神経症からの開放
有力投稿   
ガルボさんとポジさんへの疑問 投稿者:ちゃぴぃ  投稿日: 8月 3日(金)21時56分53秒

ローマ教会って、まだダーウィンの進化論を認めてないんですってね。地動説だって、認めるのにうんと時間がかかったし。日本人って古いもの、権威あるものに弱いけれど、科学はどんどん進化してるんだから、いつまでも古い価値観にこだわってるのは無駄ですよ。無為療法は真剣に神経症の外の世界に出ようという勇気ある人が選択します。いつまでも神経症を美化して妄想にエサやりつづける集団とは全く違います。あなたがたは自分の信じるところを信じていらっしゃれば良い。でもそれって、誰のため?何のため?


あんたら○○療法のなんなのさー(笑) 投稿者:yosi  投稿日: 8月 3日(金)16時37分49秒

>ポジさん
>ガルボさん

鬼の首でも取ったつもり???
それでっと・・・
訊くけど、ご自分の神経症は治りましたか?? (素朴な疑問)

>その原型をベースに作られたのが、この無為療法なんです。

これは正しい。
「○○」は本質から逸れ、「実利(戦後復興期の価値観による)的」な洗脳に走り過ぎた。この洗脳によって生産するのは、もちろん「より良き工場労働者」だ。そして戦後が過去になった今は「○○」による奇怪な人道主義路線だ・・・。
話にならない・・・。

「斉藤療法」ならこの先いかなる世の中が来ようとも、価値観が変わろうとも、普遍的に神経症に対応し得る。ボクは本質の継承として斉藤療法を評価している。斉藤さんの「脳科学」云々はあくまで指向性の問題だ。今は残念ながらそこまでのテクノロジーを人間は手にしていない。「悟り」というものが学術的なスタンスで饒舌に語られだした時、本療法は真っ先に光り輝くだろう。

ともさんへ 投稿者:キザ  投稿日: 8月 2日(木)00時50分36秒

内向的性格でも治す必要のあるものと治す必要の無い状態があると思います。自分がひとつの欠点と理解して、日々の生活にたいして影響が無く、これを治そうと努力していない人の内向的性格なら、なんら問題ないと思います。治す必要もないわけです。しかし内向的性格により日々の生活が邪魔され、それが悩みになっている人で、それをなんとか治したいと日々思い努力している人の内向的性格は問題でしょう。

後者はやはり神経症の状態にあると思います。まず前者のようになる必要があります、そしたら神経症の状態では無いと言えましょうその後は生活の意欲の問題でしょう、仕事、生活に意欲があれば、すこしくらい内向的でも、良い仕事が出来生活もより充実して忙しくなります。きっと自分は内向などと言っても周りがゆるさない環境になり、日々活躍するようになります。

神経症でない人は環境によってどんどん成長してゆきます、運動すれば筋肉のつくように力強くなってゆきます。これが神経症の人の場合は、自分を変え治し自分が成長すると言うような、自分えの囚われがあり、その事が大きな目的になり時間を浪費します。だから周りのことや仕事や生活に臨機応変に対応できないのです。うまく行かないのでますます悩むようになり、自分を治そう変えように拍車がかかり神経症を深めます。

神経症を治せばすべて解決がつきます。内向の弊害は自然に勝手に治ってくれます。

雑用 投稿者:yosi  投稿日: 8月 2日(木)00時45分43秒

スズメは飛び回り餌をついばみ、犬に匹敵する集団意識を持って生活しています。人間とて同様です。人間としてプログラミングされた営みを営々と営んでいるに過ぎません。「雑用」と斉藤さんは言いますが、おおよそ人間の成すこと(恋愛も含め)「雑用」なんです。種として与えられた役割を担っているに過ぎない。行動に対して大脳新皮質を総動員して「価値比較」をする必要はないのです。気の向くままに任せていれば全て上手く行くように出来ているのです。(これに逆らって自分を監視し続けることで1日が過ぎるのが神経症の特徴です。)

性格云々という話題が出ていますが、性格は変えられません。これはハードに起因するので、セット交換(笑)しか対処法がありません。生まれ変わるしかない。しかし、治ってみると「性格」と神経症は無関係なのがわかります。性格のまんま「厚顔」で生きていっていいんだ!!ということなんです。内向的でもいっこうにかまわないし、社会生活も可能だという事です。独特の神経症思考で、全ては性格のせいと思っているに過ぎません。

斎藤さん何時も有難うございます 投稿者:あい  投稿日: 8月 1日(水)14時49分04秒

 風邪を拗らせてしまっていたので、御礼が遅くなりました。今回の欝は、二、三日で過ぎ去りました。今までは、頭が体のお荷物になっていたのですが、今回は、体の不調にも係わらず、頭が体を牽引していました。 しかし、ちょっと、頑張りすぎたようです。
神経症を治すための雑用ではなく、雑用のための雑用にいそしみたいと思います。

ひまわさんへ 投稿者:オリオン  投稿日: 8月 1日(水)13時08分10秒

ひまわりさんの投稿に対する返信が遅れ申し訳けありません。私は恐慌性不安神経症(パニック障害)の患者です。

16才の時に発病しました。高校在学中は神経症の症状に悩まされ地獄の日々を送りました。高校卒業後、近くの精神病院で診察、診療(薬物療法とカウンセリング)を受けていましたが一向に症状の改善が見られませんでした。

そんな時に町の書店で○○療法の啓蒙書を読みこの療法で治ると確信し、慈恵医科大学病院で診察を受け○○療法室に入院し○○療法を受けました。(約3か月)

しかし、神経症は治らず失望し自宅へ戻りました。その後自己流で神経症を分析し対処法を研究しました。その結果20才の時に下記結論に至りました。

1.神経症を治そうと思わないこと。(なおらないから。)
2.精神安定剤など服用しないこと。(意味がない。)
3.神経症など相手にせず人生の目標を決めて積極的に行動すること。
  (家にいないで外にでること。)
4.神経症は脳構造の障害であり心は正常であると常に思うこと。
5.不安神経症が起きても、本当に恐怖の対象があるのではなく脳
  (機械装置)の故障により感情がかってに暴走するのであると認識すること。

この考えかたを基準にその後の人生を生きてまいりました。いま45才ですが不安発作(パニック)はまったくなくなりました。しかし、いまでも自律神経失調的な症状はすこし残っています。

身体症状 投稿者:ゆきんこ  投稿日: 7月25日(水)23時43分48秒

お久しぶりです。
このホームページに出会い、そして斉藤療法を実行してからかなり無理なく日常生活が送れるようになりました。パ
ニック発作は起きなくなり、神経症からくる鬱もなくなり少し心の自由を取り戻しつつあります。ここまでくるには、このホームページも神経症の知識あつめを一切やめ、仕事も手をぬき、自分に優しく、できる限りストレス源を減らしました。して、「自分は神経症なのだ」という自らつけたレッテルを外し、なんら普通に生活していたらこうなった、と言う感じです。もちろん、何度も病院へかけこもうとしたこともありますが、いっていません。

しかし、身体症状の1つがなかなか消えません。顔や体中が四六時中ぴくぴくします。気がまぎれているときはあまり感じないのですが、気になったり、いらいらするとき、緊張が強いときに不安になります。この「ぴくつき」も神経症からくるものなのでしょうか?こういった症状もあるのでしょうか?どうもがひっかかってしまいます。また、どうしても飛行機に長時間乗らなければならないことになってしまいました。神経症・パニック発作自覚後は飛行機に乗っていません。もともと、高所恐怖症であり、飛行機恐怖症でもあります。せっかく、心の自由を取り戻してきたのに予期不安が発生してきています。こういった恐怖症での斉藤療法の実行のポイントあれば、アドバイスお願いします。

横レスご容赦。 投稿者:yosi  投稿日: 7月25日(水)20時25分30秒

>敬さん

ようするに「今のあなたの望んでいるような形での神経症の治癒は無い。」という宣言です。これはある意味、今のあなたへ「神経症は不治の病」という引導を渡しているのです。(しかし悲観するのは早計です。ここ強調!)治癒の有無を求めず、ただ(!)「日々の生活」へ勤しむべしということです。これが本当の治癒(バグの消失)への近道という事です。(生還者談)

敬さんへ。 投稿者:ナンデちゃん  投稿日: 7月25日(水)20時14分53秒

はじめまして。無作為療法で強迫神経症が軽快した者です。私が思うに、神経症脳を持って生まれた人間が「神経症的な思考をしない」のは無理です(笑)。そのへんを意図的に抑え付けると「コレは神経症的なのか?」と自問自答する羽目になりますよ。しかし無作為療法は、神経症思考に相づちを打つのを止める事を言っています。相反するようですが、それはつまりこういう事です。

直感を信じて良いのです。ヤバイと思う時は、大抵ヤバイ。「内容に関わらず」思考をストップしましょう。でも「それと
いうのも、あの時アイツが」等と、相づちを打ってしまうのが神経症です。私はそうです。でも別にどこでストップしても良
いのです。目的は強迫観念を断ち切ることでは無く、苦しい時間(神経症思考)を減らす=自由な時間を増やすことです。その先に治癒があります。


近況 投稿者:Akihiro  投稿日: 7月21日(土)21時54分52秒

 こんにちは、ご無沙汰です。唐突ですが、無為療法に出会えたおかげで、最近はとても生活が明るくなりました。
無論、まだ人に対して違和感を覚えることはありますが、気にならなくなりました。それに、強迫観念がどういうも
のだったか思い出せない程そういうものとは縁がなくなりました。完璧ではありませんが普通になってきたのは確か
だと思います。100パーセント普通の生活が送れるように、これからも生活していきます。もし、また沈んだとき
は助け舟を出してください。よろしくお願いします。


読めない 投稿者:ひとみ  投稿日: 7月15日(日)01時04分44秒

久しぶりにやってきました。快調な生活を送っています。このページに毎日来て、印刷してまで一字一句ヒントになることを逃さないようにと必死で皆さんの書き込みを読んでいた頃がウソのようです。今、久々に読んでみようと思っても、やたら難しいことが書いてある・・・という印象だけで、読む気が全くしなくなりました。

皆さん、このページに毎日来なければ落ち着かないようであればまだまだです。本当に良くなると、このページの存在をほとんど思い出さなくなります。私も忘れていました。アドバイス出来ることがあるとすれば、斎藤さんのHPをすみからすみまで読むべし・・・です。
私の性格は変わっていないのですが、スイッチの切り替えがとても自然に出来るようになり、わずらわしい思いに振り回されることがなくなりました。

不幸病 投稿者:バイオ  投稿日: 7月12日(木)03時22分51秒

神経症は病です 不安から逃れたい気持ちになるなどの病気です脳内の神経伝達物質の数値異常(血圧や血糖値など健康維持範囲があります)このサイトは心理に問題ある人を対象にしておりません脳内異常の方のみ任意でセラトニンを補うといままでの問題が消滅する人々ですそして任意に治癒するのでなく自然治癒がこのサイトの趣旨です

斎藤さんが良く雑用と言うのも自然治癒ですしかし雑用しながら今は大丈夫かなとか内気に考えていると治りませんそう考えた時点で気になり始めています治すのはどうでも良いとかくだらないとかにするそうして治らないのであればここでおおっぴらに斎藤さん一同蚊帳の外の人々は言いません

神経症は潔癖症などに似ている潔癖症は良く手を洗うそして安心する身の回りの物を綺麗にするそれだけならよいのですが潔癖症の人に聞いた話に寄りますと余計に気になってくるそうです手を洗ってもまたすぐに洗いたくなる身の回りを綺麗にするともっと他の場所が気になって来るそうです「ばい菌が」を連発しておりましたしかしどんどん範囲が広くなってゆき気になるのがしんどいと言っておりました

神経症ではどうでしょう日常生活に恐怖や不安があります治す本やサイトがありますその本やサイトを見ている時には安心しますしかし少したって不安がぶり返しますしかも大きくなってきています心理分析をして安心しようとしたりしますしかし不安が解消もう気になって生活しなくても良い状態になりません

神経質な人が悪循環にすっぽりとハマッテイマスこのグルグル回っている所に目を向けなければいけませんこの循環の枠から抜け出さなくてはいけませんふと気がついてみると気兼ねなく人と話せる状態にならないといけません恐怖する→治そうとする→もっと恐怖する→もっと治そうとする→もっともっと恐怖する。。。。
この悪循環から抜けるのは無しかありません神経症を無にするそして鈍感に持ってゆく今の皆さんは神経症の諸症状が鋭敏に感じていると思います治そうとすると敏感になってゆくのは当然ですカウンセリングすれば気にならなくなったかな心理療法すれば気にならなくなったかな行動療法をすれば気にならなくなったかなどんどん感覚は鋭敏になってゆきます考えるより体を動かす方がマシです治すために雑用となると同じ事です治すなんてどうでも良い吹っ切れるのです

本当に神経症を治す事は百害のみです こんな情けない気持ちは早く捨て去りましょう

日常の軽快なリズム 投稿者:のんびり野郎  投稿日: 7月10日(火)22時55分34秒

僕の神経症が軽快してから、とりあえず今でも順調なのは、ひとえに、やることが増えたということがあげられます。
バイトなら前より時間を一時間増やし(4時間)そのかたわら、専門技術(エステ関係・ツボマッサージ)の資格を取るために勉強する。疲れたらピアノをひき、お茶をたてる。ネットで興味深いページを覗く。(なんと、今では以前(神経症真っ最中)と違ってネットもONE OF THEMにすぎません。

やりたいことが増えたり、忙しくなると神経症はひどくなるように思われがちですが、別のことを同時進行でやっていくと、以外にストレスが解消されるし、気分転換になるものです。片方で嫌なことがあっても、別のことをしているうちに忘れているからです。これを僕は逃げ道と呼んでいます。そして、決して無理をしないことも大切です。無理をしないように自分を持っていくためには、過大な目標の設定をしないことです。必要最低限の目標だけおおまかにたて後は実行に移すだけ。気が付くと目標以上の事が達成できているのです。こまかく計画をたてると自分自身を追い込む恐れがあります。

今僕が実行していることは、決して難しいことではありません。好きなことをリラックスしながらやっているだけです。
みなさんも、とりあえず頭の中の疑問は後にして何か簡単な事から実行してみてください。動き出せば、停滞していた生活に少しずつ軽快で落ち着いたリズムができてきます。ボサノバの波のように。

すっきりした 投稿者:のんびり野郎  投稿日: 7月10日(火)22時19分47秒

お久しぶりです。のんびり野郎です。おとついと昨日で、今まであった本(ほとんど心理・精神・病気・文学関係)を全部売りました。全く読んでない本も多かったけど、今後決して読むことはないだろうと思われたので、思い切って売ったらほんと気分がすっきりしました。なんと全部で一万8千円の所得。ラッキー!この金額でどれくらいの本を売ったかはご想像におまかせします。

今の僕にとって、難しい知識はつけばつくほど苦痛なのです。文学なんかでは特に心理表現が多いため、さらっと目を通すだけで嫌になることがあります。ユングとか、拒食症とか、鬱の体験記とか、題名見ただけでうんざりしてきます。ほんとに神経症まっただなか状態とは正反対です。

これから僕の本棚に並ぶのは、おそらく仕事関連の実用書と娯楽用の本だけになるでしょう。

薬と神経症の治癒 投稿者:PiPin  投稿日: 6月21日(木)00時41分32秒

 三日月さんの投稿にSSRIで症状が軽くなったとのことですが、私もSSRI(ルボックス)を服用してしますが、飲み始めて3ヶ月になりましたが対人恐怖の症状は大幅に軽減しました。 斉藤さんのホームページにある「神経症が治った状態」が今の私にそのまま当てはまっています。 これは私の想像ですが、神経症が「治った状態」での脳内のセロトニンの状態と同じ状態をSSRIが作り出しているのかもしれません。毎日1回服薬することで今まで15年間苦しんできた症状から解放されました。それにいわゆる「フラッシュバック」といわれる現象は、薬をのんでから一度も経験していません。

 斉藤さんは、薬に依存性があるとおっしゃっていますが、SSRIに依存性はありません。またSSRI(SNRI)は、現在日本では精神科、心療内科などで、うつ病、パニック障害、強迫神経症の治療薬として3種類が認可され、広く使われており、非常に安全な薬です。 昔の私は、精神的な問題を薬で直すのは良くない、という偏見がありましたが、今ではそうした考えはしなくなりました。

 私の場合、斉藤さんのヒールマインドさんからSSRIを購入したのが最初ですが、皆さんも購入されてみてはいかがでしょうか。斉藤療法の趣旨からは少しずれますが、そのほうが斉藤療法をより実践しやすくなると思います。 なお、薬の効果は人により個人差が大きいので、ある薬がだめでも別の薬をためしてみることが大事だと思います。詳しいことをお知りになりたい方は、私にメールしていただければお答えできると思います。

サトさんへ 投稿者:Yukiko  投稿日: 6月20日(水)23時18分05秒
こんばんは。私も経験がありますが、無為療法ができてるとかできていないとか考えだした途端にそこで思考は止ま
ってしまいます。そして何をどうしていたのか考え始める・・。大事なのはそこで動きを止めないことだと思うので
す。少し楽になるとすべてが生まれ変わった気分になって無為療法のお陰だと錯覚する(本当にそうなんですけ
ど・・)だけどそう簡単にはいかないんですよね。しばらくは自分の考えすべてが(プラスもマイナスも)妄想だと
思っていた方がいいかもしれないですね。とにかく素直に動いてみる・・私はそう心掛けています。そのうち斎藤療
法ができているのかいないのかさえ考えなくなっていま・・・せんか?

斎藤さんへ 投稿者:もりりん  投稿日: 6月20日(水)13時11分22秒

こんにちは。
なんとなく安定した日々を過していましたが、しかし、私はやはりまだまだ健康脳を作る過程のようです。数カ月前の自分と比べる時、あー確かに良くなったかも、とは思います。しかし私の神経症は身体症状に出るので、症状が出るとそれにとらわれてしまいます。そうすると悲しくなります、確かに。これが私流フラッシュバックなのかな。

しかし、以前と違うこと。それは、こころが確かに何かを得たことです。深い絶望は伴わない、生きる、生きないについても考えない。いつまでも引きずらない、人にいちいち不調を訴えない。そして希望という確かな気持ち。などだから、症状がでても気分の変動は多少あるが激しく揺れない。斉藤さんがおっしゃっていた、一度覚えた感覚はきっと忘れない
私もまったくその通りだと思います。これはきっと本人にしかわからないでしょ。

とらわれから逃れようとするとそれはまた悪循環になるってもう知ったので、それはもうしません。努力はしません。
しかし、そのためには確かに強い意志も必要だと思います。

私は生物学的なことはよくわからないけれど私自身のことで言えば、経験や体験の積み重ねによって自分で少しずつわかってくることが必ずあると思います。理論じゃないんです。他人のまねでもないんです。苦しいと思うことも多いですが、それも経験だと思っています。なにもしない、その中で自分が経験したことが全てです、きっと。

だから、神経症は体質ではありますが(そうですよね?たしか)人格を変えようとか生き方を変えればいいとかそういうことは以前は思っていたけど、今は思いません。まあ、もう少し大胆に生きれればいいかなあ、とは思うけど今のじぶんはすぐにそんな様になれないって思いますから。体質改善には時間がかかるのです・・・(笑)

サトさん 投稿者:ジン  投稿日: 6月13日(水)19時35分23秒

>どうやって対処しているのですか?

「寝る」「脳の問題だと言い聞かせる」「とにかく無作為!」等の言葉だけでは納得出来ないと思いますので、敢えてテクニック的な話を書きます。
「連想するな」。僕が言い聞かせていた言葉です。人間の思考を数字に喩えると0が無作為の時間。1が妄想の時間。2が連想の時間だと僕は考えています。1の妄想をどう捉えるかには個人差があると思うのですが、僕は妄想自体はごく普通の事、当たり前の事と認識しています。「今日の占いは良かったからきっと良い日になるだろう」これも広義の
意味での妄想なのです(僕はね)。

問題はそこでストップするかどうかです。「占いによれば赤がラッキーカラーだった。確かに赤を身に付けているけれどもこれはワンポイントだから効力が弱いんじゃないか?」などと連想してしまうと妄想に「囚われる」という事態になってしまい、鬱が始まるのです。(しかしその鬱は占いが原因ではなく、きっかけに過ぎなかったという認識も大切)

これはほんの一例ですが、2の連想をシャットダウンする苦しみは理解出来るでしょう?苦しいんです。回答を求めない事はとてつもなく苦しい。孤独な時間です。脳内分泌的には鬱状態だけど鬱を見つめない時間。この時間を通り抜けなければ回復は有り得ません。

しかしこの作業を続けていると今現在とても細い0の無作為神経回路が太くなり、2の連想神経回路が細くなって行くのです。そこに理屈はありません。ただ、そうなったというだけです。何故なら神経症は心理ではないからです。脳の正常化は100%物理的な問題です。

つまり、サトさんの求める回答は「無い」という事です。サトさんはおそらく1を削ろうとしている。しかしそんな事は不可能です。誰でも、どんなに健康な人でも1は持っている。1はイイんです。2が問題なのです。それでも十分苦しいですけど。

余談。
機械的な話を書きましたが、ドラクエとか映画とか今でも感動しますよ。治癒の為の心理はありませんが、日常の心理は後から勝手に付いて来ます。ただ、感動の質は変わりましたね。深く、短くなりました。

斉藤さんへ 投稿者:もりりん  投稿日: 6月12日(火)09時59分44秒

こんにちは。
最近の私の状況ですが、気分の変動の幅が減ったのは相変わらずです。以前のようなひどい絶望感や悲愴感はほとんどなく気分もまあ落ち着いていてフラットな感じでしょうか。斉藤さんの言うフラッシュバックっていう現象がいまいちわからないですが調子が悪くなったり凹んだ時のことでしょうか。

それはあります。でも、その時もひどい絶望感は伴いませんし、なんとかそれをやり過ごすとその後長々と引きずることは少なくなった感じ。それから、気がつけば家族などに自分の不調を訴えることがなくなりました。以前は毎日のように、なんだかんだ言ってましたから。医者にも訴えたいことが特になくなったのです。(薬はまだもらってます)私は、本当にカウンセリングなどやらなくてよかった、って思います。もしやっていたら、毎回不調を訴えていただろうし、頭が大混乱したでしょう。私には必要のないことだって、このHPで知ってよかったです。

でも、そう簡単には神経症から脱出はできないみたいだからこれからも浮いたり沈んだりするんだろうけど恥ずかしい言い方ですが、根底に希望が常にあります。このような確かな気持ちを持てるようになったのは良いことです。斉藤療法の中身を確実に理解している訳ではないのですが(すいませーん)とりあえずあやふやな理解でも自分には向いているのでしょう。
サトさんへ。 投稿者:ナンデちゃん  投稿日: 6月11日(月)19時08分09秒

>私と、治っているみなさんとの違いが知りたいと思いました。私は「すばらしい健康世界」と思わなくなっています。いつの間にか強迫観念も薄れている。
以前は掃除するかどうかを悩むほど、絶対床に触れたくなかったのです。それで、かなり苦しいポーズで掃除してたのですが、こないだ知らないうちに床に手を付いていて。一瞬うげ!と思ったけど、後で洗えばいいやって思ったの。キッチリ洗いましたけど(笑)。それだって以前じゃ考えられなかったんですよ。どうして「治ったまま」順調なのか考えると、不調の時でも治し方を模索しないから、と思います。 でわ!
ひめさんへ 投稿者:メリル  投稿日: 6月11日(月)12時22分07秒

こんにちは ひめさん
まだ不安定な心理状況とのことなんですが 私も脳のバグによるフラッシュバックで嫌な過去の記憶とか不規則に鮮明に思い出される事が日に数回ある時もあります。

でもね今はフラッシュバックが日に何回も起きたから不安定な自分が許せないって自分を責めたりしないんです。毎日毎日不安定な自分を確認していたらまたフラッシュバックを誘発してしまうんですよね。フラッシュバックを気にしないで生きましょうといってるんじゃないんです。無為療法のおかげで神経症脳にフラッシュバックは避けてはとうれない
道なんだと私は掲示板と自分の体験によってなんとか受けいる事ができました。

それと時間の経過によってフラッシュバックは現れては消えていくものなんです。でも今度現れたらどうしようと心の準備 計画を練りだすと次に現れるフラッシュバックはより一層強大な強迫観念となってしまうんです。自分で増幅しちゃうんですよね。

人に助言を求める事も人生にとって大事な事と思います。でも神経症を経験した事の無い人のアドバイスは時にはひめさんを苦しめることになるかも・・・・と少し心配します。かといって神経症のHPにドップリ浸ればいいか?と言えばそうでもないんです。

話しは変わりますが斎藤さんのおっしゃれる「雑用」なんですが私は神経症を治す事を目的にせずとも健康な人にも大事だと思うんです。「雑用」の積み重ねのおかげで生活も快適に過ごすこともできるし仕事も生活の糧としての重要な雑用なんです。

雑用を過剰な目的意識を排除した時に本当の「雑用」として活きてくるんです。人間として生まれてきた以上「死」は必ず訪れるのでその短い時間に神経症を治す事のみに費やすかどうか・・・その限られた時間を自分らしく生きるか・・・
斎藤へのEメイルから
以前に斎藤さんに一回メールを送って、本も購入させてもらった者です。
無為療法に出会って1年以上経ちました。なかなかうまくいかなかったんですが、最近になって少しずつよくなっている感じがします。先月かの主張での神経症者の脳は異常が生じているから、考えてることがすべて間違っているというのが、かなりきっかけになってます。それ以来、理解よりも実行・行動ということがすんなりできるようになってきました。ムードスウィングは、ほとんどなくなりました。
前は一日一日が決戦のようで、天国に上がる思いや地獄に突き落とされたような感じの繰り返しだったんですが、今は淡々と一日が過ぎていき、心が平らになったことがわかります。フラッシュバックは起こりますが、以前ほどの、どん底になるといった強さではないです。あと、雑用など、何気ないことに手をつけるというのはかなり有効だと実感しています。
何かを考えないと、ひっかかるものがあって、さまよう感じになって不安になりますが、ここで助けを求めたらいけないんですよね。このまま無為療法を続けていきます。

こんばんは 投稿者:マイニー  投稿日: 6月 7日(木)02時15分01秒
こんばんは 斉藤さん皆様

今日は苦しくてここの掲示板に来たのではなく本当に暇つぶしできてしまいました。(皆さん怒らないでくださいね)本当に最近神経症に対して努力するのが勿体ない気がしてなりません。ここまで来るのには本当にここの皆様と斉藤さんのおかげだと思っています。

まりぃさんへ
私も自己臭妄想でほとんど分裂症だと言っても過言ではないくらい、幻聴幻覚の嵐ですよ。今では神経症に対して努力するのが面倒くさい私ですが、それでもまだお店にくるお客さんが私のことを臭いって話しているように聞こえますよ。
まりぃさんの気持ちは死ぬほどわかります。どうにか救いを求めてここの掲示板へ来てしまう気持ちも被害妄想が激しくて毎日苦しくて仕方ない気持ちも本当によくわかります。ですが、はっきり言って皆様は親切に色々ここではアドバイスをしてくださいますがそれは全く意味のないことです。そしてここにはまりぃさんが求める解決法はありません。

私も去年はここへ来てどうにかして、治す方法をアドバイスしてもらいたいと必死でした。そして「こういう時はこうすればいいんだとかこう考えればいいんだ」とかたくさんの人の意見にふりまわされただけでした。本当にまりぃさんが神経症を治したければここへ来る事自体をやめなければならないと思います。(中にはそうしなくても治った方もいらっしゃいますが、激しい被害妄想を起こすようなタイプの方はやめたほうがいいと思います)むしろ、神経症という文字そして関連物から自分を遠ざけてしまうことが重要だと思います。

何もしないは本当に難しい事です。斉藤さんに危険な橋を何度も渡らなければならないと言われた言葉をもう何十回
かみしめたことか・・・。通り過ぎた苦しみは考えず、これからの不安も考えず今だけなんとかのりきれればいいじゃないですか。私は理解のない親に幾度と罵声を浴びせられ自分がただただ追いつめられた気分で仕方ありませんでしたが、今ではどんなに色々言われても「ま、神経症のせいだししょうがいないじゃん〜でも私は自分ができる範囲しかできないし」と開き直ってます。

人がひそひそ話しているように聞こえたときも「また神経症の症状だ。脳がおかしいんだ」と全て責任転嫁をしています(笑)かなり適当なやりかたで斉藤さんに怒られそうですが・・・。治そうと努力をしていては治りません。最近この意味がやっとわかりました。「あ、また被害妄想がでた。でもしょうがいないじゃん。神経症だし」とあきらめてみられてはどうですか?私もまだまだ先は長いですが、神経症なんてどうでもいいものにしたいです
みなさんへ 投稿者:バイオ  投稿日: 6月 6日(水)08時28分09秒

何もしない気にしないは 余計気にしている状態です。理屈では理解できません何も考えていないは状態であります
その冷静な状態を感じてください言葉で考えないでください。

治すのを止めるとか治すのなんて馬鹿馬鹿しいとか。は治すのを本当に止めて放棄するのでは無く、そう考えた後神経症を考えない状態に持っていくだけです。考えたり気にしまくったりしている時の対抗措置(セラトニン減少を止める)
それと自分の中での考えながら動かなくても良い動作(雑用)も超内向脳への外向方向へ向ける手段として有効でしょう。歩いたり立ったりするのに言葉を使って考えない(右足だしたら左足とは言わない事)。あたり前ですが無心で出来ます そうやってセラトニン枯渇状態を乗り越えています。

異常なまでの外部の微小刺激(対人や不安)にたいする過敏反応はセラトニンの減少によるものです そのような不安の渦の時、薬を飲む(セラトニンを任意で補う)と効いている間だけ異常な緊張や不安が和らぐのです。脳のケミカルバランスの異常であって貴方の本当の意思ではないことに気がついてください。そうでなければくよくよ考えすぎているただの馬鹿な人となります。これを心理学者やM氏氏か勘違いしたのでしょう本当に考え違いなら薬効かないはずです

セラトニンが枯渇しているのに考えているのでは自然に元に戻るものも自分で阻害しているのと同じ行為です 無作為すれば晴れの部分が顔を出し始めます。そうやってどんどん晴れの部分が広がってゆき一ヶ月に一回のフラッシュバック三ヶ月に一回のフラッシュバックとなって行きます。みなさんはブレインロックをはずそうと翻弄しているので晴れを忘れている状態にまで来ているのでしょう。

みなさまもいち早くこの病を治して自由に考える事が出来ますように。それでわ


真の療法とはなにか? 投稿者:信長
 投稿日: 5月31日(木)09時41分12秒

私はあまり○○療法の事細かな内容は知らない。でも神経症は軽快の方向にむかっています。なぜか?それは無為療法と称する本当は自分自身の強い意志で体得することのヒントを少し与えてもらったからだと思う。今さら○○療法をしようと考えないし、フラッシュバック以外は○○療法のことや無為療法のことなんて一切頭にない。○○療法というものをあまり知らなくてよかった。ひどかった時は、ほんとうに○○療法を受けようかと真剣に考えたけれど、そのまえに斎藤さんにヒントを与えてもらったので、無駄な時間を過ごさずにすんだ。あとの注意点は無為療法が強迫観念にならぬことと、これからは無為療法じたいも自分のなかから少しずつなくしていくことだと思う。神経症の究極の目標は無為療法でヒントを得たことも忘れてしまうことだと私は思っています。

斉藤さんへ 投稿者:もりりん  投稿日: 5月30日(水)11時24分50秒
こんにちは、もりりんです。
このサイトと出会ってもうすぐ1ヶ月くらいかな。最初は、この何もしない療法に逆に動揺してしまい、気分の浮き沈みが激しい日が何日か続きました。泣いたり、鬱状態だったり、発作的なものがあったり・・それは、斉藤さんのおっしゃる禁断症状たるものです。それでも、苦しくても斉藤さんのこのやり方を信じ、あとは時の流れに身をまかせようと思っていました。ここで諦めないで進んでよかった。

この頃は、気分の変動も少なくなり、泣いたりすることも少なくなった感じです。それでもまだ薬は飲んでいるし、症状もあるけど気分的には以前よりずっと楽です。とりあえずよくわからないけど、なにか一つ越えた感じです。それから、治療法を求めてふらふらとさまよっているという不安定な状態は早く脱するべきだと痛感しました。私は斉藤療法をただ続けていこうと思えたことで心に少し余裕が生まれました。限りある生の時間、大切な自分のエネルギーを内にばかり向けていてはもったいないと思いました。

気分がある程度落ち着いてくると、動きも以前より自然とできるようになる気がします。とりあえずは、こういった感じです。

ある程度、時間が経つのに任せる覚悟が必要かも知れません。 投稿者:yosi  投稿日: 5月29日(火)19時15分38秒

えみmamさんへ
今の状態では、いきなり斉藤さんの本というのも難しいかも知れません。究極のところ自分に経験がなければ、治癒まで導くことは医者でもカウンセラーでも出来ないのが神経症です。そういった意味でこのページの考え方は神経症を治癒に導く唯一の方法だと思います。これは神経症経験者の僕が請け負います。が、まだこういった事を受け入れ、冷静に考えられる時期ではないと思うのです。どうか気短になり、ご自身やお子様を責めたり追いつめたりなさらないで下さい。育て方が悪かったのかとか、子育てに対してご自分を責めることもおありかとも思いますが(僕の母親がそうだった)今となっては過ぎ去ったことです。一部のカウンセラーや「トラウマ主義者」は、幼児体験とか成長過程にばかりとらわれ問題の全てが患者の成長過程にあると言いがちですが、僕の経験からするとあまり関係がないように思います。親を恨むような意識もなかったし。。。

しかし、僕も親になり考えるに(二人の子供は既に成人しました。)これは育てられ方に依る物とは断定出来ないのですが、僕自身「不安の処理能力」が弱かった気はしています。しかし親御さんにしても、ご本人にしても、重要なのは過去
ではなく現在です。

時々このHPは見に来ています 投稿者:石原  投稿日: 5月29日(火)00時58分37秒

 神経症が本当に治ったかどうかは他人が判断します。従って、私は最近自分が「書痙」も含めて治ったと誰にも言わなくなりました。

 定年退職してから2年ぶりに私が勤めていた会社の友人と先日久しぶりに会いました。定年約2年前にひどい「うつ状態」に陥り、地元の大学病院で約6カ月間入院生活を送り、定年1前に職場復帰。定年までの1年間は36年間働いた自分の仕事の整理程度の仕事しか与えられませんでした。今の政情からいってリストラにあっても当然だったかも知れません。当日は同じ会社の現役時代の友人3人も参加したのですが、私の回復ぶりにびっくりしていました。人はその人が本当に病気から治ったかどうか判断するには、話しぶり、目の動き、話題、全てから判断するようです。「石原さん、全く人間が変わったみたい」が皆の言葉でした。

 丁度2年前の5月30日、会社の社長から「長年ご苦労様でした」と言って退職金もいただきました。それで、住宅ローンも全額返済し、私の妻が教員(来年3月定年)をしていることもあって、ある程度の生活が出来ています。

 そして、今は居住地の老人会の世話人などをして、人から敬愛の目で慕われています。本当に幸せな人生です。私の居住地(また、詳しく書くと斉藤さんに削除依頼しなければならなくなりますので、この程度に控えますが)には現役時代社会の第一線で活躍されていた人々が多く住んでいます。本当にすばらしい人の集まりです。老人会(60才代では早すぎると人は言いますが)には約60名の方々が参加し、男女半々です。昨日地元の名所巡りをしてきました。

 私が最近買ったデジカメ、編集して皆に配るとみんな「写真屋さんの写真と同じ」と言って特に女性から喜ばれています。今度の名所巡りで撮った写真をどのように編集しようかなと思うと楽しくなるし、私が長年培ってきたパソコン技術を「教えて、教えて」とねだられたりしています。「よぉーし、近いうちにパソコン教室でも開こうかな」ますます人生が楽しくなります。

 上の記述を読むと、私が本当に「うつ状態」や「書痙」から回復したか判断できると思います。私は皆さんに判断を仰いでいるのではありません。斉藤さんが時々言われる「想像も出来ない世界とはこういうものだ」の一例を述べているだけです。
こんばんは 投稿者:マイニー  投稿日: 5月26日(土)23時48分56秒

こんばんは、お久しぶりです。マイニーです。私はあまりこういうHPを見ない方がいいと思うので、最近ではここにお邪魔する回数がめっきり減りましたが、斉藤療法はちゃんとやっています(やってるつもりです)相も変わらず、自己臭妄想ですね〜。これから夏どうやって乗り切っていこうかと不安いっぱいです。今日も激しい被害妄想を受けかなりショックでした。

脳の異常というのは本当に恐いですね〜。人が「臭い」って言ってるように見えるし、ちゃんと聞こえるんですから・・・・。だからいくら人に「臭わない」と励ましのお言葉をもらってもこういう妄想とは思えない激しい妄想でいつも苦しんでいます。ですが、最近何か前ほど疲れなくなってきました。別段治ってきているとも思わないんですが昔は、お客さんのそばを通る度に私のこと臭いって言ってないかどうか確認してじっと見つめ、それを向こうも不振に思い私の方をチラチラみて目が合うと「やっぱり私は臭いんだ」ともう何でもかんでもそう思いこんでいましたが、最近では「どうでもいいや〜」と思いお客さんの確認をするのもやめ、「どう思われてもいいや」と一生懸命妄想をうち払おうともしなくなりました。そしたら不思議なことにお客さんが自分の事を話しているようには前ほど見えなくなりました。自分でも「あれ?」って思っています。前は「これは自分の妄想なんだから。友達はちゃんと臭くないって言ってくれたし考えちゃいけない」と永遠にひたすら考えてました。

たしかに、今日みたいな激しいショックを受けることもまだあります。その時はやっぱり落ち込んでしまうんですが、自分の脳がおかしい!脳のせいだ!と勝手に脳のせいにしてしまいました。(笑)はっきり言って最近では、斉藤さんに申し訳ないくらい適当です(笑)前は、斉藤療法のこれをきちんとやらなければ治らないとひたすらに斉藤療法をやることを守ってました。今は斉藤療法ってどんなのがあったっけ?とかここの皆さんに殺されそうないい加減な態度です。でもそれでいいのかなと思ってます。気がついたらなんかあまり疲れなくなってるなと思いました。でもそれが治ってきたんだ!という喜びもあまりありせんというか自覚がないです。(といいつつ今日は激しいショックを受けまた落ち込みモードに入っていますが・・)

まだまだ、治るには時間かかると思いますがあまり神経症のために時間を費やして苦しみたくないのが本音です。皆さんにもそして私にも、いつか神経症?ああそういう時もあったっけ?というくらいどうでもいいようなものになる日が来ればいいなと思っています。

メリルさんへ 投稿者:のんびり野郎  投稿日: 5月20日(日)22時54分25秒

これ、僕に言ってるのかな。この掲示板に書くと嫌でも自分で治ると言い聞かせているように見えるかも。ここに書くこと自体が神経症を意識している証拠だから。本当に軽快しているときは、ここを忘れている。覗こうとも思わない。たまに懐かしくなって覗いてみて、いざ神経症のことを話し出すとこの間まで全く忘れていた神経症が再び自分の中でクローズアップしていくみたいだ。自分で自分を病気にしてしまっているような。

人生論、心構えは神経症の後の話であり、脳のバグに対抗しているわけではない。神経症とひっかけないでほしいし、実際話す必要もなかったかもしれない。しかし、こういう道もあるよと指し示すと少しは読む側も気分が軽くなるのではないかと思ったし、何よりもうまくいっていることを斉藤さんに伝えたかった。

メリルさんは言い聞かせで対抗することはないと言われているけれど、フラッシュバックのときは(脳内分泌がおかしい)という言葉は役に立ちます。言葉にすることで、またいつものやつが来たなくらいの余裕は生まれます。言い聞かせでもしないと、強迫観念に負けてしまいそうになる時もあるので。そしてすぐ寝る。

最近、症状があったとしてもあまり負の部分を見なくなってきている。また、マイナスにいきそうになっても、ふと自分の意志で考え方を良い方に変えられるようにもなっている。負のエネルギーが弱くなっているからだと思う。

(無題) 投稿者:メリル  投稿日: 5月20日(日)21時54分04秒

治った人の書き込みはどこか垢抜けてるし表現が単純明快でキラッと目を引く感じで・・・色々人へのアドバイスと称しての書き込みですが自分自身にも言い聞かせてる事はありませんか?治ると自分に言い聞かせると言うこともなくなります。言葉で自分を武装する必要もなくなります。心構えの必要も治った人なら体験されていると思うのですがフラッシュバックの最中は無為療法でさえ強迫観念の前では無力です。無為療法によってブレインロックを外すことが運良くできますと時間制限で自動的に健康回路に直結してくれる事を体験を何度もしているので脳のバグに対して人生論 心構え 言い聞かせなどで対抗する事もなくなります。しても無駄だと心底思えるからです。無駄だと思いつつも時間の経過を待つことができず方法論を模索しだすとロックが外れないことも体験しているので私自身もそういう時は禁断症状に耐えつつも体を使っての行動で時間の経過をただ待ちます。行動すれば尚、ロックが外れやすい事も体験してるし、フラッシュバックで行動を制限されるのも無駄な時間だと思えるからです。でもフラッシュバックから開放されるためではありません。行動とは雑用です。時間制限付きという安心感みたいなものがあるので焦りもさほどないです。

無為療法は大変神経症に対して有効です。脳の自己治癒能力を目覚めさせてくれます。知識や理解という自己意識で何とかなるものでもないし・・・かといって努力した覚えも私はなかったんですが・・・

無為療法はマニュアルどうりするのが一番だとおもいます。ロックを焦って外そうと無為療法の抜け道を各個人の方法論で探すとロック解除は難しくなります。私も方法論を模索してた時がありましたので(汗)そうですね 

投稿者:バイオ  投稿日: 5月20日(日)20時37分46秒

神経症は脳の問題ですね猛烈に安心を外に追い求めるのも神経症特有です気がつきそして治れば自己安心できます完璧の安心なんて生きている限りありませんし安心を追いかけるのもよくないですそれよりも自分の好きなことをして楽しむのが良いですね妄想に追いかけられそして追いかけるそれでは時間がもったいないですしジョギングしていて他のジョギングしている人々と楽しく話すすばらしいことですこれが広がりますよ自由な時間を自由に使えています
みなさまの心の自由ですね

斉藤さんへ 投稿者:もりりん  投稿日: 5月20日(日)18時41分34秒

禁断症状、というお答え、まさにその通りだと思いました。断固止める必要があるという言葉、慰めよりずっと嬉しかったです。ネットには実にたくさんのメンタル系サイトがありますが共感や癒しを求めているだけではダメだと最近気付いていました。最終的には自分一人で闘うものなのですね。

つっかえ棒がなくなったがために不安と向き合わなければならない。そこから斉藤療法が始まるのだと痛感しました。
薬を止める時も同じような症状がでると思います。(反作用ですっけ?)けれど、それを悪化と考えるよりも
治療のステップと言い聞かせていきたいです。

コアラさんへ 投稿者:のんびり野郎  投稿日: 5月18日(金)22時52分54秒

最初にこう言ってしまうとがっかりするかもしれませんが、神経症が完全に治るということはありません。
なぜなら、神経症は「脳内分泌のアンバランスから生じる病気」であり、その脳自体は変わらないからです。しかし、症状を沈静化させて日常生活にほぼ差し障りがない状態にまでは持っていけます。

8,9割がた良くなればほぼ満足でしょう。私の症状や経過は私自身の体験ですが、もし参考になるなら、ホームページに戻って、12年9月7日から9月30日の掲示板の投稿を覗いてみてください。そこにDさんの手記というのがあり、それが私の体験と経過です。掲示板からの参考意見にもあります。私の症状は対人恐怖、強迫観念、強迫行為(掃除、確認癖)、軽いパニック発作、離人症的な非現実感、などでした。今ではそれらの症状の9割は消滅しています。

気が付いたら他人と話しているし、緊張したとしても次の瞬間忘れているし、人見知りな性格自体は変わっていないけど、そんな自分を否定もしなければ、これが自分だと限定もしていません。(対人恐怖からの解放)過去の出来事を頭の中で反芻することもなくなりました。(強迫観念からの解放)したがって今、目の前で起こっている事を新鮮に感じとることも出来ます。(離人症的な非現実感からの解放)

強迫行為も以前のように一日中掃除して、引き出しの開け閉めに何時間も費やして、カレンダーの日にちを何回も数えて、、、、という症状はなくなりました。(強迫行為からの解放)今では、せいぜいきれい好き(汚くなったら掃除する)、几帳面(2,3回の確認)程度です。

微妙なところ 投稿者:のんびり野郎  投稿日: 5月18日(金)13時56分22秒

斉藤さんがおっしゃるように、目的達成、向上心、根性、社会への貢献、職場での全力投球、家族への貢献、
恋愛成就、友情、これらは神経症とは別問題なんですね。後の話です。00をしたから、治るとか、強い自分を作れば自信がつくとか、これらはまだ治すことに必死になり完全治癒を期待している人の態度です。

本当に良くなれば、それらのことが無理なく自然にやれるようになります。神経症者は、怠けるな、とか今の状況から逃げるな、とかよく言います。そして何か人並み以上に立派なことをしたり、大きな目標を達成すれば治ると勘違いし一生懸命頑張る。神経症を治すために何か一生懸命やる(神経症内)、何か一生懸命やってい
たら神経症のことなど忘れていた(神経症外)というのは似ているようで全く違うんです。

神経症者の場合、治そうと必死になるあまり一つのことに盲進しやすいです。良くなれば、どれもこれもONE OF THEM で無理なく実行していけるのに。生き方の指導などは健康な人でもよくしますが、お金の無駄使いするな、とか、もうそろそろ結婚して身を固めろとか、、神経症者はその生き方の指導、生き方の方向性を治療とひっかけやすい。そうすれば治るんじゃないかと期待する。

軽快するとそれらの話がすべて神経症の外側の話であることに気がつきます。

斉藤療法の感想 投稿者:ゆきんこ  投稿日: 5月17日(木)22時51分25秒

以前の斉藤さんのメールで、無理をしていること、向上心を強迫観念とは気づいていないのです、といいはなってくれたことで、目が覚める思いでした。しかし、すぐには神経症世界からぬけられなかった。「ブレインロックが解けるとき、それは瞬間」というのは、本当です。そして、「強迫観念の嵐のまっただ中に解けやすい」というのも本当だ。というのも、その目が覚める思いをしたあと、ひどいフラッシュバックに襲われ、苦しみの頂点の時(もう気がおかしくなるんじゃないかと思うくらいの、不安でした)「これは、神経症世界のできごとで自分が変になってしまうことはない!」と思った瞬間、ロックがとけました。

ロックを解くキッカケは、今不安に感じてること、症状、あせり、無理強いなどは、全て妄想世界のことだと、自分がハッキリと認めることだと思います。そして、自分に無理をさせないことだと思います。それから、神経症世界からはなれるために、この掲示板も頻繁に見ないことです。なぜなら、ここの掲示板に書かれているみんなの苦しみは自分の苦しみでもあり共感が喜びに変わってしまい、ますます神経症の世界が好きになってしまうと言う、矛盾が起きてしまうと思います。それは、自分もそうなりそうだったから。辛い仕事は辞めていませんが、ほんと無理をしないで働くのは気持ちがらくです。人のこと気遣いすぎて周りにふりまわされていた自分としては、余計なエネルギーをつかわずにすみますし、たとえ人の半分以下の力量だろうと、神経症を治すためには仕方ないことですね。

自分の考えすべてが強迫観念だと認めるのは勇気がいる。しかし、そう思わないことには、心が自由になれないでしょうね。あるがままは健康世界ではあり得ない話です。だって、健康世界に症状は「無い」のです。そして、健康世界では、計らってこそ自分を休めてあげられる方法なんですよね。えらそうですが、斉藤療法の感想です。

カタカナのヨシさんへ 投稿者:のんびり野郎  投稿日: 5月15日(火)15時23分44秒

また、カタカナのヨシさんの言葉

のんびり野郎さん的な「神経症のご機嫌取り」的な傾向へ、、、、、機嫌をとるとはとりもなおさず「治そうとする」事の延長に他ならない。

僕がやっていることは神経症のご機嫌取りでも治そうとすることに時間を費やしていることでもありません。神経症を無視して相手にしないことです。この掲示板に書くと神経症を強調して見えるかもしれませんが、今は
症状とはほとんど無縁の毎日です。

大きな目で漠然と神経症治癒を眺めることと、治癒を意識しすぎてそのために時間を費やすのとは全く違います。今僕が実行していることは神経症的妄想や思考の波に巻き込まれないように、原因(脳の不調)を見極め、症状をかわし、それとは別の有意義な活動(動き)をすることです。治そうとすることを意識しすぎず、日々の生活を(簡単な事から)実践することです。それが後の健全な活動、複雑な仕事へ応用できるようになります。
ちょっとM氏的な思想と混同される方もいると思いまが、M氏の誤算は生活を徹底させることに力点を置きすぎ、そうすれば神経症は完治すると神経症者に期待させすぎてしまった点です。ですから強迫思考の強い人はそれ自体が強迫観念になる恐れがあるし無理が重なり苦しくなるのかもしれません。

カタカナのヨシさんと僕とでは症状も立場も全然違いますが、ヨシさんがおっしゃることはよく理解できます。ヨシさんの場合は神経症を治すことに気をとられてばかりいないで、日々の生活をなんとか実行できている人
の例だと思うし、苦しくても活動しなければならない状況でもあったのでしょう。それでも結果的にうまくいく人ならそれで良いと思います。
一つの仕事を継続しなければ生活できない? 投稿者:のんびり野郎  投稿日: 5月15日(火)14時20分16秒

ちょっと気になったことを一つ書きますが、

キザさんの言葉
神経症の人には社会通常の常識を否定する生き方を進めるカタカナのヨシさんが言われるように誰もそんなことは進めていません。

多分、僕の生き方に対して思い浮かんだ言葉なのでしょうが、もしそうだとしたら、一つの会社に従属して仕事を継続すること=まとも。そうでない人は楽な方ばかり追い求めている、となり、物のみかたが少し狭いなと思いました。それ以前に日本の一般社会では継続すること、一つの場所に定着するこ一つの仕事をやり続けることが一つの美徳とされているので、そのレールにのっかれる人、その生き方が自分に合う人はそれでいいと思います。

キザさんの文章を読んでいると、まるで僕の生き方(バイトしながら、ピアノの先生をし、茶道の先生になるのを目指すこと。そのため収入源をわけて生活すること。)が、楽な方ばかり進んでいるという見方もされているような気がします。それに定職につくとか、公務員などのように安定した収入源がなくてもそれなりに生活はしていけます。

はっきり言えば、芸道に生きることは一つの勇気と決断力が必要になります。全く努力なしで出来るものではありません。人並み以上のスキルを磨くにはハードな練習を積み重ねることもあります。茶人になるためには最低10年の修行が必要だし、総合芸術なのでお茶の稽古だけでなく、部屋に飾るお花、書き物、塗り、陶芸、建築、庭、etc...色んなことを研究していかねばなりません。根本思想は侘び、さびですから、家柄は良くても、金はないという没落貴族みたいな質素な暮らしになるのを覚悟しなければなりませんが。ただそれが好きなことであればやってても苦にならず、楽しいになるし、楽しいと思ってやるのと、難しいと思ってやるのとでは、随分心構えも変わってきます。心の持ち方を楽にして自分のやりたい道を歩むのと、楽な方へばかり逃げて何も努力しないのとは全然意味が違うと思います。
今の私は斉藤療法で楽な心の持ち方が出来るようになり無理なくやりたいことをやれている状態です。以前は自分のやりたいことではないのに、やらなければならないと錯覚して余計な仕事を増やしていた感じでした。

アメリカに知人がいるんですが、例えば転職が悪いとは考えないですね。自分が置かれて居る立場(仕事量、給料、その他いろんな面でも)が理にかなってないと判断すれば、彼らはすぐ転職します。このへんは社会背景が違うし文化的な問題になるので論点がずれてくると思いますが。


みなさまこんにちは! 投稿者:ナンデちゃん
 投稿日: 5月14日(月)17時38分40秒

神経症のものさしについて思うこと。

私の解釈では、神経症とは「強迫観念」と「それを我慢する言い聞かせ」の繰り返しで頭が混乱する病気です。逆に、混乱していないのが「神経症ではない」時で、ブレインロックが外れた状態です。ですから、私にとって神経症のグレイゾーンはありません。

そもそも「程度」は周りの人が決めること。神経症についても、ものさしを持つのはお医者さんだけで良いと思います。基準が、セロトニンの量なのか、奇異な行動なのか、根暗度なのか、私には解らないですし・・・。
統一されたら良いなとは思います。

それと、神経症が病名ではなく形容詞のように言われているのが、気に掛かっています。神経症的であることと、神経症は似てひなるもの。固定観念(拘り)と強迫観念(脳の誤作動による不安イメージ)を同じ土俵で語るのはオカシイです。ジンさんやバイオさんやキザさんの反応が、なんだか不思議に感じました。「神経症ではない人」=「健康な人」=「健全な人」と盲信している節を感じます。

(斉藤さんは神経症に相反する表現として「健康世界」を言っているのだと思います。M氏批判についても、「神経症者の間違い」を言うのに「M氏」という記号で通じるものがある(と考えた)から使っていたのではないでしょうか?)


治る療法が一番良い療法 投稿者:キザ
 投稿日: 5月13日(日)23時43分39秒

私は従来からこのホ−ムペ−ジで取り扱う多くの神経症と自分の神経症のタイプは少し違うと感じていました、ここでは順調に働いていない人が多いが、M氏系ではほとんどの人が働いており、その中で仕事がうまく出来ないとか悩んでいる。私の場合はずっと仕事もしてきたし、やはりM氏系の人々と良く似ている。

斉藤さん
>どうであろうか。私のホームページは神経症でも中央から左、即ち神経症としては
>中度から重症のタイプを扱うものであり、それより右の比較的軽いタイプの神経症は
>M氏でも良い

これは良いですね、M氏では鬱は対象としない、鬱は専門医の治療を受けながら○○療法を受けるとなっております。だから軽度の神経症を扱うのは当然となります。ここでは重度の神経症を扱っていますので、重度の神経症者の悩みが書き込みが多くなります。軽度の人と重度の人では少し話が違ってくる。

神経症者には重度の人も軽度の人も同じ様にいます。それの治癒は重要であり意義の有る事です。重度の神経症者はこのホ−ムペ−ジでどんどん治ってきている、すばらしい事だと思う。軽度の神経症者はどうだろう、○○療法には人材が少ない、M博士の直弟子は多くは死に、又は歳を取り過ぎて能力が無くなっている。
生活の○○会等の組織は全国的であり想像以上に大きい、しかし治った人、指導できる人は極端に少ない。軽度の神経症者は絶望の状態であふれている。

私は神経症からの脱出、治癒は1点しか無いと見ています、だから○○療法で到着した点も斉藤療法で到着した点もまったく同じ個所で、神経症の出口だと思う。また自己流で治っていった人も出口は同じです。出口は一つです。私は正直○○療法も良く分かりません、斉藤療法も今一つ解りません。自分が神経症の治った過程、経過、実績はしっかりと覚えております。これを通じて神経症を鮮明に理解しています。私には鬱もフラッシュバックもありません、そういうものの無い多くの神経症者のお役にたてたら良いと考えていま
す。

>後はどっちが治る率が高いかの競争になります。理屈は後でとにかく治らないと
>話しにならない。
いいですね、治る療法が一番良い療法ですね。


私もすばらしいと思います 投稿者:バイオ
 投稿日: 5月13日(日)21時49分47秒

○○療法で苦しめられて来たのは斎藤さんの文章を読めば痛いほど解ります。しかしそれにいつまでも根に持つのはよくない気がします。そして現在では私もそうですがそんなに○○療法をしている人は少ないと思います

Mさんの療法で気が軽くなる人はそれでいいではありませんか。他の療法で気が軽くなればいいじゃないですかその人にあった物をその人が選択するのが大切だと思います

私も奇跡的なんですよ自分でも治ったのが不思議なくらいです。そして苦痛を訴える人に教えるのは難しい
治す方法と私も言っても良いものか考えます。しかし一瞬のあの気が付きが人生を変える、そこから晴れに転じた今の現状にも満足できるようになった、前には考えられない一気に気が晴れたんです。
毎日が楽しくなったのです。物の道理を知るのは大いに良い事ですそこからヒントを得て気が付けば最高です
しかし文章を読む事で安心をしてはいけません。気がつくヒントになればいいのですが

それでわ


M氏に関する私の見解 投稿者:のんびり野郎
 投稿日: 5月13日(日)14時07分42秒

お茶の稽古をした後、心身ともに落ち着いた気分になっていたのに、キザさんが引用された宇佐先生の発言を読んで頭が痛くなりました。おそらく同じように感じた人は多いはず。まずはじめに、私は○○療法を批判するつもりはありません。ただ自分の考えを述べるだけです。

以前にも言いましたが、M氏には心理説明が多いのです。M氏の徹底的な間違いは神経症のからくりを心理説明で終わらせていることでしょう。ですから心因性の患者、比較的軽度の患者なら、効果がないとは言い切れません。神経症が構造化していない健康な脳を持った人であればM氏からヒントを経て回復する人も多いんじゃないかと思います。例えば人前で緊張しても、実際人の和に入ってみたらだんだん慣れてきて苦痛でなくなった。これは健全な人が恐怖突入を実行した結果です。

健康人なら人前で緊張したとしてもそのままでいられるし、気が付いたら次の場面に移っていて緊張していた事すら忘れています。緊張した自分を責めたり思い悩んだりしないし、(次の時また緊張したらどうしよう)などと未来を思い煩うこともありません。なぜならそれだけ心が自由に動いているからです。

しかし神経症者に起こる極度の緊張や不安は脳の不調から生じているため、その程度は強烈です。そのため症状を取り除きたい気持ちが強くなりますが、脳の不調は自分の意志で修正できるものなく、また修正しようと試みるとますます悪循環に陥るという罠が仕掛けられています。これが神経症
脳です。

こうありたい、こうあるべき願望や理想は当然普通の人でも持っておりそれを無理のない形で実行できるのが健康な人でしょう。しかし強迫観念は脳の故障から起きる思考の暴走ですから、人以上に0
0しなければならない願望が強いのです。それをM氏は通常の人と同じ向上心とみなし、そのまま生活を向上させろといいます。(これはM氏が神経症を健康人と同じ立場から考えている証拠であり、的のはずれたデタラメ心理解説ですね)

強迫観念にはもっともらしい現れ方をするものから、明らかに異常と思われる現れ方(確認、洗浄強迫など)をするものがあり、前者の場合はそれが神経症妄想なのか区別がつきにくく、それを通常の観念と混同しやすいが、後者は比較的脳の誤作動から生じているとわかりやすい。なんにせよ、それが一カ所に定着して堂々巡りしていることには変わりありません。

宇佐先生の説明だと、その強迫観念をまんま、健康な人と同じ心とみなし、それを認めてしまえということになります。これは大変なことです。神経症者は、強迫観念を自分本来の考えと錯覚し、強迫思考内で延々と自分を責め続けることになるし、洗浄強迫の人は自分が手を洗うのは他の人より清潔であることに他ならないと勘違いしたまま、何時間も手を洗い続けることになります。

神経症者に必要なのはその原因を正しく認識することなのです。


落ち着いた心 投稿者:のんびり野郎
 投稿日: 5月12日(土)23時01分49秒

神経症が軽快して普通の人よりもはるかに精神状態が安定しているような気がするのは僕だけでしょうかね。自分でも驚くほど頭が澄み切っていていつも冷静です。他人の気持ちを思いやるゆとりもありますが、以前とは違い、それに振り回されることはありません。少し離れて眺めうるだけの距離をもてます。集中力も本来異常に発揮できている気がしますし。

おかげでささやかな喜びですが、普通の人が一年じっくり修行して進む段階を3ヶ月で済ませ、バイト4ヶ月目にして給料アップです。(多分一日も休んでないせいもあるが)あるがまま、なんて本当に笑える言葉。私はいつもあるがままです。
笑いたいとき笑い、話したいときには話している。その場その場で反応しさらりと流している。M氏の話題が出てきてもあほらしすぎて議論する気も起きないほどだ。


環境から身を引くのも一つの手 投稿者:のんびり野郎
 投稿日: 5月11日(金)00時30分14秒

自分にとってストレスや負担があまりかからない環境に移ること、今現在の仕事量を人並みの半分以下に減らすこと。

脳が暴走している環境から身を引き、安定した状況を整えることは、精神的にも、時間的にも余裕を取り戻すのに必要かもしれません。僕は今思うと、いつも最初に無理な目標を設定しすぎていたと思う。バイトだったら一日7時間やり、一ヶ月で15万、絶対貯めなければならないと一生懸命取り組む。現時点での自分がよく見えてないのに、理想だけ高く持って観念が先走った状態です。結局苦しくなって一ヶ月も続かないまま終わる。そして、目標を達成出来なかった自分を深く嫌悪しまだまだ先の将来を悲観して何も手につかなくなる。

そんなことより、自分は一日7時間も働ける状態でないこと、人間関係や緊張感で挫折しやすいこと、あまり頭を使う仕事はしないほうがいいということを自覚すれば、健康への一歩を踏み出すことが出来たのに。

よろめいていた足元が一歩一歩確実に鍛えられているのを感じている今色んなことが見えてきました。周りを眺める余裕も出てきたし、別の事を同時進行で行うことも出来ます。やらなければならないでなく、やりたいからやっているに変わると、自然と活力もみなぎってくる。底辺から静かに、力強く。人生は100人いたら100とおりの生き方があっていいと思うのです。何に価値をおくかはあなた次第です。

ちなみに、同じように強迫観念につきまとわれていた知人は、対人関係で挫折しやすい人でしたが、都会から遠野に引っ越し独自のスタイルで生きています。昼間は炭焼き(一日5千円)、秋から冬にかけては山の調査員(一日7、8万の仕事)として寒い山の中を練り歩き、植物や木々の状態、土地の状態などを国に報告するのです。どちらも肉体労働で人がやりたらない仕事ですが、山歩きの好きな彼はたとえきつい時でも苦にならず、山の専門知識を身につけることに意欲を燃やし妻と子供と3人で幸せに暮らしています。

妻はフリライター(パソコン一つあれば出来る仕事)として自然派の雑誌を作ったり、るるぶなどの旅行雑誌で自然を満喫できる場所を紹介しているそうです。


気まぐれなフラッシュバック 投稿者:のんびり野郎
 投稿日: 5月10日(木)02時46分42秒

3ヶ月前、僕も一度だけフラッシュバックに襲われました。激しい強迫観念や被害妄想が頭の中で渦巻いて鬱状態になりかけました。

しかしそんな時でも、公平かつ冷静な観察者が(しつこい強迫観念や妄想は脳内分泌のアンバランスから生じる)ということを教えてくれるのです。強迫観念や衝動は気まぐれだから不意にやってきますが、それらの病的な考えや衝動になんら価値がないことを見極めていれば、症状を無視して別
の行動(単純な動きでよい、私はすぐに寝た。)に移りやすくなります。そうやってかわしているうちに症状は軽減し、脳が正しく機能し始め、次第に活動の支配権を取り戻せるようになります。症状をかわすコツを覚えたものは強いです。無意味な強迫観念にいちいち振り回されなくなるので。

今では、フラッシュバックに襲われる頻度は少なくなり、1ヶ月に1度が3ヶ月に1度、回復に2.3日かかっていたのが、1日たてばすっかり元に戻っています。元に戻った状態があんまりスッキリしているため、(あれは何だったんだろう?)とキツネかたぬきに化かされたような気分になります。

皆さん、神経症脳に騙されないようにしましょう。

ゆずさんへ 投稿者:ゆきんこ  投稿日: 5月 9日(水)00時43分25秒

あらためまして、こんばんは。
ゆずさんの以前のメールを見て、とても共感できたのです。私は、P.Dですが、斉藤療法と出会ってだいぶ日常生活が無理なく送れるようになりました。特に、私のネックは職場。職場で、パニック発作を起こしてから、仕事にいくのがこわくてこわくて・・。最近は、恐怖感もうすれています。しかし、時々フラッシュバックには襲われます。(短時間ですが)そんなとき、逃げ場のない怖さで思わず以前のくせで、M氏の”あるがまま”っぽくなるのです。

斉藤さんのアドバイスどうり、”動くこと”はロックを解除するのによいです。動きは、なんでもいいんです。立ち上がるでもいいし、顔を洗うでもいい。不安に襲われそうになったら、なんでもいいから動き、何かをしてます。このホームページに会えて良かったです。まだ、私も治ってません。つらくなったら、ここにまた来ちゃうかも・・。皆さんの、良くなってる課程のかきこみは大変はげみになりますです。



斉藤さんへ 投稿者:のんびり野郎
 投稿日: 5月 5日(土)14時43分10秒

斉藤さん、皆さん、お久しぶりです。のんびり野郎です。
斉藤さんには改めて、その後の経過と感謝の気持ちをメールで送りたいと思っていますが、今の私の状態が心身共にとても充実しているので、それをちょっと簡単に書いてみたくなりました。

今、私は昼間は、お茶のお稽古(母親がお茶の先生だし、後に僕も先生になるつもり)、ピアノの先生、そして夜は午後5時から8時までチェーン店でバイト(お総菜コーナーで天ぷらやフライを作っています)をしています。午前中は自宅で好きなことをやっているだけだし、バイトは週休二日、3時間しかやらないので(それ以上すると負担になるし続かないから)自分にしては珍しく4ヶ月も続いています。ストレスは全くといっていいほど溜まりません。自分の精神状態が落ち着いてきたころに偶然やりたいことが見つかり、気負わずにすっと実行に移したのがよかったみたいです。

また趣味が収入につながるし(趣味と実益を兼ねた仕事)、人間関係が複雑でないし、バイトも単純労働であるため、働くことが苦にならず、毎日がとても楽しいです。一つの会社に従属して8時間以上も嫌な仕事をし続けることは僕には向いてないことに気がつきました。

余計なことを考えなくなり、瞬間、瞬間を生きているので頭の回転は速くすぐ切り替えられるし、集中力が高まり、その結果仕事でミスをしないので(したとしても次から気をつけようと反省するだけ)人から信頼されるし、前みたいに感情エネルギーが内にこもらず常に注意、関心が外に向き他人を思いやる余裕があります。

自分でも驚くほどあっさりしています。やる気もわいてきます。元々の性格が器用なのもありますが、これが駄目だったらこれがあるくらいに、逃げ道を作っておく(というと誤解されそうですが)、絶対視しないことが、心に負担を感じさせないのです。


死ぬほど好きな人を自ら振る感じに近い 投稿者:バイオ
 投稿日: 5月 1日(火)20時11分30秒

一昔のある日の事私は神経症を治したい欲望にさいなまれましたそうすると一気に不安が来てどうしようもない苦しみを味わう胸が苦しい時にはコップを持つ手すらうまく動かせない理解せねばと一生懸命死に物狂いに書物を読み漁る嫌な場面でも少しでも長く居る我慢も無意識にしていた気を紛らわすために体を動かしたりもした食べまくった太って醜くなる食べられなくなったとうとう生活すべて不安いっぱいで押しつぶされる憂鬱だ生きててもしょうがない早く苦しみを逃れるのは死ぬだけなのだろうか?これが一昔の私なのです 私の脳だから私が一番自分良く知ってるなぜだ

ある友達はノイズを紛らわすために学校のジムでトレーニングをしていたマンションに寄らしてもらったそこでも彼は腕立て腹筋をつづけていたとうとう肉離れ全治二週間彼は大変落ち込んでいたその間どうしたらよいのだろうと6年間無限地獄だったのです

それがどうでしょう 治したい欲が悪いんだもうお前なんか知るか馬鹿馬鹿しい気紛らわしもしないぞ馬鹿馬鹿しい我慢なんてやらねえよ馬鹿馬鹿しい好きなように生きてやるぞこのやろうすべての回りが良いとされる欲を片っ端から消してやったこれが私の死んでいいくらい好きな彼女(欲)へ さ・よ・う・な・ら吹っ切れたんですそれからあいさつなんぞするか好きな奴にだけあいさつしたいからするんだってなったんです服も雑誌読みまくるか俺がいいと思う服を買う電車コンビニ街路回りを歩く自分の外の人たち知るかおまえらの心なんか良く思われたいなんぞ思うか そして反発心すら否定した

今にいたります私なりの悟りです宗教の悟りでもみんなの悟りでもない私だけの悟りだったのです そして自由に動いた結果 暖かい心と冷静な脳がありました本当の思いやりを知った余計な事を考えない脳

斎藤さんは私の命の恩人です こういうことはメールで隠して送りたい気持ちがたち上がり
ますがこの掲示板に公開します どう思うかは個人の自由意思です 以上


許容量 投稿者:バイオ  投稿日: 4月30日(月)16時22分35秒

神経症者は不安に耐える許容量みたいなものが少ないように感じますそして許容量を超えるとなんとかこの不安を取れないものかと悩み苦しむんだと思いますその時は神経伝達物質が品切れ状態だからなにしても無駄なんですよね無になるしかないと思います

私は別に内向的で陰気でしゃべらない暗い人間じゃないですもの許容量を超えないように出来るだけ不安にならないようにしてるだけですそれ以外は好きなよう生きています神経症知る以前は人に良く見られたいで、もがき苦しんでいましたそして神経症と知ったらその上に治さなければってなってたんですよ余計に不安増加になってたんですね

余計な事さえ考えなければ別に失語状態にならないしそれ以外は症状に出ないから心配する事ないって感じてから変わりましたね

治すコツはこんな事しても意味ないじゃん馬鹿馬鹿しい普通に生活しよっとって思うのがよかったですね苦しみぬいた結果そういう風になったのが良かったと思います不安も欲ありすぎで苦しんでるだけだなーって思って命令がないって気が楽ですね本当憂鬱な気持ち消えます

実際にそうやって動いてみると本当にやりたい事が見えてくるんです儀式のようなあいさつもしませんしあいさつしたいからするんだ状態です友達なりたいから話すんだになりました、話さなきゃって考えると以前は一気にパンクして失語状態にそれからPCバグッタように行動が止まりました頭の中では猛烈にこれ言うと大丈夫かなーしゃべらないと気まずいなーって本当馬鹿馬鹿しい考えです

私も掲示板に入っていいですか?失礼きわまりないですがお役に立てれば

それでわ


解ります 投稿者:バイオ  投稿日: 4月30日(月)05時41分21秒

心理学は人間の行動の表面的な部分を拾い集めただけでは?と思います人の気の部分ばかり見ていても一向に答えなど出ないと思います

それよりも神経伝達物質の不足にによって起こる不安を理解により安心できない脳気になると止まる気配のない脳が神経症者や私にはあるのだと思います

対人恐怖の私は対人恐怖を知らない時は無意識に他人の心理ばかり考えては自分を安心させようと必死になっていたのを覚えています、神経伝達物質の不足によって安心できない脳を持っていたなど知るよしもありませんでした

そして自分が神経症と知りこの斎藤さんのHPにたどり着いたのですそれから何とかしなければと思う事がなくなり同時に憂鬱な気持ちも無くなったのですしかしまだ理解が浅かったのか気にしてはダメと気になるようになり止まらなくなりました

そして斎藤さんの本を読んでようやく何も考えないと言う事がどういうことか解りました私も冷静な時はなぜかすぐに理解でき安心できますそれは神経伝達物質が安定しているのだと思います、ちゃんと橋渡ししてくれてるのです

冷静な時って脳が冷めている状態なんだなってきずきました、眠りと同じで一生懸命に寝ようとしては眠れないへとへとになって考えが消えていく状態で眠ってゆくのだと思いますそれが冷静な脳なんですね

今では治すとか人に良く見られたいとか考えないようになり自然と自分のやりたい事が出来るようになってきました、これが自由意志かと思いました

斎藤さんの本にも出てきますがお釈迦様も相当悩んでいたと思います悟りの境地(欲望と抑制のない無の世界)に着きたいって思って一生懸命死にもの狂いでお経を唱えていたが疲れて家に帰った時悟りがどういうものか気がついたそうです悟りたい欲望が消えたのですね それに斎藤さんが言いたいのは近いのではと思います

友達作りたい彼女ほしい人に良く見られたい幸せになりたいが不安を呼ぶ周りの事ばかり気にして止まらなくなる原因だと思いますそれが私は作らなければ良く見られなければ幸せにならなければ
と命令ばかりで本当に自分が好きな奴と友達になり好きな人と恋人になりが出来なくなってしまっていました 憂鬱でした

両腕両足が無い乙武さんの本を読みました「私は移動したりするのが困難なだけだオシャレもするし喧嘩もする恋人も作る」好きな事出来ているのですそれに勇気付けられたことを今でも忘れません

初心者の私が偉そうな事を言いましたすみませんみなさんの早い不安の曇りから自由意志の晴れの世界へ本当に失礼しました 

それでわ


斎藤へのEメイル
Subject: 神経症脳にも健康回路は確実に存在します。


 斎藤さん お元気ですか。私の脳の回路も神経症以外の別の所で機能しているとしか言いようのない感覚を日々体験しております。

 まず思考が次々流れていき立ち止まらないといえば聞こえはいい のですが、とにかく忘れっぽくなりまして嫌な言動を仕事でされても 瞬間的にカーッと来ることがあっても一時的な物ですぐに忘れて
 しまって相手の心を深読みするまで思考が続かないといいましょうか 以前なら一晩いじいじ考えていたものなんですがそれもないしとにかく目的意識を追及しなくなりました。相手を詮索することもないので 気楽に話し掛けられるし、こちらからも目的もなく話し掛けたりと・・・ 利害関係ぬきのコミュニケーションがなんと心地よいことかと初めて 体験しました。

 神経症の外側とは何かと尋ねられたら神経症脳でありながらも 正常に機能してくれる回路が確実に存在してましてその回路に直結 する事としか言いようがないです。

 その証明として私の場合以前は些細なことでも記憶出来ていた事が 直結してからはど忘れすることが多くなっています。 たとえば銀行の暗証番号を忘れてしまい後ろに並んでる人のヒンシュクを 買いながら思い出そうとねばってしまいそれでも思い出さずに家に帰って テレビを見ていたら何の脈絡もなく番号が浮かんできました。(笑)

 知人の家まで電車で向かう途中に窓から映る風景を眺めていたら 今からどこ行こうとしていたんだろとど忘れしすぐにあっそうそう そういえば と言うような感じで緊張感まるでなしの生活に切り替わりました。

 以前なら切符を握り締めて乗った瞬間から目的地に降りる準備をしていたのに なんともこの忘れっぽさがまたいいんです。 これは外側の回路に直結しているひとつの現象だと思うのですが・・・
 斎藤さんは外側でこのような体験はありますでしょうか?

 掲示板を拝見しておりますが、コップの内側の人は外側の回路に接続を 心理分析やら気づきやらで獲得しようと悪戦苦闘しているのが文章に にじみでてますね。必死で掴もうとしている。 神経症脳でいくら考えてもそれは無理だと思います。 理屈を語らずに無為療法を辛くてもやり抜いた人であっても必ずしも外側の世界が来るとは限らない。運も絡んでくるような神秘的な要素も含まれているようですね。

 でもこの療法をやらなければその可能性も全く無くなる事も付け加えておきます。 外側の世界と外側の回路は確実に存在しています。 それは外側に出てみて初めて分かることだし体験できる事でもあります。

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