この生き方は自分の知性も能力も根性も全部出し切る、スリルの有る生き方である
個人としてはもっとも満足できる生き方だが神経症者は理解しない。
普通の人の当たり前の生き方であるが、神経症者はこれが難しく、こういう生き方をすることが
堕落であり解決の放棄だと思っていて、計らいの生活放棄できず、神経症が続いて行く。

「家に帰ったら反省をしない」は丸腰とセットになるでしょう。
反省し改善をしようとする努力が武器を持つ努力であり、この努力が忘却を妨げてしまい
一瞬たりとも忘れない神経症を形成して行くわけで、これが結局人生を破壊して行く
長時間の反省は、この裏側に自分に対する邪悪な囚われが有る。
これが邪悪な努力だと理解できた人のみが本当に反省をせず、丸腰で生きる心が発生して
丸腰が実行出来ると思う。そして神経症は治癒する。
又とりあえず丸腰で生き、反省せず生きた人のみが、この事に気付き神経症は治癒してしまう。
その意味では神経症の治った人の指示に従うが治癒の最短コースでも有ると思う。

神経症を治す本 投稿者:kyuu  投稿日:12月 2日(月)22時28分44秒
読ませていただきました。今まで読んだ本の中でお世辞抜きに核心を突いていて説得力がある本だと思います。
僕には、妄想だと自分で理解でき、このことが僕にとって何の利益ももたらさず、むしろ人生の大部分を無駄に過ごしていると解っているのに、なぜかそのことに26年間も囚われてしまっています。なぜだか自分でも解らないです。

斉藤療法は、効果があります。 投稿者: 佐藤勝彦  投稿日:12月 2日(月)15時59分50秒
 神経症は、完全な病気であり、○○正馬氏が病気でないと言ったのは、完全なまじがいです。○○派専門家の方々は、このことを皆さん知っているが、それを正面きって間違いとはいまさらいえない、そのうち、脳科学者が病気だと言うことを証明するでしょう。
アメリカの一流の科学雑誌「サイエンス」でも脳科学の特集をくんでいるほどです。そのうちに、日本人脳科学者、代表者は、MITの大学院教授利根川進博士ですが、
脳研究で一番進んでいるのはアメリカでしょうから、利根川先生が証明しても決して不思議ではないのです。
 宇佐晋一先生は、偉大です。「神経症は治そうとする病気と論破しています。最近お目にかかってお話を伺っていましたら、宇佐先生は「一番いけないのは、○○先生が、ああ言った、こう言ったと言う、○○先生のお言葉主義になってしまっていることです。」と言われていました。ただ、宇佐先生は、脳科学のことは問題にしていないということです。宇佐先生の前では、さすがに○○療法批判は、できない。21世記は、脳とこころが大展開する世紀なのです。○○療法が効果がなかった人は斉藤療法をやってみることを薦めたいと思います。ただ、先人の積み上げてきて蓄積は、大いに参考にしなくては、いけません。その意味で○○正馬氏の功績は、認める必要があるでしょう。不問療法などは、とても参考になります。神経症が治らない人は、斉藤さんの無為療法を行えば治る可能性がある。似ているけれども明らかに○○療法とは、治療の仕方が違います。
一番大きな違いは、強迫観念の実現を否定しているところです。これが重大な成果でしょう。神経症者は、これを肝に銘じるべきです。

あまり疲れないです 投稿者:神経症の学生  投稿日:10月22日(火)19時57分22秒
斎藤先生、ご返事ありがとうございます。

神経症が回復して思うのは、あまり疲れなくなったということです。
以前の私は大学から帰ると、ぐったりとしてほとんど身の回りのことはできなかった。
帰ってきてすることはベッドに横になって、テレビを見たりインターネットをすること。
そして深夜まで神経症のことが不安で眠れなかった。
ですが今は、テレビもインターネットもやりますが、それに固執することがなくなった。
雑用をしながら適度にいろいろなことをこなしていますし、夜もよく眠れます。

常連さんへ

以前の私も雑用がまったくできませんでした。今思うとそのころは、自分の頭の中で
対話が止まらなかったです。「雑用ができたか?できないか?」「症状はでたか?でな
かったか?」と頭で繰り返すのは良くないことだと思います。


良くなっている 投稿者:神経症の学生  投稿日:10月21日(月)20時11分26秒
斎藤先生、みなさん、初めまして。

私はかなり以前からここのページを拝見させて貰っています。最初はなかなか斎藤先生
の言う「無」というものが分からなかったけれど、最近(ここ一ヶ月くらい)はそれが
分かってきました。
まず、極度なムードスウィングがなくなり鬱が減った。そして雑用が手についてきまし
た。以前汚かった部屋も今ではすっかり綺麗になっています。神経症で異常だった時は、
一度部屋を片づけてもすぐ鬱になって散らかっていたけれど、今は継続してできるよう 
になっている。
症状に関しては依然として根付いています。私は今大学に通っているためとてもストレス
が多い状況です。そのためなかなか無為療法を実践するには適さない環境だとは思います
が、大学をやめることはできませんし、なんとか思考の渦に飲み込まれないようにと、
やっています。ただ、神経症が回復して思うことは、症状がなくなることよりも、雑用が
できて生活の質が向上することに喜びを感じるということ。これは不思議ですね。

私はまだまだ甘いと思いますが、自分では大きく変化したことにお礼を言いたいです。
あと、掲示板の存続に関する話が持ち上がっていますが、ここからヒントを得ることは
多いですし、このページは批判もあるが活発で面白い。だからこれからも続けてほしい。
斎藤先生、これからもがんばってください。


訂正
 投稿者:f
 投稿日:10月21日(月)09時55分01秒
すみませんでした。今HPを読んでEメールでのカウンセリンラー状態だったのですか。これは考えないといけませんね。下に勝手なる意見投稿お詫びします。
いや僕はてっきりEメールって感謝や御礼をしたり、近況報告するものかと思いました。掲示板はともあれ、私信での解答は大変な労ですからね。納得します。だけど無なのに何でまた聞くのかなあ・・・僕の無のあり方は「分らない事が出てきてもほっとく」ってイメージなんですが。

連続投稿申しわけありません

始めて投稿します 投稿者:f  投稿日:10月21日(月)09時07分55秒
斎藤さま。数年前メール等で色々な励ましをいただきました者です。何か慌しい内容が投稿してありビックリしましたHPの方も有料なんですね。本の製作有難うございました。デジタルになるかもしれませんがこの後購入させて頂きます。色々とアドバイスをHPで拝見させていただいたので。全てあのHP内の参考意見等の中に自分の疑問と答えは見つかりますから。掲示板、Eメール質問当、色々な変化があるようですが僕は残念な気持ちです。多くの参考意見や反面もここで学ぶことができたしHPの有力投稿でも生きたと思うのです。また斎藤さまも多くのデータを得たとも思います(間違いならお詫びします)掲示板もHPもリンクして発展して、そこで駄目になる場合は最終的に斎藤さんの本にたどり付くと思いますが。ただ斎藤さまのご負担が大きいですよねこのままでは。最終的に努力し分りやすくまとまった本が出来のだと思いますおめでとうございます。

宇佐先生についての投稿はHP内推薦書籍かな?にあると思います。何方かご質問があったので。大変だとは思いますがなるべくご自身で検索してみたりするのも良いと思いますが。どうしても分らない場合だったのでしたらこれもお詫び致します。

マウスさん 投稿者:yosi  投稿日:10月18日(金)19時33分13秒
>マウスさん

>神経症は治りません。(あえて云います)

いや治ります。
しかし、症状を今すぐ楽にしたい、取りたいという欲求は永遠に叶わな
いでしょう。そう言った意味での「治りません」なら正しいと言えます。
そして「治癒に専念するのは放棄しています。」と言い放つことが難し
いからこそ、このHPの存在価値があるのです。これまで慣れ親しんだ
「知的理解」という便利な道具とは一度決別し、禁断症状的な違和感を
身をもって通過することでしか、この渦から離れる法はありますまい。

健康にしがみつく限り神経症は永遠に治りません。しかし「健康」とか
「病気」とかの自分の状態への興味が消滅してしまった時、期せずして
健康になれるのです。「なる」のではなく「なれる」のです。しかも神
経症者がやたら気にして拘りたがる「社会への適応性」などという実に
ナルシスティックな「概念」も、この時すべて解決してしまいます。
まあ、いずれ理解する時が来ることでしょう。

マウスさんへ 投稿者:キザ  投稿日:10月18日(金)00時45分51秒
いい線いってますね。
>それ系のHPなど全く覗かず、個人的な「今」に追われています。
今を生きるは正解ですね、神経症治れば全員そうなります。
>日記を書いていましたが、それを含め、それ系の本はすべて捨てました。
これはいい、神経症への執着を完全に断ち切っている、その決心が素晴らしいですね。
治癒はこっから始まるのですよね。
>「苦」を感じる時間がありません。
この状態が神経症の治癒です。占い行為も病気恐怖も対人恐怖も全部同じ、ここが終着駅です。

いまいちですね。
>精神科に通い眠剤は服用しています
こんなバカな事は早急に止めるべし。酒も薬も大差ないが、酒は上手いが薬はまずい。
>「今」に追われる生活は「神経症」を全く忘れさせてくれます。
追われないと忘れれないようじゃいけない、平常で「神経症」を全く忘れて生きる様になると
治癒は完成します。
トータルでいい線いっていると思います。

仕事してます 投稿者:としぼ  投稿日:10月14日(月)10時55分32秒
僕は家族と自営業を営んでます。5,6人の職人さんと仕事してます。設計とか現場の管理とかが僕の仕事ですが、このホームページに巡り合って無為療法を始めてから職人さんが忙しいときすすんで手伝うようにしてきました。雑用としてたしかに効果があったと思っています。

緊張場面はできるだけ避けながら暮らしてますので社会に揉まれているとは言えないかも知れませんが、かかわりは毎日いやおうなしにあります。

積極的に自分から社会に飛び出していける日まで「ただやる」を続けようと思っています。


私の場合 投稿者:としぼ  投稿日:10月14日(月)08時23分25秒
無為療法を始めて2ヶ月めのころ、いままで経験したことのない不安感に覆われました。そのときは何がなんだか解らなかったんですが、今はその時の脳の状況が理解できます。斉藤さんに「ああだこうだと考えてる暇があったら雑用に取り掛かりなさい」と尻をたたかれました。その日から一歩一歩軽快に向かいました。

「不安だ、不安だ」と思いながら何もしないで日々過ごして5ヶ月、だんだん安定してきました。すこし前に「症状は除去するものでなく、消えるものだ」という議論がありましたがよく理解できます。斉藤さんやyosiさんの投稿を読んできてしっかりと理解できるようになりました。

鬱はわりと早くから消え、気分も穏やかです。そしてここのところ、症状が少しづつ消えつつあります。治りに向かってるのを実感してます。

一昨日、昨日と高原へ行き紅葉を観てきました。ただ観てきました。

斎藤さんへ、短いお礼。そして他の病気に悩むみんさんへ。 投稿者:光の卵  投稿日:10月13日(日)21時00分16秒
斎藤さんへ

彼女が神経症でした。
約1年ほど前にこのホームページに出会い、気がつけば半年ほどで症状は徐々に治まり、そして彼女は今、自分が神経症だったことも、お世話になった斉藤さんのことも全く覚えていないかのように生活しています。

以前にように戻った、というよりはむしろ、人間的に成長したかのようにすら見えます。

病気だなと思うようになる前から、彼女は小さい不幸に振り回されてとてつもなく不幸で不安になってしまう人だったのですが、それも症状の一つだったのかもしれませんね。

今となっては、気持ちの転換も早くなり、以前だったら気持ちがそこに執着してしまっていただろうと思うような場面で、あっけらかんとしている彼女を見て、これが本当の姿だったのかとも感じられますし、あるいは神経症を克服して成長したのではないかとも感じられるような雰囲気です。

斎藤さんに出会うことがなければ、こんなに早く病気との決別を望めなかったと思います。
彼女はすっかり忘れてしまっているので、私が代りにお礼を申し上げに参りました。
本当にありがとうございました、心からお礼を申し上げます。


神経症に悩む皆さんへ

彼女にとっての治療というのは、なんとなく斎藤さんのいう無為療法自体の意味の認識にかかった時間そのもので終わってしまったような気がします。
症状が悪くなれば、斎藤さんの指摘している無為を忘れ、あるいは理解していた意味の認識自体を忘却するかのようになっていました。
正常(と思われる)な私からみれば、昨日わかっていたことが、さっき理解していたことが症状が重くなると、あたかも逆行するかのような行動をとってみたりしているようにも見えた時期もありました。
およそ無為という言葉が「何もしない」とも受け止められてしまうために、彼女は何度も何度も失敗しながら、ようやくその無為という言葉の理解に到達しました。
無為とは全くの不作為ではなく、言ってみれば上手な気持ちの切り替え術みたいな感じに私は受け止めました。

症状が出たのが私ではなかったので、正しい理解ではないのかもしれませんが、彼女を見ていた限りでは、無為の意味を理解することができた時点で半分の治療が終わったように感じました。
そしてそれを症状が悪化したときに、逆行しないで実践できることができればあとは時間の経過と実践の反復継続で症状は次第に治っていく・・・というか、消えていくような感じでした。

無為とは、その言葉とは裏腹に、症状が出たときに実践をすることってとても大変だと思います。
「今回はうまくいった」とか、「なんか治った気がする」とか考えているうちはまだ治っていない状態なんだろうなと思いますが、それでも「うまくいった」が何度か重なることによって、だんだん安定への道をたどり、知らぬ間に普通に実践できるようになっていくのではないかと思います。

皆さんが、一日も早く、不安で暗鬱な、あるいはともすれば激しく追いつめられたような、そんな苦しい病から遠ざかることができるよう、心からお祈りいたします。

ありがとうございました 投稿者:ぱぱぃあ  投稿日:10月 3日(木)15時52分30秒
斎藤先生

以前先生よりテキストをお譲り頂いた者です。
頂いた時はとても実行なんて無理だと思っておりました。
しかしちょっとした事で生活環境が変わり、気がついたら考える前に行動する事が
自然に出来るようになり、思考の渦から開放されて、今となってはあれは何だったの
だろうか?と不思議な気持ちでいるのです。

内科の病気が治った時のようなすっきりした気持ちではなく、気がついたら普通に
戻っていたというまさしく先生のおっしゃる通りでした。
精神科の先生にも「よく治しましたね」と言われ、本当に治ったんだとじわじわ
実感している毎日です。

理解し、全て受け入れてくれた家族、心持ちを変えるチャンスを与えてくれた出来事
励みになった先生のお言葉、心より感謝致します。

本当にありがとうございました。

神経症の原因について 投稿者:TMとよ  投稿日: 9月27日(金)22時46分45秒
はじめまして、TMとよです。対人恐怖性の強迫観念、いわゆるここでいう思考障害で苦しんでいましたが、何もするな、つまり神経症になるまたはなった原因のあら捜しをやめたところ、だいぶ症状がなくなってきました。たまに、対人恐怖と鬱がでますが、ここでいうムードスイングなんでしょうかね!? 

僕の場合神経症になった原因は親とのコミュニケーションの相違がそうで、幼少期のときから大学卒業まで続いた母親のヒステリック的な頭ごなしの他人(自分)の操縦、つまり人間として扱うのではなく、物ととしてしか扱われなかったことで、私もそれで母とのコミュニケーションがとれなくて、母親への憎しみや怒りやトラウマが神経症の原因を作った気がしています。

まあ斎藤さんはそういっトラウマ説を否定されているようですが・・。事実私が神経症になったのはそういったのが原因で思考障害つまり、神経症になったと断言できます。しかし、原因が遺伝子にあるにせよ、脳にあるにせよ、家庭環境の悪さにあるにせよ、治り方は同じのような気がします。

つまり、時間が経つのにまかせ、脳の自然治癒力に期待するに限ります。それまではいろいろな療法を試し、それがだめだったので、あとは諦めるしかなかったのです。それが、症状をほっとくにつながり、時間の経過が自然治癒力をもたららし、今ここまでよく治りました。本当によかったです。


ゆりさんへ 投稿者:kenji  投稿日: 9月22日(日)03時15分01秒
ゆりさんこんにちは。ゆりさんの投稿を見たとき、昔の僕の症状にそっくりだと思いました。
多分、ゆりさんの神経症の種類は強迫観念がとても強い確認恐怖、完ぺき主義がとても強い状態なのだと思われます。

僕も昔は一つ一つの物事に少しでもミス・失敗のようなものがあると罪というか罪悪感のようなものが起こって親に「これで大丈夫かな?」「これをこうしたけど平気だよね?」等の斉藤さんが言われる「質問」の連続でした。

しかし、ゆりさんのそのような症状からすると確実に斉藤療法は最適だと思いますよ。
僕はというと、その頃はSSRIなどの薬を服用していくうちに過剰な強迫観念は消えていったのですが、薬を中断すると直ぐにその症状が現れてきていました。
しかし、無為療法を知ってからは殆どそのような過剰なまでの確認恐怖なるものはなくなりましたよ。とりあえずは...
まぁ、とにかくゆりさんの苦しみが嫌というほど伝わったので、レスしました^^


こんばんわ 投稿者:Thankyou  投稿日: 9月17日(火)02時22分46秒
斎藤せんせい、こんばんわ。おげんきですか? 私はずいぶんゲンキになってきました、というよりも、体が動くようになりました。さいきん外に買い物に行きたくなったり、家事に没頭するようになりました。神経症を治すという今まで何よりも熱望してきた望みが消え去ってしまうと、動きかたも、じぶんのしたいようにじゆうになれる気がします。ひと昔前の私はとにかく動きまくって治そうとしてきましたが、もちろんうまくいかず、こんどは逆に一歩も動けなくなってしまいました。でも、治す目的のない「ただ」の動きなら、楽しく動くことができる

治るみたい 投稿者:ロムロム  投稿日: 9月16日(月)17時38分52秒
無為療法を知る前は、鬱がひどく仕事に集中できなくて時間が経つのがとても遅く感じ辛かったです。しばしば息抜きと言っては席を外してました。

このHPを参考に仕事も単なる雑用の連続と考え、生活のために働いてるだけだと割り切ってやってるうちに、帰社時間になると鬱が無かったことに気づくようになりました。家でも外食は辞めて自炊することにより(これは経済的な面からですが)、やることが増えて、以前に比べ
、夜の時間が短く感じます。
まだ不眠の症状は多少あるのですが、不必要に翌日の会社での出来事を想像して悩むことが無くなりました。最初は無理矢理だったのですが、慣れてきたのか不思議と2ヶ月ほどこのような生活を送っています。心療内科に通ってたのですが、行かなくなって半年になります。もう二度と行かないでしょう。はっきり言って薬は意味ないです。

本当のフラッシュバック 投稿者:ケンヂ  投稿日: 9月13日(金)09時51分12秒
こんにちは、ケンヂです。今は健康世界と神経症世界を
出たり入ったりを繰り返しています。昔は、ムードスイングといってもあくまで
神経症世界の中での事でしたが、今は確かに健康世界に出ることが多くなっています。

しかし、現在フラッシュバックです。
これも、昔の神経症世界で感じる「フラッシュバックかな」とは違いますね。
なんというか少し安定したフラッシュバックというか、まぁ上手く表現できないです。

本当に、真のフラッシュバックに入ると、さっきまで「無」という事を
体が体感していたのに、そんなことはなかったのではないか等の不安に陥ります。
僕が健康世界に出ることができたということを斉藤さんにお伝えしたかっただけです。本当にありがとうございました。

同時に、無の領地を一回会得すると、このHPで無為療法を批判する人達の書き込みが
いかに神経症脳で考えているかが分かりますね。

無為療法が本当の療法だとか、それは間違った療法だとかと口論してしまうこと自体が、神経症の症状であることに気がついてほしいです。

re:yosiさんへ 投稿者:yosi  投稿日: 9月11日(水)12時28分32秒
有効であるところの「○○」という薬を飲んだら不安が取れた。
不安が起きたら「△△」という療法で救われた等々、「××した
から治った」というのは、経験的に全て無効です。神経症という
もののしたたかさ、異常さがわかってないですね。

神経症というやつは、これら不安に対して講じた「対策」によって
せっかく獲得したと思っていたあらゆる「安心」を、最初のうちは
いいが、時間が経つにつれ、かたっぱしからブチ壊しにかかります。
「安心」に対する固執が、次の「不安」を用意するのです。
これが神経症というものです。「神経症を治したい」という欲求に
添って行動する限り、神経症は絶対に治りません。

「絶対」という言葉を使ったので、また誰かがブーイングを上げ
そうですね。しかしこの「絶対」は、ある条件を吟味した上でボク
が判断した「絶対」ではありません。
昔、「空が落ちてくるのでは」と心配した人が居たことになって
いるようですが、上を見上げれば見える「空」は絶対に落ちては
こないでしょう。ここで言う「絶対」というのはそういった類の
「絶対」です。

さて、「無に到達するためのテクニックは?」という質問でしたね。
これは言葉を通して教えられるようなものではありません。経験
とか体験というものに近いです。自分で、自分の体を通して知る
しかありません。しかし前提となることについては説明できます。

症状に対しては無条件降伏することです。我に打つ手無しという
ことです。「不安」の火種をあわてて消すこともせず「不安」
という生き物へ、せがまれるままに「安心」という餌も与えず、
仕事なり日常なりを、ただ(!)力むことなくこなしていくこと。
そうとう心細く苦しいですが、この「不安は放置する」生活を
がむしゃらにではなく、淡々と続けていくことです。

そのうち、ふと気が付くと「不安」に固執する必要がなくなった
自分を発見できるでしょう。
これは本来波動であるべき「不安」を、その本来の姿のまま受け
流すことができる「柔軟性」を回復したということです。
こういった経験の積み重ねの先に、神経症の治癒はあります。
残念ながら出口は今のところここだけでしょう。

ときさんへ 投稿者:キザ  投稿日: 9月10日(火)23時59分59秒
ご返事申し上げます。
>積極的に直す努力をしなければ治すことを放棄できない。

治す努力をいっぱいしないと治す事を止めれない、こんな理屈は私には解かりません。
治したく無くなれば、治すのが嫌になったら、治す必要が無くなったら、だれでも直ぐ治す
努力は止まりますよ。当たり前の事ではないですか。
治すのが嫌、必要が無くなる、治したく無くなる気持ちは私には確実に発生しました。
それで治すのを止めたら、たちどころに神経症は治癒しました。

>神経症を治す努力をやりくつした先にある境地でありその工程が一番重要なんですよ

こんな工程など少しも重要では有りません、やりつくす前になるだけ早く治す努力を止めて
治癒した人が得なだけです、一瞬でも早く治った人が得です。
「積極的に直す努力をしなければ治すことを放棄できない」という事はありません。

神経症を早く治癒する最大の近道は、良く治癒した人から指導してもらう、これにつきます。
しかし神経症を良く治癒した人はほとんどいない。稀少です。
皆さんは幸せですよ、斎藤さんやYOSIさんなどの良く治癒した人に指導していただけるから
こんな恵まれた事はないですよ。

>「すっきり治った」という人が現れない。
私すっきり治っていますけど、駄目ですかね、フラッシュバックも有りませんけどねえ。
ご自由に。

これは何度も説明するしかない 投稿者:yosi  投稿日: 9月10日(火)08時54分21秒
無為療法は傷口に消毒薬を塗ったり、捻挫した足を冷やしたり、暖めたりという
こととはまるで違うのです。
手短に言えば「治そうとする行為を全てやめてみなさい」ということです。
無為療法自体も塗り薬や湿布薬みたいに「治療のために使うな」ということです。

溺れそうになったとき、仰向けになって力を抜いていれば、呼吸が出来るように
なるが、あわててジタバタすればかえって溺れるというのと同様に「治す」という
自力が完全に落ちれば、自然に、ほんとうに不思議なくらい「症状」は消滅してし
まうのです。その力の抜き方(つまり生き方)への方向性を指し示すのが無為療法
ということです。何度も言うけど「治癒」を期待して無為療法を行うことは
つまり、無為療法を湿布薬としてて使った場合は、他の療法と同様悪化することは
あっても絶対に(!!!!!)治りません。

(無題) 投稿者:yosi  投稿日: 9月10日(火)03時16分58秒
>「症状の大半が無くなるのです」と書いた後に
>「症状の除去とは違う」と言われてもわけがわかりません。

ここはそれ「パイの味は食べてみなければわからない」ってことでしょう。
神経症の外に出た人間にはピンと来る表現です。
神経症まっさかり人にはさっぱりわからないのは当然かもしれない。
神経症は自力ではどうにもならないってことがまるでわかってない。
明日の天気を自分の思い通りにしようと考えるのに等しい。

治癒について 投稿者:キザ  投稿日: 9月10日(火)01時03分49秒
つばささん、少し気になったので書いておきます。

>治癒を口にするのがほぼキザさんだけだという点もお忘れ無く。

これは異な事を聞くものです、神経症に治癒が無いとお思いでしょうか?
そうならとんでも無い間違いです。素晴らしい治癒があります。
斎藤さんがよく言いいますが「治癒は脅迫観念の願望の成功ではなくて願望の消滅」
なのです、しかし「願望の成功」が治癒だと勘違いした人がいに多い事かなげかわしい。
斎藤さんは治癒は素晴らしくて1億円の値打ちが有ると言っています。私もまったく
同感で、その治癒の経験をいつも書く様に勤めています。
貴方も是非このすばらしい治癒を得て下さい。

>症状の大半が無くなるのです」と書いた後に「症状の除去とは違う」
>と言われてもわけがわかりません。

症状の除去という事は自然にやって来ることで私の感知する所ではありません。
治癒の為に自分で得たものは「神経症を全く考えない毎日を過ごす」という事だけです。
必要な事は「神経症を全く考えない毎日を過ごす」ことで、症状は副産物として勝手に
除去されてしまいます。症状を取る努力は悪化になります。

お久しぶりです 投稿者:butter  投稿日: 9月 9日(月)00時17分12秒
自分は一ヶ月ほど前に斎藤さんにアドバイスをもらった者です。

今自分は受験生ということもあり、多忙な生活のおかげで「神経症について考えない」ということが実行できるようになりました(たまに思い出すこともありますが)。「神経症について考えない」を実行し始めた当初は、頼っていたものを全て捨てたせいで、まるで鬱の海に放り込まれたような感じでしたが、最近では恐怖感は全くなくなり、気分も落ち着いています。
神経症以外の事に重点を置いている今の自分から見ると、無我夢中で神経症の事を考えていた日々が凄く無駄な時間に思えてきます。
久しぶりにこの掲示板を見て「ここの人たちは、何でそんなに神経症ごときで真剣に討論できるんだろう」などと思ってしまったほどです。

自分が思うに、神経症は暇人がなる病気かもしれません。
今神経症の人に言います。。「自分のこと考えてる暇あったら、他の事した方がいいです。やれる事は沢山あります。いろいろな事を経験をしたほうがいい。」

つばささんへ

自分が斎藤さんのおっしゃっている事をよく理解できるのは、たまたま自分が斎藤さんと同じタイプの神経症だからかもしれないので、簡単に他のタイプの神経症の事をいえないかもしれません。でも、つばささんのおっしゃっている「鬱の無い神経症」などというのはありえないと思います。
思考の渦の中にいて精神が安定していない場合、鬱の発生は必ず起こります。だから鬱が無いとおっしゃっているギザさん神経症は完治していると思います。
また、あなたの書き込みは専門的な事が多くかかれていて、意味がよくわかりません。『純粋器質の神経症』『思考障害、認知障害』『心因性の神経症』などなど・・。
自分からみるとあなたは、神経症にとらわれすぎて根本的な事がわからないでいる様に思えるのです。

気になることは放っておく 投稿者:yosi  投稿日: 9月 4日(水)18時23分29秒
どんなことがあっても放っておく。これに限ります。
これが出来ないから、ループの罠から逃れることが出来ないのです。

ひょっとして身体的精神的な「重大な病気のサイン」かも知れない。
ひょっとして神経症ではないのでは? 等々とうるさくせっついて
くるはずです。誰かに質問したり、対策を立てなければならないと
いう激しい欲求が沸騰するはずです。しかし放っておくこと。

もし、万がいち実際の「重大な病気のサイン」であったとしても、
それは諦めて下さい。倒れたときが死ぬときです。

そうでも思い切らないと、絶対に外側へは出ることが出来ない。
これが神経症というものなのです。

快調です 投稿者:としぼ  投稿日: 8月30日(金)17時01分43秒
このホームページに巡り合ってから6ヶ月になります。2ヶ月めの頃今まで経験したことのない不安感に覆われました。そこを通り過ぎてから1歩1歩軽快してきたように思います。

鬱は完全に消滅しました。
ムードスィングも健康な人と同じくらいでしょう。
予期不安もほとんどありません。以前あった動悸もほとんどありません。
フラッシュバックというんでしょうか、回数は確かに減少しましたが、症状は時々出ます。でもそのとき鬱状態に入るということはありません。ですから思考はいつも外に向かい健康な頃に戻ったように思います。

最近は積極的になったのか、体力をつけようと少しづつ家のなかでできる運動を始めました。酒の量も少しづつ減らそうと思ってます。自分でも心境の変化にビックリしてます。

斎藤さんのコメントにはいつも驚いています。少しまえに「劇的に変化」といわれ、そこまではいってないなあ、と思ってたんですが、最近は確かに「劇的に変化」したと実感できます。このまま続けます。1歩1歩治癒に向かってるのが実感できます。

斎藤へのEメイルから                         2002年8月7日

 斉藤さんのホームページと出会って一年が経とうとしてます。最近は花や植木を育てたり、友達の家に泊まりにいったり、将棋の勉強をしたり好き放題しています。もっとも、今は親元なので喰う心配がないからというのもありますが…まぁぼちぼちできそうなバイトでも探そうとしているところです。

 五年ぐらい前に斉藤療法にちかいことをやっていて症状が安定していましたが、少し無理が重なり大変ひどい状態になった時に斉藤さんのページに出会いました。電話、メールで斉藤さんにアドバイスをうけてやはり脳の疾患なのだと悟らせて頂いてから、雑用をしてきましたが、やはり最初は治すための雑用をしてたようにおもいます。

 最近は雑用って意識なく、雑用しています。頭が冷めてきたのであたりまえになってきました。自分の分析をしたらいけないのは、承知の上でいいますと、欝はなくなり、脅迫観念はたまに起こりしかしすぐおさまります。症状はたまにおこります。近況はそんなところです。


ケンジさんへ 投稿者:スー  投稿日: 8月 6日(火)03時11分33秒
その気持ちよくわかります。「何もしてはいけない」と思っていたら何もしてはいけないと必死になって体がなんか緊張した状態になって、何も手につかなくなったりするんじゃないですか?

無の状態とは、何もしないという思考さえも忘れてる状態、自然体です。言葉で表現するのは難しいんですが。俺の結論は「何もしない」が神経症を治すんではない、何もしないは自分が自然体になる方法でした。そして自然体になっているときは「なにもしない」という思考も自分が薬を持っている事も自分がおかしいという思考もすべてが無、頭に何も無い、無意識でなにかをやっている。

なにもしないばかりいっていては意味が無い。薬も持たないほうがいいといわれてたけど俺の場合念のため薬を持っていた方が安心できて自然体になりやすかったので所持していた。無の状態では薬を持っていることさえも忘れているから大丈夫だった。薬を持っていてそれで薬を持っているからだめだとか、自分は神経症だとか思い出してしまうなら所持しない方がいい。

何もしないにこだわらず、リラックスしている状態、自然体になれるようにすればいい、雑用はかなりいい、やってれば自然体だった自分に気がつき、無の状態ってのが見えてきます。雑用やってればだんだん見えてきますよ。

斎藤へのEメイルから
雑用と薬で症状はかなり改善しました。鬱はなくなり、雑用もこなせるようになりました。対人恐怖はなくなりましたが、対人緊張はあいかわらずです。すこしずつ他人と短い会話はできるようになりました。ありがと
うございます。 

自分を分析して改善する時間 投稿者:キザ  投稿日: 8月 1日(木)00時29分57秒
人間に日々の生活で欲しいのは幸せ感、満足感、生きがいといったものでしょうか。
私は神経症当時にはこれら全部が有りませんでした、有るのは日々の苦しみと自分を変える努力です。いつも自分を分析し自分を改善することに多くの時間をついやしていました。

治癒した現在は幸せ感、満足感、生きがいは全部あり申し分有りません、特に大きく変ったのは「自分を分析し自分を改善する」時間がまったく無いと言ことです。自分について考える時間はゼロです。神経症当時は「自分を分析し自分を改善する」時間が非常に多かった。

自分が神経症が治ってみて始めて解るのですが、「自分を分析し自分を改善する」時間が無いと言ことが治癒の大原則です。これが無い状態になれば自分故の悩みも苦しみも無くなります。そうなると人間関係がダメでも、明るい楽しい毎日が実現できて充実した日々になります。そうなると自然に人間関係も良く出来、自分の改善の方に使っていた能力を生活や仕事に使うので多くの成功の結果を生み出します。そして感謝と幸せ感、満足感、生きがの有る日々となります。

ようはこの状態になるのが治癒であり、この状態になれば神経症なんてどっちでも良いことです。私は治癒を煎じ詰めれば日々の生活で幸せ感、満足感、生きが有る事だと理解しています。これが有れば症状は治す必要の無いものになります。

(無題) 投稿者:Thank You  投稿日: 7月29日(月)15時13分19秒
久しぶりにのぞきに来ました。一ヶ月ぶりくらいかな?私には、ここの人達からの助言はもう必要ありません。無為療法をつづけているのにもかかわらず行動範囲はとても狭いのですが、私はべつに気にしていません。鬱が無くなったし、行動範囲が狭いなら狭いなりにできることをしています。ほぼ引き篭もりに近いと言っていいくらい家にいますが、そんなじぶんがいやではなくなりました。ていうか家の中でも外でも、どっちでもいいです。私は斎藤先生の、翻訳文が大好きです。べんきょうになる上におもしろいです。あと、先生の掲示板に書き込む内容もおもしろいと思います。私は信者ではなく、自分以外は信じていません。神経症って難しいですね。私の前の記憶を思い出すと、「麻薬が切れた」という感覚ばかりです。だから私は神経症=不安中毒と言えると思います。自分本位な内容になってしまい、申しわけありませんでした。もっともっと良くなっていきたいです。

ただやる 投稿者:のんびり野郎  投稿日: 7月18日(木)23時02分51秒
こんばんは。この療法は余計な言葉がつけばつくほどほんとに難しくな
りますね。

それにしても最近のyosiさんの投稿は好きです。
簡潔でありながら、しっかりと本質をついている。見習いたいものだ。
みんなそうなんですが、良くなるとだんだん文体がすっきりしてきます
ね。書くことがなくなるからです。

いかに言葉が救いにならないかを、いつも自分に都合が良い言葉だけを
期待して、何かに頼ることしか考えていない人たちに説明しても仕方が
ないのかもしれません。

特に神経症者があれはどうだ、これはどうだとしつこく療法を論じ合う
姿は見ていてイライラするだけで、相手にする気も起きません。
愚の骨頂です。そういうレベルの問題じゃないのに、的がはずれている。

久しぶりに来てしまいました 投稿者:NA  投稿日: 7月18日(木)17時30分32秒

で、感じたことを。

>排他的になって「わが療法が世界一だ」という思想には正直疑問を感じますが。

それがどうしたのでしょう?
いいから、あなたがはやく治ってみて下さい。
○○でも無為でも一向に構わない。○○で良くなったのなら、
その経過を皆さんに報告してあげて下さい。参考になるでしょう。

あなたにとって重要なのは、無為療法が排他的かどうかではなく、
あなたが治って人生を棒に振らないことなのです。

これはエースさんだけでなく、小理屈をこねている連中全員に
あてはまることです。是非、本筋を見失わないようにして下さい。

 投稿者:yosi  投稿日: 7月17日(水)09時42分09秒
斉藤さんがずいぶん下の方で久々に「ただ」ということを書いていました。
根本はこれの体得ですよ。治るからとか、治すためを意識せずただ動く。
これに尽きます。これが斉藤療法の全てだし、神経症を治す全てです。
これが神経症ループの切断と脳の沈静をもたらすのです。ただそれだけの
ことです。「相手に尽くす」とか「自己中心性の打破」などとお経のように
唱えていても地獄は続きます。

治らない人へ・・・
言葉を捨てて「ただ」を体現してごらんなさい。

宇佐先生を見直す 投稿者:斎藤  投稿日: 7月16日(火)14時14分06秒
最近時間が取れるようになったので宇佐先生の本をもう一度読みなおしている。宇佐先生こそが私を神経症地獄から救ってくれた命の恩人なのですが、○○療法を受けついていたので私は否定していた。しかし良く読むと神経症の本質を理解しているようで、むしろ創始者の○○自身より優れた療法家であると私は評価します。○○その他の○○療法家は全て○○の本質的間違いに気が付いていないので私は全部否定する。

宇佐先生の次ぎの一節を読んでもらいたい。
・・・○○療法でいう「あるがまま、そのまま」も、ことばであてことばであってはならず、○○療法も「分かる○○療法」におわってはならない。「無対策の対策、対策の無対策」なのである・・・

この辺が宇佐療法躍如とした雰囲気が感じられる。○○療法であり既に○○を否定している。私が良く言う無為療法を否定する勇気があるものが神経症が治るの主張と同じなのである。

ただ宇佐先生の惜しむらくは科学の補強が弱かった。だから神経症の本質が脳の欠陥であるの洞察が不足している為にどう生きるべきかの人生訓話に陥りやすい。弱点を補強する為に禅と鈴木大拙哲学に頼った為に医学の側面を失っている。

「あり合わせの心で直ちに前進した時に全治である」と説明している。これは正しくもあり間違いでもある。確かに動きを開始した時にブレインロックが一時的に外れて健康世界に入りますが、又ロックがかかり神経症はそのまま続く。

又神経症者に「あり合わせの心で直ちに前進すれば全治」と教えると神経症者はそのようにして逆に症状は深まる。神経症者の心は固着していて、あらゆる説明は神経症を悪化させる方向に向う。だから説明は有害であり、神経症者を力ずくで後から押すくらいの迫力が要求される。正し押せば治るかと言うとそれも難しい。ここが私が言う第三の精神病であると言う所以なのです。

ただ宇佐先生の最大の功績は○○の欠陥を補強した事。恐怖突入を恐らく否定しているだろう。
工夫気配りも主張していないはずだ。○○のように我慢をしろとは言っていない。神経症が治るのは瞬間であると繰り返している。これは重要な指摘であり、ブレインロックが外れるのは1秒である事実を無為療法が証明している。神経症が治るとは努力ではなくて、動きの一瞬であるとの主張は無為療法で引き継がれている。

ただ無為療法では神経症は1秒で治るとは言わない。安定するまでに10年間の月日がかかると言う。神経症はやはり健康な脳の働きではなくて遺伝子の関わる脳のネットワーク不全がもたらす病気である。

向こうからやってくるもの 投稿者:のんびり野郎  投稿日: 7月15日(月)01時49分49秒
相変わらずですね。キザさんは。(笑)
僕が最近神経症真っ最中の人を見ていて嫌になるのは、他人の評価にと
りわけ敏感な人が多いことです。
人間の幸せや、楽しみ、価値観は本当に千差万別で良いのに、たった一
つか二つの事の出来もしないことにこだわって、人生を無駄に費やして
いる。

特に神経症の人で、社会的な地位など成功願望の強い方々の話を聞いて
いると、登山家でもないごく普通の人が、足腰も鍛えてないのにエベレ
ストの頂上を夢見て新しい登山用具を次々と買い集めてるみたいに見え
なんだか滑稽に思えるのです。

足腰を鍛える練習からすればよいのに、それすらしないで、遠くばかり
見ている。これを僕は行動が伴なっていないのに、観念だけが異様に先
ばしっていると言っています。

目の前のことから始めていくうちに、しばらくすれば、何も登る山はエ
ベレストでなくても良いことに気がつくし、登山の楽しみは頂上に着く
達成感よりも他に色々あることに気がついていくだろうに。

過去の失敗を嘆くか、遠い未来を思い煩うだけで今を生きていない。
昔の僕もまさにそんな状態でした。

単に普通の日常を淡々と進めていれば、いちいち構えないで今を大切に
生きていれば、その途中で何か問題が起こっても状況反射的に物事は方
づいていくし、成り行きにまかせていれば上手くいくように出来てるん
です。何か起こったらそのとき考えればいい。

そうすると不思議なことに自分の望むことは向こうからやってきます。

神経症治癒もそのとおりで、治したら素晴らしい人生が待っているなど
と信じ、意識して試みるほど治癒は遠ざかり、そんなものはありえない
すべて妄想にすぎないのだと諦めて、普通の日常を淡々と進めていると
気がつかないうちに、治癒はやってくるのです。

斎藤へのEメイルから 

斎藤様のホームページを知りメールで相談してから 1ヶ月以上経ちました。 ひどい時は一日中いやな感じがありとても不快で 不安な症状でしたが、最近はほとんどありません。 予期不安はたまに襲ってはきますが何とか気を紛らわす のではなくやり過ごす感じを身に付けるよう葛藤する 日々です。準備をしないことは勇気がいりますがやはり 準備をすると悪い方向へ行くことははっきり分かりました。  

家にいるときはほとんど大丈夫、会社へ出かけるときも 以前はいろんな想像で行く前からおかしくなっていましたが 今は知らない間に着いていることもあります。 まだ状況により不安に襲われたとき手立てを考え出す 時もありますが、「何もしない」ことに立ち向かって行く 感じをつかみとろうとしています。
 


悩みと囚われは違う 投稿者:キザ  投稿日: 7月14日(日)01時27分32秒
神経症の各種の症状は普通の悩みとして処理して良いのであろうか。
普通の悩みであれば思考して原因をつかみ対策を立てて努力して解決をする事になる。
しかし神経症の症状は普通の悩みで無く囚われと言う状態にあると思う。
対人か疾病か不潔か占いか不安か震えか、何かに囚われている状態で、普通の悩みでは無い
治癒の為にはこの囚われから解脱しないといけない、普通の悩みに対する対処と違って
独特の対処が要ると思う。

この囚われの状態は普通の人でも、なにか失敗した、問題が出来た時に一時的になると思う
ただ神経症者の様に長期にわたって持続しない、神経症者は何十年と持続する。
この持続の原因は治そうとする事に有ると思う。
治そうとする思考、工夫努力を一瞬たりとも怠ることなく行っている事が囚われを持続させている。
すなわち、なおそうとする努力が神経症を製造しているのです。

いかにここから脱却するか
簡単な事でいつも行っている、治そうとする思考、工夫、努力を完全に止めてしまう事です
そうすれば囚われから外れるし、神経症の製造装置が壊れるのです。
しかしこの製造装置はすぐ製作できるので、また作り始める事も多いでしょう。
だがこういった事実を正しく認識すれば、きっと行いは考えは変化してくると思う
こういいった普通の悩みで無く、囚われと言う病気の状態であることを正しく認識する事が
大切だと思う。
心は自分ではコントロール出来ないが、知識認識が変われば自然に変化するものです。
単なる神経症を治す技術じゃ無くて、心が変化しないと治癒は難しいと思う
治したくない心に変化しないといけない。

ゴミをいじるな 投稿者:キザ  投稿日: 7月14日(日)01時26分09秒
神経症をいかにして治すか、私は簡単なことだと思う。それは今いつもやってる事を
止めるだけで良いのです。
すなわち日夜やっている「治そう、変えよう」としている努力を止めるだけで治癒する
まったく簡単なことだ。
私の師匠は「道で歩いていて倒れたら、起き上がって歩きだすだけで良い、神経症者は
道に座り込んで考え出す、なぜ倒れたか二度と倒れない為には如何したら良いかと
ただ立ち上がって歩きだすだけで良い」といっていた。
なんと上手く神経症の状態を言い表しているか。

私も同じ事だが「神経症者は道を歩いていてゴミ置き場を見つけたら、いつもそこに
入ってゴミをいじりだす、そんな汚いことをして道草を食わず目的に向かって前を向いて
歩いて行けば良い」と言っている。
やはり神経症とは病気で有り狂気の状態になっていると思う、他の精神病の方と同じ様に
「自分はおかしい」と気づくのが治癒のだい一歩だと思う。
残念だけどこれは事実です、治ってみて初めてこの事に気づきます。

(無題) 投稿者:とものすけ  投稿日: 7月 2日(火)11時55分12秒
お久しぶりです。
ここを初めて知ったのは、今年の2月頃ですが、もう何年も前のような気がします。

一時は人と会うことが全くだめで、子供の授業参観もままならない状態でした。
それが今ではパソコンのインストラクターをやれるほど、人と接することが怖くなくなり、元気になりました。
神経症が良くなると、体調もつられて良くなるようで、とても快適です。

こちらの存在すら忘れてしまっていることがほとんどですが、一度お礼を申し上げたくておじゃましました。
本当に、ありがとうございました。

ゆんさんへ 投稿者:キザ  投稿日: 6月20日(木)23時15分20秒
貴方にお聞きしたいが、死の恐怖を普段に感じながら生きていますか?
人間にとって一番怖いのは死と言うことだと思いますが、人間は上手く出来ていて
恐ろしいことでも普段には思い出さず、忘れて悩むこと無く生きています。
対人の問題も同じで、解決しようと考え工夫しないで、解決は不可能だと受け入れて
生きるなら、忘れて思い出さず生きれるのです。
こうなれば死の問題といっしょで普段には苦しみも悲しみも無くなります。

この為に具体的にどうするか?このホームページに書いている通りです。
会社へ行く時には武器を持たず丸腰で行く
神経症を治す方法を探さない、有っても実行しない
家に帰ったら今日の反省をしない

>会社で、取引先で、恐縮して失敗を謝ることがありますが、これが怖くて
やはり丸腰で武器を持たずに対応すべきでしょう、ぶっつけ本番が良いですね
対応が終わったら反省しないことです。失敗は次の事に移って忘れます。
ひまになった時に神経症を治す方法を探さない、有っても実行しない事です。
対人の失敗をすぐ忘れる技術が身につけば、対人の失敗は怖くなくなります
こうなるといずれ神経症は逃げて行き、人間関係を上手にやっている自分があります。

気分爽快 投稿者:としぼ  投稿日: 6月 8日(土)18時16分31秒
25年前に発症しました。
3ヶ月前にこのホームページに巡り合いました。もともと鬱は軽かったと思います。割と早く軽減しました。その後神経症世界と健康世界を行ったり来たりしてました。
1ヶ月前は治す目的で雑用に励んでました。
1週間位前から無心で雑用ができるようになりました。今日も県境の冬季閉鎖されていた国道が開通したというニュースを聞きましたのでドライブに行ってきました。セミがしきりに鳴いていました。帰ってからネットで調べたらエゾハルゼミというセミでした。ほとんど1日中意識が外に向かっています。夜はサッカーを毎日楽しんでます。雑用のひとつとして僕には最高です。ブレインロックが外れる瞬間を楽しみに過ごしていきます。

キザさんへ 投稿者:のんびり野郎  投稿日: 5月30日(木)15時20分01秒
治す努力をやめる。神経症を治すために行動はしない。

これは非常に大切なキーワードなんですが、
僕の場合、暇な時間が増えて家にいてばかりいると、やっぱり、時間が
止まってしまいます。時間が止まるとは頭の中では過去の出来事が回り
始め、実際の時間はとても遅く感じられるということです。

暇なので立ち上がって掃除や洗い物をしたりもするし、好きなことをや
ったりもしますが、やがて外に出たくなります。家で一日中ぼうっとし
ていることは結構苦痛です。退屈に耐えられないのです。これは性格な
のかもしれません。

でも暇な時間が増えたことで、過去の出来事が頭の中を回り始めたとし
てそれは、前のような強迫的で苦痛を感じさせるようなものではありま
せん。しつこい観念とはちょっと違うのです。ですから切り替えること
も可能ですし、理由があれば解決することも出来ます。鬱もないですし。
マイナス思考の根源でもある鬱が減ったことは本当に大きな変化です。

動きは僕にとってとても大きな意味を持ちます。
だらだらとした動きだろうが、てきぱきしていようが、生活のリズムが
出来ると、体も健康になるし、体が健康であれは心も健康になります。

もちろん、神経症の症状を治すために必死に動くと逆戻りですが。
単に必死に動くのも、自分の経験ではあまりいい結果をもたらしません。

自分のペースでいいのです。僕自身が忙しいといっても他の人からみた
ら十分暇なのかもしれないし。(僕は夜働き、昼間は趣味に時間を費や
しています。趣味と実益なので仕事をしているという感じはないです。)

治りました 投稿者:ゆきんこ  投稿日: 5月27日(月)02時46分23秒
斉藤療法アンド斉藤さんのカウンセリングで治りました。
私の場合、パニック障害・不安神経症・心気症もありました。神経症になってからの、無駄な努力といえば○○療法の本に出会ってしまってから。強迫観念を自分の甘えと、取り違い、努力のしすぎで潰れそうになってしまった。

しかし、斉藤療法でそれは全くの誤りと気づいてから、全ての努力を捨てた。不安発作の時は、ど〜しても死にそうに辛いとき以外、薬をつかわないようにした。なんとか薬を切るように、そこはがまんした。そして、必要以上に自己分析・反省・その他自虐的な思考はストップし、リラックスできる時間を大切にした。自己の能力を最大限に発揮できるとき、それはリラックスしているときだと思ったからだ。また、依存的なのもよくないので斉藤療法ホームページもどうしても辛いときのみ見て、カキコし、斉藤先生にだめなところを指摘していただき、そして気づき、どんどん健康世界にはいっていけた。

ひどいときは、車の運転中パニックアッタックに襲われ急停車したり、仕事中も動悸・めまいはしょっちゅう。休みの日は、休むどころか不安で心が重く何をして良いかわからず1日をただ棒にふっていました。

今は、日々充実しています。不安発作もなければ、動悸もめまいなどの身体症状もないし、ニュートラルな状態と言っても良いです。(仕事もちゃんと続けています)他人をなかなか受け入れられなかったのに、今は素直の人とつきあえるようにもなりましたよ。ほんと、感謝の気持ちです。

いかにして、どうどうめぐりから抜けられるか。そのためには、神経症のしの字も考えちゃいけない。全く生まれ変わるつもりぐらいの心意気がないとだめなような気がします。まさに、いままでの自己の全否定です。特に薬はぜひ断っていただきたい。急に止めるには離脱症状に苦しみますので、徐々に減量し最終的に切るべきです。何かに頼る、すがるでは神経症はよくなりません。

治ったと言ってもやはりとき〜どき、フラッシュバックはありますが短期間です。フラッシュバックで苦しみそこから抜け出したときの安堵感の感覚を身につけた方がよいでしょうね。すると、異常・正常世界の区別ができるようになってきますから。必ず良くなりますからあきらめないで

治そうとする自分と治される自分 投稿者:キザ  投稿日: 5月19日(日)00時05分04秒
神経症は難しい。
確かに、治そうとする自分と治される自分と二人の会話で一日暮れるのが神経症の状態ですね。一人消えて、一人になると会話は無くなる、神経症は治ってしまいます。
この場合消えるのはどちらか?、私は治そうとする自分が消えると思う。そうすると「治される自分」が残るのです。治される自分だけになったら確かに神経症は無くなる会話が発生しないので時間の浪費が無く自由自在に生きれる様になる。
しかしこの治される自分には少し問題が有る、問題が有るからこそ治す自分が発生したのですその問題は治っていないのです、だから神経症は治ったが欠点として残らざるお得ないと思う。欠点の無い人間は一人もいない、人間は欠点の処理は自然に出来るようになっており特に問題は無い

この欠点まで根こそぎに無くそう、治そうと考えているなら、やはりそれは囚われになり神経症の一つになるのではなかろうか?人にはそれぞれ違った性癖があり、それは生まれた時から持参してきたものだと思う。だからこれは個性そのものであり、個性を変更しようとする事は神経症の一つに過ぎないと思う。気に入ら無くとも、先祖から受け継いだ大事な遺伝子である、大事に守って行きたいと思います。

無為療法やってます! 投稿者:たまご  投稿日: 5月18日(土)04時31分56秒
友人から教えられて、こちら存在を知りました。
「以前から実行していたことが、無為療法ともいうんだと知った」 というのが正確ですが。同時に、あちらこちらの掲示板において、賛否おおきく分かれ、論争に発展しているのを何度も確認しました。
 
これは何と言いますか、学究的に確立されれば、当然理論ということになるんでしょうが、実のところ、ある種「境地」というのが、より実態に即してると思うんですよ。
 
数々のなんとか理論、なんとか療法、膨大な心理学に関する資料、良書から安直なハウツー本、自己啓発や問答、訓練、うさんくさい催眠術に音楽テープ・・・。医者にもかかってる、薬も飲んだ、すべてやった、それもこれも全部やった、そんな知識はもう分かってる、けどだめだった、結局なにもかわりはしなかった、そういうひとが、最終的にたどりつく、あるステージというか、ある域というか、吹っ切れか、それがこの無為療法だと思います。
 
(1) 神経症と鬱を混同している、記号論的なものごとの認識を身に付けていない、
   答えを持っていない疑問がいろいろあってそれが気になる。

(2) 知識を増やしていくことがなによりも幸福。議論する。いつか報われる。
   大型書店で、精神・哲学・思想コーナーへ行く

(3) 新聞広告などつい目がいってしまう。先生や大物人物を求める。
   ネット上のカリスマや師をさがす。

これらのタイプの人は、ほんとうの意味で、無為療法はふさわしくないでしょう。
(1)は、「未熟」でまだまだ理論研究なり、勉強や読書なりの余地を残してる。
(2)は、飽きてない  (3)は懲りてない。

気持ちがラクなのでやってます 投稿者:  投稿日: 5月14日(火)09時38分56秒
斎藤さん。レス、ありがとうございました。そうですね。私も、べつに道徳的なことを言ったつもりはありません。しっかりした生活そのものが目的でもないので、けっこうサボったりも、実はしてますが、気持ちが停滞していないというのは、やはり気分がいいものです。

ほんとに以前は、何を頑張っていたのか。今となってみれば不思議です。神経症的なものに、なぜか義理立てし、そちらの方向へはいくらでも努力(治すための努力もこれに含まれます)は惜しまなかったけれど、ただひとつ、神経症にまつわる一切を断ち切ること、これができなかった。この一番重要で、なおかつ困難なことから目をそむけていた。
今となれば、ばかばかしい限りです。

余談ですが、前の日曜日は母の日でした。あれこれ考えて、人にも相談して、結局、実家の母と祖母には商品券を送りました。こんなことは、子供の頃以来です。

当たり前のことを当たり前に 投稿者:  投稿日: 5月12日(日)12時58分40秒
 斎藤さん、皆さん。はじめまして。
 宏と申します。

 神経症云々には、最近さっぱり興味がなくなってしまって、実際、他のサイトには魅力を感じないのですが、ここだけは、ときどき拝見させて頂いています。自分としては、ロム専門のつもりだったのですが、このところ思うことがあり、書き込みさせて頂きます。

 それは生活習慣のことなのですが、以前の私の部屋の散らかりようはひどいものでした。他に、食生活とか、睡眠の習慣とか、ぐちゃぐちゃでした。この何ヶ月、自炊とか、こまめな部屋掃除とか、そんなことを心がけてきているのですが、すればするほど、他にやりたいことが出てきて、結構、忙しい毎日です。しかし、こうなってしまうと、以前のような思考重視の、動きのない、だらしのない生活には戻りたくないと思います。

 私が神経症真っ只中だった頃なら、こんな文章には聞く耳を持たなかったと思います。しかし、雑用に踏み切ることは、最初の頃は、一大決心が必要でしたし、ある意味、とても勇気が入りました。

 神経症そのものをターゲットにして生活しても、前には決して進めない。当たり前のことの積み重ねで、人は成長していくものだ。ようやく最近、そんなふうに思えるようになりました。

それでは 投稿者:越前屋  投稿日: 5月 6日(月)04時58分36秒
はじめまして、斎藤さん。僕は3年程前から無為療法をやっています。
まだ神経症の症状は出る時がありますが、この療法をやって一番変わっ
たのは気持ちに『流れ』が出てきたことです。
落ち込む事や腹の立つことがあってもしばらくすれば別の事に意識が行
って気持ちが切り替わっています。
次に、『考えすぎる』事が少なくなりました。
以前なら、外出する時に雨が降りそうな天気だったら、雨が降ったらどうしよう、車
で行って駐車場がなかったらどうしよう、混んでいたら、傘を置く場所が無かったら
・・・、といろんな不安が沸きおこって結局外出しませんでした。
今では、『雨が降る前に出かけよう』、これだけです。
前の自分を振り返ってみるとやっぱり、変な奴だったなぁと思います。
今の自分は無理に気持ちを切り替えたりしなくても自然に切り替わっています。
気付いたらそういう人になってました。神経症の真っ最中は何をしても無駄だか
ら何もせず、普段の時に、考えすぎずにパッパッと思ったことを行動に移すのが
コツなのではないでしょうか。

日常の流れ 投稿者:のんびり野郎  投稿日: 5月 6日(月)00時20分11秒
神経症が軽快してもたいして嬉しくない、これはあたっています。
だからと言って対人恐怖的な要素がまったく消えたか?というとそうで
はありません。今だに人に緊張したり人見知りしたりしますが、そんな
自分を責めたり否定したりしないし、そのことについて一日中思い悩ま
なくなっただけなのです。

以前あったような、妙な劣等感もないです。
神経症の強迫思考回路の中で、それができないと人生終わりみたいな考
えに勝手に囚われているだけなんですね。

この回路がいったん切れると、人つきあいに悩みつつも、他の物事にも
関心がむき始め、その自然な流れの中で神経症の症状(人前で緊張する
など)も色んな出来事の中の一つになってくるのです。

One of themということですね。

その方向に持っていきたかったら、治療はひとまず置いといて単純に
動いてみましょう。

アライグマさん 投稿者:よしひろ  投稿日: 5月 4日(土)17時00分24秒
僕に言わせれば、何であんな馬鹿馬鹿しい本が売れるか解りませんね。
と言いながら僕も1冊買ってしまった(恥
考えるに、加藤の人気はカテゴライズの面白さ以上のものじゃない。
自分と他人を特定の範疇に割り当てることで、他人の姿を明確にでき、
自分は自分でアイデンティティーを得たような安心感が味わえるって
所でしょ。星占いや、血液型占いと一緒ですよ。
O型と言われればO型の、いて座と言われればいて座の性格になった
ような気がするっていうのは、特に気持ちの弱った人間には顕著に感
じられるものでしょうからね。
ただ加藤が悪質なのは、そういう弱った気持ちに乗じて、有りもしな
い(全部が全部とは言いませんが)家庭や環境に対する恨みの感情を
喚起させてるって事ですよ。あと人の劣等感とかも引き出しながらね。
ま、人心操作では中々の手腕ですが、しょせん占い師のそれです(笑

私の場合 投稿者:としぼ  投稿日: 5月 4日(土)08時30分18秒
「治すのを止める」
「治すのを止める」
「治すのを止める」という無為療法をやっているということも忘れる。
そう頭の中で唱え続けて、メモ用紙に丁寧な文字で書き、部屋をかたずけることを2ヶ月前に始めました。まもなく鬱が消えました。おととい市街地に1日出かける用があったのですが、軽い緊張を予感する場面で浮かんでくる不安感を払いのけるという感じを始めて実感しました。2ヶ月前までは先の緊張を予期して鬱々と不安感でいっぱいだったのに、大違いです。まだ極度の緊張の場面では症状は出るでしょう、でも今の気分はゴールデンウイークを楽しく過ごそうと思っています。落ち着いた気分です。

(無題) 投稿者:hc2  投稿日: 5月 4日(土)01時55分50秒
斎藤先生、感謝感激です!無というものがやっと理解出来るに至りました。
別世界とはこういうものだったのですね!一日があっという間に過ぎて
行き、時間が勿体ないくらいに充実しています。
やっと斎藤先生の言葉の意味が分かりました。心理分析していた自分が
嘘みたいです!
思い切って大学を辞めて本当に良かったと思っています。今はフラワー
アレンジメントに興味があって主に部屋で過ごしていますが、本当に
楽しい毎日です。忙しくてどうしようもないです

お久しぶりです 投稿者:ぷりも  投稿日: 5月 2日(木)00時57分44秒
こんばんは、以前、超あがり症で相談にのって頂いたぷりもです
久しぶりにおじゃましました。

私が初めてこのHPを見つけた時、上の子が幼稚園に入園して
人前でしゃべる機会が増え、どうにかあがり症を克服したいとすがる様な思いでした
最近はますますヤンチャになった、4歳と2歳の二人の子供と
毎日、戦争のような楽しい日々を送っています

私のあがり症は、まだ改善されてはいませんが
それ以外は何の不安もなく、普通に生活しています
(以前は、視線が気になったり、火の元や戸締まりなどが異常に気になっていた)
と言うか、私は神経症だろうか?って今は思っています
私は、このHPにおじゃまする前から、子育てに追われて毎日が忙しく
思い悩む暇もなく、一日中子供に神経が行ってました
私が神経症だったとすると、これは斉藤さんがいつも言っている
<雑用>が無意識に出来ていたんだろうと思います

私はまだあがり症ですから偉そうな事は言えませんが
今、思う事は
神経症を治す為の<無>は意味がない
神経症を治す為の<雑用>も意味がない・・・です。

あ!今日皆さんにお伝えしたかったのは
数ヶ月前に、全く神経症とは無縁の私の主人に
このHPの事を話した時の主人の感想です
主人は、何言ってんの?って言うような顔で雑用などの話を聞いて一言
「それって、当たり前だよ」と言いました
主人は、神経症の事には無知ですが、正常な脳で判断して
斉藤さんのおっしゃってる事が正しいと判断したようです

ここのHPに来る方は、かなり苦しんでいる方もいるでしょう
また、いろんな考え方や意見もあるようですね
でも、みなさん、本当の<無>を実感できるまで
斉藤さんを信じてみるのは、無駄な事ではないですよ

あせらずに。 投稿者:のんびり野郎  投稿日: 5月 2日(木)00時32分26秒
こんばんは。のんびり野郎です。
久しぶりに覗いてみたら、またですか。
神経症真っ最中の方はどういうわけか、荒らし行為やネット多重人格など
にはまりやすいようです。
一日中、家に閉じこもっている方なども多いからでしょう。
暇だから、ネット中毒に陥ってしまう。
はっきり言ってしまえば、神経症者にパソコンは毒です。
健康な人でもはまりやすいのに、強迫思考の強い神経症者はなおさらです。

自分の経験を言うと、いったんパソコンを切ってしまいました。
無理にパソコンをやめるのが困難なら、外出する時間を少しずつ増やすの
です。そうすれば必然的に、パソコンに向かう時間も減るでしょうから。

掲示板に、荒れた書き込みをなさる方の焦燥感や歯がゆい気分は良くわか
ります。僕も同じ道を通ってきたので。
でも、掲示板に書き込みしてる限り、治らないことも早く知ってください。

今の僕は以前とは全く違います。ネットをやる時間もかなり減ったし。
なんだか書き込む気力も失せてくるのです。
斉藤さん風に言えば、本当にONE OF THEMなんです。

五月は五月上げ茶会に向けて、たくさん練習したいし、お金も欲しいから
バイト先も時給がいいとこに変えました。
一年前は3時間しか出来なかったのに、今では5時間働いてるんです。
自分でも信じられないけど、すごく嬉しい。

外に関心が向くと、次第にこのホームページにも関心がなくなってきます。

私の場合 投稿者:としぼ  投稿日: 4月29日(月)10時58分23秒
28歳の時東京で結婚し郷里に帰ってきました。環境の変化からか緊張すると手が震えるようになりました。今年で25年になります。緊張する場面はなるべく避けながら生活してきました。途中1年ほど病院に通い精神安定剤を服用したこともありましたが、効果がないのでやめました。2ヶ月前にこのホームページを知り隅々まで読み、本も送ってもらい読みました。鬱はすぐほとんど消えました。不安感も気分の揺れもだいぶ少なくなってきました。症状は薄れたとは思いませんがこのまま続けようと思っています。


斎藤さん早織さんへ 投稿者:ボウシ  投稿日: 4月26日(金)04時48分41秒
実は無為療法を始めて五ヶ月経ちます。本も購入しました。
本当に始められるまでに四年かかりました。四年前は余りにも僕に神経症の知識が無さ過ぎて、理解出来なかった。「鬱?強迫観念?なんだそりゃ?」そんなレベルでした。神経症という言葉もその時に知ったほどです。意味は分からなかったのですが、自分が神経症らしいということは読んでみて分かった。

それから三年くらい無為療法をやっているつもりで過ごしてしまった。「あるがまま、あるがまま。」と唱えながら、やりたくない事を無理矢理集中しながらやったり、「あるがまま、あるがまま。」と唱えながら、人通りの多い所をワザワザ歩いたり、「あるがまま、あるがまま。」と唱えながら、視線の位置を決め付けたりしていた。これは違うんじゃないかと思いながらも続けてしまった。止めたら将来が駄目になるような気がした。

でも、五ヶ月前から、やりたくない事を無理矢理実行するのを止めた。最初のうちは、禁断症状とでも言うのでしょうか、やらない事に不安を感じた。本当にこれで良いのか?と疑問にも感じた。対人関係で失敗した時にも将来が心配になり、何か将来に役立つ事を極めなければ大変なことになると感じた。でもやるのを止めた。今はそれを続けて五ヶ月経った。とても治ったと言えるレベルではないです。けれど改善は見られます。まず、強迫観念はほとんど出ない。以前なら凄くよく出来たアニメとかを見ると、自分も制作しなければいけない、とりあえず絵の練習をしようと思い立ち実行した。すぐに飽きてくるのだが、無理矢理続けた。無理矢理やっているので、イライラしてきて貧乏揺すりがいつも激しかった。

でも今は違います。素晴らしいアニメを見たら、こんなのを作ってみたいなとは思うのですが、実行する気が起きない。作ってみようかなと思うのだが、他の事をやっているうちに忘れている。時々思い出すのだが、他の事をやっているうちにまた忘れる。他の改善点は視線恐怖の軽減です。洋服屋によく行くようになった。先週は街へ出掛けた。普通には歩けないのですが、以前と全然違う。以前は歩き始めて直に視線恐怖で歩くどころじゃなかった。15分すると頭が痛くなってきて、走って車まで逃げ帰った。そして、車の中で自分の不がい無さを反省し鬱々しながら、あての無いドライブを4〜5時間は続けた。

先週は街に2時間半くらい居たと思う。視線恐怖は相変わらず有るし、視線が気になる時は商品を見てるふりをし誤魔化しながらやり過ごす。でも、その誤魔化しながらの歩き方がどうであったかを考えることはしないで次の店へと歩く。どうしても入り難い店には入るのを止める。店員に話し掛けられて顔の強張りが出て店員があやしがるが、それがどうであるかを考えずに次の店へと歩く。まだかなり危なっかしいが、街に買い物へ出掛けることができる。街へは行かない方が良いと言われるかもしれませんが、洋服とか好きな方なので無理です。

たぶん無為療法が出来ていると思う。ほとんど治っているとは言えませんが、ストレスの少ない長期の仕事にありつければ、絶対治せると感じています。「神経症は治そうと努力すると、余計に神経質になって症状を悪化させる特徴がある。」これが肝のように感じます。なんか書いているうちに自信が無くなってきた。本当に無為療法が出来てるのかな?と。でも出来ていると思う。

斎藤さん、早織さん、返答ありがとうございました。長文でスミマセン。

イニシャルさんへ 投稿者:あさ  投稿日: 4月24日(水)23時49分56秒
無為療法のやり方を間違ってしまったのではないのでしょうか?
「俺は無為療法をやった!でも直らなかった!だから、みんなに無為療法は
  意味無いということを教えてあげよう」
というような無為療法を正しく理解することが出来なかった人たちが多いような気がします。

無為療法とは、なにも考えないこと。 芋づるのような迷路に入らないことを言います。
失敗した人は「無為療法をするんだ!するんだ!」という気持ちが強いゆえに
空回りしているような気がしますね


私の場合。 投稿者:まゆ  投稿日: 4月24日(水)13時46分00秒
無為療法を知ってから約半年になります。

治ったか治っていないかは別として私はすっごく嬉しいです。自殺ばかり考えていた(妄想していた)私ですがもうそこにこだわることは無くなりました。もちろん自殺願望は強いですよ。

私は今でも人生というか生きることが辛くて仕方がありません。でも、生きていたいと思います。私は以前から周りの人達に「考えすぎ」とか「気にしすぎ」と言われていましたがその意味が最近わかりました。

無為療法を知っても最初はなかなか始めてみる気になれませんでした。というのは無為療法を始めるということは私が私自身で無くなってしまいそうでその時は自分が嫌いだったくせに自分の妄想は止めたくなかった、というのをはっきり覚えています。あと、正直に言ってしまうと、「斎藤さんの奴隷になってしまうんじゃないか」(精神的に)
という不安がものすごくありました。この掲示板で治りかけている人の発言を見るのも辛かった。

斎藤さん、ありがとう!生きていたら多分私のおじいちゃんと同じくらいの年代の方だと思いますがすごいパワー!斎藤さんは神経症地獄のことを狂っている狂っていると言うし
ご自分の半生もある部分をさして「無駄だった」ときっぱり言いきっていますが私はそこまで落とさなくてもいいんじゃないかと思ったし、今もそう思っています。

乱文ごめんなさい。では。

この素直な真剣さは良いですね 投稿者:キザ  投稿日: 4月20日(土)14時59分14秒
どうも書き込みをしたいと思う、掲示になかなか出会わなんだ、久振りに出会いました。
DAIさんに思い切り書いてみましょう。

>私は対人恐怖を治すには他人との関わりは不可欠であると思います。
>人とのふれあいの実績が必要なのです。
ストレートに自分の思いを書いてられて、正直で率直で好きですね、この率直さが治癒には
大切でしょう。
しかし残念ながらこの考え自身が対人恐怖そのものであり、人間関係に囚われた人の姿です
対人恐怖の治癒は人間関係の努力での成功ではありません、これは永遠に成功しません。
治癒は囚われからの解脱です、平たく言えば忘れること、思い出さないことで成功します。
相手にしない、治す努力をしないことで完成して、囚われから外れて自由闊達になります。
他人との関わり、ふれあいの実績で完成させようとして出来ないことが、囚われの解脱で
完成するのです。

もう一つ大切なことは、日々の生活が対人恐怖の治癒の為に占領されていることです
この長い時間が無くなるのが、対人恐怖治癒にはもっとも重要です。
これが全く無くなれば(自分の治癒を創意工夫する努力が)、対人恐怖自身はまったく意味を
持たなくなり。普段に思うことも考えることも少なくなって、悩みは無くなります。
そうなると健康な自由闊達な人間になって、人間関係は自由に出来るようになります。
他人との関わり、人とのふれあいの実績で治癒を完成さすのでは無くて、囚われから外れて
自由闊達になって治癒を完成させるのです。


>症状を改善しようと努力することが神経症であって、努力すること自体を辞めることが
>治癒ということでしょうか?
まったくの正解です、その通りすれば治癒します。

>神経症の治癒とは症状(対人恐怖、異性恐怖など)は改善しないけれども、そんなことは
>気にならないという状態でしょうか?
気にならないというのは本当ですが、そうなると対人恐怖は大きく改善されて治癒します。
対人関係に囚われない自由闊達な元気な明るい人生になります。
他人との関わり、人とのふれあいの実績などをやっていては永遠に治癒はありません。

心貧しき者たちへ 投稿者:Beobachter  投稿日: 4月20日(土)02時54分30秒
なんだか分けのわからないことばかりを、言いたがる連中には事欠かないのが現在の風潮であろう。いや、この国においては、昔からそうであったのだろう。ただ、インターネットが普及した時代においては、“2ちゃんねる”などにおいて、電波芸者ならぬ、出来損ないの一言居士が跋扈しているから目障りなのである。

投稿者:u とかいう奴が、何を考えてつまらないことを書き込んだのかは、私の理解を超える所であるが、まああんたの精神の卑しさは、中身以前の問題であろう。どうせ、程度の低いお仲間と、「やれ斎藤の信者がまた出てきた」だの「奴の正体は○○である」だのと、PTAのババアどもの様な話題で盛り上がるのだろうが、そうやってオナニストぶりを露呈してもらおうじゃないか。

折角、チェックモードも外れたことなのだから、他人を批判したければ、堂々とここで論陣を張れば良いではないか。それは出来ないのだろう(嘲笑)。所詮、裏側で、井戸端会議的にああだこうだと、偉ぶっているしか能がない、また肝っ玉もない、要するに社会のゴミみたいな連中なのだろう。

お前らの存在は意味などないのだよ。

中身がないのに、自己顕示欲は旺盛である、しかし自己鍛錬をするだけの覇気もない。まあ貧しい人生を歩めば良いだろう。

今回は、斎藤氏の主張の是非ではなく、ゴミに対して一言言いたくて書いた次第である。
バカどもの吹き溜まりも、これで活性化することだろう。礼の一言ぐらい言ってもらいたいものだと思うが如何であろうか。

心理分析はやりません 投稿者:キザ  投稿日: 2月28日(木)00時39分06秒
要は人生が明るく元気で幸せに行けば良いだけです。
私は自分を変え治して、立派な自分になるように努力工夫を、10年間必死でやりました
だが成功しませんでした。十年間暗い弱い不幸な毎日でした。
10年めに先輩のアドバイスを聞いて、自分を変える治す努力を完全に止めました。
そしたらたちどころに対人恐怖は治りました、悩み苦しみが無くなってきました、その後
人間関係も順調にに行くようになり、1ヶ月ほどで明るく元気で幸せにを実現しました。

結果的に「治す変えるを」行うことが病気で、これを止めればすべては解決することが
解かりました。
神経症を治す技術としては「治す変えるを止める」ことの実行だけで良いと思います。
これが実行できるなら余計な心の問題を持出さなくても良いと思います。
私は実行には心が伴わないと困難だと思うので、実行できる心のあり方を言うのです。
止める!との強い決心を求めます

斎藤へのEメイルから 2月23日

先日はコメント頂いてありがとうございました。とても嬉しかったですし、心強く感じました。

しばらくは雑用をしつつも頭の中でいろいろ考えが巡ってしかたなかったです。それでも雑用を続けるうちに、これをしようと考えて動くより先に手が出ているそういう状態が増えてきました。

私の夫や主人に「無為療法」のことを簡単に話すと(雑用の事、情報を集めない事など)夫は「俺の持論が正解だった」と言い、友人は「私もそのほうがいいと思う」と言ってました。確かに主人が「カウンセリングで神経症が治ると思えない」、「心理学の本を読んでも治らないんじゃないか」と、ぽそっと言っていたのを覚えています。でもそのときは「神経症でない人に何がわかるの?」と思ってました。主人の意見は正解ではあったけれど、その意味をうまく理解できませんでした。

> 生活全般が雑用の連続と思ったら既に健康世界です。健康世界では雑用で追いまくら れます。人生が雑用の連続といって間違いが無いでしょう。

つくづくそうだなぁと思います。何も考えずに体が動くと、気持ちも軽くなりました。

実はメールを頂いたあと、本も読まずHPにもいかず状態です。なんだか申し訳ない気持ちと、感謝の気持ちで複雑です(笑)今日、1年ぶりに友達とのおしゃべりでお腹を抱えて笑ってました。もし貴方のHPに出会えなかったら、友達と出かける事すらしなかったでしょう。

本当にありがとうございました。


斎藤へのEメイルから

先日はコメント頂いてありがとうございました。
とても嬉しかったですし、心強く感じました。
しばらくは雑用をしつつも頭の中でいろいろ考えが巡ってしかたなかったです。
それでも雑用を続けるうちに、これをしようと考えて動くより先に手が出ているそう
いう状態が増えてきました。


> 生活全般が雑用の連続と思ったら既に健康世界です。健康世界では雑用で追いまく
られます。人生が雑用の連続といって間違いが無いでしょう。

つくづくそうだなぁと思います。何も考えずに体が動くと、気持ちも軽くなりまし
た。

実はメールを頂いたあと、本も読まずHPにもいかず状態です。
なんだか申し訳ない気持ちと、感謝の気持ちで複雑です(笑)
今日、1年ぶりに友達とのおしゃべりでお腹を抱えて笑ってました。
もし貴方のHPに出会えなかったら、友達と出かける事すらしなかったでしょう。



インドからのEメイル

dear sir,
thank you for the therapy.
i am from india. 35/f /married . i am a writer.  i have a great respect for zen philosophy .i am facing
anxiety disorder.that is why when i was searching for sites on anxiety disorders, i was curious about your
site. i think  i have never come accross so clearunderstanding about this problem. 
i myself was coming to the same solutions intuitively as yours.i am not takiiiing any therapy for my problem
, but trying to cure it on my own. i have developed aphobia to go to social gatherings and to go traveling
out side the city and also the crowded roads make me feel uncomfortable.this started after my marriage and
got more intense after my miscarriage five years back.

Earlier i was an anxiety prone person but it only reflected in my mood swings and depressions which i
categorised as 'extra sensitive'my only weakness was not being able to watch any horror or violent films or
tv programmes or reading bad news. but now i am mostly at home afraid to go out. i write from home. i am not comfortable even about staying alone in the house and scared to go to a doctor.( i do not mind going to see a psychiatrist).when i get the anxiety attack i fear that i would die.( i think my bp is little high then)
but after the attack is over i am a normal person at home doing normal things. now the frequency of my
attacks is decreased i experience them, once or twice a week.

i have even started going out a bit.my depression , that my life will not be the same again has also decreased or perhaps settled. i want to come out of this anxiety pattern.
i am blessed with a wonderful husband and relatives so there is actually
no reason for feeling sad except my craving for a child, ( i want to adopt a child, but i feel that if i
am not mentally healthy then how can i handle the responsibility of a child? and i am not being able to
decide as to what to do?) I consider myself to be fairly intelligent and sensitive person but i am
unable to help myself in this. my parents were divorced and i try to think if that is the cause of my
unhealthy mind? but recently i have found that this thinking does not help. because as you said that this
traps me further into anxiety. is it possible to communicate my specific problems with you and seek
guidence? sorry if i have bothering you with my problems.

awaiting your answer to this email.
with regards and good wishes,
thank you again.

Tarakoさんへ 投稿者:テフテフ  投稿日: 2月11日(月)02時31分56秒
こんにちは。
ここのHPで軽快に向かっている者です。
まだまだ分からないことだらけですけれど・・・。
  想像したことが本当に自分の感覚として体に感じてしまう、
  なんて経験、皆さんありますか?
  推測するに、本当に感覚があるってことは、脳の中の想像する部位と
  皮膚に感覚を伝えようとする部位が、回路として、
  何らかの原因でつながってしまったのではないかと
  考えています。これも、脳のバグの一種なのでしょう。
 
私もありましたよ、今はここのHPのおかげでほとんど消滅しましたけれど。
私にあったのは「痛感」です。体中のあちこちに痛みがありました、ほんとはどこも怪我や病気なんてしていないのに。虫歯なんて無いのに歯が痛かったり目にコンタクトレンズを入れられないくらいに本当に痛みがあったり、あとは耳が聞こえずらくなったり、背骨や両手首や・・・数え切れないくらい。でも痛くなった場所にはどれもキッカケがあります。昔調子が悪かった場所なんです。
それらの怪我はとっくに良くなっていますが、神経症に入ると妄想が出ます。
神経症に入ると、痛みや苦しみや恐怖を自然と「なくそう」としますからね。
それが重なり痛みも苦しみも大きく増大していったんだと思います。
でも今はほとんど無いですよ、ていうか全く。
たぶんTarakoさんは、無為療法がまだよくわかっていないんではないのでしょうか?
(人のこと言えないけど)私はここを発見して以来、急にそれらの私で言う「痛み」が消えたので
戸惑ってしまいました、いい意味で。
「想像したことが本当に自分の感覚として体に感じてしまう」はただの神経症というコップの中で起きる感覚です。無為療法が出来さえすればそれが神経症の妄想の中だったとわかるのでそれは
すべて解決しますきっと。

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