神経症からの開放
有力投稿 
これは無為療法のホームページを見て良くなった人でアメリカからのたよりです。
Dear Mr. Saito:

  Thank you for providing your fine web site to the English speaking world. I am sixty-five and have had what is now called anxiety disorder for most of my life. Everything I have learned about this disease over many years I have found spelled out in a marvelously concise form in just a few pages from your site.

  It is ironic that some years ago I freed myself from panic attacks by using what I now know was a (very simple!) variant of your technique. It does work. Unfortunately, I was not smart enough to make the connection between the panic disorder and the more pervasive anxiety disorder, which I considered to be two totally separate conditions. I appreciate your making this connection for me. I will follow your advice and not think about this too much, but I do hope to put it into practice.

  I can tell that English is a second language for you, and a few phrases might benefit from a Japanese - English translator, but try not to change too much. Your English style is wonderfully expressive, and conveys your personality as well as your wisdom.

  Again, thanks, and please keep up your good work.


強迫観念とフラッシュバックについて
 投稿者:秀 樹  投稿日: 2月 2日(土)00時42分38秒
 斎藤さんのフラッシュバックについての文章を読んで「なるほど」と思わず唸ってしまいました私も、強迫神経症にかかって、かれこれ20年近くになりますが、「脳科学と神経症」がこれからの一番説得力のある、治療の仕方が一番いいやり方であると思います。

私の場合も、斎藤さん、あなたの言っている、フラッシュバックを、心理分析、○○療法、瞑想、自己暗示等でねじ伏せようとしてことごとく、失敗してきました。脳科学と心理を間違えてきました。神経症は、ここ数年神経伝達物質、セロトニンの解明によって、少数の脳科学者と神経心理学者の研究が、脳の伝達回路に問題があることを証明してきました。その脳科学の理論から言っても斎藤さんの提唱している、「無為療法」は、理論的に間違いはないでしょう。私の経験も、強迫観念の出てきている時は、しきりに、無意識的に、意思の力で、神経症を治そうとして、行動を抑制しようとしてきます。その時は、もうただ、そのまま耐えているより仕方がありません。嵐が過ぎ去るのを待つよりないのです。これは、体験、体得するよりしょうがないです。ですから、斎藤さんが言われるように、完治は、ないのです。

言葉どおりの、完全な治った状態は、神経症者にはありません。しかし、そのまま耐えるを、繰り返し体得し続けるようになると、新しい神経回路が脳の中にできそれが、どんどん、成長していきます。そして、完治には至らないが、神経症の強迫観念の回数が、格段に減り、格段に行動が積極的になってきます。途中で薬に頼っていると、薬が無いと要られない体になってきます。

私の経験ですが、確かに一時的な効果は、薬にはありますが、本当の意味での治癒は、薬によっては、残念ながら、もたらされないと思います。一時的に、薬をのみそれをのみつづけると、一種の麻薬になってしまいます。ですから、止める時も、禁断症状がでてきます。たとえ、薬があまり、効いていなくても、禁断症状がでます。薬で脳が中毒症状を起こしてしまいます。神経症を治したければ、断じて、薬は、止めなくてはなりません。
「脳科学」をよく理解していれば、脳の一時的な不具合、バグに悩まされなくて済みます。

「脳科学」がいづれ、神経症を解明し、無為療法の理論的な裏付けがはっきり実証されることでしょう。神経症に悩まされている方は、斎藤式「無為療法」で、絶対に治療すべきです。くれぐれも○○療法とは、違いますからよく理解してください。頑張りましょう。

kanaeさんへ 投稿者:あかり  投稿日: 1月25日(金)11時07分24秒
こんにちは、齊藤さんや皆さんのおかげで1年前とは全く違う生活に戻ることができた者です。kanaeさんの投稿を読んでいると危ないところを行き来していた頃を思い出しました。とても辛いですよね。私の場合、パニックや疾病恐怖が強かったので身体の状態にはとても敏感でした。症状を無視しようとしていると反って意識が集中して泥沼におちました。無視するってことは無視しようとするんじゃなくてほんとに無視することなんですけど、言葉ではとても難しい感じがします・・。雑用の瞬間が無視している瞬間なのだと気付いてからはなるべく動くようにしました。モチロン始めは無理して動かないとダメでしたが続けていくうちに1秒の雑用で意識を変えることができるようになります。私は今でも動悸を感じることがよくあります、気分の良いものではないけれど何がなんでも無視します。1年前には考えられない生活に戻れたことがなによりの証拠だと思うのでkanaeさんも一度何がなんでも!やってみてください。

イマピさんへ 投稿者:オリオン  投稿日: 1月23日(水)19時14分39秒
イマピさん、オリオンです。今年もよろしくお願い致します。
投稿された下記記事、

>斎藤さんが述べているとおり、医者は神経症を直せませんし、
>理解できません。恐ろしい事実です。
>M田派の医者は「不安と共存」などといったカウンセリングを
>しますが無理なことです。
>神経症者が感じる不安は健常者のそれではありません。
>はげしい脳のノイズなのです。
>専門家もそのことが分かっていないのです。
>おそらく真実を述べているのは世界でもここのHPだけでしょう。

はそのとうりだと思います。これは大部分の医師が自分で神経症を
経験していないことが大きな原因だと思います。
例え経験していてもそれを基礎にした研究や治療方法の開発が
なされていないのではないでしょうか。

医師がご自分の神経症経験を元にした治療研究報告をしたとか
医師が神経症の患者さんを1000人集めて研究データをとって
多角的、集中的に研究したという話も聞きません。
(そうゆう研究をするのであれば、私も実験台になりたいと思います。)

一方不思議な現象もあります。

医師になるためには大学の医学部で医学全般の専門的な勉強する
わけですがその中には当然大脳生理学(脳の各部の機能、神経伝達物質と
感情、思考の関係)について、私たち一般人が想像できないほどの
高度で専門的な勉強をしているようなのですが、
(神経症が神経伝達物質の異常により起きていることは、もはや常識のようです。)

それが、病院の診察室の中で医師から患者さんにほとんど説明されていないことです。
(患者さんが事実を知ることが神経症治療に最も役立つことなのに。)

それは医師の技量で基礎的な医学知識と患者さんの神経症の症状を
むすびつけるダイナミックで有機的な説明がなされ、医師と患者さんが
同じ知識を共有し共に神経症改善をめざすことが、なされていないのでは
ないでしょうか。

無為療法は「ただ雑用をする」のですか。 投稿者:広樹  投稿日: 1月21日(月)23時49分04秒
無為療法では、神経症を治すために、雑用をするのではないのですね。ただ、今、目の前の必要なことを、いわば、無目的に作業をするのですね。そうすると、神経症が、治っているのですね。
「神経症を治すことの禁止」、と、「ただやる作業」をすれば絶対に神経症は、なおるのでしょうか。斎藤さんは、「無」の達成こそ、神経症の究極の治癒であると言われますが、これさえすれば
確実に神経症は治ると信じます。よろしくお願いいたします。無為療養は、世界一なのでしょう。
治らなければ、おかしいですよね。そのくらいの意気込みで斎藤さんもこのウェブサイトの運営をしているのでしょうね。あれだけ○○療法はじめ他の療法を批判しているのですから、当然そのくらいの意気込みでしょう。無為療法を信じてやっている者として、感じることをかきました。でも
言っていることは、なんとなくきつくても、経過は、斎藤さんのいうとおり、順調ですよ。

無為療法の可能性 投稿者:赤城麓住  投稿日: 1月16日(水)19時45分23秒
 私は無為療法を始めて丁度三ヶ月くらいになります。まだ行動の範囲は狭いですが、お蔭様で殆ど強迫観念の嵐に曝される事は無くなりました。私が思うに、無為療法の可能性は神経症治療だけにとどまらないのではないでしょうか。無為療法は精神的ストレスを最低限にしてくれるものと私は思います。ストレスが一因となる病気は他にも沢山あるわけですから、無為療法を少し改良すれば、それらの病気の治療にも何らかの効果があるのではないかと思います。飛躍のしすぎを承知で書かせていただきました。とにかく無為療法は素晴らしいものだと思います。神経症者を救うためこれからもがんばって下さい。


斎藤へのEメイルから  1月15日
斎藤さんにお礼を申し上げたくて、メールしました。いまはもう神経症とは無縁で、ようやく人生これからといった感じです。本当につらい数年間でしたが、斎藤さんのページと出会えたおかげで、すっかり神経症を治すことができました。それに加えて、神経症にかかる前のマイナスの性格も解決することができて、自分が数倍強くなったと感じています。
 
 斎藤さんのページには、よい意味で用事がなくなってしまいましたが、万が一苦しくなったときにはまたアドバイスをください。最近は神経症の症状が殆ど無いので、皆さんの掲示板の投稿が理解できなくなってきていますが、少しでも役に立てればと思うので、これからも度々投稿しようと思います。
 
 いまも苦しんでいる方々をこれからも助け続けてください。心から応援しています。

お久しぶりです 投稿者:さくら  投稿日: 1月15日(火)01時34分47秒

近況を報告します。

このHPをあまり覗かなくなってからも
しばらく神経症的な症状はありました。
寝る前に1錠の薬をのんだりすることもしばしばありました。

そして辞めてなかった雰囲気の合わないアルバイトをこの間辞めました。
それから今まで一進一退だった神経症の症状が急に良くなりました。
辞めたのは今月に入ってからです。バイトを止めてから薬を全く飲まない日々が今日まで
続いてます。最近は神経症であることをかなり忘れています。
めちゃくちゃに落ち込むことはほとんどなくなって
睡眠もよく取れるようになって何よりも食欲がもとに戻りました。
神経症になってからもともとかなり痩せ型でしたが5キロ減りました。
最近は体重は増えつつあります。

また神経症へと戻っていかないように未来に目を向けて楽観的にやっていきたいです。
つまずくことがあったとしても、それが人生というものでしょうと思っています。
神経症になってからの4ヶ月あまりの間、本当に辛かった。
神経症真っ最中の時はちょっとしたプレッシャーにも耐えられないくらいぼろぼろでした。
あんなに先が見えないと思っていたのに、いつの間にか普通に歩き出した自分がいて・・・
あっけないもんだな。と思いました。

私と同じ症状で悩んでいる人がいるなら力になりたいです。
斎藤先生や、この掲示板の他の方達には感謝しています。
インターネットはこうした病気に苦しんで孤立しつつあった人を結びつけた
素晴らしい手段だと思います。

新たな年を迎えて 投稿者:アライグマ  投稿日: 1月12日(土)23時09分59秒
私事ですが、実は最近になって、養老孟司氏の「唯脳論」を読みました。
こんなおもしろい本があったなんて!と愕然としました。
加藤諦三を読みながら、自分の人生にむちを打ちながら生きていた
僕にとって、斉藤さんのHPに出会ったのと同じくらいの衝撃を受けました。
「ああ。10年前にこの本に出会っていたら・・・」と悔やんでしまいました。
と、この本の影響を受け、斉藤さんのHPへ書き込みがしたくなったので、
させていただきます。

僕は、斉藤さんの「何もしない」という発想のおかげで、生き方が変わったひとりです。

僕の経験では、「何もしない」ことで「健康的な志向性が生まれる」と
思います。志向性という難しいことばを使いましたが、要するに、強迫的な気持ち
からくる努力ではなく、基本的に「生きたい、これからも生きてゆきたい」と
素直になれる気持ちです。

僕は改めて、振り返ると、結局、「何もしない」ことはとても重要だと思うが、
何もしないことで勝手に生まれるものがあり、それは何かというと、
「人間がもともと持っている脳の自然情報処理を作動させること」だと思います。

神経症は、脳の情報処理がうまくできていない、というのは本当だと思います。

神経症と対極にある健康世界とは、
「物事に対して脳が勝手に判断してくれる、脳が自然処理をしてくれる」ということだと
思います。そういう人達は基本的に、「脳にまかせて」生きていると思います。

話は変わって、
斉藤さんのHPが一部有料化することになり、ちょっと心配なところもありますが
、おおかた納得しています。
僕は、納得するという理由について3つあげたいと思います。

1)神経症に対するこれまでになかった「新しい発想」を提供してくれたこと
2)インターネット時代における「情報発信の模範」を示してくれたこと
3)神経症についての「議論の場」を提供してくれたこと

大きな価値を持つ斉藤さんのHPが、斉藤さんひとりの手によって
維持、運営、質問回答されることだけでも、
たいへんな労力、時間、費用を費やされていると思います。

斉藤療法への感謝 投稿者:ゆきんこ  投稿日: 1月10日(木)02時52分51秒
お久しぶりです。パニック障害のゆきんこです。
このホームページに出会って、半年以上がたちました。
斉藤療法を開始した当初は、この療法に出会って、目から鱗が落ちる思いで、神経症の延長線上、藁にもすがるおもいでした。
開始してからは、順調にムードスウィングは減少したものの、結局神経症の延長線上でこの療法にすがりついていたので、うまくいくはずなく、フラッシュバックとともに何度も神経症世界にひきもどされていました。苦しくなっては、このホームページに来て、斉藤さんにアドバイスを受け、多くの危機を救ってくださいました。
今現在は、パニック障害は克服したと、胸を張って言えます。もちろん、斉藤さんがおっしゃるように、フラッシュバックから完全に解放されることはないと思います。しかし、以前は病的だった症状への思いが、今は、「こんな気分のときもある」と、深く考え込むこともなく、ごく自然に流せるようになりました。
神経症克服に、斉藤療法はかなり有効です。また、神経症克服のためにはカウンセリングも重要だと思います。それは、患者が客観的に自己を判断する必要があるからです。斉藤療法ホームページには充分その機能があります。神経症まっただ中ですと、自己を客観視することは不可能だと思いますよ。神経症は、全ての根源が不安・緊張です。それを克服したければ全く神経症について考えないこと。そして、必要以上に自分を責めないこと。
リラックスして、肩肘張らずに・・。
このホームページに出会えてよかった。人と人とのつながりはすばらしいと思います。
これからも、がんばってください。

Lanさん&瑞樹 さんへ  投稿キザ  投稿日: 1月 5日(土)01時24分24秒
>翌朝出勤するにあたりあらゆる恐怖を撃退する武器を携行しない
>丸腰で家を出る。

「武器を携行しない丸腰」
これは心の問題を言うている言葉であり、精神的に自分を守るものは何も用意しない
心がこれで決意されていると総ての計らいは排除される。
そして日々これの実行で治癒して行く、この境地の続行こそが神経症治癒の状態です。
神経症の治癒はこれ抜きには有りえない、本当にすばらしい言葉だ
そしてこの言葉は斎藤さんだけが言っている

カバンの底に薬を一つ忍ばせることくらい、ハンカチ、ちり紙をカバンに入れているのと
同じです。この精神的な大きな言葉と生活の知恵ではレベルが違う、誤解しないでほしい。
しかし「ミソもクソもいっしょにしていると思いますよ」との言い方は良くないかもしれない
反省しよう。
ただここは神経症を治すHP、癒しの場では無い、生死の重大事を決する場です
神経症治癒の為の激しい言葉(愛情のある)がとびかってしかるべきでしょう
癒しやなぐさめ、傷のなめ合いの場なら、私はここへ来る意味が無い。

最近思ったこと。 投稿者:コジコジ  投稿日: 1月 4日(金)21時17分08秒
神経症には種類がいろいろあるかもしれませんが、自分がかかっているものについて、思った事(もしかしたら違うかもしれませんが。。)を書いてみようと思います。

僕は、2ヶ月前から無為療法をはじめ、だんだんと神経症の事を考えなくなりました。しかし、神経症の事を考えなくなっても、まだ治った感じはしませんでした。なんというか、神経症の変な雰囲気というか、とにかくまだそういった感じは消えませんでした。そこで思い出したのですが、無為療法の「神経症の人は、気持ちが未来か、過去のどちらかにあり、今にはとどまっていない。」という言葉でした。まさにそんな感じだと思いました。自分の場合は、常になにかの「欲」があり、その欲に向かっていつでも走っている・。といった感じした。例えるなら、馬が、吊らされいる人参を、常に求め続け、常にそれに走っているといったかんじです。それに気付くと、自分はなんだかほっとした感じがしました。つまり、自分が言いたい事は、「今ここにある時間、「現実」に対して満足しないと、常に何かの欲に向かって走り続けてしまうのではないか?」という事です。

自分の観念で言ってるので、あくまで個人の意見として聞いてください。あと、文章作るの下手ですが勘弁してください。

今年もよろしくお願いいたします! 投稿者:yosi  投稿日: 1月 4日(金)20時11分25秒
僕は新幹線や夜っぴいての長距離バスに乗る際、ポケットウイスキーを持っている
ことが多い。乗り物酔いするくらいなら、酒に酔っていた方が楽しいと言う理由か
らなんですが、別に無くても(うまい具合に、好きなブランドが手に入らなかった
場合など)目的地に着くまで退屈はしません。「依存的」な意味合いが希薄なら薬
を使用することで楽になるならいいのではないでしょうか。
むしろ「こうせにゃならん!!」が神経症を長引かせるということを知って下さい。

また薬の話か・・・ 投稿者:NA  投稿日: 1月 4日(金)15時19分47秒
 lanさんをはじめとして、神経症が治ったと言う人間が薬を所持することに矛盾を感じる
方が多いようですね。でも、このことが無為療法の本質的な部分とはあまり関係ないことに
気付かなくてはいけない。そんなに問いつめる程の事でも無いということです。
(そもそも、斎藤氏はフラッシュバックの存在を認めています。そして、一過性のそれを
 やり過ごす為に緊急避難的な薬の服用も渋々・・・といったところでしょうか。
 神経症と戦うな!というわけです。)

 例えば資格試験を受けるとする。ある人は「事前に勉強したのなら受験会場に
参考書は持って行くな」とわめく。「丸腰」でなくてはイカンと。こういう連中は
ど忘れしたときも必死に記憶を探して焦り破綻する。フラッシュバック悪化です。
 参考書をちょろっと見て思い出して、冷静な思考に戻ればいいのに、戦いたがる。

 そんなレベルの話ですよ、これは。
 本質を見逃している。

はじめまして 投稿者:First  投稿日: 1月 4日(金)11時22分35秒
初めて投稿します。

自分の生活上の不便さを神経症と理解して間もない者です。
現在、斉藤さんの「無為療法」を実行し2,3週間経ちました。
一時のパニックを通り越し、少し快方に向かっていると実感しています。

 自分で理解した神経症は、一つのことに拘り、引っかかる為、そのことを支点に思考が
空回りする。結果、正常な思考のプロセスが出来ない為、極端に思考が内向的になり、外向的なものに注意をはらえなくなるという事でした。

 今、掲示板での薬携行に関する是非論を読んでいて、斉藤さんの本にあった
 「神経症の人の大半がこの間違いをして苦しんでいる。私が神経症を治す方向を指差すと
その指の先端を見て私が示す方向にある事物を見ようとしない、あるいは見る事が出来ない、
これが神経症の実態です」を思い出しました。

 私は一番辛い時期に運よく無為療法を知ったため、幸運にも今まで薬を飲んだことがありません。そんな私が言うのはおこがましいのですが、多分本当に神経症が解消している人にとっては
薬を持とうが、少し位飲もうが、そんなことはどうでもよいことであり、斉藤さんがおっしゃるとおりあくまで「お守り」の要素でしかないのでは・・と思いました。

乱文お許しください

樹里さんへ 投稿者:岡本  投稿日: 1月 2日(水)07時26分01秒

 薬のリバウンドのことですが、まず斎藤さんも言っていましたが、「真の勇気」をもつことが第一です。強い意志が無いことには神経症を乗り越えることはできません。それから、具体的な方法論ですが、 私の経験を言いますが、最初から薬をやめず、無為療法と同時平行で、主に動きである「雑用」を活発にしていくと、段々自然に薬に頼ろうとする思考がなくなってくると思われます。
ですから、すぐに薬は、やめずに、雑用をかなり、初めは意識的にふやして、体の動きを大幅に増やす努力をしたらいかがでしょうか。体の動きが、活発になっていれば思考が、停滞せずに、心も大幅に動いてきて、まともな思考に変化している瞬間が多くなってきますから、そうすると薬に頼ろうと言う思考がだんだん消えてきます。ですから樹里さんもまず、体の動きを活発にする雑用を大幅に増やすことが、まず一番に大事なことだと考えて、実行してみたらどうでしょうか。私は、雑用を増やして、薬をやめられました。


無為療法を批判されました 投稿者:岡本  投稿日:12月27日(木)01時33分16秒
私はじめて、投稿します。私は○○療法にしばらくお世話になりましたが、治りませんでした。そして、無為療法を始めたらだんだん調子がよくなってきたので、○○会でそのことを話すと
みんなに、批判されました。○○会の幹部の人は治っている人が結構いるみたいですが、人によって、その療法の相性があるので、たまたま、私は、○○療法が合いませんでしたので、無為療法が合っていたに過ぎないのですが、○○会では、きびしい批判を受けました。
 ただ、斎藤さんのように○○療法では、絶対に治らない、ことでもなさそうです。治っている人も、三分の一くらいは、いるようです。いくら古典的な精神療法とは言え、実際に治っている人は
いるようです。ただ、合わない人もいるので、そういう人には、○○療法を無理矢理、押し付けないでほしいと思います。他の精神療法も認める、ひろい、こころを持ってほしいと思いました。
 私は、斎藤さんのように、強い信念を持っているわけではないので、○○療法で治る人は、それでいいし、治らない人は、無為療法なり、認知行動療法なりをやって、自分に合ったやり方で治せばいいのだと思います。脳科学は難しくてよく分かりませんが、方向は、合っているのだと思います。
分からないなりに、最近の科学報告は、全部読みました。難しくて、ちんぷん、かんぷんでしたが方向としては、段々、脳の働きが分かっていくようです。これからも、無為療法に励んで、早く神経症がなおりたいです。三聖病院の宇佐先生の本も読みましたが、私は斎藤さんほど、インパクトはなく無為療法の方が、優れていると思いました。無為療法で頑張っていきます。

こんばんは 投稿者:Akihiro  投稿日:12月21日(金)22時17分25秒
 ぷうさん、こんばんは。Akihiroといいます。今大学3回生で、普通に大学に通っていますが、僕も15歳から20歳まではかなり悲惨な神経症に取り付かれていました。そのときは授業に行くときも車に乗るときも何をするときもとてもつらかったのを覚えています。当時は、何をするにも自分との対話ばかりで、行動の意味を考えたり、果てには心理学まで勉強し始める始末で、まさに泥沼でした。それが今では、神経症の状態を思い出すのも難しい程回復しました。おかげで最近は付き合いで余計な出費がかさむ忙しい日々です。
 僕が思う回復する最善の手段は自分との対話を止めることです。おかしくなった脳からの問いかけ(バグ)と問答していても何も結論は出ません。「〜考えず、ただひたすら雑用」とは、脳からの問いかけへの回答としてそう答えるという意味ではなくて、意味のない自分との対話をしないという意味です。

(無題) 投稿者:さくら  投稿日:12月 4日(火)23時32分54秒
私は、嫌なバイトから解放されたり、薬を飲むのを止めたりしたことがきっかけで神経症がだんだん良くなりましたが、雑用にあえて励んでいるというわけではないです。神経症のことを考えることが減ってきたのでいつのまにやら雑用らしきことに熱中している状態なんです。もしこのまま良くなったとしても再発することってあるのでしょうか。。例えば、斎藤先生のように健康脳になった人が、何か大きなショックによって神経症が再発することってありえないのでしょうか?そういうことがあったとしても一過性のものなのでしょうか。たまに、再発したという話を聞くとどうして再発するのだろう?と思ってしまうのです。それとも、再発じゃなくて、フラッシュバックに過ぎないものになるのでしょうか。フラッシュバックと再発の違いが良くわかってないです。

Trexさんへ 投稿者:ひーらー  投稿日:11月30日(金)08時26分15秒
あなたは、東京で厳格な○○療法を実施しているF診療所とかいていますが、これが○○診療所であることは間違いないでしょう。私も○○診療所に6ケ月入院経験がありますから○○療法については、知り尽くしています。○○全集も読破しておりますので○○についての理解は、自信があります。あなたの言うように○○を理解していないひとも多いのも事実ですが、○○診療所のOBも理解していないことが多いのです。私は○○療法は、時代とともに改良していかなければならないし
その必要があると思いますが、一番その改良がむずかしいと思われるのが、脳科学をベースにした
病気でないことの否定です。神経伝達物質、遺伝子のレベルでの神経症の解明が進めば神経症者は、特有の遺伝子を持ち、神経伝達物質に問題が生じていることが分かると思います
  ○○療法では、強迫観念、症状は、一切治しません。治そうとすることが誤りだという理論で
すね。要するに○○療法では、「症状を治すことを一切やめさせ、神経症の症状は、治らない、治らなくていい」ことを作業体験によって体得させるのですね。「治そうとしないことが、治ること
」なのです。しかし、こういうことも○○診療所のひとは、OBもふくめて、分かっていません。
○○知準先生の言葉、「性格の強化、心身脱落、遮断、打ち込み的助言、不安だけでそれっきり」
などと、○○の本質とは、離れたところで言葉を暗記していることが多いのです。それに○○療法だけしか知らず、○○で仮に治らなかったら、別の療法なりをやることにためらいが多いのです。
視野が狭すぎるし、40年くらい前に○○先生が言った言葉をいまだに言っていますな。
今は脳科学で神経症を説明していく時代です。いつまでも古典的なものに全ての信頼をおいてはいけません。ただ、古典的な○○療法にもいいところは、あります。それは、作業です。これは、欠かせません。今の脳科学のレベルでは、薬の開発で神経症をまだなおせませんから、作業はとても
重要ですが、注意が必要です。○○療法のような、無理に強迫てきな作業でなく、軽い作業です。
無理せず、ゆっくり、焦らない軽い作業を連続的にしていくことが重要です。
 ○○療法をたとえ、よく理解しても治らない人は、治らないことも付け加えておきます。私がそうです。ご意見お待ちしています。

ワンさんヘ 投稿者:ひーらー 投稿日:11月28日(水)18時41分59秒
ワンさんは、○○療法をやっているのですね。無為療法批判について、斎藤さんに何の根拠もないと書いていましたが、あなたは、脳科学をどのくらい知っているのですか。脳科学の勉強をしないといけません。○○療法に関しては、当時大正9年当時は、画期的だったのかも知れませんが、逆に今の時代では、○○療法と脳科学の研究は、○○療法学会でも発表されたことがありません。
私は、○○知準診療所に数ヶ月いて先生からも優等生扱いで、○○全集も読破しています。あなたは、どのくらい○○を知っているのですか。○○に関しては、私は治らなかったけど自信がありますから敢えていいますが、○○氏と患者とのやり取りの中でこういうのがあります。
患者「先生、いやいやながら仕事をしていればいいのですね。」○○先生「そんなことは、僕は言っていないそれは思想の矛盾だ。」と、これは全集第5巻の後ろに出ているように先生が形外会に
体調を崩されて、欠席されたときに古閑先生が、司会で行われた形外会のなかにありますが、かつてこの会話が理解できなければ、○○療法の専門家になれないと言った医師がいました。
 ○○流に言えば「あなたはまだ、治そうとしている」ということなのですが、脳科学を勉強した
私から言えば、こんな会話は信者と教祖の会話と同じです。馬鹿げた妄想なのです。
 ワンさんもよくよく考えて脳科学をよく勉強してください。反論待っています。

○○は信仰に近いですね  投稿者:ひーらー 投稿日:11月28日(水)18時40分59秒
私は、生活の発見の月に一度の集団会だけでなく、入院もやったし、外来○○、○○全集読破等
すべてやり尽くしても、治りませんでした。○○と斎藤さんの療法の一番大きな違いは、病気か
病気じゃないかです。これによって180度考え方が違ってきます。
今の時代は脳科学です。今年1年間の米国サイエンス紙日本版でも脳科学の幕開けと特集しました。それで私は、○○を捨てた。科学を信頼する。まだ分からないところはありますが、
信仰のような、○○教を一度捨てる勇気を持ち何が間違いか考えて見た。
 健康脳の復活には、強迫的な作業療法は神経症脳の癒しを行なうばかりか、興奮を煽ってしまいます。少しずつ軽い作業をやり、自然に健康脳に戻っていく機能を人間は持っていますから、あせらず、ゆっくり軽い作業と治す事の停止を強い意志を持ってやっています。頑張りましょう。
 斎藤氏に励まされながら、前進しています。また。書きます。

ぷぅさんへ。こんばんわ! 投稿者:ナンデちゃん  投稿日:11月27日(火)22時16分00秒
>斉藤療法というのは自分が神経症であることを忘れるということなのでしょうか?
少なくとも私にとってはその通りです。
斉藤療法は「「忘れる能力」に気付くための教育プログラム」です。
>どうしても斉藤さんが言う「雑用をしなさい」と「集中」の違いがわからないんです。
簡単ですよ。「集中」は意図して出来ないけど「雑用」は意図して出来ます。
ただ、私自身(強迫神経症)は、雑用と強迫行為の境目が解らないので、
「雑用をしよう」とも思わないようにしています。
でも、すると、結果的に雑用をこなしています。

M療法について 投稿者:さくら  投稿日:11月25日(日)13時48分24秒
M療法で治った人にはどうしてM療法批判が迷惑なんでしょうか。本当に治ったのなら無為療法の掲示板にまでわざわざやってきて投稿する必要性はないと思う。M療法はとても有名で、日本の様々な精神科で取り入れている療法です。そして更に治った人が沢山いるというのなら鬼に金棒。恐いものなんかないじゃないですか。無為療法は個人でやっているこのHP一つだけです。どうしてこのたった一人の人がやっているだけの療法にそんなに過剰に反応するのでしょうか。M療法の効果を立証したいのなら、治った人をあつめてHPを作って生の声を沢山集めたらいいと思います。この無為療法の掲示板で反論しても信憑性に欠けるんです。本当の証拠と神経症患者全てが納得できる理論でM療法が最先端の治療法なんだということをHPでも作って立証したらいいんじゃないでしょうか。

私は、いろんな考えがあってこそ、昔の治療を見直してこそ本当の発展の道が開かれて行くものだと思います。M療法が与えてくれたヒントを基に更にステップアップしていったらいいと思います。M療法をやるために病院に大金をつぎ込まなくても、再発もなくもっと早く治る道があるなら、どんどんその療法に挑戦したらいいと思います。だから、無為療法に限らず、他にもっと有効な治療があるのならどんどん発言して欲しいと思います。新しい視点が無ければずっと同じところに留まっているだけだと思います。治ってしまえばこっちのものなんだから。

薬について 投稿者:yosi  投稿日:11月19日(月)20時36分25秒
健康への拘りが強いと「治るため」という大命題への選択として「薬は飲まない」
を選択するように思います。僕はさんざん悩んでいた時期に薬を飲まなかったのは
「○○」の影響もあって「治すため」の選択として「薬拒否」を選んだような気が
しますね・・・。しかしこれは僕が神経症脳を持って生まれたにも関わらず、いま
人並みに社会生活を営める原因ではありません。

神経症の治癒を第一に考える、その拘りこそが神経症を長引かせる元凶なんです。
逆説的に言えば「治すための拘り」が消失したとき、神経症の症状は消えるのです。
飲むにしても飲まないにしても「治る」という情報と距離を取る必要があります。
そのためには、神経症とは放っておいても、いつも一定の帰結を辿り、ある相互不
可侵状態へと落ち着くという事を身を持って経験的に知る必要があるでしょう。
これはかなり重要なことのように思います。

それと、不安発作は恐れている限り、期待に背くことなく「みごとな花火」を打ち
上げてくれます。しかしこれに慣れることが必要です。発作を起こしつつも取りあ
えずの日常を行うことで、みごとな打ち上げ花火は、次第に「線香花火」みたいに
おとなしくなるものです。ご馳走も、毎日続き、日常化するともはや「特別」では
なくなるというわけです。

不安発作が主な症状の場合、逃げてばかりいても活動範囲を狭め、よけい苦しむ結
果になります。しかし症状を治す、という命題のもとに「恐怖突入」を決行したと
しても敗北を味わうことになるでしょう。単に行動するという、純粋な「日常」を
ただ淡々とこなしていくという行動なしには神経症の解決は無いと思いますね。

ヤンさんへ 投稿者:NA 投稿日:11月19日(月)06時29分28秒
私は2年程前まで、レキソタン2mg3回、ソラナックス0.4mg3回、1日の所要量でした。
今はゼロです。斎藤さんの主張を「だまされたつもり」で実行し、薬を少なくしていった。
始めの禁断症状はひどいものでした。手のふるえがくるし、焦燥感が非常に強く、薬を飲むたびにおさまりました。それでも、医者と相談しながら徐々に薬を減らし、4ヶ月程度でゼロに
こぎつけました。
 するとどうでしょう。何もしなくても、今まで一番頭が冴えていたような状態が続く。
かといって、別段、嬉しくもない。無理がない。今考えると、レキソタンを飲みつつ車の運転をしていたりしたのが非常に恐ろしい。判断能力が全く違う。日常生活についても同じ。
 今では、東日本の主要都市を3日で巡るような出張にも行くし、会議で発表するときも
緊張するかどうかではなく、上手く業績をあげられるかどうかが悩みです。2年前には各駅停車の電車で1駅乗るだけで吐きそうになっていた人間が、です。斎藤さんがたまに薬を服用するかどうかなど、別段、問題ではない。

>なんで昔もらった薬を捨てずに保管しておいたんですか?
とおっしゃるが、斎藤さんが「すみません。意見を撤回します。」と言ったら君は納得するの?
納得したら君は治癒するの?まったく君の価値観がわからない。私も以前は屁理屈が多かった
から、気持ちは少しわかるが・・・ポイントがずれている。だから「屁」理屈なんだよ。
 短い人生、やることたくさんあるんだから、みっともないこと書き込まないで少しは無為療法を実行してみたらどうですか?

斎藤さん こんばんは

初めてメールを送らせて頂いてから丁度1年位になります。
心療内科の診察券が去年の秋だったので・・

現在の状態は「脳の興奮が冷めました」というのが一番的を得てると思うのですが。

多分去年も今もさほど体の状態は変わってないし忙しさは倍増してるのですが体が同
じ様に疲れていてもあの正体不明の不安感がないんです、不思議ですね。
時々あったとしてもそれは脳の暴走で、その瞬間は気分の良いものではないですが、
だいじょうぶです。

今久しぶりに掲示板を見ました。いろんな症状があってそれぞれ辛いですね。
泣きたくなるほど辛いのはよくわかります。斎藤さんに必死にメールを送っていた自
分を思い出しました。妄想だ。暴走だ。とそればかり繰り返し言われました(笑)だ
けど悲しいかな妄想だと解るのは時間が経って少し良くなってからで、辛い時間がと
ても長いです。

今は1日1日妄想から身をかわして自分の時間をたくさん取り戻しています。

掲示板を見ると斎藤さんにお礼のメールを送りたくなります(笑)
きっと1年前の自分を思い出して変わらない姿勢の斎藤さんに感動するんですね。
がんばってください。斎藤さんの言われてることを体で証明してる者がここにもいま
す。


薬について(つけたし) 投稿者:のんびり野郎  投稿日:11月 7日(水)16時38分44秒
斉藤さん、お返事ありがとうございます。
おかげさまで僕は順調です。薬のことを書いたら少し勘違いしている人
が出てきたみたいです。

僕の薬物依存の定義
(1)処方された薬物を朝、昼、晩、一週間以上続けて服用すること。
(2)薬をいつ何時も持ち歩くこと。
(3)薬の効果を過信しすぎていること。

僕の生活の中で、薬物は100分の1の価値も持っていません。
内科で処方してもらった弱い睡眠薬を、せいぜい数ヶ月に一度、眠れな
い夜に飲むだけですから。
薬物に依存している人は依存していることにすら気がつきません。
本当に薬物依存から離れると、体の調子(倦怠感がとれ軽くなる)も、
見た目も断然良くなる(顔の表情が豊かになり生き生きしている)ので
続けて飲む気が起きなくなってくるのです。

それに、薬物によって不安、緊張、強迫観念をかわすのと、自らの動き
によって、それらをかわすのとでは雲泥の差があります。
前者では、何か自分の体の中に泥が定着しているような不快感、うっと
おしさがあるのに比べ、後者では空が晴れたように気分が爽快です。

自らの動きによって、強迫観念が流れると嵐の後の小川のようにサラサ
ラした気分になるのです。まさに自然の力とはこのこと。
そのような、爽快感を体験してしまうと、薬を飲む気なんか全く起きな
くなります。

薬について 投稿者:のんびり野郎 投稿日:11月 5日(月)19時30分01秒
お久しぶりです。皆さん。のんびり野郎です。
「薬はできるなら使わないほうがいいけど、非常時になら良い。」という
意味でしょう。今現在、僕は薬をいっさい使用していません。5年間服用
していた薬を、ある日突然自分の意志でやめました。突然やめたので激し
い禁断症状に悩まされ、一週間は頭痛、発熱、胃の痛み、ふるえ、食欲不
振のため寝込んでいました。

あの時僕は、薬物依存によっていかに自分の心身がむしばまれてたかを体
で実感したのでした。(どうか他の方々は私の真似をしないでください。
薬は医師と相談して減らすように)

その間、薬を使用したい衝動に襲われましたが、それでも服用しませんで
した。それから、4年たった今25歳になりますが薬はいっさい飲んでい
ません。僕の経験から薬は全く解決にはなりませんが、どうしても症状が
ひどい時は非常薬としてたまに弱い睡眠薬を飲むだけです。僕の場合、今
では睡眠、栄養不足、疲れ、が重なると決まってフラッシュバックに襲わ
れることに気がついたのです。(体のリズムと感情・思考のリズムは本当
に互いに影響しあっていると思う)
薬物依存から離れて4年もたつと、薬もほんの僅かな量でも有効ですし
よほどひどい時以外は全く使用しないから、薬物依存にも陥りません。

薬を絶つにはある意味、強い意志ときっかけ(時期)と時間の経過が必要
かもしれませんね。それらの試練を越えて今の自分がいます。
今では薬を服用していた頃より、はるかに自己治癒力が高まりました。

斉藤さんは、薬は使用しない方が良いに決まっている。解決にならないか
ら。ただし無理にとは言っていないのです。考えが柔軟だと思いますが。
実際薬を使用しない方が斉藤療法はうまくいくし、依存しない程度に服用
したり、非常時(個人によって定義が異なると思いますが)に使うくらい
なら役に立ちます。斉藤さんの言葉の矛盾をついてあげあしをとる方が多
いように思われたので書きました。

さくらさんへ 投稿者:キザ  投稿日:11月 2日(金)01時01分34秒
>キザさんは、神経症を克服されたのでしょうか?
そうですよ、20年前に克服しましたよ。
だだその20年間フラッユバックなるものは一度も起こら無いし、神経症の考え方が
斎藤さんと少しだけ違いますが、ほとんどの点で一致しています。
と言うより神経症の治し方がいっぱい有る訳は無く、皆同じ道を通って治って行きます。

>それから神経症について考える時間や、神経症に絶望する時間、治そうと
>考える時間が少し減りました。
まったく良いことですね、極力減らしましょう。

>そんな日を過ごすと、普通に生活するだけが神経症から抜け出す方法なの
>かなと感じました。
治そうと思って普通に生活するのは良くないが、治す事を放棄して普通に生活すれば
自然に神経症からは抜け出れますよ。

薬は生活が立ち行か無い時だけに飲むものです、薬はなるだけ早く止めましょう。


まりぃさんへ
 投稿者:Akihiro  投稿日:11月 1日(木)22時43分38秒
こんにちは、まりぃさん。Akihiroといいます。今は相当のフラッシュバックですね。よく伝わってきます。僕も神経症のときは授業に出ても内容はさっぱりといった感じが続きましたが、今はまったくそのようなことはありません。何故かと言えば忠実に無為療法を実行したからに尽きるのですが、気楽な僕のアドバイスとしては、やはり英会話に固執しない方がいいと思います。どういう事かというと、英会話を辞めてくださいと言うわけではなくて、そのことばかり考えていてはいつまでたっても治らないですよと言うことです。英会話をはじめたのは何か目的があるはずですから、単純にそれに向かっていけばいいと思いますよ。英語さえ身につければ、英会話での自分の態度、恥、表情なんかどうでもいいじゃないですか。
「日本人と〜」と言うのは、おそらく神経症で人との接し方を一時的に忘れているだけであって、いざ脳が正常に働き出せばあっという間に昔のように人と接することが出来るようになりますよ。ですから、神経症のことを何も知らない人の意見はまともに受けないようにするといいと思います。(無論、人と接することは大切です。知人と心を開いて「バカ丸出し」で雑談できるようになったらフラッシュバックもなくなりますよ。ただ、無理にそういう機会を作る必要も無いと思います。)

お久しぶりです。 投稿者:ひとみ  投稿日:10月25日(木)04時37分46秒
10月24日(水)23時52分03秒

みなさま、お久しぶりです。一体最後にここに来たのはいつだったのか・・・
忘れてしまいました。生きるのもつらかった私が、このHPの隅から隅まで
読んで、斎藤さんに何一つ質問せず実践し、約一年になります。とにかく
快調で、今は死ぬのがこわいです。あんなに苦しんできたのだから、ラクに
なってから長生きして人生を楽しまなくちゃ〜という感じです。
みなさん、先ずは実践ですよ。この療法がいいのか悪いのかなんて考えて
いる時間が惜しいですよ。「あ〜だ、こ〜だ」と頭で考えているうちは
ダメです。難しい理屈を言っているうちは自由になれません。
斎藤さん、私、本当に毎日が楽しいです。一日の経つのが早くて、
驚いています。以前私を苦しめた症状は今も消えていませんし、
時々顔を出しますが、「ま、いいか〜、忙しくて相手してられないよ」
という感じですかねぇ。また、思い出した時に訪問させていただきます。

こんにちは。 投稿者:kanae  投稿日:10月24日(水)20時43分30秒
10月24日(水)15時13分21秒

この掲示板に来るのは二度目になります。
最初に来たのは7月頭辺りで、それ以降無為療法を実践しています。
それまでは、生きる事がとにかくつらくて・仕事の人間関係もうまくいっていなくて、日々疲れるだけの毎日でした。
今現在は、英会話を習い、フィットネスにも通い同じ働いているでも全然違います。
それでもあまり疲れません。この療法は、本当に素晴らしいと感じます。
本当にありがたいと思っています・・。
しかし、大分回復したとは言えども、みなさんが言っていらっしゃるように、時にかなりの鬱になります。
現在その状態だったんですが、約二時間くらいで鬱をなるべく無視してたら直ったようです。
たまに来るこの鬱も(大抵本当にちょっとした対人関係)かなり、深いところまで落ち込みますが、
今まで殆ど一日中抜け出せなかった事のときから考えると段違いの進歩と思います。
この先も希望を持って生きていきたいと思います。

さくらさんへ 投稿者:yosi  投稿日:10月23日(火)19時52分10秒
10月23日(火)17時58分41秒

>結局じっと不安をやり過ごすしかなかった。

まあ、最初はそんなもんです。
そのうち不安と思った瞬間、周囲の状況へピッタリとくっついて行動している
自分が居たという感じになっていきます。それまでは「やり過ごす」という感
覚に甘んじるしかないかもしれません。不安とは一種の波動で、必ずや鎮まる
ものという体験が積み重なるに従って、「じっとやり過ごす」自分をを意識し
じっとしている時間が減っていきます。
今は「不安とは結局自分ではどうすることも出来ないものだ」という事を感覚
を通して知ることが必要です。これには薬は邪魔というのが僕の考え方です。
不安をかわす「ワザ」の開発へ腐心することは即、神経症人生への切符を手に
入れたことになるのです。

リボンさんへ。 投稿者:ナンデちゃん 投稿日:10月23日(火)19時51分27秒
10月23日(火)17時52分16秒

こんにちは。
>夢の中までも拘ってしまうのです
私も強迫観念がうるさくて寝付けない事、夢の中で悪夢を見る事
はざらです。でも、横になれば少なくとも体は休まりますよね。
昼寝する時間がないからうんぬんとか考えると余計に頭が疲れま
せんか?私は、疲れるより疲れない方、頭を使うより使わないよ
うにするのが良いという意味で、睡眠をオススメしています。
私もココに来た当初は、斉藤さんの言われていることはもちろん、
何もかもが理解出来ない鬱状態でした。それをおして質問をしま
くったあげく頭がショートし「何もしない(できない)」状態に
なったというのが実状です。だから、そこまでいく必要はないよ、
休もうよ!と言っているのです。
それと。前回は言いませんでしたが、どうにも似たものを感じる
ので、コツらしきものを書きます。
「生活に実害がある場面ひとつだけ」に対して、無為療法(概略
のアクション)を実行してください。私は上手く行きました。
(強迫行為は自衛手段でもあるので、全部を否定したり・止めよ
うとするとかえって具合が悪くなる。というのが私の考えです。)
ちなみに私は、夢の中で回数に拘っても、生活に害は無いと思い
ますし、暇なら強迫行為で時間と労力を使っても可。と思ってお
ります。でわ!

リボンさんへ。 投稿者:ナンデちゃん  投稿日:10月17日(水)18時44分01秒
投稿日:10月17日(水)13時53分20秒

リボンさん、読まれているかわかりませんが、お返事します。
「どうすれば回数に拘らなくてすむか〜突破口を探したい」と
のことですが、強迫神経症は拘る病気なのですから、これは例
えば胃潰瘍と診断された人が「どうすれば潰瘍がなくなるか」
延々考えているみたいなもので、考えても病気は治りません。
強迫観念を弱めるには「睡眠」が即日一番の効果があります。
簡単です。タダです。薬も強迫観念を弱める効果がありますが、
副作用で鬱になったら悪循環なので、ある程度落ち着いてから
検討されたほうが良いと思います。

こんばんわ  投稿者:ゆのか 投稿日:10月 7日(日)04時29分08秒
投稿日:10月 7日(日)03時04分36秒

 斉藤さん、みなさま、ごぶさたしております。
 覚えてらっしゃる方いるかなぁ(^−^;)
 
 私はもうお薬は使っていません。(一応処方されてますが・・)
 眠れなくても全然気になりません。
 じゃあ本でも読んじゃおう。日記でもかこうかな?
 そんな感じです。
 知らない人に会うのは今でも緊張しますが、
 それによって神経症なおってないの?ということは
 全く頭にのぼらなくなりました。
 たまーに不安になることもありますが、
 ちょっとすればすぐ戻るや、と気楽に構えてます。
 前は症状にたいして延々と自己分析を繰り返して
 頭の中がぐるぐるでしたが、切り替えが早くなった気がします。
 ここのHPにはすごく救われました。
 完全になおったとは思っていないので、またお邪魔するかもしれませんね。
 
 斉藤さん管理、大変かと思いますが、頑張ってください。
 応援しています。 

論より証拠かな? 投稿者:あかり  投稿日:10月 6日(土)04時07分24秒
投稿日:10月 5日(金)13時51分58秒

私は抗不安剤を止めるのに時間がかかりました。なんだかんだ自分に理由をつけては薬を飲み一時の不安解消を続けていましたが、あるとき掲示板から助けを受けて「薬を止める!」行動のみに移りました。大袈裟でなく「一念発起」でした。ホントに不安で苦しかったし今も薬飲めば簡単に楽になるだろうなと思うときがありますが、薬を止めた自分にしかわからない感覚があります。斎藤さんが言われるとおり神経症の自分にとって薬は、より神経症生活を長引かせるものだったと今は思えます。うまく説明できないのですが・・。心療内科の「先生」からは薬だけをもらいましたが、斎藤さんからは薬よりも大事なことをたくさん教えていただきました。でも結局、自分にしかわからない元の自分に戻れるのは自分しかいないんです。今は斎藤さんの言われる1つ1つが手に取るように理解できます。神経症を経験し、治った人からしか出てこない言葉だと今は読めばわかります。ここへくるまで根気良く丁寧に対応してくださった斎藤さんやみなさんに素直に感謝しています。

斎藤さんへ 投稿者:Akihiro  投稿日:10月 1日(月)21時00分07秒
10月 1日(月)19時30分19秒

 斎藤さん、こんにちは。今は神経症とは無縁でとても毎日充実しています。恋愛も食事も趣味もとても楽しく行っていて、毎日充実しています。特に趣味の熱帯魚は、六年間のブランクがありましたが、今は昔のようにとても楽しくて、毎日大学が終わってからの熱帯魚屋さんめぐりでとても忙しいです。今思えば、あの苦しい六年間はなんだったのかと思います。本当に斎藤さんに出会えてよかったと思っています。
 今日も2チャンネルを見てきました。何かとてもかわいそうな人たちが居て、何ともやりきれない思いがしました。彼らを救う方法はないのでしょうか。本当に気の毒です。
 斎藤さん、今神経症で苦しんでいる人たちのためにも、是非このホームページを大切にして下さい。斎藤さんには「心配無用」と言われるかもしれませんが、本当に悲惨な人たちが多いですよね。早く無為療法が神経症治療のスタンダードになるといいなと切に望んでいます。心から応援しています。頑張って下さい。

カルト教信者さんへ 投稿者:Akihiro 投稿日: 9月24日(月)03時25分45秒
 カルト、的を得た表現ですね。確かに国民に占める神経症患者の数は少数ですし、その人たちが出会える療法もまた少数です。大まかに言えば薬を飲むか自分で治すしかないわけですから。その数少ない療法と出会ってその療法を特効薬と狂信するのは神経症患者の通例だと思いますが、それが果たして「狂信」なのかどうかは本人にしか判断できないはずですよね。その療法で健康になればその人にとってその療法は宗教でも何でもなく、最善の「治療」な訳ですから。無論、無為療法は神経症を治す最も有効な治療の一つであるし、それを否定する人は妄想世界に生きている人だと思いますが、事の本質は神経症を治す事であって、療法の冒涜では無いと言うことを是非考えてください。神経症、患者のことが理解できていれば、「パクリ」などと言う何とも「ちてき」な表現は出てくるはずが無いのですが

こんにちは 投稿者:ポジ  投稿日: 9月16日(日)07時48分30秒

久しぶりのカキコです。以前、少々見当はずれ(?)なことも言いましたが、なんだかんだ言って無為療法は有効だと思いました。最近鬱や対人恐怖が軽快してると実感します。ありとあらゆる心理学的な知識をもって、自分のことを分析しようとするのを回避するような、もっと身近で雑多な物事に手をつけ目を向け、体を動かし始めることが、段々と無意識で出来るようになってきた、と思えるのです。

今にして思えば、以前の自分は自分に対し、随分強迫的でした。それも気づかぬうちにそうなっていたのであり、これではまともな日常生活も送れなくて当然だったなと、今は思います。

感謝の気持ちをこめて 投稿者:あい  投稿日: 9月 9日(日)00時55分46秒

 五ヶ月前、私は必死でこのホームページを読んでいました。抑鬱神経症を何とかしようと。ここ何週間か、別居している姑が亡くなったりいろいろなことが次々と起こり、掲示板に立ち寄る時間もありませんでした。
以前私がレスしてからもわずかな間にたくさんの書き込みがあり、神経症で悩む人の多さにびっくりしました。と、同時に以前とは違って、一つ一つ丁寧に読み込むのにかなりの努力が必要なのです。理解できないのではなく、理解しようとする行為自体がしんどく感じるのです。鬱状態というのではなくて、神経症について深く考えることが鬱陶しいというような感じです。(でも、気にはなっているので全部読みました)そのことが、私は嬉しい。

 相変わらず、些細なことでの心の揺れや、気がつくと、何かをしながらもつらつらと神経症脳で思考したりしていますが、ここまでこれたのは、無為療法に出会えたことが大きいと思います。全面的に自己肯定できるようになるのにはまだまだ時間がかかると思いますが、ケミカルバランスが悪いなりによくやっていると、思えるようにはなりました。 今日は目がさえて眠れないので、立ち寄りました。斎藤さん、今後ともよろしくお願いします。

斎藤経由の書きこみ 投稿者:メリル  投稿日: 9月 6日(木)19時00分42秒

普通の人ならおそらく気にも留めないような出来事でも脳のバグによる(異常感知装置の誤作動)思考障害を起こし脳が暴走加熱しそれをなんとか鎮めようと心理分析や掲示板に嘆き節を書きこむ.
そうすればつかの間の時間安心するという欲求は満たす事が出来るけどそれが習慣的になり儀式になりそれ無しでは生活が成り立たない無限ループに陥り結果脳の暴走に拍車をかけるる事になるような気がします.脳の冷却するのに無為療法は理にかなっており非常に有効だと最近思います.

療法と捕らえるより脳のクールダウンの手段と見てもかなり面白いです.自分との対話解釈をする事をやめるのは本当に難しい.何も考えないと言う事だから生きてる以上何も考えない状態という事は難しいと思いがちですがその割合をかなり落とす方法が無為療法で体系化され確立できてると思います.雑用 動きによってかなり脳の自然冷却が出来ます.

雑用を神経症を治す手段として行うとそれは早く脳の暴走を意識的に止めようとすると意に反して脳がさらにオーバーヒート気味になり冷却ファンでどんどん風を送ってる状態で今度はファンモーター自体が焼き付いてしまう.神経症脳はオーバーヒートしやすいエンジンみたいなのかもしれません.でも乗り方によってかなり乗りやすく扱いやすくなる車に変身します.

よくいう神経症の外側の世界は動きによってエンジンが自然冷却されて電動ファンで冷却する必要のない状態 脳がクールダウンしている状態かもしれません.時間の経過も大事です.クールダウンするのに心理分析 人生訓 人からのお説教など必要ありません.神経症を治す事をしなければいいだけのことです.そこでどうやったら治す事を止められるんでしょう?と質問しようとする事がおかしいとピンとくる人は自然治癒する可能性「大」です.充分冷却された脳は無意識のうちに判断してくれて妄想による価値観が消失している状態かも知れません。そこに理屈の入り込む余地もありません.人の使い古した教科書が必要ない世界と感じます.

はじめまして 投稿者:はなこ  投稿日: 9月 2日(日)23時06分05秒

重度の抑うつ神経症です。
薬と斉藤療法で何とか社会生活をしていますが、妄想が強く、このままだとかなり危ない状態だと感じています。しかし斉藤療法のおかげで鬱はほとんど消えています。脳は自分の意志とは関係なくまったく良く働いてくれてほんとにごくろうさまです。

無為って・・・ 投稿者:うん  投稿日: 9月 2日(日)14時37分44秒

賛成っす。・・・理屈っぽいと言われてしまいましたが、かなり「外」に出られてきていると思います。外への脱出方法が明らかに、「目的主義」でないことは明らかです。・・・それ以上のことはないんですよね。単に「それではない」というだけで、何の意味もない・・・分からんまま生きていくことにおびえない。何も出来なくても別にいい。・・・目的なんていらないし、最低限のことをやっときゃあ、まぁいっか。みたいな・・?ある意味、脳はパッシブで、体だけ動かしていれば・・・先生の言う、「頭と体を切り離して感じる」ことと同じだと思います。そのとき、頭はパッシブなはずなのに、やけにいろんなことを思いつくことが出来て、会話などでもリードできるくらいになっています。何か訳分からんで怖いけど、神経症には戻りたくないから、そのまま何も考えないで出会いを求めていってます。・・・・これってかなりいいかんじですよね?(・・・まぁ、すべてにおいて訳わからんからいいのか悪いのかも分からない状態なんですが。)

・・・M(モ○タ?)療法についてはあまり知りませんが、斎藤先生のおっしゃってることは多分かなりのパワーをもってることは確かだと思います。方法論的な問題ではないですけど、先生の路線はかなり的を得ていると思うんですよね。ここが神経症者が世界の自由な空へ飛び出すエアポートみたいになったらいいっすね・・・(くっさいな〜(笑))

摂食障害 投稿者:マックス  投稿日: 8月29日(水)21時01分20秒

過食・拒食は強迫行為の一環です。不潔恐怖・確認行為も同じです。これらすべてがひと時の安心を得るための行為です。病的不安が一瞬だけ消え去ります。当然すぐに再び不安は来ますが。だからまた頭の気持ちの悪さを消すためにこれらのオカシな行為を繰り返してしまいます。私もお腹がはちきれそうなのに、満腹なのに食べ物を詰め込む行為がやめられませんでした。マズイものでも何でもいいからとにかくそこにあるお腹に入れられるものを入れていました。ココアを6、7杯いっぺんに飲んだり、チョコを何箱も続けて食べました。手が勝手に食べ物に伸びるのです。空腹感などずっと忘れていました。でも無為療法が教えてくれた事は、頭の狂ったシグナルは神経症脳に生まれてきた以上消せない、と言う事です。だから同じ事しか言えませんが「狂ってる」と気付いた時、あきらめるのです。神経症脳のせいだと。この狂いを良くしようと、なくそうとするから摂食障害や強迫行為が始まります。ただし、それを放っておく事ができると自然消滅します。

nonameさんへ 投稿者:マックス  投稿日: 8月29日(水)00時07分41秒

私は過食症でしたがなぜか治りました。なぜ過食をしてしまうかというとnonameさんもとっくに頭ではわかっていると思いますが、病的な不安が襲ってくるのでそれを何とか無くしたい!と思うことから過食あるいは強迫行為を行いそれによって一時期の安心を得ているのです。

じゃあどうすればいいのか。答えは無為療法を実行できる人にはメチャクチャ簡単。頭の中で異常な感覚が発生したと気付いたら、「私の脳の神経伝達物質がちょっとおかしいんだ。仕方ないこれには勝てない。」と思って、その嫌な感覚を消そうとしない事。自然消滅しますから。それでも再び病的な感覚は何度でも襲ってきます。脳の狂いですから。でも心配しなくてもだんだん減少していきます。

でもあまり「言葉」は信用しない方がいいです。何の役にも立ちません。ここに書き込んでいる人達の言葉よりも、自分自身の感覚を信じましょう。

onameさんへ 投稿者:マイニー  投稿日: 8月27日(月)00時03分05秒

のりさんがおっしゃってるように、神経症を軽くするために雑用や運動をしても意味ないと思います。つまり、「神経症の症状が出てる。苦しい。じゃあ治るために軽くするために斉藤療法をやろう、雑用をしよう」という「神経症の”ために”」というのがいけないと思います。
神経症の不安を取り除く”ために”他人に質問する、神経症を治す”ために”斉藤療法をする、神経症を治す”ために”雑用や運動をする。神経症を解決する”ために”このHPを見る。結局神経症に振り回されてるんですよね。じゃあ何もしないってどんなの?ってな感じになるんですが、これがまた難しいですよね。

例えば、そばで大声で騒いで泣いてる赤ん坊がいて、あまりにもうるさいからお菓子をあげる。そうするとその時は赤ん坊はおとなしく静かにお菓子を食べるけど、また今度はお菓子をやれとまた泣き出す。あげないとお菓子をあげるまで泣く。そしてまたうるさいからお菓子をあげると、永遠に続いていくんですよね。そこで泣いてもわめいてもうるさくても罪悪感にかられても放っておくとやがて、赤ん坊は泣きやむ。あくまで私的考えですがこんな感じじゃないでしょうか?症状がでて苦しいから「さあ、どうしよう」とするのがまずいのではないでしょうか?私がしょっちゅうやることなんですが、臭いと思われてる気がして不安でしょうがない時にたくさんの友達に聞いて「違うよ」と言われたことをたくさん思い出すんです。不安を消すために。そしてまた他人に確認したくなり「臭くない?」と質問したくなる。そういう事を色々と考えてる時点で、もうどつぼにはまってるんですよね。

もし、不安がでて「どうしよう」と神経症の”ために”何かしようとしている自分がいないかよく考えて、「どうしようもないや」と諦めてみてはどうでしょうか?私も去年のあの神経症のピークをどうやって乗り越えたかよく覚えていないんですが、よくねていた気がします。(本当にピーク時には薬の力も借りてました)不眠症にも悩まされ摂食障害にも悩まされましたがなんとかやっていけてます。なんとかやっていけるんですよ。身も心もボロボロでも・・・。仕事だって一日も休みをもらえませんでしたし・・。私は相変わらず怖いモノがたくさんあって変わっていないように思えるんですが、親や友達は「去年よりはだいぶんよくなったよね」とよく言います。

何もしないは斉藤療法さえ、しないことだと思います。

嵐が過ぎ去りました。 投稿者:あい  投稿日: 8月21日(火)01時42分42秒

 コンピューターに例えて言うならば、何かをきっかけにバグが発生し、暴走した挙句、フリーズ(鬱)の状態になり、また、何か他のきっかけで、コンピューターのスイッチを入れなおして、今度は正常に作動し始めた。そんな感じです。

 今は、すっかり健康な状態で、今までのはいったいなんだったんだろう?と、思います。バグが発生した時、あがくのではなく、何も質問することなく、ただ目の前の雑用をする。今の私にとっては、「簡単なことなのに。」と、思いますが、一旦バグが発生してしまうと本当に強い意志がないと困難です。 また、治ったと思っていたら、実は治ってなかった。
この場合、治ったと思っていた期間が長ければ長い程、辛いものになるのでしょう。本当に神経症を治すのは平坦ではありません。

今回の経験で、「ほんまに神経症は、脳のバグなんだな。」というのを実感しました。同じ人間なのに、一週間前の私と今の私とでは全く違うからです。以前、このホームページで、神経症を治そうと思ったら、実際に治った人に聞け。と、いてありました。本当にその通りだと、これまた実感しました。こんなの、健康な脳の持ち主には、到底わかりえない現象だと思います。

出て行ったり、戻ってきたり自分でも勝手なものだと思いますが、自ら神経症を治癒した斎藤さんのいつも丁寧なア
ドバイスにはとても感謝しております。また、斎藤さんの事例のお陰で神経症は治る病気だと、希望をもつことが出
来ます。どうか、今後ともよろしくお願いします。

こんにちは 斎藤様

私なんかはなんだか毎日忙しくパソコンどころかメールを開くのさえ面倒な日が続い ていたのですが、斎藤さんHP本も以前に穴が空く程読みましたので(笑)もう読 まなくても大丈夫です。

一ヶ月前にメールを送らせて頂いた時もかなり軽快したつもりだったのですが、なに か動くことに必死という感じだったのでいま読み返してみるとやっぱり何か違うな〜 と自分でも思います。 気分の良い日ばかりではないけれど、ここでまた元に戻ってしまうんじゃないかな? という不安がありません。明日は明日の風が吹くって感じでしょうか(^^)

二度と戻れないとまで思っていた日常が戻りつつあります。どなたかの書き込みで 「神経症のまま社会に出ている人はすごくって自分は家庭生活で精一杯でまだまだ だ」という部分を読みそれは違うな〜と思いました。私は一人で家にいられないから 仕事にいき買い物に出かけていました。今も不安はあります。ただ変わったのは仕事 が忙しい〜。休みた〜い!と感じる事、家事があるから家にいるという当たり前の生 活に少し戻れたことです。体の症状が主なので心身ともに不安はかなりキツイときも ありますが、土曜日など一人の休日に意味もなく雑踏に紛れる時間は激減しました。 これが忘れていた当たり前の生活です

たくさんの人が掲示板に軽快の知らせを書き込むのを見て勇気をもらいます。斎藤さ んがいつもおっしゃる「喜びはない」という意味は分かっているつもりなのでそこを 敢えていうと、当事者にとってやはり最終的には神経症を治すのが目標だし、確実に 軽快し当たり前の日常が素直に嬉しいです。だからこそ大勢の人が斎藤さんはもちろ ん、コメント頂いた皆さんに感謝しているんじゃないでしょうか(^^)

当たり前の生活って当たり前の中にいるとわからないものなんですね。でもそれも当 たり前なんですね(???)

えーと 投稿者:綾  投稿日: 8月18日(土)05時49分48秒

神経症、完全ではないですが、治りかけ(笑 です。この3ヶ月ずっとこの調子ですので、あともう少しすれば神経症である事自体忘れてるかも・・・実際一日の間、忘れている時間の方が長いです斎藤さんにはこれからもお世話になると思いますが、いままでどうもありがとです気がむいたらココによらせていただきますので・・・
それと、神経症に関する情報集め〜(笑)では〜☆

るるさんへ 投稿者:OCDクランケ  投稿日: 8月17日(金)21時57分40秒

 るるさんは私の症状と近いので親近感がもてます 強迫神経症(いわゆるOCD)で加害恐怖が強い タイプですね。落し物に敏感とのことですから、例えば押しピン とか、ひどくなるとホッチキスの針のようなもの でも落とすと異常に気になりませんか。

 たばこも厳しいでしょう。灰皿に確実に火を消し た状態で捨てないと安心できない。 車もだめでしょう。走る凶器ですから。 この病気は、恐怖を感じたら確認するのが特徴で す。(しかもその確認が半端でない) 確認しないといてもたってもたまらないという感 じになるでしょう。

 車など通り過ぎて不安を感じてその場所に確認に 舞い戻るので、大変です 私など車の運転を避けられないので、OCDのひ どい時は大変でした。 ガス、家の戸締りの確認などもよくやりました。 自分の言葉で相手を傷つけたのではという感覚 も強いですねえ。いまでもしょっちゅうですな。
 
 それとほかと一緒でしょうがストレスが高まると悪化します。私の経験では無為療法はお勧めですよ。ただ完
 治はちょっと難しい。症状の軽快をねらいましょう。ふと思ったのですが、神経症はパソコンのフリーズに似ているような気がします。フリーズはハード不良でもソフト不良でも発生しますが、固まって強制終了するまで動かない なんだか人間の脳のバグも同じようなところが あるような気がしますね

こんばんわ・・ 投稿者:とよぴん  投稿日: 8月14日(火)02時58分08秒

以前、何度か別のペンネームで出していたものですが、これからはとよぴんで投稿したいと思っていますのよろしくお願いします。私は、3年前にこの無為療法に出会ってから実践していましたが、はじめの2年間はまったくだめでした。(理解をしてはいけないところで理解を求めていたり、・・・他にもいろいろあります)それから今年に入ってからは、このHPを読んで、理解したとしても、「あ・・そーなんだ。」程度で忘れてしまうのが一番という感じで受け流しています。雑用もこれは非常に効果があると思います。

部屋の床のほこりを集めてふき取ったり、ごみのあと片付けなどをすることによって、こころが平坦になってくるのです。これも「雑用でもしようかな・・」という風に、後先考えず、とにかくやってみると効果は徐々に出てくると思います。そうしたら、そこから少し自信がつき他の何かをやってみたいという風に雑用の範囲を大きくしていけばいいと思います。たとえば今日は銀行にいってお金をおろしてこなくちゃという風なこととか、家以外の雑用にも幅を広げていったらいいと思います。そうすると斎藤さんがおしゃったような、恋愛も仕事も雑用の一つとしての意味を持つだけで、この今を楽しめ、強迫観念がどうこうだのという、思考はどこか世界のかなたに消えていることでしょう。

意志 投稿者:あい  投稿日: 8月12日(日)16時15分06秒

庭の雑草をぼっちらぼっちら引きながら、気が付くと私の神経症脳はフル回転していました。バグだらけの脳の戯言と思いながらも、確実に考えが変わってきているのを感じます。初めて出した掲示板のメールで、斎藤さんは、「強い意志をもって、無為療法に取り組むことが出来ますか。」と言うようなことを書いてくださいました。

「苦手やな。そんなん、私に出来るやろうか?」と、思いました。(この時点で今に生きていない)でも、私にもあるのです。強い意志が。よりよく生きたいという強い意志が。ところが、この意志は、過去と未来にベクトルが向いていて、現在には向かっていない。斎藤さんは神経症を治そうというよりは、ご自分の体験を活かし、バグだらけの脳を抱えながらも、無為療法という形をとって、ベクトルの向きを今この時点に向けるための方法を説いてくださっているのかなと思いました。

鬱を抱えながらでも、何かすると気持ちがいい。たとえそれが普段の半分にも満たないとしても、確実に現実が変わります。

お久しぶりです。 投稿者:敬  投稿日: 8月12日(日)15時53分24秒

この掲示板を離れてから、だいたい二週間ちょっとが経ちました。自分に対して質問をしないようにして、症状がでても格闘せずただ時間が過ぎるのを待ち、不安と戦いながら日々を過ごしていました。そうしている内に、なぜか依然あった漠然とした疲れや倦怠感のようなものが軽くなり、鬱症状のようなものが軽快しているという感じになっていました。
私は、毎日時間の空くときは、考えない時間を設けて座禅をしています。三十分ぐらい床に座り何も考えずただひたすらじっとするのです。動く事もしています。音楽を聴く。掃除をする。本を読む。パソコンをする。いろいろです。今日はちょっとパソコンをしている最中何となく立ち寄りました。

爪噛女さんへ 投稿者:Akihiro  投稿日: 8月12日(日)01時52分24秒

 こんにちは、はじめまして。Akihiroと言います。メッセージを読んでいると本当に苦しそうだなと思い、とても
気の毒に思います。僕も5年間神経症に取り付かれていましたが、このHPに出会ってから、すなわち無為療法を実行してからは急速に神経症は消滅していきました。神経症は必ず治る「病気」なので、悲観することはありません。大丈夫です。

 僕がメッセージを読んでまず思うのは、爪噛女さんは健康な思考と妄想の区別が出来ていないように感じます。たいてい絶望感を与えるのは脳から出るバグで、現実の問題ではありません。それとまともに勝負してしまうと、結論が出ないどころか最悪のサイクルにはまってしまって、結果鬱に沈んでしまいます。神経症に侵された脳では、考えることによっては何も解決できません。ですから、まず考えることを止め、斎藤さんの言う「雑用」をしてください。

 それと、あなたの書き込んだ「いつでもかかってこい」は非常にまずい心構えです。これは、いわばバグを受け入れるコンディションを整えているようなもので、これでは、それこそ一生神経症のままで人生を終えることになってしまいます。 爪噛女さんは、今は本当に苦しくて、生きる希望や、楽しみも無い状態だと思いますが、その苦しみも病的なものであることを忘れないで下さい。くどいようですが、神経症は必ず治ります。そして、それを可能にする唯一の手段が無為療法です。

鬱の通過 投稿者:雷水解  投稿日: 8月11日(土)00時32分18秒

しばらく来ないつもりでしたが、重要な点に気づいたので中間報告させていただきます。先日、私はひどい鬱に襲われました。実は鬱に襲われることは以前からあったのですが。どういうわけか、鬱の気分に襲われると、未来に何の見通しもない絶望感にとらわれ、生きていても仕方がない、という衝動がわき起こるのです。 巷ではポジティブシンキングなるものが歓迎されているようです。が、鬱のとき、鬱をコントロールすることは、私の経験から言ってほぼ、100%無理だと思います。

 鬱とは悪霊に憑かれたのと同じであります。「今、悪霊に憑かれている」ということを脳が気づくのはまず不可能です。ここで再三言っているように、司令塔が何者かに乗っ取られているのです。 日頃ポジティブでいようと決意しても、いったん鬱に取り憑かれると、そういうことを考えたことすら、忘れてしまうというか、どこかに行ってしまうのです。不思議なことに!まったく視界に入ってこなくなるのです。

 そして生じたマイナス思考を意志の力でプラスに曲げることはまず、できないものです。唯一、体に雑用を覚え込ませることによって、体が雑用をするように動きます。その雑用をしていると、こびりついた頑固な思考の他に、さまざまな情報が脳に入ってきます。そして頑固な思考は時間と共に剥がれ落ちます。 小渕前首相は脳梗塞で、お亡くなりになったのは記憶にも新しいですね。脳梗塞は血管にコレステロールの固まりが詰まる病気なのですが、思考も詰まるものだということに気がつきました。思考とは流れてゆかなくてはならないものなのです。こだわりなくサラサラと流れていくのが健康な思考なのです。一点に固着し、流れなくなった思考は、精神にも生命にも重大な影響を及ぼします。これが鬱の正体です。

 私は雑用、主に歩き回ることによって鬱を3時間くらいで通過しました。鬱に気がついたのは鬱が解けてからです。鬱思考自体は自分の脳の中に否定的条件付けが残っている限り何度でも起こります。問題はその時に、さらなる条件付けを生成しないことです。 私は未だ、日頃の気分の上下動は存在します。平坦で、波風すらたたない境地とは言えません。・・・おっと、危ない、悟りの境地とか、理想的な精神状態、自己実現というものを設定すること自体が神経症的反応でした。そんなものは無いのです。現実の人間は不完全なまま一生を終えます。ただ日々気づいていよ、ただ現在に生きよ、ということです。 この道が厳しいのは百も承知です。また、気が向いたらカキコさせてもらいます。

アンケートの書きこみから

無作為療法に対する感想 = 二月末に初めてこのHPに出会って、まる五ヶ月が過ぎました。画面上だけでなく本を購入し読ませてもらいました。初めは何だか「分かったような分からないような。」ととてもあやふやな感じで、実行もできていなかったようにも思いますが、最近ようやく「こういう事かな」と感じることがありはじめました。というのは、パニックの不快感が起こりそうな嫌な感じというのはあるのですが、自分がその中に入り込まずにスルリスルリと身をかわしている様な、不快な症状に徹底的に悩むというのが無くなったのです。もちろん不快さはあるのですが、それを感じても取り合わないでいられるようになってきて、いつの間にか忘れてしまっています。うっかりすると取り合ってしまって、「しまった。」と思うこともありますが、以前よりも生きやすくなりました。これからもこれを続けていきます。

無作為療法が有効であったらどんな点 = ここで、自分の脳のバグということをはっきり指摘してもらって、いつまでも「自分は正常」と○○的な向上心という言い訳でごまかしていた自分の間違いを正してもらい、しっかり起こることに向き合うようになった。その上で「何もしない」ということが理屈でなくおぼろげにでもパッと分かったときに、不快な症状が起きても大丈夫と思えるようになった。薬を飲まなくても治る言うことを知らされて救われた気がした。
どの人にも、変な慰めでなく、いうべき時にははっきりといろいろなことを掲示板上で指摘する齋藤さんの姿勢に誠実さを感じたし、何よりも自分自身が経験している人のアドバイスというのは、どんなえらい医者が並べる理屈よりも信頼できる。

無作為療法が出来ないとすれば何か= 症状や脳の一方的な「危ない信号」に取り合わないという事を自然にできるようになるのに、しばらく時間がかかりそう。

要望、改善案 = 今のままでも充分です。そして治った人たちの話がとても参考になります。「あまりHPを見ないように。」と齋藤さんがいわれていますが、治った人たちのコーナーはすごく分かりやすくてついつい見てしまいます。そのかわり掲示板の方は書き込みの内容がくどくて、理解できなくて困ります。けれど、その対照的な部分が、「治っていない人はこういうことを考えているんだ。」と、ドツボにはまっていた頃の自分を思い出して、自分の状態のバロメーター替わりにもなります。掲示板の話に共感しちゃう時は自分もドツボにはまってるって。

今後の展開に対するアドバイス = HPを見られない人には知ることのできない方法ですね。齋藤さんの書かれた本が出版されたらいいなとは思いますが、どうなんでしょう。 

想像って何だったのかな 投稿者:ちゃぴい  投稿日: 8月 7日(火)04時02分25秒

こんにちは。無為療法を始めてまだ2週間くらいです。今までは頭の中が嵐みたいになって、色んな考えがぐるぐるし始めると、とことん追求して分析してました。でも、このホームページを読んでから、神経症の脳で考えたってロクな答えは出せないと気づき、考えが回り始めると、おっと又バグか、と客観的に捉えることが出来るようになってきました。バグに付き合ってないで、窓掃除しようっと、と切り替えることが以前は出来なかった。追求して答えを出さなければ、自分が逃げてる卑怯な人間だと思ってました。

今、ヨーロッパの小国に住んでいます。こちらに来て1年ちょっとですが、日本にいた頃のことを振り返ると、何だかいつも「こうあるべき」姿に自分を近づけようと努力していたと思います。皆と同じ、普通が偉い、それから外れたら疎外されてしまう…。勝手な思いこみだったんですが、それに一番プレッシャーを感じていました。でも、人間こうあるべき理想像なんて、結局は地域限定&期間限定の共同妄想に過ぎないのですね。普遍的なものではありません。何故なら、日本で常識と思っていても、他民族には全く通じないことは多いし、宗教が違うと基本的人間観や考え方もずいぶんと異なるからです。

科学は普遍的事実のみを取り上げるので、これは文化や宗教が違っても誰にでも適応できます。私が無為療法を信じる理由は、斎藤さんが脳科学を追求されているからです。「私は皆と違う…?」と悩むプレッシャーから解放されて、科学的に脳の興奮と対峙できるようになったのは私にとって大きな収穫です。

(無題) 投稿者:雷水解  投稿日: 8月 4日(土)23時40分01秒

斉藤さんの提唱しているのは「療法」と書かれているが、実は療法ではないと思う。療法は手順やノウハウに従うものであるが、彼はそれを否定する。つまり、行為、実践のみがあって、結果は副産物として得られるという立場である。

 私は脳科学には詳しくないので、神経回路という用語は使わず、単純に条件づけと呼ぶことにする。脳は強力に条件づけられている。最近のものから、幼児期に形成された深く潜在する条件付けがある。「脳は不幸を繰り返す条件付けを解くことができるだろうか?」それには、まず、脳が条件付けられ、心が癖をつくっていることに気づかねばならない。条件付けに気がついた人は困難だが、解放の可能性がある。彼は暴れまくる牛の首に縄をかけたのだ。自らの条件づけに気が付かない人は今まで通り、ドラッグを飲み、自分をおとしめて暮らして
いくだろう。問題は牛の首に縄をかけたものの、暴れまくる牛に翻弄されたり、強い力に引きずられてしまうことである。

私はこの条件づけを解こうとして悪戦苦闘した歴史がある。そして全て失敗してきた。私は斉藤さんや他の書物から、この条件付けの解除についてある重大な過ちに気づいた。 それは「条件付け」が条件付けを解こうとしているということであった。私=条件付けなのだ。それに気がつかない限り、あらゆる変化を目指した努力は、無駄に終わる。それは条件付けられた同じ線路上の一端から一端への移動にすぎない。そしてこれは変化ではない。変化とは線路からはずれて新しい道へ入ることだ。

 現実に不幸が続いていることが、脳に不幸の条件付けが組み込まれている証拠である。現実に反応せず、妄想に反応することによって不幸は起こる。そして妄想に反応することは妄想の連鎖を生み、恐怖を生み、神経や感覚に負担をかける。 脳は静かにならなければならない。私は扇風機の羽根を手で押さえて回らなくさせて
いた。だが、スイッチは入っているので、モーターは熱をもち、ブーンとうなっているのだ。手を離し、スイッチを入れるべき時は入れ、切るときは切るようにすればよいのだ。

これが私の理解の枠である。体験や理解を言葉でくまなく表すことはできない。他人の経験は何ら役に立たない。自らの体験智によってのみ有効、である。しばらく、この掲示板には来なくなるだろう。実践に徹したいと思う。それは条件付けを変える戦い、脳の古い層との戦い、リバウンドとの戦いである。厳しい挑戦になると思う・・・
 雷水解という名は易でいう「解放」を意味する。皆様に解放の日が訪れんことを。
GOOD LUCK!

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