神経症からの開放

有力投稿 
理屈を排除したところに楽しさがある 投稿者:ウルトラマン 投稿日:2008年 2月16日(土)15時23分12秒

健康人は毎日が楽しい。
それに比べ、神経症者は毎日が苦しい。

その差は、健康人は、行動するのに一々理由・理屈をつけないのに対し、
神経症者は、些細な行動にも理由・理屈を付けてしまうからである。
行動に一々理由を付けなければ、その行動自体が楽しいのに、
理由を付けてしまうから苦しくなってしまうのである。

異性恐怖の人が、異性と接していると苦しくなるのも、一々理由・理屈を付けているからである。
異性と話すのに、理由も理屈も要らない。話したいから、楽しいから話すのである。
当然、話したくなければ話さなくても良いのである。
話したくないのに勝手に理由・理屈を付けて話さなければならないと思うから苦しむのである。
用事があるなら、その用事の範囲内の会話で済ませ、それ以上のことを話そうとする必要はないのである。
そしたら、異性恐怖は無くなっている。

また、理屈を排除すると、些細な行動でも楽しくなる。例えば、部屋の掃除も楽しくなってくる。
部屋の掃除をするのに理由・理屈など要らないのだ。楽しいから、気持ちよいからするだけである。
登山家が「そこに山があるから登るのだ」というのも、理由や理屈から登るのではなく、只、登りたいから登るのである。
当然、人が生きることも理由・理屈は要らない。生きたいから生きているだけである。それだけで楽しいのだ。
逆に、生きることの意味・理由・理屈を問い始めたら、生きること自体が苦しくなってくるのだ。
幼い子供は、理由も理屈も無く生きて遊んでいる。だから、屈託が無く楽しそうなのである。

雑用も神経症を治すという理由・理屈があってはならない。理由も理屈も無く雑用をするのである。
神経症を治すとは、理由・理屈を排除して「無」になることであるから、神経症について質問することも意味の無いこと。
理由・理屈を排除したとき、「無」になったとき、毎日が楽しくなってくる。行動そのものが楽しくなるのだ。

毎日が楽しいかどうかが、神経症が治っているかの一つの目安かもしれない。

神経症を治す。 投稿者:村西 投稿日:2008年 2月10日(日)12時03分35秒
加藤諦三他の言う事は人生勉強的な事を言う。
その人生勉強を習って出来なければ駄目な人間と思うようになる。
正しいと思える生き方を決める。又それを指導する。
そのようなことを聞いて出来なければ落ち込む。一生出来なのが人間、一生落ち込む事になる。

加藤諦三他の言う事又道徳 宗教 言う本人が出来るのか。
正しいとされる生き方が自分は出来ないので駄目な人間となる。
そして人より落ちる人間となる。

誰でも100点の人生ではない。
特に神経症は以上の事に努力し、絶望する。
人生勉強が足りないので駄目な自分と決め付ける。しかし誰も深く人生勉強何てしては居ないのです。

ただ生きていて楽しいのが普通人。
神経症は脳の故障で雑音がしているため、修正を絶えず試みる。
修正しろ、修正しろと、故障した脳が喧しいのである。
それを否定して立ち上り、ストレスの無い雑用をしないと、治らない。



(無題) 投稿者:れい 投稿日:2008年 1月11日(金)14時14分15秒
やっと健康な世界がわかりました。何年も無為療法をやっていたんですが
どうやら間違ったまま無為療法をしていた事に気付きました。
こんな簡単な事に一体どれだけ時間を費やしてきたんでしょうか。しかも転職し続けました。馬鹿だと思いました。今も神経症だっていえばそうですが。
きっかけは神経症の人は雑用ができないってことでした。
でも私は無職で治りました。あれだけ働いても治らなかったのにたった一日で治りました。
雑用をしなくちゃと思って働くのをやめて、雑用しているから神経症ではないと言い聞かせていました。でも神経症で雑用をしている時と今はまるで違います。
無為療法は神経症を治せる唯一の方法なんですね。
神経症というか雑用が出来ない人が病気なんだと分かりました。
凄い無駄な時間をいっぱい費やしてきてそれが凄く悔しいです。
皆さんはそうならないためにも間違った無為療法に早く気付いてほしいです。



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