神経症からの開放
有力投稿  
洗脳?? 投稿者:ヨシ  投稿日:12月19日(火)23時00分19秒
神経症を治す上で頼りにすべきは、自らの恒常性を維持する力、言い換えれば自然治癒力です。これへ全幅の信頼を寄せればいい。そしてこれは絶対にあなたを裏切らない。これを引き出すのが「何もしない」ということです。
重要なのは「療法と取引をしない」ということです。つまり「OX療法」をやったから神経症が治ったではいけない。必ずしっぺ返しに逢います。日曜が恐くなる、ひどい風邪や骨折など安静が必要な事態を極端に恐れる、等があったら立派な「○○療法」中毒者です。こういうのを洗脳というのです。あらゆる薬物同様抜け出すのは骨が折れますよ!

M氏の語録に「神経症は行き方の間違い」というのがあります。「向上心」の結果現れたのが「症状」であるから、その「向上心」を文字どおり生活を向上させるために費やせば万事安泰というわけです。そして症状が出た場合、患者は「M氏の教えを守らなかったから症状が出現した」と考える。つまりM氏療法と取引をしてしまっているわけです。そこいらの「拝み信心」となんら変わりがない。つまりご神体の意に沿わなかったから祟りがあった、というわけですな。しかし症状は病気であり脳の誤動作なのです。教えを守ったか、守らないか、行き方が間違っているか、いないかとは何ら関係がない。イマピさんの表現ではないが「ノイズ」なんですよ。太陽の黒点活動による通信障害みたいなもんです。もしあなたがアマチュア無線家なら、今晩の通信をしゃにむに続行するために「M氏辞典」なぞを引っ張ることはやめて、寝るのがベストだということです。


再びM氏、斎藤、両療法について 投稿者:イマピ  投稿日:12月19日(火)19時40分22秒

実りある議論ならば、たまにはおおいになされるのもよいでしょう。しかし、個人の神経症の改善にはあまり有益ではないと思います。以前、M氏、斎藤、両療法の決定的違いを病識を持つ、持たないで書き込みさせて頂きましたが今度は様式から両者の違いを述べます。○○療法は完全なる遮断の環境のもとによる入院療法です。そうでなければ、M氏正馬がおこなっていた○○療法であるとは正確にはいえません。

現在、あちこちのクリニック等でおこなわれているのはM氏的カウンセリングといってよいでしょう。もはや、厳密
には○○療法を受けた人はもうほとんどいないのが現状でしょう。本当の入院○○療法はすたれていき、M氏の残した言葉のみが広がり、認識されていく。言葉である以上、いろいろな解釈がなされていく。そして混乱する。
野口英世という人の時代は光学顕微鏡の時代でした。ウイルスを追跡したくてもできませんでした。細菌までしか見えませんでした。野口の死後、電子顕微鏡の時代が来ました。そして、彼の業績の数々が謝りであることが証明されていったのです。細菌が原因ではありませんよ。あなたが見たくても見れなかったウイルスが原因ですよと。M氏正馬の時代にMRIなどの現代の医療機器があったなら。私は、M氏と野口をダブらせてしまいます。向上心ではありませんよ、脳のノイズですよと。

↓一言、斎藤さんにお礼を言わなきゃ 投稿者:石原  投稿日:12月19日(火)03時05分37秒 tdby2DS32.osk.mesh.ad.jp

 下記に1人で治ったように生意気に投稿しましたが、斎藤さんの指示に従ったまでです。「何も考えるな」「何もするな」「このHPに来るな」これはまぎれもない斎藤さんの指示でした。これだけははっきりしておかないと、斎藤さんに失礼ですので追記します。


久しぶりに訪れたら、M氏・斎藤の論争か 投稿者:石原  投稿日:12月19日(火)02時34分23秒

 約2カ月ぶりにこのページを訪れたら、このありさま。どうしてM氏、斎藤で騒ぐのでしょう。私は別に斎藤さんを援護する気は全くありませんが、最近神経症について考えるのを停止したのです。そしてほかのことを考えることにしました。
 今の10%台しか支持がなく、70%の国民が今の森内閣を辞めてほしいってね。私は自分の居住地でどうしたら森内閣をつぶせるか。その先頭にたって頑張っています。 この行動を毎日続けていると、いまや昔の話になってしまいましたが、一番悩んでいた「書痙」がどこかに行ってしまい、ほぼ100%完治したと思っています。
 従って、私のこれまでの経緯からいって、神経症について考えないこと。この掲示板で論争しないこと。このページに関わって投稿しないこと。これが神経症を治す基本であるが私の結論です。このページに書き込んでいる間はみんな神経症ではないでしょうかね。私はそう思いますが皆さんいかがでしょうか。


○○療法について 投稿者:イマピ  投稿日:12月19日(火)00時30分19秒

なかなか面白い議論がつづいていますね。ここのBBSのためにも良いことだと思います。○○療法はM氏正馬が創始したものであるというのは周知の事実です。そして現在においては正規の○○療法をうけた人はもはや皆無といっていいでしょう。なぜならもはやM氏先生は故人だからです。(厳格な意味でもはや○○療法をなさっている機関はないのです。施設の制約、スタッフの問題、日本の医療保険の点数制度の矛盾などのため)M氏が残した文献においていろいろな解釈がなされ、専門家のなかでも論争がなされております。ネオM氏派なんていう言葉まであります。

そんな時代の流れのなかでがんばられておられたのが○○知準先生であり、もはや故人であられる○○会の創立者、水谷啓二先生などです。なぜ、M氏先生の言葉を紹介し、解説しただけの本が本屋に並べられているのか?それはM氏先生の言葉が神経症者に希望をあたえるからです。「あなたの症状、苦しみはあなたがより良く生きたい、人間らしく発展していきたい。すなわちM氏の言葉でいうところの生の欲望からきています。あなたは本来、向上心の高いりっぱな人間です。」このような内容がどれだけ神経症者の心に光を与えたことか?しかし、大いなる過ちです。向上心から神経症はきません。脳のノイズです。


RE:ダメだこりゃ  投稿者:ヨシ  投稿日:12月18日(月)22時57分25秒

>神経科医が「これは○○療法と何ら変わりはない」という意見には>どう反論するんだ?あんたが精神科医なら分かるけど。

実際に神経症になり治った「医者」なら御意見をおうかがいする価値はあるでしょう。実際共に「治癒の真理」に根ざした療法には間違いないからです。しかし神経症の経験のない医者はM氏の「語録」ばかりをいたずらに操るようになる。「○○会」も同罪だ。人生訓を垂れるだけに終始し、神経症者に回り道を強いる結果に終わる。神経症の解決はそんな所にはないでのですよ。「斉藤教の信者」を作らないことがここの趣旨です。そこをお忘れなく!


○○療法の実践者さんへ、 投稿者:ひめ  投稿日:12月18日(月)19時18分27秒

それで○○療法で治られたのですか。症状は軽減されたのでしょうか。もし症状が軽減してもまだ今も実践されているのでしたらその理由をお聞かせください。無為療法は比較的短期のうちに症状を軽減させますが、○○療法はどの程度の期間を経たのちになおるのでしょう。

一般論でなく、あなたの場合でお答え願いないでしょうか。ここで誤読であるとかないとかのやりとりをするよりかどう、○○療法で症状を軽減され方の経験論をお話されたほうがより説得力を持つと私には思われるのです。
○○療法を非難するなと言われるのなら、まず自分が治したその○○療法を具体的に説明していただけないでしょうか。

「普通の人と同じような生活をせよ。病人面するな。」

同じような。であってあくまでも同じではないんですね。治ったふり、演出をすれば治るというのは本当のことですか。病人なのに病人面するなとはどうゆうことですか。


○○療法実践者さん 投稿者:ヨシ  投稿日:12月18日(月)18時56分42秒

麻薬としての「○○療法」に毒されていませんか? 危険です。つまり、あなたはあなたの掴んだ「○○療法」に取りすがるようにして必死に治ろうとしているだけです。だからここの主張で根幹が揺らぐのが不安でしょうがない。
禅の悟りに近いものこそが「無為療法」でも「○○療法」でも重要なポイントなのです。この悟りについて少し本でも読んでみて下さい。少しなりともピンと来れば、あなたの治癒は完璧です。そしてここで様々な前置きによる自己防衛を張ってまで異議を唱える必要も無くなるはずです。

M氏のまずいところは、必死に治ろうとする患者の心理を療法へ吸着力として利用しすぎた点です。(僕の場合これから抜け出すのに時間がかかった・・・。)だから治癒像が一元化され「良き中堅製造業従事者」になってしまう。斉藤さんじゃないが、泥棒やヒモの神経症も救済されなければ「療法」とは言えない。「迷ったらいろいろやってみて、また斉藤療法へと戻ればいい」というのが斉藤の主張の重要な箇所なんです。ロボトミーみたいに気味悪いのが現代の○○療法継承者です。オリジナルはもっと斉藤療法みたいに純化されていたと想像するんですけどね。最後に言いたいのは、治ってから物を言うべしということです。



何が大事なのか 投稿者:うい  投稿日:12月18日(月)13時59分53秒

○○療法関係者の方へ

一番大事なのは神経症というものの克服です。斎藤氏がこのHPに書かれておることは、経験上分かった事と私は読み取りました。あなたがおっしゃる「普通の人と同じような生活をせよ。病人面するな」という言葉は神経症の回路を持つ患者に言っても症状を悪化するだけであり、回復する事はできない。そういう風に科学的にも証明されてきていて、それを斎藤氏が紹介しつつ経験上悟られた事を教えて下さっているのです。私は個人的に、○○療法で治る方も居られますが実際○○療法が効かないくらいに神経症が進行してる人もいると思います。
かくいう私も○○療法は効きませんでした。最後の砦として斎藤氏の療法を試している所です。

>○○療法実践者さんへ
あなたのカキコを読んでみると、どうしても喧嘩腰に見えますよ。もちろん宣伝に来られたのではないと思いますが、ご自身が○○療法で治られたのに、その療法が否定してあるというのが気にいらないのですね。でも矛盾していませんか?あなた方の書き込みを読んでいると、それも情報発信者として失格だと思います。掲示板も色んな人が見ていますし、この掲示板は無為療法を実践している方達が質問したり相談したりするための掲示板ですから。

質問があります。
情報発信者として失格という話ですが、色んな人の色んな思想があって当然の世界ではないでしょうか?無為療法がイヤで○○療法がしたいという人は○○療法に行くでしょうし、それは個人個人の考えで、自分に合うというものを選んで実践してるのではないですか?そういう所に○○療法の実践者さんが口を挟むというのが信じられません。○○療法を指導されてる方の書き込みならわかりますが。

とにかく私は○○療法がダメでしたので、無為療法で治すつもりです。


斎藤宛てに来たEメイルより

先日メール出させて頂いたものです。実は○○会に、対人恐怖で入会していたのですがどうも会の連中と肌が合わず(気が合わないでよかったー)まず言葉で理解させようと、M氏理論の理解度を求めてきます。斎藤さんに、本を読まないようにいわれた訳は、本の中に悩みを解決するような答えを安易に求めてはいけない事と(そんな答えはどこにもない)事と、言葉、文字という一方通行で思い込みを生みやすい物で、それを道具として絶えず自己分析して自分を責め続ける事をやめなさいと言う事なのかなと思い一切やめたら.2日くらいですが楽になりました。

ホームページの中で(何もしないこと)とは、起こるとされる症状に対する自己防御に対する膨大なエネルギーを他の所に使いなさい自分が後生大事にしていた楯は実は重いだけで、穴だらけその事に気がつかないのは自分だけだよ 早く捨てて身軽になりなさい。身軽に慣れれば、重い楯を持とうなんて気にならないよその重い楯とは、神経症脳からくる妄想なのかなと 違っていたらごめんなさい 思いました すぐ分かった気になるのが自分の悪い癖ではありますが M氏はダメなのは、集団会に来ている人間を観れば分かります 誰かこの苦しみの答えを今すぐ私に教えて下さいって顔みんなしてますよ(笑い)質問すれば迷うだけなのに 私も気をつけようっとこちらの方も寒くなりました 風邪などにお気をつけ下さい。

再び病識がないについて 投稿者:イマピ  投稿日:12月 5日(火)22時18分16秒

無為療法と○○療法の決定的な違いはなにか?
M氏では神経症の症状を健常人も含めてだれもがもっている自然な人間の心のいとなみから発生すると考えているようです。それを、神経質人は異常なものととらえ、排除しようとしてますますとらわれていく。対人恐怖なら、人よりまさっていたい、気の弱い人と思われたくない。つまり、人並以上に向上心が強いことからくると。病ではないということです。ある意味では希望をあたえますよね。しかし、私の経験からすると大いなる落とし穴です。

斎藤さんの御考えは明らかに違います。神経症の症状は完全に誤った神経症回路からくると。つまり、りっぱな病気ですよと。あなたの人間らしい発展欲からくるのではなく単なる妄想ですよと。そこを、つらいでしょうがまずうけいれましょうと主張されているように思います。そこを通過できればもう妄想なんか分析する意志も起きないでしょう。神経症者は症状の自覚はあっても病気(妄想)であるという自覚をもてないのです。私がそうでした。現在は自分の脳はとち狂っていると認識しています。

久しぶりです 投稿者:石原  投稿日:11月25日(土)01時23分44秒

 斎藤さん。毎日毎日この掲示板を眺めながら、運営大変だろうと思います。私はめったにこのページを見に来ていません。何故なら、神経症からほぼ解放されて、今はN証券のホームトレードで株の売買をして人生を楽しんでいます。 なかなかスリルがあります。とにかく1日に自分の財産が減ったり、増えたりで7月から始めたのですが、今のアメリカの大統領選挙の混迷や森政権の不信任75%以上の、まさに世紀末の様相の中で今は損をしています。 アメリカのIT関連のナスダック株価指数がどんどん下がり、日本においてもその影響を受けて日経平均が年初来安値が毎日続いています。

 株で一儲けして、それで私の居住地に24時間出入りできるコミュニテイホームを建てたいが私の願望ですが、とてもとても、素人の私には手に負えない世界で私のへそくりがだんだん少なくなっているのが現状です。
 しかし、私がこれを始めた事によって、神経症は不思議とますます良くなっていくのです。従って、神経症どころか、自分のへそくりを増やしたい。そのストレスとのたたかいの中で、自分はお金に関して図太くなりました。また、毎日の生活が楽しくなってきました。

 人生って、何かやらないと退屈だし、年金生活に入って現役時代の約1/3の収入では足りないし、また前述のホームも建てたいし、21世紀に向かって夢ある毎日を送っています。 結論:神経症について何も考えるな。このHPも見に来るなと斎藤さんはいつもおっしゃっておられるが、私はいまそれを実行している。だから、神経症
なんてどこかに吹っ飛んでしまったと思うこの頃です。
        では、このページに愛着があるので、今後も時々見にきます。
 
斎藤に届いたEメイルから
最近は、昔あれほど苦痛だった外出も、変な儀式(今思えばバカみたいな話ですが)も必要無く、というよりそういう妄想が浮かんで来る事が無くなりました。調子の悪い時、少し連想してしまう時があるのですが、無の構えで短い時間で健康世界に戻れるようになっています。やはり、突き詰めて見ると、無、なんですよね。
以前の私は、無とは正反対の嵐の状態でした。おかしなもので、妄想から抜け出ると、それまでたびたび悩まさせていた頭痛や胃痛が激減しました。やはり頭が嵐状態、オーバーヒートしておかしくなっていたのではないかと思います。

さて、斎藤さんがHPに書かれていた、近況報告もしない方がいい、と言うのを破る事になるのかもしれませんが、最近フラッシュバックの間隔が月一度くらいと安定して来ましたので、一度報告させて頂きました。が、癖に
なっては無意味なので、これで報告のメールは最後にしようと思います。全ては無。この答えに辿り着くキッカケは、間違い無く、斎藤さんのHPでした。心から、感謝しています。これからの益々の斎藤さんの活躍とご健康をお祈りしています。


過食 投稿者:ぷーやん
 投稿日:11月15日(水)21時49分03秒

神経症をわずらってから、その症状として様々な確認作業が表れましたが、僕の場合は過食も表れました。最初は食べてばかりいる症状ばかり気になって無理やり食事を抑える事だけがんばっていましたが、それは意味のない努力でした。そんな事をしてもすぐに過食はぶりかえして体重は以前よりも増えました。しかしこのHPを読んで、「何もしない」を実行してみました。そしたら時がたつにつれ、食を抑えようとしなくても勝手にだんだん食事をコントロールできるようになりました。理屈ではありません。ただただ不思議で、食欲が暴走しなくなるんです無為療法は。多少の意志も必要です。しかし以前努力していた頃とは明らかに違うと、自分でわかったんです。理屈ではないんです。それが無為療法なんだと思いました。

石原さんとロッタさんとひめさん 投稿者:さんくす  投稿日:11月 1日(水)12時28分55秒

この前ここのチャットで石原さんという方が「無為療法は唯物論的だ」という発言を残してらっしゃいましたがその点については全く同感です。ご存知ない方に説明しますと唯物論とは「在る」が根本であるとする思考、それに対し観念論とは在ると「思う」が第一なわけです。それを神経症にあてはめますと「心の傷が神経症を作った」のではなく、「神経症が心の傷を必要以上に考えさせた」ということです。脳の故障とは明らかな存在であり、苦しみの観念、妄想を在ると思っているだけなのです。哲学的な話は治癒とは関係ないことは分かっていますがそもそも私は観念論的な解釈や、ちょっとした工夫、心の持ちようなんて言葉に思い切り振り回されて来たのでつくづく観念論は間違ったものなのだと強く言いたいのです。ちょっと感情的ですが。しかし少なくとも神経症治癒にはこれからは脳科学という唯物的治療しかないでしょう。

トップページからのリンクでロッタさんという方が書かれていたアダルトチルドレンについてですが、これも同感です。そもそもアダルトチルドレンと抑鬱神経症の違いとはなんなのでしょうね。結果としておかしな考えに振り回されているのならそれはやっぱり脳の故障であって無為療法は適用出来ると私も思うんです。カウンセラーにかかったか、精神科医にかかったか、などの末端的な違いでしかないのではないでしょうか。私も長いこと親を恨んでいたにも関わらず、今はそのことに囚われなくなったから実感として理解できるんです。明らかに有効である。と。だから私はアダルトチルドレンを病気ではないとする人達に賛同出来ません。共存なんて○○療法みたいです。

私は書きこみは二回目ですが数ヶ月ロムして来たのでひめさんについて書きますと、ひめさんは自分の苦しみを認識していないと思うんです。治療対象が間違っている。症状がどうだとかそういう事に囚われてはいませんか?症状は末端なんです。どうでもいいんです。それよりも普段あなたは何の思考に苦しんでいるのですか?鬱の中身は何なのですか?私と同じようにそれは拒絶体験などの傷ではないですか?それを認め、尚且つ何もしないをすればいいんです。あなたはおそらくその傷を考えないようにしている。そうではないんです。考えるのは仕方ないです。何もしないだけなんです。考えないようにするから余計に意識されてしまうんです。何もしなければ自然に消えていく。まずは自分の苦しみとは何か、もう一度意識してみることではないでしょうか。的外れだったらごめんなさい。私にはそういう時があったもので。

今世紀最後のコメントU 投稿者:クルト  投稿日:10月27日(金)11時21分33秒
他の人たちに関しては簡単にコメントしておく。
福氏の場合。
>「人は相容れない知識的確信と実践的要求とをもって満足することはできない。> たとえば高尚なる精神的要求を持って居る人は唯物論に満足ができず、唯物> 論を信じて居る人は、いつしか高尚なる精神的要求に疑を抱く様になる」                   (西田幾多郎全集・第一巻、46頁)

>精神的要求が高尚だなどとは全く考えていないが、私はどうしても、この><唯物論に満足ができない>タイプだ。これは趣味の問題だ。

こんなこと書いているうちは問題外。神経症の治療と、哲学や精神的欲求は全く関係なし。関係ないのに無理に結びつけるから、神経症の治療にもならなければ、哲学のお勉強にも成らないのだ。この辺りを勘違いして、神経症から怪しげなニューエイジなどにはまる者が多いのは、オウム事件以降の一つの典型的な転落パターンである。気をつけるべし。また、西田を論じるなら、ごちゃごちゃ言う前に参禅の経験でもしてみるべきだ。神経症であることもまた趣味の問題であると言うのであれば話は変わってくるが、本に読まれてはならない。

>ただ、私は哲学が神経症治療に役立つなんて一言も書いていない。
とも書いているようだが、だったら西田なんか持ち出さなければ良いのだ。M氏を批判する資格があるとは思えない。他にも善意があるとか無いとかいう話もあるが、そんなものはどうでも良いと考える次第である。神経症は、善意とも哲学とも無関係だ。善意があるから効くというものではなく、時として悪意のこもった罵詈雑言で目が醒めることもあるぐらいである。

そろそろ結論を書くが、言いたいことは以下の通り。

神経症そのものに目を向けよ。哲学や理屈を振り回すのは宜しくない。理解が深まれば治るというものではない。自分自身の方法論を作る意志のある者だけに希望は訪れる。自分の症状を切々と訴え続けたり、自分の回復状況を執拗に報告し続けるのを止めよ。時間の無駄だし、そのこと自体が神経症維持の原動力となり出口無しの状態に陥る。

全責任を自分で取るべし。騙されるのも傷つくのも、何もかも「自分の意志で」好き好んで他人の文章を読んだあなた自身の責任である。また、その程度の自覚がなければ、治るものも治らないであろう。

以上



今世紀最後のコメント 投稿者:クルト  投稿日:10月27日(金)11時19分40秒

定期的に掲示板を見るだけは見ていた。最近は見ながらイライラしていたものの書き込む意欲に達するほどではなかったというのが実際のところだ。今回はたまたま懐かしい自分の名前を目にしたのでその気に成ったのかもしれない。もう一つには今日の午前中は暇なのである。

もう一つ言えることは、私はIPアドレスが表示されることを好まない。確かに、荒らし予防の効果があることは認めるしその必要もあるのかもしれないが、なんとなくしっくり来ないのである。今回は従って、例外的に久しぶりにまとめてコメントしてみたいと思う。質問や抗議、批判に対しては対応するかもしれないししないかもしれないことをあらかじめお断りしておく。

冒頭で「見ながらイライラしていた」と書いたが、その筆頭がなんと言っても、ひめ氏である。

>皮肉にも恐怖のピークが最大のチャンスですっ。そこを通ってない人
>に、いくら説明しても無理な気がしてきました。(とほほー)

これはナンデちゃんのコメントであるが、私としてもとほほーである。ひめ氏の場合、成長が無いと言うか、全く何も分かっていないと言うか、あるいは根本的に履き違えていると言うか、要するに「まるでダメ」である。この際、このタイプの人の代表として槍玉に挙げさせてもらうが、ひめ氏の場合、「こういう掲示板に書き込むこと」が即ち、「神経症を維持発展させることの原動力に成っている」と思う。処方箋としては、「こういう掲示板を見ない、読まない、書き込まない」ことであろう。

辛辣に書かないと分からないことは承知しているので私の文章を初めて読む人には刺激が強過ぎるかもしれないが、彼女(多分)はオナニストでマゾヒストに成っている。つまり、「一生懸命努力している自分」に酔っていると同時に、例えばナンデちゃんなどに批判されることを一つのコミュニケーションとして喜んでしまっているのだ。そして、そういう愚図でのろまで愚鈍な自分を、ここで表現し続けることにより、結果的に自分のエネルギーを神経症維持のために一生懸命使っているのである。

「そんなことはない」と言いたい人もいるだろうが、行動こそがその人間の正体や精神の健康の度合いの尺度である。屁理屈やボキャブラリーを増やしても何も解決しない。ひめ氏の場合、神経症は、以前と比べて進行しこそすれ、脱却のための出口からの一筋の光さえも差していない状態である。もう一度繰り返すが、言葉で何百回何千回「分かった」と書いても、そんなものは分かった内に入らない。行動が変化してきてこそ分かったと言えるのである。

再びナンデちゃんを引用するが、
>皮肉にも恐怖のピークが最大のチャンスですっ。これこそが大事なことなのだ。真っ赤に燃えて真っ白な灰に成れば明日が見えようというものだ。自分自身の中で何かがブレイクすることが肝腎なのであって、他人の意見を理解しただの、理解が深まっただのごちゃごちゃ言っていてはダメなのだ。他人の意見はあくまでも他人の意見であり、理論の重要性を私は否定しないが、実際に自分で運用するためには、自分自身の自分自身のため
だけのスタイルを作る必要がある。誤解を恐れずに言うならば自分自身が教祖に成るべきなのだ。「誰かの教えを守る」なんていう姿勢では解決しない。

ナンデちゃんの優れているところは、他人の意見を参考にしながらも、他人の意見は他人の意見として区別し、あくまでも他人の意見は、自分の方法論構築のための参考としている点にある。見習うべきであろう。


上手く行きました 投稿者:さんくす
 投稿日:10月26日(木)13時52分16秒

何もしない療法とは、「何かするのをやめる療法」と言い換えられるのではないでしょうか。馬鹿みたいかも知れませんがこれは私にとって大発見でした。私はまず自分の事を「常に何かしている(100%)」と定義付けたのです。
実際にはそんなことはなくても良いんです。ただその方が都合が良いからという理由だけです。その自覚を持つ事によって、私は正常な時間と異常な時間の区別が初めて出来るようになった気がします。脳の不調でも妄想でも当てはめる言葉は何でも良いと思うのですが、まず自分の全てが間違っている、と受け入れた方がその先上手く事が運ぶように思いました。つまり消去法ですね。

しかしそれだけでは収まらない。過去現在未来を思って暗い気持ちになる自分、不安を言語化しようとする自分・・・ようするに「何もしなかった」経験がないんです。だから代わりに何をやってよいか分からない。分からないから考える、分析する。何もしない療法さえ分析する。。。自覚だけでは解決にならない。。。

でも最初はこの繰り返しで良いんですよ。仕方ないです。何かする→やめる、を何日も何日も繰り返して行く内に何時の間にか「何もしなかった日」は訪れます。それは振り返って初めて気がつくものです。何もしない、とはだんだん出来るものではなく、ある日突然出来るようになるものです。この「何時の間にか」の部分はきっと言葉には誰も出来ないでしょう。だからこそ「何もしない」なのですから。何もないんです。空ではなく無ですね。正常な思考回路への隙間の無い直結なのでしょう。そこに空間(距離、繋ぐ言葉)は存在しないのでしょう。

斎藤さん、ありがとさんです!信じて良かった。今まで捨ててきたお金・・・馬鹿みたいです(笑


福氏 投稿者:T  
投稿日:10月25日(水)18時24分24秒

以前ここでも誰かが言っていたが、ネットで自分の意図を伝えるのは難しいし限界がある。氏は度々同じような書き込みをされているようだが、それだけ真剣に伝えたい事があるのなら、次の会合に参加してみてはいかがだろうか。
このまま同じ発言をここで繰り返しても、いつまでも堂々巡りなのは間違いない。会合は排他的雰囲気とは無縁の場のようですから、氏も気がねなく言いたい事が伝えられるのではと思う。

誉められてうれしいのか、盲目的だ、と言う意見に対してだが、確かに言いたい事は分かる。いつまでも掲示板から離れられず同じ事を繰り返している人はいるかもしれない(そけだけ神経症が難しいものだという事だと思いますが)。ただ、言いたい事は分かるが斎藤氏は教祖になりたいとは微塵も思っていないのではないか。

小生は数ヶ月前にこのHPを見て、現在月に2、3回のフラッシュバックがあるものの、それまでの24時間妄想の日々に縁を切る事ができた。ただ小生はキッカケを与えてくれた斎藤氏に感謝こそすれ、盲目的に全てを肯定している訳でも無い。考えが違う部分もある。しかし斎藤氏のチャレンジは素晴らしいもの。おそらく、多くの人が小生と同じ心持ちだろう。掲示板を時々覗いているが、多くの人はある時期書き込むとHPから離れていく(時々報告はあるが)。斎藤氏自ら、斎藤すら忘れる方がいいと言っている。宗教としての側面や発展とは現状では無縁と考える。

ただ、これはあくまで小生の意見。福氏が納得するまで議論したいのであれば、やはり現状では会合での意見交換がベストだと思う。チャットでは時間、回線の問題に加えあくまでネット上と言う事を考えるとそこまでの意見交換は無理だろう。



斎藤宛てのEメイルより

掲示板は「療法」を理解したら、あまり見ないほうが良いという意見がよく出ますが、見てました・・・。しかし、見ないように見ないようにとわざわざ努めなくても、自然に少しずつ見る回数が減っていきました。たまに開いて見ても、流し読み(失礼!)しか出来ません。近いうちに全く見なくなる日が来そうです。

自分が掲示板で嫌われてしまう理由は・・・他のみんなは無為療法の素晴らしさはよく理解しているにもかかわらず、なかなか完全には健康世界に飛び出せないもどかしさがあり、そこを長く経験しなかった私はそういった方々の気持ちに対して鈍感だから・・・と思いながらも、何かそれだけじゃない気がしていました。

自分に鬱(そもそも鬱って何?)が有るか無いかは分からないけど、早期で快復した部分は似ていますし。あとはあまり理屈を言いません。何故なら「無為療法」を何故?何故?と、頭で考えようとせず、(普段はいつも何故?ばかりでしたが、「療法」には全く質問しなかった)素直に行ったらすぐに神経症世界から出る事が出来たので、語ることがないのです。ただやっただけですから。
でも掲示板の住人は殆どヨシさんタイプが多いようですね。ヨシさんタイプの人達は「言葉」が重要なのでしょうか?うまく説明してるとは思いますが、早期で治った者から見ると、質問者に丁寧に説明しすぎる。答えを教えすぎる。理屈っぽすぎる。そんな事は本人が素直に療法を行えば、追々自然にわかる事なのに・・・とたまに思ってしまいます。


ほとんど直感のように「これしかない!」と無為療法を信じて行っただけの私は、アドバイスなどしたりする事は本当に無いのです。質問はするな!ぐるぐる思考になりそうになったら、停止しろ!をただ忠実にやっただけ。あとはメールで斎藤さんにアドバイスを頂き、またその言われたように実行しただけ。(ムードスゥイングが襲ってきた時はメールで斎藤さんに泣きつきました。そして適切なアドバイスを頂きました。そして次に襲われた時は怖かったけど少しずつ歩き出す事が出来たのです。)あとは必要な事は全てHPに書かれていますし。今のところはこんなところです。

これじゃあ皆さん納得しないでしょう。薄っぺらだと思われるでしょう。思いの丈をぶちまけているだけとも言われた事があります。でもこれが真実だからそれしか言えない・・・私のような者は、稀過ぎて参考にならないでしょうか?

沢山の神経症者の方がこのHPに出会い、神経症から自由になる事を願ってます。



妄想に気づく。 投稿者:ロッタ
 投稿日:10月20日(金)18時51分45秒

ナンデちゃんの
>気分の波はありますが、私の体験では妄想と自由な思考というのは入>り交じりません。極端に言いますと「苦しい思考」は「全て妄想」と>思いますが?思考が自由であるなら苦しくないように出来ます。という意見に私もまったく賛成です。考えることを必要とする出来事や悩みにしても、神経症のぐるぐる回りの妄想と違って、
全然楽なのですよ。質が全く異なります。だから、「ああ苦しい」と感じた思考はすべて妄想と思って良いと思います。

神経症の妄想は、あからさまに妄想の姿をしていない場合も多いです。自分が悩んで当然と思っているものが、実は妄想である可能性は大です。例えば、価値観的なものが妄想であったりもします。絶対子供を産まなくては、私は半人前の人間である。とか。働く人は絶対に仕事ができる優秀な人でなくてはいけないとか「絶対」とつくものは、妄想です。そうであることは望むけれど、絶対にというのはもう行き過ぎで、妄想に近いのですよね。
「苦しい思考」は「全て妄想」に賛成です。


まりもさんへ 投稿者:オリオン
 投稿日:10月19日(木)19時02分32秒

まりもさん、はじめまして、オリオンと申します。

投稿を読ませて頂きました。私のアドバイスを記載致します。ご参考にして頂ければ幸いです。

>「すべて妄想だったと気付く」とかって言いますけど、それは何かきっかけが無ければ>不可能なのでは??と思ってしまいます。>どうでしょうか?
対人恐怖症の方の場合は、対人妄想状態(頭の中が洗濯機で掻き回されたような状態)が去ったあと、平静にもどった時に気がつくようです。不安神経症の場合は、定常的に症状がありますので、過去の記憶(神経症発病前の記憶)を元にして判断しています。

>そういう事があると、「なんだ、自分だけの妄想の世界ではないのだ」と、妄想だったと思い>たいにも関わらず、なんか突き落とされる気分だった。>今も妄想がしつこくて・・・。斉藤療法をやり始めたばかりなもので。
その妄想は脳内の神経伝達物質の異常により沸き起こるものであり気にする必要はないと思います。「なにもしなくとも」やがておさまる雑音くらいに思っていたらいいと思います。

コップの水の中に土を入れて掻き回した状態ですね。濁っていてどうしようもない。指で泥を押さえても意味がないですね。そのときは机の上に置いて「なにもせず」ほっておくと自然に泥は下に沈み、上の水はすんできますね。実際にためしてみて下さい。納得しますよ。



辛いのを耐えて努力するとは 
投稿者:まあくん  投稿日:10月11日(水)22時28分41秒

以前、神経症が55%位直った・・・と書かせていいただいたものです。ハンドルネームはフリーだったのですが、上記に変えさせていただきました。

今は80%位良くなっています。ただ、状況にかなり左右されます。環境はまだ変わっていませんが、神経症を起す要因からは出来るだけ離れるようにはしています。また、仕事のために環境を変えたいう問題とその環境が神経症を起させる問題との切り分けができたので、ひとまず落ち着いています。今までの経験から思うところを書かせていただきます。生意気な部分が在るようでしたらすみません。
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神経症者はその症状が起きているだけでエネルギーを消耗する。そして、神経症者はその症状を治そうとしてさらにエネルギーを消耗する。よって、神経症者は神経症以外の生活に関わる部分対しては、エネルギーを配分することができなくなってしまって生活に支障をきたしてしまうことがある。

生活に関わる部分へのエネルギー配分を増やすには、神経症の起こる頻度を減らすとともに、症状を治そうとすることをやめることにある。

神経症脳を持ってしまったので症状は完治しない、という前提に立てば、症状を完治するために消費するエネルギーは無駄となるから、これをやめればその分のエネルギーは他へ回せる。ただ、神経症脳で完治できないがゆえに、健常者が通常問題にすることのないようなささいな環境・対人などの要因がトリガーとなって症状があらわれてくる。これが頻繁にやってくるとエネルギーはかなり消耗されてしまう。よって、症状の起き易い状況をできるだけ避ける必要があるのだが、その要因が健常者からみてとても些細なことであるがゆえ、世間体を気にして、ひたすら耐え、自分(の神経症)を変えることに努力してしまう。そしてエネルギーを無駄に消費してしまう。

日々の生活や仕事の中に環境・対人などで頻繁に神経症を起してしまう要因があるならば、それらを取り除く(環境に積極的に関与して変えていく)か、避ける(環境を後にして逃げる)かのどちらかである。エネルギーが無いので前者は失敗し易く、後者が成功し易い。なお、決して症状を起させる要因に対して耐えたりしてはならない。そんなことをすると、その辛さに耐え切れなくなって、発作的にとんでもない行動をとってしまうかもしれない。
辛いのを耐えて努力することとは、神経症とは関係のない人生の諸問題の解決に対して行うべきである。神経症が多少あってもエネルギーの配分がうまくいけば、その症状とは関係のない問題については、その問題そのものによる辛さにも耐えて、その解決に向けて努力することはできるかもしれない。神経症者も健常者と同じでより良い人生を歩んでいきたいので、神経症に関することを除けば、努力するのはあたりまえのことと考える。

神経症に疲れたのでエネルギーを取り戻したくて休養している人を人生の落伍者としてののしる、あるいは、これらの理由でこれから休養しようとしている人をその予備軍と決め付けてエネルギーの充電の邪魔をする権利は誰にも無い。健常者でもぐうたらとなまけて落ちていく人はいる。休息している神経症者が怠け者でなければ、休養の後にエネルギーが蘇ったとき、神経症とは関係のない方面で、人生の諸問題の解決や成功に対しては努力を惜しまないものと考える。


頑張る、努力するは神経症治癒と関係無い 投稿者:キザ  投稿日:10月11日(水)01時22分23秒

「頑張る」「努力する」が神経症を治す事とは何の関係もないと何度も書いているのに、どうしても私が、「頑張る」「努力する」が神経症治癒に関係あると言っていると、決め付けてしまわれる。どうすれば良いだろうか?そして私は自分の考えを言っているだけなのに、これを○○療法とくっ付けらる、私は自分の考えを言っているだけで○○療法とは関係ありません。

ヨシさんの言われる
>「頑張る」「努力する」の結果与えられるはずの、「生活の向上」やもろもろのM氏的>価値観の産物を得ることが出来なくなってしまった。>同時に神経症も再発し、この時やっと、M氏的に生きなければという一種のとらわれ>が抜け落ちた。その結果神経症は完治し、「○○療法」という一種の麻薬からも足を>洗うことが出来た。
これは非常に良く解る、私も同じ道を通った様に思う

「○○療法」の病院へ入院して、そこで前向きに生きる事、仕事を一生懸命やる事を教えられ。退院した後、ひたすら仕事に生活に「頑張る」「努力する」を実行しました。しかしいくら、これをやっても、治ったとの実感は無く、満足も無く、治りませんでした幸い良い人に巡り合い、「神経症を治そう」とする事の愚かさを教えられ、神経症を治す事をやめました。その結果神経症は治りました。それから25年近くたち、自分の事で悩む事はゼロで、全く健康人間だと思っています。当然仕事も頑張り、努力している毎日です。後悔も不満もありません。25年の間に○○療法もすっかりわすれてしまい、断片的にしか思い出せません。

私は、常識では「がんばる」「努力する」は賞賛されると書きました、個人的な意見では色々あると思いますが、常識ではこれは賞賛されます。「がんばる」「努力する」は賞賛出来ないと言うヨシさんは「あつものに懲りて、なますをふく」状態だと私には聞こえます。視線が見れない、対人関係が下手な人が、一人前に仕事して社会生活を送る為には、この「頑張る」「努力する」は必要です。対人や視線の神経症を治す為に落後者や無気力者になる必要などなく、出来るなら正常者のまま、職場も変わらず、神経症を治せば良いと思います。その方法を伝えました。

>そういう「不安心即安心」の境地を通過する必要がある。
これは、神経症の症状により、異なるように思います、今回私が対象とした対人、視線では今一つピッタリこない様な気がします。

すっかりつかれました、勝手ですが今回の「頑張る」「努力する」問題はこれで終わりたいとおもいます、又次の機会に新しい問題で意見を戦かわせましょう。

我々はもっと慎重に発言する必要がある。 投稿者:ヨシ  投稿日:10月10日(火)10時21分35秒 m

15年前なら、僕もキザさんと全く同様のことをまくし立てていたはずです。キザさんの言うことはよくわかるし、僕自身、○○会的生活信条のおかげで、症状をもったまま「人並み」に生きてきた。同世代と同様な家庭も築き、子供も成長した。しかし、途中で右肩上がりは崩れ、「頑張る」「努力する」だけではどうにもならない事柄があることを思い知らされた。「頑張る」「努力する」の結果与えられるはずの、「生活の向上」やもろもろのM氏的価値観の産物を得ることが出来なくなってしまった。同時に神経症も再発し、この時やっと、M氏的に生きなければという一種のとらわれが抜け落ちた。その結果神経症は完治し、「○○療法」という一種の麻薬からも足を洗うことが出来た。

「頑張る」「努力する」を「賞賛される事」とおっしゃておられますが、果たしてそうだろうか。自分の性に合っていれば、知らず知らず努力もし、しかも自分にとっては苦痛ではなく、楽しくさえある。世に言う「努力の人」とは、苦しさにしかめっ面で耐えている人間ではなく、むしろそれを謳歌している人のことだ。そして今苦しんでいる人は、受験などを通して「頑張る」「努力する」をさんざんやらされて来た人間であるはずだ。

症状をそのままにして、仕事をすると成果も上がって、自分の価値が維持できる。つまり、自分を○○療法というふるいにかけて、実利的に純化し、そこに人間の存在意義を求めるという行き方には賛成しかねる。人は何か成果が上がらなければ生きていてはいけないのか、という所へ行かざるを得ない。つまりひっかかるのは、「努力して、頑張りまくれば、治癒と幸せがいっぺんに来ます。」という表現です。今の時代、健常者ですらこのようにすんなりとは行かない。その辺はどうお考えでしょうか。我々はもっと慎重に発言しなければならない。

神経症を治すには「症状はそのままにして、目前の事にふっと手を出す」を通して、不安をことさらやりくりせず、不安のまま生活する態度を身に付ける事だけが重要で、必ず、そういう「不安心即安心」の境地を通過する必要がある。この肝心な生活態度を、今の時代を生きる人に人に、どうやったらとらせることが出来るか。M氏的な価値感からの産物や、もろもろの「ご褒美」は果たして有効なのか。ただ「攻め」だけで動きまくっても、収穫が得られ、人生が立ち行く時代では、もはやない。


信長さんへ。
 投稿者:ロッタ  投稿日:10月 7日(土)23時06分54秒

信長さんへ
私の場合なのですが。私は抑うつ神経症でしたが、7月からこの療法をやって、一回フラッシュバックがあって、
その時以外は神経症思考をしなくなりました。頭が重−い感じの時はありますが、自然とその時はそれなりの生活をするので、葛藤がなくなりました。

斎藤さんには、これすらもするなと言われそうですが、私の経緯は、まず、症状を客観的にみてみる。   もしあると感じるなら、症状の奥の自分を縛る思考も自覚する。私は無気力感がすごかったのですが、その奥にもっと頑張らなくては、このままの自分では許されない。という思考。分かっていてもどうにもならなかったのです。   それを性格などのせいにせず、脳の暴走と位置付ける。 症状が襲ってきたら、これは脳の暴走と言い聞かせる。これが、症状の正体かと、症状から距離をとる。

脳の暴走なので、症状に対してやれることはなく、目の前のことに手を出すか、それも出来ない時は眠ってしまう。その不安について悶々と考えることだけは絶対しない。それさえしなければ、動いていても、寝ていても、どちらでも良いような気がします。ただ、妄想の言いなりにならない為には動いている方がやりやすいかもしれません不安のことを考えないという、初めての試みをするので、とても違和感があり心細い気持ちがします。自分が壊れそうな気がします。しかし、この心細さをやり過ごすと、わりとすぐに、自分でこれでいいんだなって感覚がきます。これも初めての開放感です。

 症状を脳のバグと肝に命じる。そうすると、症状から距離をとれて、やれることは決まってくると思います。
最初は心細く、手探り状態、これで絶対あっていたというのは後からわかることなので。  ちょっと、勇気がいります。

暴走状態 投稿者:ヨシ  投稿日:10月 5日(木)12時50分13秒
>ERさん
不安が強くなった時どうするかですが、これはもうどうしようもない。職場だったら、脂汗を流しながら、しかめ面をしながら、あるいは貧乏ゆすりをしながらでも、とにかくその場にとどまるか、早退するしかないでしょう。この状態に関しては打つ手無しと諦めた方が良い。更に気を付けなければならないことは、帰宅してからも、仕事のため、不安への対策を十分考えられなかったから、今から熟考しようとか、早退して帰ったにしても、早退した事への自己嫌悪だとかを考えたくなる衝動に駆られるはずです。しかしその日は、酒でも飲んで寝てしまった方が良い。そして朝、何らかの引っかかりを感じても、そのまま自分を1日の中に投入してしまうことです。

バカをやらないために。 投稿者:ヨシ  投稿日:10月 5日(木)09時06分15秒

<「今するべきことに集中する」
これは暴走していようがいまいが、出来ないことです。集中しているという状態は、集中するという意志を離れた時に、向こうからやってくる物です。だから集中するという動詞は存在しない。集中させられるのです。この辺を頭に叩き込んでおいてください。バカをやらないために。と同時に「頭を空にする」ことも意志の力では出来ないことです。「何もしない」とは「頭の中を空にするという方法」でもありません。

それと、個人的にはのんさんはちょっとニュアンスが異なるような気がしていますが・・・。>
斎藤さんへ
> 私はフッラッシュバックらしきものを抜けて、> ( 実はこれを抜けるのに8日かかりました )> すっかり、油断しています。> やりたいようにやり、怠けたいようにしてます。今は心おだやかにだらだらしてます。> 今まで私が一番したくてもできなかったことなのかもしれないです。> 罪悪感なくぼーっと1日をすごすことは。> でも、まだ完全に昔の思考をしないわけではないです。厳密にいうと。> でも、それでいいと思ってます。> 今までも完全ではなかったけれど無為療法の治癒の道筋はたどれていたから。> フラッシュバックを1回抜けて自信がついたようです。>
> この療法に出会えて本当に良かったです。> では、また。


お久しぶりです!
 投稿者:rui  投稿日:10月 2日(月)20時50分08秒

こんにちはー。久々に書き込みます。
3か月ぶり位に来てみたのですが、なんだか凄いことになってますね、ココ。すごいレベル高いです。本当はここの掲示板さえあまり読まないほうがいいのでしょうがさかのぼってじっくり読んでしまいました、、、。斎藤さんも本を書いてらっしゃるんですね。斎藤さんの言葉を必要としてる人が、ネットを見てる人意外にも沢山いるはずです。お体こわさない程度に頑張って下さい。かげながら応援しています。

無為療法に出会い9か月くらいになります。何度かフラッシュバックになり、ひどい時は「あれ?何もしないってどういう事だっけか」と基本さえ思い出せずここに来て、また這い上がって、現在に至るという感じです。私の場合、『今日はすごい調子がいいな』とか『こんなに楽な気持ちなんて嬉しい!』とか実感してしまうとその後数日鬱状態が続く傾向にあるのが掴めてきたので、最近はとてもいい状態でも、大したことないように振る舞って大事には至らないようになりました。確かヨシさんがおっしゃってたと思うのですが(間違ってたらごめんなさい)「日常を淡々とこなすのがミソ」、本当にこれが大事だと思います。淡々と。。。

まだまだフラッシュバックは時々襲ってきますし、相変わらず不安がいっぱい。これからも平坦な道ではないのでしょうが、こんな風に普通な事が普通に出来る状態が続いているのは今までで初めてです。ピアノを習っているのですが、覚えが以前より良くなりました。周りの人達からは顔が変わったと言われます。(どーいう風にかは聞いていませんが^^;)齋藤さんには何とお礼を言ったらいいか分かりません。これからも淡々と、このやり方で行
くつもりです。


ACで症状のある方へ
 投稿者:ロッタ  投稿日:10月 2日(月)04時52分13秒

ここで、アダルトチルドレン(AC)の話がでていたので、思い切って、私の経験を少し書きます。

私はずっと親をうらんでいました。親のことを解決しないと自分の抑うつは治らないのではないかと。ACの集まりに出て親のことを吐き出したりしてましたが、一向にうつはよくなりませんでした。それどころか、悪くなっていった。

ある医者に非常に残念なことですが、症状をよくするのには過去の分析とは別のところに解決があると言われました。この時ストレートにあなたの症状と過去のことは関係ない。と言われたら、その時のわたしはかなり反発していただろうと思う。非常に残念で悔しい事ですが、と言う言葉に譲歩出来たのだと思います。

その時から過去のことと、症状を一緒に考えるのをやめることができました。しかし、それだけでは抑うつはよくなりません。やっぱり、過去の事をもっと分析した方がいいのではないかと再びゆれだした頃
この療法に出会うことができました。ラッキーでした。

そして、うつが2ヶ月位で軽快していったのです。自分がACであると思っていて症状のある人もこの療法を試す価値はあると思います。そして、トラウマから意識をそらすのには、非常に悔しくて残念なことだけど、過去の分析とは別のところに解決法がある。と言う言葉でした。特に、非常に残念で悔しいことだけどというところです。

症状と過去のことを別々にしないと、斉藤療法はできません。ACとは無縁の方には、なんと恨みがましいのだろうと思うでしょうね。親によって子どもの頃に非常に辛い経験をしてしまう事があるのです。

症状がよくなるにつれ、あたりまえですが、親のことを許せるようになってきます。

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