神経症からの開放

有力投稿 
「無」なんてない? 投稿者:ヨシ 投稿日:2007年11月10日(土)21時48分9秒
軽快しても全然うれしくないものです。ただ軽快前と違うのは「無」を体験してもらいたくなります。
だけど「無」は文字通り「無」なので説明の仕様がない。だから動物などを使って説明するがなかなか理解しがたい。「無」とは個々人の体得しかないと思う。それもある日突然ではなく日々「無」は日々加速していく。皮肉なことに「無」は軽快してから説明できる。


普通の状態 投稿者:ヨシ 投稿日:2007年11月 5日(月)06時45分7秒

神経症の治療の究極の目標は無為療法の否定です。
神経症が軽快すると無為療法すら屑同然となります。(失礼!)
時間がたつのが早くなり、お金を貯めようとします。明るくもなります。
まずこのホームページに興味がなくなる。それからこのホームページの書き込みが気持ち悪く感じる。(だから斉藤さんの怒りながらの返事の気持ちがよくわかる。)
そして何事もなかったように普通の生活に戻る。以上。
(ここで最後に斉藤に間違ってますか?と神経者は絶対に聞く)(笑)


神経症の治りは同じ所を通る 投稿者:村西 投稿日:2007年11月 7日(水)12時44分37秒
人間は猿に似ていて、集団で行動する。これは小学生のとき習った。
確かに人間も集団で生活するが助け合いを強調し過ぎるのは正しくない。助け合いしなければ生きていけないと思っていたがこれは間違いです。猿の世界は強いものが勝つ。ボスは強いしかし負ければ、半殺しの目にあう。人間そうは行かない。

猿でも人間でも助け合いはあるが、慰め合いでは事が始まらない。
生活の発見会は慰め合いになっているし、他の神経症掲示板も慰めを求める傾向がある。生物は自然に生きられる様になっているから、海の魚も山の獣もそのまま生きている。人間は魚や獣とは違うと言う者がいるがそれは世間の通説で何か工夫や勉強をしなれば生きられないということは無い。

悟りとは誰でも考えているようなものでなく、通説に囚われない、自由な発想であります。(森田はこの通説に囚われたのであります。なので森田は治っていなかった。キザも同じ)

生きることが悟り「無」であります。無為療法の結論は悟り「無」であります。神経症の治りとは、悟りであります。

発見会の現状 投稿者:北 投稿日:2007年 9月28日(金)14時05分41秒
ここのサイトで発見会について、たびたび話題になりますが、私も惰性の会員なので内部は知っています。現状をお話しましょう。

最盛期には、6千人を超えていた会員数も今や半分の3千人足らず。従い各地の集談会でも人の集まらない所は、ぞくぞくと閉鎖になっています。特に地方では、その傾向が顕著です。

大幅な会員減に伴い、財政も毎年赤字状態です。赤字対策として長年勤めていた事務員を解雇し、交通費のかかるような会合は、まったく無くなりました。

そしてなによりも会の内部が内紛状態をおこし、会員減になったのは、長年勤めてきた理事長の責任だと、過去の役員経験者数名が結束し、反理事長運動を起こし、公開質問状を出すわで、結局今年の6月その理事長は、退任の形でやめさせられました。

森田療法の無能さにいっさい触れず、経営手腕のまずさで会員が減ったとカン違いして捉えている輩ばかりなので、今後たとえトップが交代したところで、会は衰退の一途だろう。


最近の近況 投稿者:リーフス 投稿日:2007年 9月13日(木)03時26分12秒
最近来ていなくて、申し訳ないです。
これからはもう少し書き込みたいと思います。

最近の近況はそれほど大した事もないです。
仕事をして、友人と過ごして、というのがほとんどです。

フラッシュバックは何かきっかけがあって、2週間に1回ほど軽いものが。
不眠症やら何やら神経症絶頂の時にある症状はもうほとんどないですね。
フラッシュバック自体も軽すぎて、雑用をしようと思うまでも無く、
普通に生活していれば、去っている状態です。

最近は思考がすっきりしていて軽快で、何をやるにも楽しいですね。

どうという事はない近況報告で申し訳ないです。では。


雑用は自分のため 投稿者:ウルトラマン 投稿日:2007年 9月 9日(日)22時30分56秒
前回、神経症を治すとは、人のために模範的な活動をすることではないと書いた。そのことについて、もう少し書いてみる。

無為療法では、今、目の前にある雑用の処理を勧める。
その雑用は、決して、家族のためではなく、人のためでもなく、自分自身のためにやるのである。そして、自分自身の身の回りの雑用から始めるべきである。

何故なら、自分自身のことさえ出来ない神経症者ほど、人のためとか家族のためとか言うからだ。自分のことさえ出来ない神経症者が、何を言っているのかと思う。

野球のイチローでさえ、「自分の仕事をするだけだ」と言い、「チームのためにする」とは言わない。自分の仕事をキッチリやることが、結果としてチームのためになることを知っているからだ。

キザ氏なども、親孝行をしろなどと言う。しかし、自分のことさえ出来ない神経症者に何が親孝行だと思う。先ずは、自分自身のことが出来ることである。自分の身の回りのことをキッチリとやっている姿を見て、親は安心するのだ。自分自身のことをキッチリすることが、最大の親孝行なのである。

そして、自分のために雑用を続けていると、だんだん自分のためと、家族のため人のためとの境がなくなってくる。そうなると、自分が意識しなくとも、家族の ため人のためにしているのだ。自分では意識していないため、その活動は自然であり、相手に恩を着せることも無く、却って、人から信頼され頼りにされるので ある。それに比べ神経症者は、意識的に家族のため、人のためにやろうとするから、恩着せがましくなり、人から嫌われるのである。

雑用は、自分のために、自分の身の回りのものから始めるべきである。


雑用が生活の全て 投稿者:Rosy 投稿日:2007年 9月 8日(土)09時45分5秒
無の雑用とは判定をしない雑用です。私はこれで神経症が治った。雑用は考えてする物ではない。悟りとは、ただ普通の人間になる事で特別な人間になることではない。修行をして別の人間になるのは悟りとは言わない。誰でも明日の事は分からないし、神経症が治っても明日の事は分らない。しかしそれでいて安心なのです。

出来ない、そうならないは間違いで今の自分で十分なのです。動けば元の健康に戻るし屁理屈も議論もいらない。気がついて見たら別の人間になっていたが正解です。しかし別の人間になったと意識をした時がフラッシュバックの開始だから、判定をせずただ動くだけです。

野村氏の書いている事は、治したい、治したいで、このHPとは対極にある。読んでいて後味が悪い。


自分の異常さの自覚 投稿者:ウルトラマン 投稿日:2007年 9月 2日(日)17時32分3秒
私の従姉で、キリスト教の布教活動をしている人がいる。
しかし、その従姉は2度の離婚に一人息子との関係も悪い。
何故、一見、キリスト教の布教活動のような良いことをしている従姉に不幸ばかりが降りかかるのか疑問で仕方が無かった。
そして、最近思うことが、布教活動や社会奉仕活動をしている人達の多くが、自分の劣等感や嫉妬心を正当化するため,そういった活動を利用しているからではないかと。

劣等感や嫉妬心の強い本当の自分と向き合うことから逃げるために、布教活動や社会奉仕活動をしているのだと。本当の自分と向き合わず、自分を正当化するための布教活動や社会奉仕活動は偽善であることから、不幸が降りかかるのではないかと。

森田療法などが、人のために活動すれば神経症が治ると言っているのであれば、その活動は神経症を治す為に利用しているだけの偽善であり、また異常な本当の自分と向き合うことからの逃避であり、そんなことでは神経症は悪化するだけで治らないのではないかと思うのである。

無為療法では、自分の異常さを自覚せよという。
神経症者は、本当の自分、異常な自分と向き合おうとしない。だから、偽善的な宗教活動を続ける人達と同じく、治す努力が止められないのではないかと。異常な本当の自分と向き合わないから、神経症の苦しみや不幸から逃れられないのではないかと。

神経症を治すとは、無為療法が言っているように、人のために模範的な活動をするのではなく、異常な本当の自分を自覚し、只、目の前の処理をするだけなのだと思う。



神経症者には心に余裕が無い 投稿者:ウルトラマン 投稿日:2007年 7月29日(日)23時23分48秒
神経症が治り始めて、気づいたことがある。
それは、神経症者には心に余裕が無いことだ。
心に余裕が無いから、仕事をしても空回りをし、ミスばかりをする。
心に余裕が無いから、人に何かをしてあげたいという気持ちも湧かず、そのため恋人も友人もできない。

神経症が治ってくると、心がゆったりとしてきて余裕が出てくる。
余裕が出てくると、目の前のことがはっきりと見えるようになり、仕事も進むようになる。
人に何かをしてあげたいという気持ちも湧いて来るから、人から頼られ恋人や友人もできてくる。

以前、私は不潔恐怖から他人を不潔だと毛嫌いし、また対人恐怖もあったため人と壁を作り人との接触を出来る限り避けていた。しかし、心に余裕が出来てからはその壁が崩れ、他人を不潔だと毛嫌いすることも無く、自分でも気づかないうちに人とお喋りしている。
また、以前にも書いたが、酷かった洗浄強迫や確認行為などの強迫行為の症状も消えている。

今、神経症に苦しんでいる人は、無為療法をやり始めて数日でこのように変われると思うのは間違いかもしれない。
私は、無為療法に出会って2年近く経つが、上記のように変化したのは最近のことだから。
その2年間、幾度と無く耐え切れないようなフラッシュバックを味わい苦しんだが、一度も質問したり、他人に助けを求めることはしなかった。
他人に助けを求めるのではなく、自分の頭で考え、自分の意思で決断することが大切だと思う。
自分の頭で考えずに質問し、自分の意思で決断できない人ほど無為療法を批判する。何故なら、全ての責任を他人に押付けたいからだ。自分の神経症も不安や不幸も他人のせいにしたいだけなのだ。
しかし、他人に責任を押付けているうちは、神経症が治ることはない。
神経症が治るとは、ある意味、他人からの自立なのだ。
自分の頭で考え、自分の意思と責任をもって決断すること。
無為療法をやるかやらないかも、あなた自身が自分の意思で決めることなのだ。


夜空の星さんへ 投稿者:洋介 投稿日:2007年 7月27日(金)23時10分16秒
骨折より神経症の方が、よっぽど辛いです。薬は追い込まれたら飲みましょう。僕も、親を恨みたくなる時すらあるほど、神経症は辛いです。僕は、神経症と統合失調症の両方を持って10年間生活してきましたが、斉藤療法に出会ってから、快方に向かい今では、昔から格闘技が好きだったが、出来なかった空手をやっています。昔では考えられない事です。しかも、道場では1番僕が強いです。がっちりした体型なので、僕が神経症だときずく人は、ほとんど皆無です。


本から 投稿者:村西 投稿日:2007年 7月29日(日)15時05分15秒
悟りは無意識の世界。健康人は悟りの世界にいるが、それに気がつかない。神経症者は脳の故障により意識的になる。神経症が治ると、悟りが分かる。悟りとは、スーパーマンに成るのでもなければ、仏になるのでもない、迷いの無い、穏やかな世界である。悟る為にはこのホームページにもある様に自分が狂っているの自覚もち、質問しないで丸腰立ち上がる。

1日中家の中に居たのでは体に悪いし、薬を飲みつづけるとお金もかかる。自分のことは自分でする日々無意識の雑用です。



感謝しています。 投稿者:マリエ 投稿日:2007年 6月 3日(日)10時24分48秒

私が自分が病気なんだ、治らないんだ、だから努力しなくてもいい、逃げてもいい、逃げる自分を責めなくてもいい、チャレン ジして失敗して泣かなくてもいい、と斉藤療法で気付かせて頂いたのはまさに神の導きでした。お陰で離婚も回避できましたし、それなりにあまり苦しまずに仕 事ができるようになり、あと数年続ける気力を得ました。自殺を考えることはありませんが、死にたい、この世から消えてしまいたい、と一日に何度も一人で泣 きました。何か自分は同じ所をぐるぐる回っているみたいだ、とは十年ほど前から気付いていましたが、それは自分が頭が悪いせいだと思っていました。いろん な反論があるようですが、少なくとも私には斉藤先生の導きは宝です。



It's been a long time 投稿者:Tao 投稿日:2007年 5月14日(月)12時37分43秒

Dear Sensei-Saito

How are you doing? I hope you have well gotten over the food poisoning stuff in China. It has been a long time since my last posting, I get by fine.

Being in "Mu-i" is just like that my body moves itself. There exists no doer watching my emotion and keeping to instruct me to do this or that., but a kind of feeling I'm in an automated car. Everything just happens.

That you said "zatsuyou ga zatuyou wo suru"is right..Though anxiety and uneasiness come occasionally, they just pass through ,and my body moves automatically without obsessive thoughts.

Flashbackes, however, do bring me right back down into the darkside of my brain. I now just could not help it as you always point out.

Anyway. I just wanted to let you know you mean more to me than words can say. You are a lifesaver.

Hi! Everyone. What's the good word? So sorry to fill in this in English for a reason. Have a good one!


自分の経験談 投稿者:リーフス 投稿日:2007年 4月11日(水)01時57分41秒
自分も間違いなく神経症でした。強迫観念、フラッシュバック、そして欝、パニック。小学生の頃からその前兆はあり、神経症的思考をしていた。17歳の時に神経症の状況が悪化し、その状態のまま3年が過ぎ、21歳で神経症の絶頂期を迎えます。死にそうな恐怖と幾度と無く戦いました。毎日神経症・自分の内面について試行錯誤していました。無為療法に出会ってからも1年近くもがきました。

しかし掲示板に書き込み、斎藤先生に「あなたは治らない」と言われた事がきっかけで、全ての療法を捨て去る決意をしたのが初めの一歩です。そこから1年が過ぎ、今の状態になっています。

自分は若いからかも分かりませんが、一度無為療法の本質を掴んでしまったら、そこからはまるで自分にかかっていた魔法でも解けていくかのようです。あまりにもあっさりと健康世界は開けました。

今現在、脳が安定するまで何度もあると言われたフラッシュバックでさえまったくありません。一度たりともありません。きっとここら辺は個人の脳の構造の違いか、神経症を患っていた期間の違いかも知れません。たまに強迫観念が襲ってきて、動きが鈍くなる程度です。それさえ、無で行動をしていればあっさり去っていきます。

治ったと宣言するつもりもありません。治って無くてもいいんです。これほど心が自由な状態がもし神経症なら、自分は神経症でいいと思っていますから。


不安 投稿者:リーフス 投稿日: 3月10日(土)22時34分36秒

最近書き込んでなかったので、何となく書き込んで見ます。

神経症者は不安なんです。とにかく不安なんです。怖いから理屈をこねるんです。怖いから妄想するんです。怖いから、怖いから、不安だから、恐怖だから。神経症者のする事の根底には不安や恐怖しかありません。それを取り除く事が人生になってるのです。哲学的思考も、屁理屈も、質問も、情報整理も、映画を見るのも小説読むのも、何もかもです。全部不安をどうにかしようとする気持ちが根底にあります。

しかし、健康世界に移行すると、不安が怖くありません。矛盾した言い方かも知れませんが、不安があっても、それが平常であり、不安が無い時もあり、ただ生きています。動いています。神経症の人にはこの世界は絶対に分かりません。神経症ですから。こちらの世界に来たければ、療法をするしかありません。健康世界に移行したければ、このサイトに来るのもやめて、不安を消す行為を全部やめ、ただ無で動き続けるしかありません。何度も言われてる通りです。

神経症と一切闘ってはダメです。何故闘ってはダメなんですか?と思ってもダメです。ダメと思ってもダメです。無で動きましょう。神経症が治ってないのに、ここに書き込んでる人は多分治らないと思います。

では。


反論について 投稿者:塞翁 投稿日: 2月25日(日)21時36分41秒
 斎藤先生は、あなたにわざわざヒントを出していたのを気がつかなかったのだろうか?「病んでいることに対しての自覚が怪しいことだと。」と。
 言い換えれば、自分の脳の状態が異常であることに気がつくことである。これが斎藤療法の前提であり始まりである。この捉え方如何で全て話が違ってくる。
 例えば、強迫神経症者は手を洗うのに、数時間も延々と洗ってしまう。自分でおかしいと思いながらも止められない。40代にもなる人間が20年以上も自宅 に引きこもり、外には夜以外出られない。このようなことが起きる原因が、あなたが言われているような、自分のことばかり考えているのが原因か?そんな単純 な理由か?自分の脳は病んでいないと主張されるなら、もはや大昔からのインチキ療法の対象次元なのである。
 このサイトは仲良しグループの集まる場所ではない。間違ったことを言えば攻撃されて当然なのだ。私自身も誤ったことを書けば、斎藤先生から攻撃される覚悟で、緊張しながら書いているのである。


メジャーさんへ 投稿者:塞翁 投稿日: 2月24日(土)00時45分18秒
あなたの1回目の文を読むと、自分のやるべきことは雑用であると書いてあるが、支離滅裂だと気がつかないだろう か?そして2回目には、脳が問題視される難しい話ではないと書いている。ここのホームページのいったい何を見て、雑用が必要と主張しているのか首をかしげ てしまう。斎藤先生が普段言われるように、日本語が読めない神経症者という言葉が至極明言と感じる。私がアドバイスするなら、あなたはここよりもキザ氏の サイトの方がはるかにぴったりだ。


ふと感じたこと 投稿者:塞翁 投稿日: 2月22日(木)22時51分30秒

メジャーさんの言われることは、よく見ると生活の発見会で説教されそうな典型的なセリフですね。「必要なことは、行動しなさい」とかと、言ってることは同じでしょ。
「〜自分を活かすようなことを淡々と実行すればいいと思う」→これは、自分の動きに頭で選択して動こうとする、典型的な神経質症者の前説でしょう。
(前説とは私の勝手な単語だが、心構え・意気込みだけに終始し、現実に入るとすぐ消えてしまう現象)
いきなりきつい言い方で失礼。


続けてみる 投稿者:ソルト 投稿日: 2月13日(火)21時00分25秒

雑用が毎日淡々とできますようになりますと、神経症の回復にはもうすぐであると思います。
なぜか、私の生活はPCテレビを見ている暇などありましたら、雑用のほうが楽しいというところまでになってしまいました。

注意点としましては、動き=雑用とらえないことです。動き=雑用がなりたつとしますと、マラソンをしていれば治るという変な事になってしまいます。
一生懸命の雑用。これも私は昔失敗しました。神経症を治すための取引をしているのであり、そんなことをしますと、これもまた、マラソン、仕事=強制的な動きということになってしまいます。
いざ、言葉にしようとしますと、難しく意味が分からなくなってしまうのですがまずは、雑用を続けていきますといろいろ分かると思います。
動きが気持ちいいと思えば動けばよいし、雑用が楽しければどんどん雑用すればよいと思います。大げさですが私の場合それだけで十分です。
PCが長い時間できればこしたことはないのですが、フラッシュバックという魔物が襲ってきますので、やっぱり動きになっちゃいますね。


逆転現象 投稿者:ソルト 投稿日: 2月 4日(日)14時46分23秒
神経症と健康な状態とは、まるで生活に逆転現象が起きるような気がいたします。
私の今の生活を考えますと、神経症の時とはまるで逆であります。
まず、雑用を好むようになったこと、神経症のときは、まず雑用が出来ませんでした、今は、雑用を楽しくやっています。また、動きに楽しみを見出し、娯楽は動きといいますか、動くことが幸せであるというかんじでしょうか。
また、テレビ、PCにはほとんど触らなくなったということであります。なぜか、わからないのですが、テレビをみている、PCに触れていますと、なぜか、気持ちが悪くなり、すぐたたんでしまいます。
だからといって動いてばかりの生活でもなく、意外とだらっとしております。それでいいという感覚でしょうか。
神経症のとき、努力ばかりの生活でしたが、今はほとんど努力をしていない気がいたします。強迫観念の薄れを体感することで、単に努力とは強迫観念に逆らう 行為であり、強迫観念がうすれる事で、健康な人がしているという行為はすべてただの行動であったということを知ることになりました。
神経症脳と健康脳とは、まるで正反対の要求をしており、それをコントロールする脳は1つということで、神経症脳から健康脳へスイッチをいれることは難しい ことではありますが、その逆もありえますことで、健康脳から神経症脳へのスイッチをいれることも難しいことではあると思います。ひとたび健康脳を体感しま すと、神経症脳へのスイッチをいれることは、無のレベルで嫌がりますので、そのレベルまで自己をコントロールする必要があると思います。



(無題) 投稿者:シグナル 投稿日: 2月 3日(土)23時57分6秒
斉藤さんのそういう趣旨を理解したうえで、この療法をやっていたなら、質問を投げ捨てられても腹は立たない。 し かし、研究所は、考え方の違いであり、話し合い、叱咤激励により間違えに気づくことだと言っている。 そして研究所の管理人のいうことは100%真実と いっているが、何故脳の故障でなく、考え違いが真実というなら、こっちが聞いていることを誤魔化して答え、逃げる必要があり、挙句の果てには真剣に彼のも とで取り組んでいて助けを求めるものを見捨てるということが起こるのだろう。そもそも真実で正しいことを言っているならば、こっちの聞いていることに関し てしっかり答え、間違いを正しく指摘し、正しい方向に導けるのではないのでしょうか?? 彼のやり方は、神経症者を自分の土台に持っていき、治すと同時に 自分の人生的価値観を押し付け、その自分の土台のなかにいれるものだけを導いているにすぎず、その自分の価値観にそぐわないものは、人生に対する真剣さ、 治癒に対する真剣さが足りないといって跳ね除けている。 これは彼が真実という意味合いを勘違いしていることも一つだ。柔軟な対応が出来ないことに関して は、彼が神経症者にかけている言葉はまた、彼自身にも言っていることであり、その考えを曲げると自分も神経症に戻ってしまうことを恐れているからだと思 う。 だから、自分の考えが通るように物事、仕事、生活を解釈し、その考えを通す範囲で応対できる人だけを相手にしている。 自分の考えが通らない人は手 に負えないと見捨てるのだ。



研究所 投稿者:シグナル 投稿日: 2月 3日(土)17時15分20秒
研究所を批判したい。
あそこの管理人は最低だと思う。
自分に対応できない人は見捨てる。全く議論の余地をもたない。神経症以外でも生活、仕事といったところで自分の意見を押し付ける。こちらのいわんとするこ とをわかろうとも、理解しようともしない。自分の間違いを認めない。分からないことからは逃げる。指導者のくせに自分が学習する気が無い。私は真剣に取り 組んでたものです。 しかし、彼のいってることをいくらか納得できずに分かろうと努力したが結果的にいきづまり、混乱し、迷い、そのことを訴えた。私は取 り扱ってもらえず、納得一方的に門前払いをくらうこととなった。
彼は都合のわるいものは荒らしと同じような対応をして、自分にとって都合の悪いものは邪魔者として扱う。
彼が神経症を治っているかいないか、治せるか治せないかは別として、そんな人に人を指導する資格はあるのだろうか。 特に彼は神経症は病気でなく考え方の 間違いと主張しているが、実際には都合のわるいケースからは説明も中途半端な表現でごまかし逃げている。以前このホームページに書き込みをさせて頂いたと き、皆様に意見を聞いていただき大勢の意見を頂戴できた。 いろんな人の意見を聞けて納得できた。 彼のホームページに意見を書き込みしたら削除された。 結局彼はほんの一部の条件の人しか治癒に導けないのだと思う。



雑用について 投稿者:村西 投稿日: 1月 3日(水)12時48分34秒

新年 おめでとうございます。

なぜ雑用か。健康な人を見てもそんなに雑用をしているように見えません。しかし、彼等は流れるように動いているのです。何もしていない様でも、神経症者の10倍以上は動いているでしょう。神経症者では脳の故障により、体が止まってしまっている。だから神経症者では意識的に体を動かさないとならないが、ストレスのある場合では上手く行かない。

カウンセリングはどうか。人の慰めでは脳は動かないし、慰めが1番神経症者を駄目にしてしまう。慰めを求めるから、フラッシュバックに入った時に方向が分からなくなる。結局、カウンセリングでは何の得にもならないのだ。得をするのはカウンセラーだけです。カウンセラーの言うことに従うのもおかしい。100人のカウンセラーは100の違うことを言うはずで、迷いが増えるだけです。

私が神経症当時、強い人間になるのが最大の目的でした。今にして思えば、神経症脳が作り出した偽の向上心でした。幾ら努力しても神経症脳は空回りばかりです。神経症を誰か賢い人に生き方を教えてもらって治そうと考えていましたが、それが間違っていたのに気が付きました。

回答のないまま、今すぐ立ち上がり雑用をする。その時に脳が動き、自然と知恵が湧いてくるのです。



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