書きこみしておきますね 投稿者:suzu 投稿日: 4月26日(木)04時20分56秒
私は無為療法を始め、一年でほぼ完全に治りました
適当になんとなく勉強と仕事をやってたら、治ってました。
私の遺伝子にはOCDの因子が含まれているらしいのですが、別にそんなことにこだわってませんでした
いわゆるブレインロックの際は休むように心がけています、無理すると余計に疲れますから
何もしないとはただの言葉! 投稿者:ジン 投稿日: 4月15日(日)17時52分58秒
>ざっくりした大まかな筋道がある程度わかれば、枝葉末節の事柄や細かい運用法、ましてや
>発生機構を熟考するのは治癒することにいみを持たないと考えます。
全く同感です。しかし、『大まかな筋道がある程度わかっていない』からこそ、細かいことに拘ってしまうのでしょう。無為療法は知的理解の「追求」ではありません。大まかな筋道とは「体感に限りなく近い知的理解」だと思います。
僕の感じではそれはヘビースモーカーの禁煙にそっくりです。ニコチン中毒と言えば一般にも直ぐ通じます。それに比べてセロトニンやasaitoさんの言うニューロン回路などの語句は馴染みが薄いと言えるでしょう(かなり)。
昨日まで何年、何十年も心理分析に夢中になっていた人が今日いきなり脳の話をされてもそれを受け入れられないのは仕方ありません。脳内分泌の異常、脳のバグなどと言えば聞こえがいいですが、それは実は「頭がおかしい」という事なんですから。
しかし、ニコチン中毒と同じ種類のおかしさです。以前はKENTの青箱(キツイ煙草です)を一日に三箱吸い、マンション購入を契機に禁煙に成功した知り合いのオジサンが言っていました。「もう何年も経ってるけどね、たまに無性に吸いたくなる時があるんだ。本当に吸いたくなる。でもね、それは例えばカレーが食べたくてたまらない、ラーメンが無性に食いたい、というのと同じ種類の感情なんだよ」
僕も大好きなラーメンを食べないことにしたようなもんです(爆)でもそんだけです。ちなみに煙草は吸います(笑)
(無題) 投稿者:asaito 投稿日: 4月15日(日)16時55分28秒
もう来るまいか(もう私の来るところではないかな)と思ったのですが最後に。
私の神経症は、なおったと言っていいでしょう。神経症になる前より考え方が柔軟になっており、神経症、神経症前の「ドつぼにはまるぐるぐる思考」をすっぱりと断ち切ることが出来るようになっています。考え方で治癒前と一番変わったのがここです。
あとは、物事の捉え方ですか。今まではたとえば仕事では「これはやらなきゃいかんから期日厳守で一生懸命やる」という感じだったのが「たかが仕事。まあマッタリとやってみよう。出来なければ延びるだけ」と言う感じになりました。実際効率は上がっていますから遅れたこともありませんが。(たまに遅れますが・・)
神経症になる機構の1つに、斎藤さんがおっしゃるような「ぐるぐるマイナス思考が脳に焼き付いてニューロン回路が強化されてしまった」という考え方は合っているような気もします。自分は、このぐるぐる回路に思考をのっとられなくする工夫ができるようになったとでも言うのでしょうか。
もう、しかしながら、あまり神経症のことをもう考えすぎても良いことはないでしょう。ざっくりした大まかな筋道がある程度わかれば、枝葉末節の事柄や細かい運用法、ましてや発生機構を熟考するのは治癒することにいみを持たないと考えます。
それではさようなら!みな治癒し、決めつけのぐるぐる思考のない楽な世界にこれますように。
お久しぶりです。 投稿者:ひとみ 投稿日: 4月 8日(日)01時16分13秒
以前として快調なひとみです。ナンデちゃんの何故「鬱が減ってめでたし!」という書き込みが無いのかという質問を読んで、「あ、この快適さは鬱がなくなったということだったのか」と気がつきました。私も最近は「あ、やばいかも・・・」と思った瞬間スイッチを切ることがうまく出切るようになり、鬱にならなくなりました。
今までは囚われそうになる予感がしたかと思うと、足元に突然穴があき、ストーンと暗闇に落ちていく感じ(ものすごい恐怖感!!)でしたが、今は予感がしても「そーらきたっ」とばかりに別なことをしだすといつのまにか普通に戻っています。
「あるがままを受け容れる(こんな私でいいんだ)」と「なにもせず」の違いが身体(感覚)でわかってきた気がします。とにかくラクです、斎藤さん。
斎藤へのEメイルから
HPを何度かみて最初はほんとに理解できずメールをうち、返信頂いても突き飛ばされている感覚しかなかったのです。でも最近「とにかく言われる通りにしてみよう」とHPを開きかけては止め、メールを打ちかけては止めしてる内あんなに難しいと思っていたのにその瞬間ふっと気持ちの方向が変わるのを感じました。
それと同時に脅迫観念に対しても、とても取り合わないなんて無理だと思っていたのに、ある日簡単にできた瞬間がありました。それはHPと出会えた時のなにか見つけた!という感覚とはまったく違うものでした。「考えない、何もしない」と唱えることでもありませんでした。
あれほど難しいと思っていた外界への心の移行の瞬間は考えていたものとは違い行動のあと簡単に起こりました。メールをうちかけて止めた瞬間、そしてHPを開きかけて止めた瞬間、朝起きた瞬間の不安な不安な布団の中からとにかく起き上がってみたその瞬間です。
ただそううまく行くわけはなく行動なんてとてもできない状態になるときはあります。そしてその瞬間だけは薬の力を借りてしまいます。でも私にとっては薬に頼っている自分も事実、その前後の自由な自分も事実です。そのどちらも空想の出来事ではありません。もちろん治ったなんて思っていませんが、行動が先だと言われる斎藤さんの言葉は本当なんだと、人間はそういう風にできているんだと不思議な感じがしました。想像外の感覚です。
みなさん、こんばんわ。 投稿者:ゆのか 投稿日: 3月27日(火)03時09分55秒
去年の暮れにだいぶ錯乱した書き込みをした者です。「なにもしない」がとてもできそうになくしばらく悶々としていましたが、最近は神経症の事を考える事も、この掲示板を覗く事も少なくなりました。
アップダウン(ムードスウィングというのでしょうか)はやはり激しいですが、これは妄想だからここを過ぎれば大丈夫。と考えられるようになりました。
ただこれからも色々あるだろうし、完全に治ったとも思っていませんが、何も分からなかった私が始めに無為療法に出会えた事を嬉しく思います。これからも参考にさせて頂きたいと思っています。
本当に有難うございました。
家族 投稿者:エアロ 投稿日: 3月23日(金)23時23分24秒
みなさん、こんにちは。エアロといいます。第1回目の会合で妻の神経症のことで参加させていただいた者です。あの会合当時は妻とは別居状態でしたが、今は同居しております。この半年くらいの間、この斉藤さんのホームページで、そして斉藤さんの本で神経症について勉強させてもらいました。特に掲示板での斉藤さんの解説は妻の症状にぴったりで、「神経症とは回答を求め続ける病」、「神経症とは治そうとする病気」、「神経症は努力病」etcというこれらのことをやり続けています。本人は大真面目にそれをやり続け、「それをやらないと生きていけない」かのような感じで、残念ながら、斉藤さんの言われるように神経症が治らない道のど真ん中を歩んでいる感じです。
妻は、精神科に通い、投薬を受け、カウンセリングを受けています。月に1度のカウンセリングが待ち遠しいようで、なぜなら、そのカウンセラーだけが自分のことを分かってくれているのだと。これは斉藤さんのおっしゃる「一時しのぎのまじない」に過ぎず、カウンセリングを受けた次の日から次のカウンセリングの日が待ち遠しくなる(つまり次の日から症状が出るー治っていない)という状況になっているのです。
夫の私が見るに、「治そうとする」こともやっているのですが、「自分の思うように直そうとする」こともやっているようで、「その通りにならない!自分はこんなに努力しているのに!」となり、人との衝突はしょっちゅうです。 家族としては大変で、10年以上も精神科やカウンセリングに通っていながら、ちっとも治らない。治らないのに通うのは、「一時しのぎのまじない」が気持ちよくて、治った気になるからでしょう。 ここにきている方は、本人の方が多いと思いますが、家族が、「斉藤療法がいいみたいだ」といって、本人にこの
ホームページを見てもらうことがとても難しいのです。妻は神経症ですので、自分が納得しないと、動きません。従って、一度納得してもらって、このホームページを見てもらい、そして、掲示板でありましたが、知的理解の追求をせずに斉藤療法を実行してもらう、という至難の技2段階を踏む必要がありそうです。
ヨシさんへ 投稿者:ジン 投稿日:
3月18日(日)18時49分50秒
僕自身が所謂「訓練期間」を経て自由になった感じなんですよね。この掲示板を読み始めた当初に「目から鱗の瞬間がある」という常套句がありましてね、自分にとって無の皮一枚分外側に当たるような言葉を熱心に探していた時期があります。誰のなんという言葉から掴んだのか、あるいは自分で思い付いたのか定かではありませんが、僕にはまず最初に「連想しない」という言葉があったんです。それから後の事は勝手に付いて来た感じです。本来、いつ、なぜ、無に行けたかの部分は僕だけでなく、誰も言葉に出来ないと思うんですよ。
その言葉を言い聞かせる事自体は無為療法では無いと今では思います。しかし、その期間があったからこそ、いつの間にか何もしない(上手く言葉に出来ませんね)状態に移行出来たんです、僕の場合。
偉そうですみませんが、人を見て法を説けという感じで良いんじゃないかなと思っています。だって無為療法って難しすぎるから。僕はこのHPの主旨に反するでしょうが、訓練期間を肯定する者なんです。行き着く先は一つでも、道のりは幾つかあっても良いかな、って感じです。
よくなりましたは よくないのかぁ 投稿者:よう
投稿日: 3月18日(日)01時39分27秒
ふっと充実した時間が過ごせたことに気づいて、有り難いな〜と思った時に、ここから貰った分をどう還元していいかわかんなくなっちゃうんですね。しっかり治ったわけじゃないし、話についてって意見する知識もないし。自分に出来ることが無い。それで、嬉しい時に、そのことを書きたくなっちゃいます。(鬱々した時に書きたくなるのは、ぐ〜っと堪えて、たぎる想いを遮断するようにしてます。ニガ笑)
私自身、似た苦しみを持ってる人がちょっとでも良くなってるという話を聞くと安心する所があるんですね。ちょっとはお役にたてるかなーと思ったんですが・・・。(それから、自分のどこがヤバそうか客観的に見て欲しいのも正直ちょっとUU どうもヤバイらしいっスねU)確かに、「よくなりました」は、自分的にはこれは焦ってる証拠なのかなぁ、と思いました。早くお礼が言いたくて仕様がないみたいで・・・(汗)。
それで伺いたいのですが、「よくなりました」の経過報告は、掲示板的にもやめた方がいいですか?
「最近良くなりました!」は、なぜ妄想なのか 投稿者:ジン
投稿日: 3月17日(土)23時04分11秒
良くなったという判断基準は鬱の減少による所が大きいでしょう。さんざん苦しんだ鬱が減ったから良くなったと報告する。それが何故イケナイ事なのか。正直な話、首をかしげる方は多いのではない
でしょうか。過去に「最近良くなりました!」をやってしまった僕が書きましょう(^_^;)
大きな大きな落とし穴なんですよ、実は!脳の問題として考えてみるとそれは神経症の思考回路内での話なんです。神経症を大河に喩えます。楽になったという気持ちはその大河から派生した小川に過ぎないのです。過去の苦しみあってこそのラクチン気分。お釈迦様の手の平の中での比較論。
小川の流れに乗った所で、大河の凄まじい吸引力に戻されてしまうのです。どんなに意思の力で抗ってみても、今までに見つけた「答え」が一週間と持たなかったのと同じ結果になってしまいます。神経症の予兆なのですよ!楽になった事をひしひしと確認した後、必ず鬱々の時間が来ますでしょ?
大河から小川は生まれません。そんなものは行き止まり。水たまりです。小川あってこその大河、海です。新たなる神経回路を生み出すには新たなる、ゼロからの小川を作り出すのです。
それは今までの神経症人生で体験しなかった種類のものです。強烈な生みの苦しみもあります。小川でも子供でもなんでも良いですが我々は「出産」を経験するんです。赤ちゃんはみんな泣いて産まれて来ます。お母さんも苦しいです。川の源流もとても頼りないものです。斎藤さんは産婦人科医みたいなもんです。苦しいのは自分です。自分だけが苦しいんです。産婦人科医は必要ですがその存在自体は楽になる事とは関係ありません。
どうか、小さな小さな川を作って下さい。どうか、健康な赤ちゃんを産んで下さい。・・・ちょっと変かな(笑)まあ、「あらゆる治すこと」を止めればちっちゃいのがポンッと生まれます!
近況(いつもなんだか一方的U) 投稿者:よう
投稿日: 3月16日(金)14時23分44秒
調子がいい時間と、イライラしてる時間とが分かれた感じです。以前は一日中イライラを引きずってたので何をやってもどこか上手くいかなかったのですが、最近はイライラする時間と何かをやっている時間が別物です。(分裂、という訳でも無いと思います。以前は人と会っている時イライラは押し殺していたので話題にすることもありませんでしたが、今はあまり考えないだけなので、簡単に口に出して表現でき、むしろ使い分けが無くなりました。)
お蔭さまで、これまで手につかなかった勉強に身が入り、4月から大学院へ進学することになりました。悩みの原因の家からは離れることにしました。このHPに出会ってから飲み友達も4人増えたし(笑) 私なんかにも、嬉しい春になりました(意外です!)。
無為療法は、考えが袋小路に迷い込んだ時に思い出すと、まるで特効薬みたいです。うじうじが吹っ飛んで、建設的なことやっていられます。まだまだ依存しっぱなしですけどU 無為療法を思い出すことが無くなるのがベスト、ということなんでしょうね。 神経症真っ只中で、人に意見できる立場にないので、効果をご報告です。治してる途中の皆さん、元気だして行こー。
投稿者:NA 投稿日: 3月16日(金)03時21分48秒
グリーンさん
>自分の症状に負けてしまえといわれたんですよー、これって正解なんじゃないかと思ってい
>るんですが、どうなんでしょうか?
本当の正解は、勝つも負けるも無い状態です。 では、負けを認めたならこの状態になれるかと言えば、これはできません。勝ち負けを考えている状態と健康状態には深い溝があって、ひとっ跳びに飛び超えるほか無い。
サトさんへ 投稿者:メリル 投稿日:
3月
9日(金)17時59分16秒
サトさん はじめまして
私の場合に限っての事だと思いますけど少し参考になればいいなと・・・
>治りつつあるみなさんは、ご自分との戦いですか?それとも他人とも戦っていますか?
何かと格闘しても外側の感覚は掴めないと思います。戦って得られるものでもないと・・麻薬的な禁断症状を絶つことのみを自分との戦いと表現するのにはいいと思います.それ以外に戦うことはないです。神経症特有の禁断症状を絶つことができればそれでいいと思います。
>私は昔に比べて大分良くなりました。
私の場合だんだん良くなって現在に至るという感覚ではなかったです。ある日突然不意打ちを食らった感じでした。不覚にも外側の世界は何のまえぶれもなくやってきました。なので症状が重いから 軽いからというのはあまり意味はないとおもうんですけど。でも自分が一番誰よりも重いって感じちゃうものなんですけどね。神経症って
>良くなっている自分に申し訳ないです。他の人を考えずに自分の事だけを考えると今までがんばってきたんだなと自分をほめたくなります。
ヨシさんや斎藤さんに以前に私が投稿して無為療法の核心的なレスを頂いた事があります。その時は意味を理解する能力がなかったんですけど。それは自分と対話してはならない事と心に解釈をいれてはいけない事でした.
自分の今まで行なってきた事に自己評価的な採点を加えだすとおかしくなります。その結果に喜んだり嘆いたりして評価をする事を解釈すると意味します.そしてこう考えればプラス思考で楽になると思い無理に感情をほじくることを自分と対話する事を意味します。そういう事を止めることも禁断症状を絶つ事の要因のひとつであることと思います.サトさんに頑張れと叱咤激励する事も禁句です。でも早く良くなることをお祈りします。そのキーワードの答えは斎藤さん ヨシさん ナンデちゃん氏 クルト氏他大勢の掲示板のレスに含まれていますので、この人達に共通する事の事を興味深く見てください。何を伝えたいのかな?と 答えは毎回含まれていますよ。
斎藤へのEメイルから
最近 神経症の外側に出て気持ちは落ち着いているので神経症の最中の事を思い出す余裕が少し出てきました。内側と外側を比べてみて自分自身の変化を単純に表現させて頂きます。妄想で外の世界を作り上げているかもしれないのでその場合ご指摘お願い致します。神経症真っ盛りの頃を以前と表現させていただきます。ご了承下さい。
1 以前と比べると想像力が落ちたというか以前なら妄想的な想像を含め色々想像力を膨らませる事 が容易に出来たはずが今は想像する事があまり出来ないです。イメージする事が苦手になりまし た。 妄想以外の想像でもあまり頭の中でイメージできないです。以前のイメージしていた事は建 設的な考えと思っていても脳のバグによる妄想だったかもしれないですね?
2 外側に出たら物事をプラス思考で考えられるものと以前の私は思っていたのですが出てみた私は
プラス思考でもなくマイナス思考でもなくニュートラルな感じです。
3 外側に出たという実感はあります。でも出るぞと意気込んで出た感はなく無為療法と掲示板の斎
藤さんや治った人達のレスをぼんやり眺めながら無為療法を実践していたらなんとなくヒョコッと出れた感じです。
4 以前の私なら外側に出れたら万歳三唱するくらい喜ぶと思いますが嬉しいことは嬉しいんですけどこれで天下を取ったなどと以前の私なら思いがちですがそういう感情は決して生まれてこない感じです。それより斎藤さんと出会えた事の方が正直嬉しいと今思います。
5 家族と喋っていてもとても会話が楽しい 久しぶりにあった友人から何かいい事あったの?としばしば尋ねられました。顔に何か表れるんだな?という感想です.
6 時間が早くたつ様に思います。時間を持て余すことがなくなりました。
7 まだ外側にでて間もないせいか敵前逃亡も心の平和を維持する為にするのですが少し罪の意識を感じる事があります。後ろ髪を引かれる思いと表現したいです.この感じは・・・・・
8 予期不安はまだあります。しかし不安は以前と比べてかなり違います。時間が凄く短時間です。
9 以前の私は無為療法を実践するにあたり何も考えないぞとシャカリキになって頑張ってましたが現在は自然とそうなってるみたいです。わからない事はわからないまま放っておく事に違和感を感じません。以前と比べて無責任になりましたね(笑
10 症状はまだあります。というか症状自体の事をあまり考えなくなりました。興味が薄らいだ感じです。考え様としても余りイメージが膨らまないみたいです。考える事が苦手になったなという今日この頃です。
メリル
移行モード 投稿者:ヨシ 投稿日:
2月28日(水)17時25分59秒
この辺が斉藤療法の明確な所。斉藤さんは「煉獄」という表現を使っていますが、ほんとにこの移行期というのは実に居心地が悪い。ある○○療法信奉者の有名人は「務めの休みの日に起きる不安
に対処するためにあらかじめ用事を用意している。」というようなことを、いけしゃーしゃーと自分の著書で言っていましたが、とんでもないことです。作業に逃げてブレインロックを外す邪魔を自らやっている。有名人というだけでこんな悪書がまかり通っているのだから世話がない・・・。
まず移行モードを自分で掴む必要がある。これには知識や分別は無効で、感覚的なある状態と表現するしかない。これを言葉にするとしたらやっぱり「何もしない」だと思うし、これらを語る上で「脳のバグ」は実に明確だと改めて思いました。
ぱったさんへ 投稿者:斎藤 投稿日:
2月28日(水)04時43分20秒
そうです。健康な時は幾ら神経症について考えても大丈夫です。私がそうで皆様への返事やページの書き換えをしている時は神経症を考えっぱなしです。しかし私がフラッシュバックに入ったときは危険です。直ちに私でさえもパソコンを止めて外に出て神経症とは関係が無い事をした方がフラッシュバックからの解放が早いのです。
もう1つ貴方は重要な指摘をしています。神経症が治る過程とは二重人格になる過程なのです。神経症者は神経症脳を持っていますから、神経症の世界にいる方が自然なのです。それを無理に健康世界に移行するものだからその移行過程で非常に不安体な状態になる。
これは煉獄とも言われる心境ですが、この通過を皆さんいやがって恐怖して神経症の世界に戻りたがる。恐らくここで90%の人が失敗して逡巡していると思う。逆に私に言いがかりをつけてM氏が素晴らしいと嘘を言う。この人達の言い分は煉獄の経験が嫌だから不安でもやるべき事をせよと言うM氏のメッセージにすがって煉獄入りを拒否する。そうするとこの人達の神経症人生は今後も続くのです。
斎藤へのEメイル
斉藤さんのHPは2年ほど前から拝見しております。最初の1年は無為療法のコツすら掴めず、不安に説明を付け、不安を消そうと必死になり、また「何もしないを実行しなければならない」と自分を追い込んでいてヘトヘトになっていました。それがここ1年、特に最近の半年で一気に回復に向かいました。
本当に斎藤さんがおっしゃる通り、なんで回復したのか何がどう回復したのか説明がつかないです。症状が出なくても嬉しくも何ともないし、そういうときは何時の間にか時間が過ぎているという感じです。
鍛えなくても、努力しなくても、考え方を変えなくても、前向きにならなくても神経症は治る、そう思います。むしろそういう事は治す事とは何の関連もないとさえ思います。
僕自身が神経症を発したのはいつの事かはよく覚えていません。が、より顕著になったのは大学生になってからです。就職してしてから特にひどくなり、精神科にも行きました。その過程で考え付く限りの「治すための努力」をしてきました。なのに自分は一向に変わらない、周囲には理解してもらえない(むしろ怠け者だと見られる)、妻にも何回説明したか知れません(当然理解してもらえませんでしたが)。
今考えると理解されないのも当然だと思います。神経症の人はやはり当事者であるからか、すぐに分かります。が、やはり他人の神経症に振りまわされてる姿は見ていて滑稽でしかありません。当事者ですらそうなのですから、健常者には絶対理解できないでしょうね。
こうしてメールが出せるのも斎藤さんのHPと出会えたおかげだと感謝しています。今回の本の購入もそう言った気持ちからです。治すために読むのではない、斎藤さんの研究の成果を見てみたいのです。本の内容が楽しみです。
カルトっぽくない 投稿者:ひとみ 投稿日:
2月19日(月)23時14分42秒
カルトっぽいなんて少しも感じませんよ。私は、「何故治ったのかという自覚が足りない」と斎藤さんから言われつつも、まあ、最近とてもラクになったというのは先日書いたとおりなのですが、「全体の雑感」を書いた斎藤さんの文章は、とてもスンナリ私には入って来ます。治ってからこのHPを隅々まで読んでみると、「なるほどそのとおりだったなぁ」と感心するばかり。
「これを可能にするには理解では不可能です。理解は後から来るもので最初に実行が来ないとならない。辛いけれど知識を詰め込み理解する努力を今直ちに止めて無為療法を身をもって実行して行くとある日気がついたら神経症の外側にいます。」
これがすべてでしょう!!毎日「あ〜でもない、こ〜でもない」と思い悩むより、まず実行する。「出来るか出来ないか」なんてことも考えずに先ずやってみる。ここ、もう一回読んでみましょうよ。「強い意思のもとに実行する」とあります。私の場合は部分開放とかいうやつかもしれませんが、今度ぶり返しが来たら、絶対にこの方法で治してみせますよ。
これがなかなか難しいけど 投稿者:ヨシ
投稿日:
2月18日(日)17時56分00秒
そのままで生きればいいのです。「治してから生きよう」は誤りです。糖尿患者は食事制限をしながら生きているし、不幸にして半身不随になった人は車椅子で生活している。我々とて同様です。取り合えず神経症をほっといて、凍結して、棚上げして生きるより無い。そこからまずやり始める必要があるのです。
しかし治癒不可能な半身不随などとは違い、神経症は治ります。むしろ骨折の時のギプス生活に似ている。「痛たた」とか言いながら生活すればいいのです。ギプスの中を動かしたり、点検したりしてはいけない。一時凍結してごらんなさい。そこから始めて欲しい。
>無作為にできる人は、たぶん先に何かに到達してあるのだと思います、そこへ導いてやるのも神経症経験者の知恵だと思うのですがどうでしょう?
に関して。じゃあ、到達するために上のことを実行して下さい。残念ながら誰にも導くことは出来ないのです。自分で掴むしかない。唯一これに関してのアドバイスは上に書いたと通りです。「こうすれば治る」実行している限りついに治る時が来ないのです。要約すれば、一度治す事から離れる必要があるということです。
これは意識や意志では出来ない。上に書いた生活を継続することで、自分で掴むのです。感覚とか感触といったような類のものです。
不安が時々 投稿者:よう 投稿日:
2月19日(月)03時27分46秒
無為療法に出会ってから、随分生活や気持ちが変わってます。好きで色々取り組めてます。友達や試験勉強、身の回りのことなどなど、不安は勿論あるけれど「自分が変だからしなきゃ」という気持ちが不思議と無くなって、嫌な気持ちの時間とは別に、心から楽しい時間も持てるようになったんです。かなり酷いこと言われても気に病んで一日中考えないで済みます、味方が増えたので話せば気が済む。悩む時間がかなり減ってます。ですが・・・。身の回りで起る変化がときどき怖いです。
無為療法で問題を深く考えなくなってから、自分の行動、言動を、直感的に短時間で決めてしまいます。言おうか長く迷わないから言えるし、しようか長く迷わないからできます。それが普通なのかもしれないけど、ふと正しかったのか怖くなる。怒る時は怒ろうと決めて、普段はそうしないのに怒ります。嬉しい時はお礼を言おうと決めて、普段はできないのに相手に電話を入れます。
態度をはっきりしたら、家族が少しだけ優しくなり無茶を言ってこなくなりました、友達と頻繁に誘い合って会うようになりました。普段したい放題に暴れている弟だけは私が簡単に物を言い出すとと被害こうむる形になるので、どうなるやらですが。
家の中での喧嘩のストレスは、関わらなかったり無視したり、最中と終わった後むかむかするくらいで、早めに頭を切りかえられるようになってきてます。自分の気持ちをある程度人に話せるようになり、家の外に味方が増え、いいことづくめな気がするんですが。自分を中心に物事が動く感覚が時々怖いです。これで良かったのかな、と思う。自己主張して、相手を押しのけて(または相手がゆずってくれて)自分のストレスが減った分、そのストレスは相手にかかる訳ですよね。譲ったストレスとか、言葉を引っ込めたストレスとか。それって自己中って言わないかなぁ・・・と思ったりします。
何と言うか・・・。気分がいいのがたまに気持ち悪いです。(伝わりますか・・・?)なんだろう・・・。家のことをほおって、家の人がずーっと悩んでるときに、私は外で物凄く楽しく過ごしてしまって。自分だけイライラから抜けると、周囲から反動が来そうで怖いのかもしれないです。考え込まないようにしてるので漠然と、妙な違和感があります。友達と誘い合って遊べるのは、引きこもってたのに、歯車が回って世界が動き出した感じで嬉しいんですが。どうなんでしょう? 変わる時、抵抗はあるものですか? 勘で思うように、何かが間違っているということ・・・?
無為療法とM氏の違い 投稿者:りょう 投稿日: 2月17日(土)10時50分05秒
僕は○○療法を推進している生活○○会の現役会員です。
無為療法によって神経症からの囚われから離れる事ができ現在は○○会の活動は一切打ち切っています。なので無為療法と○○療法の違いは詳しくは説明する気はないのですが、神経症の治癒に向けて確実に歩む事ができる無為療法と神経症を食い物にしている○○療法の違いではないでしょうか?似て非なるものなのです。
sさん 斎藤さんのホームページ読んだだけでは理解できませんよ。神経症の最中におられる貴方には貴方のような人が○○会で沢山見てきました。人の意見を聞きたがる人達を 認めて欲しくて奔走する人達をでも貴方は少し目的が違うようですね?
たくさんの人達がアクセスする無為療法の掲示板にうまく便乗してご自分の療法の名を売りたい為だけですね。だからいちいちホームページアドレスまでご丁寧に記入してある。貴方のホームページを読みましたが日記みたいで恐れ入りました。貴方の度胸の良さに感心いたしました。
いい加減にしませんか? 投稿者:ヨシ 投稿日:
2月17日(土)13時02分56秒
>sさんへ
「心の流れを神経症の回路から正常な回路を流れるようにするという実践をおこなって」いるのがまさに斉藤療法です。これを行うのにあなたみたいな「取り組み」を意識的にやろうとするからループから解放されることがない。もうそろそろいい加減にしませんか??
宣伝効果はあったはずです。あとはご自分のHPで手厚くフォーローすればいい。人生無駄にしたい人が大挙訪れるでしょう。
神経症=治したい病なんですは正解 投稿者:キザ
投稿日: 2月17日(土)14時19分24秒
Sさんへ
Sさん、ここにいる人は皆斉藤療法で治った人ばかりではありませんよ。斉藤さんは約10年前にこの療法で治ったと言う事で、その内容を詳しくここに説明しています。私の場合は斉藤さんが治る約10年前に治りました(約20年前)、よって私は斉藤療法を実践した事はありません。
ヨシさんも同じように何年か前に自分で治したと言われています。前回のヨシさんの書き込み「神経症=治したい病なんです」との事はまったく私も同感する所です。治った時期がバラバラな斉藤さんも、ヨシさんも私も「神経症=治したい病なんです」と言う事に同感しています。過去に接触の無い治った3人がまったく同じ事を言っています。
貴方は神経症を、努力、工夫で治す必要が有ると言ってます。修行を積んだり、自己訓練をしたりして成長せよ(神経症等を乗り越えよ)と言っていますね、私は、上に書くいた通り、治そうとする事が神経症だと思います。神経症を治す為に努力、工夫すること、修行を積んだり、自己訓練をする事は神経症そのものだと思います。
全然別の場所で別の年代に治った3人が、まったく同じ事を言っています、私は「神経症=治したい病なんです」という事が正解だと思います、貴方は間違っています。間違うのは問題ないが、その間違いでHPを作って人々を啓蒙しています。人々を苦しみに落としている行為だと理解しています。
ひとみさんへ
良いところに来ているし、色々活躍しているみたいなにで、おしみます。仕事、生活に努力するのは大いに賛成ですが、神経症の為に努力はいけません。
神経症=治したい病なんです。 投稿者:ヨシ
投稿日: 2月16日(金)18時12分25秒
症状にだけ目が行ってしまい、見落としがちですが(ここの人達は既に自覚しているでしょう。)治そうとすること自体が神経症の核心なんです。だからsさんのやっていることは神経症そのものです。
何度も言うけど、sさんが大上段振りかざして主張している方法論はここのボードの方なら、必ず最初に試したはずの、実に幼稚なものです。sさんには「ひどい神経症でなくて良かったですね」としか申しあげようがない。
僕などはいちいち「頭」という入れ物の中身を意識したことがない。あるときは自責の念が入っているかもしれないし、またあるときは創造的なエネルギーに満ちているかもしれない。sさんの言うようにいちいち中身を自分で用意する必要がない。中身をいちいち点検し「入れ替え」の番人をしているのが神経症なんです。
そして番人を放棄することが「何もしない」ということです。○○療法はやっぱり「充填物」として「常に工夫」とか「作業になり切る」とか余計な事を言っている。何もしないが徹底すると「頭」は勝手に健康を取り戻し嬉々として働きき出すのです。
Sさん 投稿者:トム 投稿日: 2月15日(木)17時23分28秒
どうして人は溺れるか?、それは恐怖心に駆られ、何かにすがろうと必死にもがくからですよ。この溺れる者には、「もがくな、じっとしていれば自然に体は浮く」というアドバイスが正しい。
不安に駆られてもがく事で症状を悪くしているという点では神経症者も一緒で、彼らに対しては、「不安に起因する思考や行動を止めよ、そうすれば自然に治っていく」という無為療法式のアドバイスが私の経験上からも正しい。
で、Sさんの方法論に付いては何とも言えない。と言うのも、かって私も治癒中に不安に対して気をそらすという行為をやってきたからです。但し、それは無意識に近いもので、意識的に気をそらすというクセを習慣づけるのとは違います。よって、今の私にはいちいち気をそらしながら生きていくなんて習慣はありません。
ただSさんの方法も人によっては無為療法と同じ効果をあげるのかも知れませんが、無為療法なら健全なスイマーになれます。ま、念仏によって浮力を得るスイマーじゃ、イヤってことです(笑
Sさんへ2 投稿者:キザ 投稿日:
2月14日(水)23時59分58秒
貴方と私では神経症に対する根本的な理解が異なります。私の考えでは、神経症とは自分で起こしている一つの状態であり、治癒させようとする行為が神経症そのものす。だから退けよう、治そうと努力する事は神経症です。一つの症状、欠点に囚われ、ひたすら考え退けよう、治そうとしている状態を神経症と言うと思います。一つの状態であるので、症状にいっさい対応せず、完全に無視した時に、神経症は消えて無くなります。物でなく状態だから跡形も無くなります。
貴方の神経症に対する考え方は、自分の中に巣を作った悪いものが作り出す、悪い状態を色々の方法を使ってこれをやっつける事を言っています。元の原因を絶つこと無く、出た症状に対応して、それを押さえようとしている。原因を完全に絶てば、この様な対処行為は必要の無いものです。この対処行為そのものが神経症だと思います、貴方は神経症をまじで実行せよと言っています。症状が出たら「一心不乱に祈る」「数をかぞえる」「文字を読む」「難しい本を読む」などの事を実行しながら
>仕事に対してもますます全力投球できるようになり
は信じられません。こんな事をしなければならないのは、神経症の無い健康人と大きく異なっており、
神経症者の行為そのものです。
貴方のHPの内容は、神経症者に神経症の悪化を進めている様に思う。絶対に私の受け入れれるものでは有りません。貴方と私では神経症に対する根本的な理解が異なり、簡単に理解して頂けない様ですのでこれ以上の議論、指摘は止めます。
Sさんへ 投稿者:キザ 投稿日: 2月13日(火)22時21分31秒
>神経症の症状が出た時、心の切り替えや切り替え精神集中を行い、症状を流し消滅させるわけですが、外出しているときに症状が出た時など、文字の書いてあるところがあったら、それを何度も繰り返し読むなども良い方法です。
貴方は20年間もこんな事をしていたのですか、ただお気の毒としか言いよが無いですね。20年間神経症と戦ってきた訳ですね、ご苦労様です。私は20年前に神経症と戦う事をやめ、治すことを止め、治癒の努力をいっさい止めてしまいました。神経症の事について治す事も考える事もすべてやらないので、神経症は途方にくれていました、反対に私自身は自由闊達に活動出来るようになりました。
私は神経症に邪魔されず、20年間人生に全力投入して生活する事ができました。精神集中などする必要も無く、ましてや道路で文字に読む必要などまったくありませんでした。
>はからうことを良いことと思っている人は、なかなか治らず症状が進む可能性が大きい。
まったくその通りです、計らいはいけない。しかし貴方のやっている、精神集中とか心の切り替えとかは計らいではないですか?「一心不乱に祈る」「数をかぞえる」「文字を読む」「難しい本を読む」これは計らいそのものです。こんな事に人生を邪魔されて生きていかなければいけないとは、考えただけでもゾ〜とします。こんな事をやらないで人生は生きたいものだ。貴方ができるだけ早く、人生そのものに集中して生きれる様になる事を心より望みます。
ひとみさんへ 投稿者:キザ 投稿日: 2月13日(火)00時06分18秒
ひとみさんの書き込みは面白い
>次から次と時間を追って人が来る。次から次と人前で話す仕事が入ってくる。何かを思い煩っているヒマがなかったような気がします。
この状態になったら治る可能性は高いと思います。人と会うのが苦手との症状に、なんら工夫改善を加え考える事無く、日々過ぎている状態ですから、これは自然に治る、コップの外にでる。
>ヒマになると、又、戻るのでしょうか?
その可能性もありますね。残念だけどヒマになって考えだすあやしい。それは自分の力で治していないからです、自然に治ってしまったからです。
人と会うのが苦手との症状に、なんら工夫改善を加え考える事無く、日々過ぎている状態を人工的に自分の力で作り出す必要があります。こうすれば症状が起こりかけても自分の力で簡単に起こらないように出来ます忙しくしないと出来ないとなると、簡単には出来なません。
考えて難しい事を理解する事は大変だが、考えない、工夫改善は加えないは簡単ですだれでもすぐできます。忙しくする必要もありません。これを簡単にすぐ出来るようになるのが治癒であり、コップの外に出ることになります。このコツがわかれば二度と神経症に戻る事はありません。
何故・・・ 投稿者:ひとみ 投稿日: 2月12日(月)15時47分02秒
以前、「なんとなく、気がついたら症状が良くなっていた・・・」と書き込みしましたが、「何故?」と振り返ってみると、ただもう、この1年間がひたすら多忙だったからと言えそうです。人に合うのが苦手とはいうものの、次から次と時間を追って人が来る。人前で話すのが苦手とはいえ、次から次と人前で話す仕事が入ってくる。あれよ、あれよという感じで、帰宅すれば仮眠のつもりが熟睡へ。何かを思い煩っているヒマがなかったような気がします。ヒマになると、又、戻るのでしょうか?
ムードスィングの話は納得しました。以前の私は一生懸命に藁をつかみまくっていましたもの。つかんだと喜んだのも束の間、すぐに元に戻っているのでした。タイトルに魅せられて、一体何冊の本を買って読んだことでしょう。
悶々としている頃は、斎藤さんの書いていることが理解できないところもありましたが、今はすべてではありませんがわかります。あ〜でもない、こ〜でもないと難しい言葉を羅列している人ほど「ラクでなさそう・・・」と思ってしまいます。
最近の掲示板、ディベート大会のようで面白いです。不謹慎でしょうか。
斎藤へのEメイル
おっしゃるとうりです。外来や退院して社会に出て行く人達の表と裏の表情にきずいていました。「治っていない」と。○○療法と名うってそこに「すがりたい気持ち」の人の心を商売道具にしかしていない気がしました。確かに強制でした。「これで治るなら」と。「恐怖突入」というのがあって、余計自信を無くしたと告げると「本当の事を理解していない」と理解する前にやってみろと言われたのが現実ですが。
○○会にも興味を持ちましたがどうも「偽善」の臭いがし「拒否」しました。一冊本を買うと何冊も紹介され「あやしい」と。何冊も読むこと自体が不自然でした。ある大学病院には売店に並んでいいました。診察の後みな寄って帰ります。「これは悪だな」と思いました。みんな青い顔をして。
まさにそのことです。ありがとうございます。そうなると僕は納得できます。実際に神経症で疲れ果てて「憂うつ」になり「頑張れ」「生活をしろ」「うつでも最低限」と鞭をうた・・・。マラソンでゴールした後「結果が悪いもう一回頑張れ」と言われてるようでした。
承知いたしました。前回のメールと共に肝に銘じ「・・・・」でやっていきます。最近、友人や家族から「顔がスッキリした」と言われます。うれしいです。何せ「何も考えてない」から「悩んでる顔」はどこかに数日で消えました。よくない時の状態でも以前とは全く違います。「今は調子が悪い」と自負できます。
今後も無作為療法のご活躍・斎藤さまのご健康、発展。お祈りいたしております。お忙しい中長くなり失礼致しました。
斎藤へのEメイル
斎藤さん こんにちは いかがお過ごしですか
私はおかげさまで自分と対話する事が大幅に
削減することができまして元気に過ごしており
感謝しております。
脳バグをあっさり認められないわけは、自分に限って
という事もありますが、過大解釈をする人にとっては
自分は脳に障害があるすなわちきちがいか狂人を自ら認めなければならない。それは強迫観念に終始囚われている人にとってあっさり認めることが
できないんでしょうね。私は幸い認めることが出来
て良かったのですが。ありがとうございます。
それと無為療法が今までの療法とは異なり斬新で効果的で比較的短期間で体感できる。
努力も必要ない。ただ回路を切り替えるだけなのに いい事ずくめの療法にもかかわらず、同じような
質問嘆き、どうすればよいかとダラダラと繰り返す人 が後を絶たない。
治った 人の近況報告も目にする事があるので嬉しくなってついつい通ってしまうのですが治す目的で通っていた頃と今の自分とでは掲示板の書きこみを観る視点が変わってきたのが
実感できます。斎藤さんの気持ちがわかるように
なりました。(笑)
私は確認癖もないので強迫神経症ではないと思って いましたが、無為療法によりいかに盲目的に従って
きた強迫観念が身近に存在していたか驚いて しまいました。考えることすべて強迫観念で意味の
ない事に悩んでいたなんて。 考えれば考えるほど強迫観念に餌をやることになり
強迫観念はすくすく成長してしまう。無意識のうちに それをきずかせて頂いた斎藤さんに感謝の気持ちで
一杯です。
ありがとうございました。
(無題) 投稿者:メリル 投稿日: 2月 2日(金)07時53分33秒
無為療法を実践していてきずいたことをは なんと脳バグによる強迫観念て
さも重要な意味を持つような顔して甘く囁いてきます。
人からは好かれなければ駄目ですよ とか 症状をまず治す事が先決ですよ
とか大きな事から些細なことまで干渉してきました。
最近はその強迫観念を肯定も否定もせずただ 出口はあちらと立て看板を出し
放ったらかしにして相手にしなくなったら 申し訳そうな顔して
強迫観念君は静かに通りすぎるようになりました。
たまに怒り出して暴れる強迫観念君もいることありますが
なつかしいです? 投稿者:おさる 投稿日: 2月 2日(金)03時42分34秒
昨年の春頃は毎日のようにこのHPを見ていたものです。「お気に入り」の整理をしようとしてここを思い出して来てみました。HPもすごく進化していてびっくりしました。私は強迫神経症だったのですが、治りました。あの頃は本当に治るのか、一生このままなのではないか、治ったといっても大してかわりないんじゃないか、って思ってましたが、本当に治ったので今強迫神経症の方は安心してほしいです。
今もある特定のことには心配性ですが、心配性と神経症は全く違うってことが今ならわかります。あの頃の感覚は思い出すことはできないのですが、恐怖に近いものがあったし、うまくいえないけどやっぱり病気だったと思う。特に「心の病気」ではなくて医学的な(というのかな?)ものだったと思います。なぜなら今も同じ性格をもつ人間だし、過去のトラウマがあったりしたのならそのトラウマは持ったままなはずなのに、治っているからです。(まあ、ストレスが多かったということもあったかもしれないけど)
で、治療法なのですが、私は医者からもらった薬をきちんと飲みつづけたのが良かったと思います。(2ヶ月くらい)。薬の名前は忘れましたが、斎藤さんのHPで言っている脳の物質を増やすという説明だったと思います。やはり、医学的な病気なら普通の病気のようにそれにあった薬ですぐ治るものなのではないでしょうか。
でも医者には「そのことについて考えることをやめたり、離れたりしていることがよかった」と言われました。だから病気になってからすぐにこのHPを発見できたことは運がよかったと思います。
で、治った後の状態ですが、自覚しているわけではないのですが、このHPの「治った状態」にかかれているとおりだと思います。でも、確かに症状がないと毎日喜ぶことはないですが、こうやってあの頃のことを思い出したり、たまにBFにあの頃こうだったとか言われたりすると、やはり治ったことを喜ばざるをえません。
うう,何か長くなってしまって申し訳ありません。でも、今となってみると神経症がいかに馬鹿馬鹿しかったか、そしてあっという間に去っていったかをお伝えしたいです。だから、神経症と一緒に生きよう,とか思わないほうがいいと思います。むしろ普通の病気みたいに早く治そうと思ったほうが(もちろん、何もしない、で)良いと思います。それでは、脈略なくてすみませんでした。
効果出てます 投稿者:よう 投稿日: 2月 1日(木)04時53分10秒
斎藤先生、久しぶりに来ました。
落ち着いて寝られない環境で無為療法が難しいと言いました。 でも、脳のバグを遮断・・・と考えるとイメージしやすくて、嫌なことを無理矢理考えないようにしているうちに、楽しい時間・落ち着く時間が増えましたのでご報告します。
ここ一年閉じこもっていたのに、外出が増えました。友達といるのが楽しいので、何でも無い時のイライラを頭から追い出すと、家でも自然と最近の楽しいことが思い浮かびます。イライラを早く追い出すのが難しく無くなってきてます(なので前より寝やすくなってます)。ずっと無気力でできなかった今後の計画に手をつけることができました。母の鬱にもあまり影響されないようになってます。
まだ家でゴタゴタがあったり、何もしてこなかった自分に直面した時に、顔からざっと血が引くほど落ち込んでしばらく同じ事を考えてしまうのですが。(←今度は躁鬱になったのかとたまに不安になるので今日は読み返しに来ましたU)
このストレス脳ミソが忘れてた穏やかな時間が戻ってきた感じで、今ちょっと幸せです。こっちが自然になるといいなぁ。。。
わからない 投稿者:ひとみ 投稿日: 2月 1日(木)00時28分26秒
私は、2,3年前、毎日のようにこの掲示板を読みに来ていました。対人恐怖、赤面恐怖があり、ここでなんとか直すヒントを得たいと、通いつめたのです。「何もしない」ようにしても、症状は良くは
なりませんでした。それは、「何もしない」ことを「しよう」とするからだったのです。もう、「意識」「意図」した時にそれは失敗しているのでした。
ところで、さきほどからネットで遊んでおり、もう寝ようとしたのですが、もう少し遊び足りないような気がして、どこに行こうか・・・と思っているときに、そういえば、最近、この掲示板に全く来て
いなかったなぁと気づき、今でも同じことを繰り返しているのだろうかとの興味からやって来た次第です。
今の私は、何故かわからないのですが、対人恐怖も赤面恐怖も残っているのですが、気にならない。こんなものかな〜程度で、知らない人と会って、胸がざわついても、赤面しても、その場限りで嫌な思いは残らない。以前は、「もし〜〜ならどうしよう」と早い段階からドキドキしっぱなしで、対策を練ったりしていたのが、直前まで全く他のことを考えていて、いざ直面して楽しい思いではないものの終わればただ終わったという感じで引きずらない。
何が原因でこんな風に変わってしまったのかは分からないけれどこうなってしまった私が今、「何もしない」私であることだけは確かです。何が原因で良くなったのか・・・わからない。
ケンタさんへ。 投稿者:ナンデちゃん 投稿日: 1月25日(木)18時55分47秒
ケンタさんは思い違いをしています。下の投稿を書いているのは、社内でしょうか。ご自宅でしょうか。どちらにしろ、仕事をしてない時間に(症状が出ていない時間も)症状の事を考え続けていると思われ
ます。これがコップの中です。
私は神経症治ったけど、やっぱ症状が出やすい場面ではグルグルなってしまう。でもそれに気が付いたらピタ。と心をリセットしてみる。やっぱダメだ!と思ったら逃げる(寝る)。逃げられなければグルグ
ルなりながら我慢するしかないでしょう。でもとにかく、その場をしのいだらもう考えない。そうするといつのまにかコップの外に居ます。
無題) 投稿者:メリル 投稿日: 1月23日(火)17時28分52秒
私はこのホームページの治し方を実践してあきらかに心が自由になりつつあります。
被害妄想、症状に悩み本棚が自己啓発の本で埋め尽くされ、いろいろな療法を試みても駄目だったのですが現在はそういう事は積極的に切り捨てて、どうしようもない事は諦めるしかないという生活です。消極的な生き方におもわれるかもしれないですがこれが今愉快です。
過去にしてきた涙ぐましい努力をたまに思い出し笑いしてます症状によって誰かを傷つけたり、嫌な想いをさせて苦情がきたこともないのになぜ症状による罪の意識で自分を苦しめなければいけないのかと冷静に考えたらバカバカしくなりました。
以前の私は絶えずこんなはずじゃなかったのにと悔やむ毎日でしたが、今は自分はこんなもんだと開き直りました。すると自分に安心することができました。
無題 投稿者:あかり 投稿日: 1月22日(月)13時00分46秒
掲示板やEメールで思いきって書き込みし、返事を返してもらいする内に「心が自由な時間」が自分の意思とは関係なく増えているのを感じています。これが経験なんだな〜と思っています。そういいながらもちょっと無理して出かけると「自由」ではなくなります。それも経験なんだな〜と思います。でも、以前と違うのは立ち直るのも早いんです。一体なんなん!?と自分でも呆れます。
昨日もそうでした・・。こうなってくると自分の心とか意識とは全く関係ない感じがします
思い当たること 投稿者:よう 投稿日: 1月15日(月)12時43分23秒
私は以前、視線恐怖があって、特に電車に乗ると緊張で首が後ろに回ってしまいそうな感覚におそわれていたのですが、今では「そんなこともあったか」と思う程度で恐怖感を全く忘れてます。
田舎者の自分の容姿やセンスが変だと思いこんでいたので、じゃあ克服してやると思いたち、綺麗な人の服装をコスプレでもするように真似て車内の注目を集めてやろうと挑戦したのですが。
いつのまにか単純にお洒落や外出が楽しくなっていて、「電車」とか「視線」とか「普通は」とか、難しく考えなくなっていました。嫌でも毎日必ず化粧していたのは、今思えば何だか病的です。今では電車で寝ちゃうし、好きなものを着て出かけてるし、街でも色々楽しめてます。
今日このHPに出会ったのですが、「心が外を向くと克服の必要が無い」というのにハッと気づかせてもらいました。マジ、本当だと思う。今の私は別の問題を克服しようとあがいているけど、今度は問題に無謀な体当たりをしなくても、気持ちがいい方向へ向くといいなと思います。もう少しうじうじHPを読ませて欲しいのですが・・・。ここできっかけを掴めたら嬉しいな。
経症者にカウンセリングは有効か 投稿者:イマピ 投稿日: 1月15日(月)09時45分13秒
”自分の中から湧き出る強迫観念と対話をしています。これを心理分析という。”まったく同感です。カウンセリングは健康な人においては有効だと思います。ちょっとした仕事のいきづまり、対人問題、生活問題、などを客観的に整理し、アドバイスを受ける。おおいに良いことです。
しかし、神経症者においてはいくら強迫観念を分析しても
意味がないどころか有害ですらあります。専門家にもそのことを理解していないというより、わからない方が多いのではないかと思います。わたしの経験ですがかつて専門家と面接したときに「なかなかあなたはがんばりやサンですね」と、言われ、その気になっていました。今思えばお笑いです。
悲劇ですらあります。
神経症者の世界は専門家ですら(ここでいう専門家とはそれで生活している人の意味)理解できる人が少ないのですから健常者の友人などに自分の症状を語って同情、アドバイスを得ようなんてとんでもないことだと思います。誤解されるだけです。わたしはそれで友人を無くした経験があります。
途中経過 投稿者:ふう 投稿日: 1月15日(月)00時08分19秒
こんにちわ、2週間ほど前に書き込みさせていただいた、ふうです。
あれ以来、「何も考えるな」を実践してきましたが、だいぶ、鬱と躁のコントロールが利くようになってきました。以前は、鬱の時は果てしなく落ち込み、不安が不安を呼んで深みにはまっていき、躁の時は気分がハイになりすぎ周りに迷惑と恥を撒き散らし、収まったときに後悔し鬱になる、という悪循環を繰り返していました。今は、鬱も躁も起こった少し後で考えを無にして抑えることができるようになってきました。まだまだ完全ではありませんが。
一番大きい間隔の違いは、自分が今、鬱もしくは躁の状態だ、と自覚できるようになってきたところです。以前はいきなりこれらに襲われ、流されるままに感情が動いていましたが、自分を客観的に感じることが、少しずつですができるようになってきました。この状態になって分かったことですが、以前はフラッシュバックが体に染み付いていました。行動の一つ一つの何気ないきっかけで起こり、ひどい時は普通に歩いていても頭の中は過去の失敗で一杯で、どこを歩いていたのか記憶がないほどでした。今では、あるきながら店先の商品に気を配る余裕も出てきました。
まだまだこれからだと想います。鬱を忘れた感覚には至っていません。が、「何も考えるな」をおこなってから躁鬱の状態を認識できるようになり、抑えることができるようになってきました。
本当にありがとうございました。次は回復してからこようと想っています。
さつきさんえ 投稿者:キザ 投稿日: 1月14日(日)22時19分17秒
>何も考えたり、したりしないことは努力しないことと同じではないか、
>そんなんで治るのだろうかと疑問にも思い、投稿しました。
そうです、神経症に対して考えたり、努力したりする事は良く無いのです。この事が神経症を作っているし、神経症を継続させています。神経症とは囚われです、一つの欠点を治したくて囚われているのです。考え創意工夫して努力して囚われを深めています。そしていくら考え創意工夫して努力しても、良い解決は出来ません。みんな10年15年努力しているが解決しません。
だから治癒は、考え創意工夫し努力して、良い方法や考え方を見つける事では無くて、囚われから解除される事です。一つの欠点に囚われている心を開放するのです。それには神経症を考える事や創意工夫する事、努力する事を中止して、二度とやらないことです。これを続けると神経症は治ってゆきます。
囚われから開放されると、人間の本来もっている、意欲欲望が一気に自分のものになり、明るく元気に自由闊達に生きれるのです。症状は有っても少しも生活の邪魔をしないのです。症状など相手にしない自由闊達の日々を送れるのです。
現実として今貴方に進めたいのは、自己紹介や発表で声は震える、足はがくがくするは無くそうとせず、内容を正しく伝えるように注意して下さい。ただ日々の生活の中でこの事に頭を使う時間を少なくしましょう、時々頭をよぎるが、特に考える事なく日々の生活ができれば、それで正解であり治癒した姿です。
2、3分の声の震える、足はがくがくするとの格好、体裁より、日々の長い生活が本当に大事なのです。この日々の生活を、症状に邪魔されないようになって下さい。日々の平凡な長い生活より、2、3分の体裁や格好に重点をおいている、貴方の哲学、心根にも問題があるよな気が
します。
教祖と信者に見えるワケ 投稿者:さんくす 投稿日: 1月10日(水)10時13分06秒
この掲示板の事を「教祖と信者」などと言う悪口をたまに見掛けますが、それって彼らが治ってない証拠なんでしょうね。
無為療法には定義など何も無い、だから教祖に祭り上げようが無いという事を彼らは理解していないし、それまでの療法と同じ尺度でしか見ていないですよね。
それに。治れば心から感謝するのは当然ですよ。信者などと言う人は感謝した事がないから感謝に
違和感を覚えるのでしょう。
悪いことは言わないです。無為療法やってみな〜!
21世紀の幕開け、みなさんおめでとうございます。 投稿者:石原
投稿日: 1月 1日(月)00時56分13秒 21世紀、私たちは100年刻みの世紀の変わり目に運良く生きている。たぶん。22世紀の幕開けには、私も斎藤さんも存在しないでしょう。
この歴史的な年の変わり目に生きていることをうれしく思います。私はご存じのように、これまで「書痙」という神経症で悩んできました。このHPで斎藤さんと出会って2年経過しました。1999年の年末には斎藤さんに異常なまでの嫌がらせメールを送り、斎藤さんを困らせました。
しかし、2000年の1年間、斎藤さんがいういわゆる「何もするな」を選挙指揮官、株売買、老人会の世話人、とにかく神経症を考えない状況を自分で作りだし実践してきました。
結果、神経症はほぼ完全に克服したと思っています。このHPがどうしてこんなに人気があるのか。斎藤さんは30年にもおよぶ神経症との闘いをこのHPを通じてみんなに訴え、自分の生き様を通じて神経症からの脱却を訴えている。全く頭が下がる思いでいっぱいです。
このHPが斎藤さんが生きている間、永遠にその目的を達成されるよう心から願っています。今年も、時々このページを覗きにきます。 斎藤さん、どうか身体に気をつけて頑張ってください。陰ながら応援したいと思っています。
みなさん、今年もどうかよろしくお願いいたします。
以 上
斎藤へのEメイルから 12月24日
近況です。
はっきり良くなりました。自分でキズキます。ホームページの色んな所を見てなんかおかしいくらい
自分は神経症を治そうとして呼び起こしていました。「外に出る」「他人が気になる」等、あまりなくなりました。行動ではっきりしています。(調子が悪い日もあります)
意識が集中すると「あー今入っているなー」と我にかえり「そのこと」自体がとても小さなささいなことに気がついたりします。まだまだ一進一退等するでしょうが、今年、しかも年末に入り、無為療法?ですか、
教えて下さり、感謝とお礼の気持ちでいっぱいです。有難う御座います。
いろんな方の悩みごと不安状態、心配事などその他にもM氏のかたの「M氏への執着」のからのバッシング。本当に頭が下がりつつ斎藤さまにご活躍して頂き自分は勿論のこと全国でサマヨッテいる神経症患者がこちらで「神経症」の実態を知ってもらいたい気持ちです。また、斎藤さまの事を同じ病気で苦しむ友人に伝える事は良いことですよね。
まだパソコンを持たず、本屋でノイローゼやうつ病の知識や薬に詳しくなる一方の方がたくさんいます。
(結局はM氏が多い→深く考える)斎藤さまの「療法」はおそらく今後「知らないと駄目」なくらいストレス社会で生き抜いていくコツのように思います。(長くなりました)本当にいつもありがとうございます。
32歳男子。
人に寄りますが。 投稿者:エルト 投稿日:12月24日(日)00時20分21秒
薬のせいかもしれませんが、今は神経症症状がとまっているので説明を書き込むのも少し面倒な感じです。治っている感覚のときは、他にしたいことがあったり、休んでいたかったり、症状に関することにそれほど構いたい気分じゃなくなるんではないかと思います。 下に薬関連、欝関連の書き込みがあったので。自分なりに楽になっている流れを書きたくなりました。治ります。少なくとも、楽な時間を延ばすことはできています。
最初に書いたとおり、私は薬を飲んでいます。抗欝剤です。薬に頼りすぎるのは問題ですが、にっちもさっちもいかない時は薬も一つの手なのです。斎藤さんご自身がホームページで売っていらっしゃるのもその辺りのことを踏まえてではないでしょうか?(メールの中味などから判断しました。もし違っていたらご容赦ください。)
薬を飲む事で強制的に内向的思考を止めて「健康な感覚」がつかめることがあります。その感覚を体験として覚えると、日常でも薬なしでそれができていくようになるきっかけになるのではないでしょうか。つまり「健康な感覚」を癖にしてしまうわけですね。
私自身は通常といわれるの量の三分の1ですんでいます。薬を飲む前は健康な感覚などほとんどない日々でなにも出来ない、内省と後悔と自己嫌悪のあげくに動けない状態でしたが、「健康な感覚」を覚えてからふとある日薬を飲み忘れていたことに気付いた日がありました。つまり、薬なしでも心は「健康な感覚」状態のまま働いていて、薬を飲むのを忘れるくらい生活(その時は創作活動)に没頭していたわけです。
だからといって、自分の判断で今薬を止める気は私にはありません。私は専門医にかかっていますので、その指示にしたがうつもりだからです。しかしそれは、ここと反することではないと思っています。薬に頼るのではなく、薬や医者によってまずは「無為療法を実践できる」ところまで自分を持ち直させているようなものだとおもっています。それはつまり、ただ日常を生きるということなのですが...。
少しでも、みなさんの心が楽になればいいと思っています。 ここの療法とそぐわないようでしたら、すみません。 私は、斎藤先生のお考えに敬意をはらっていますし、 とても有用なものだと思い、実行しているつもりです。 ただ、実行できるようなら、治るんですよ。だから、実行までの流れを書きました。
斎藤さん。みなさん。こんばんにゃ〜 投稿者:ナンデちゃん 投稿日:12月22日(金)18時10分05秒
私が早く治った部類とは驚きです。キッカケを掴むのに時間がかかったので、遅い部類と思っていました。掴んだ後は先生(斎藤さん)の言いつけを守っているだけです。特に、治りかけ?の時期。薬を家族に強く勧められましたが、ほとんど飲みませんでした。薬を飲むとどこで治ったか解らないのです。(この「治った」は確認で得られるモノではなくて、ふと感じるモノです。)想像なのですが、毎日薬を飲んでいる方は「放っておけば治まるという感じ」が何時までも掴めないから、薬のおかげでもっていると思うのではないでしょうか。
以下強迫神経症の方に誤解の無いよう書いておきます。私は今も払拭行為全開です(笑)。そのような私が「治った」と言う理由は二つあります。一つは「症状があって困らない」こと。強迫行為がさらに不安を掻き立てるというのは本当ですが、だからと言ってやたら我慢すると「症状の事を考え続ける」結果になり鬱に入ります。二つ目は「鬱に入っても浅く、回復が早い」こと。まったくもって斎藤式のおかげです。もし払拭行為が無くなっても、一日中涙を堪えているような心の状態では病気です。治癒というのは、人並みに生活する事ではなく「実際に苦痛が無くなる」ことです。
それからこのページのあり方に疑問を抱いているみなさん。人間性や正義は「実際に苦痛が無くなる」には関係ないです。私は斎藤さんは優しい方だと思いますが、それも関係ありません。私は性格
が良いやぶ医者より性格が悪くても腕が良い医者に手術をまかせます。
ではみなさま良い週末を〜
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