焦り・劣等感・嫉妬 投稿者:リーフス 投稿日:12月24日(日)14時53分55秒
回りが楽しそうにしている時に(恋愛でもサークルでも仕事でも休日の遊びでも)神経勝者は異常なまでに嫉妬し、不安を感じます。
自分の知り合いに、とても綺麗で優しい女性がいるのですが、その人は恋愛関係に奥手で、しかもちょっと理想が高いため、大学卒業近くなっても彼氏ができた事がありませんでした。もし、神経症者が同じ立場ならどうしようもない不安で死にたくなるかも知れません。
その子も口では悲しいと言っていましたが、神経症者とは天と地ほどの差があるくらいの不安でしょう。
健常者は強いです。寂しい・悲しい・辛い、このような感情を持つのですが、
動けなくなるほどの、悲しみはよっぽどの事が無ければ襲ってきません。
神経症であるうちは、襲ってきている不安や嫉妬や劣等感は、脳が過剰なまでに作り出した幻想なんだと認識すべきです。実際それが事実です。
健常者が感じる不安と、神経症者が感じる不安は、まったくの別物です。
何故、身の回りの雑用が大切なのか 投稿者:ウルトラマン 投稿日:12月20日(水)20時07分0秒
神経症者が、仕事、勉強、対人関係、異性関係が巧くいかないのは何故か?
健康人は、普段から身の回りの雑用を当たり前のように処理しているため、常に心も動きも自然に流れている。その動きの延長として仕事や対人関係に入るため、不安や恐怖を感じてもその意識はそのまま自然に流れ去るため神経症者のような苦しさが無い。
それに比べ神経症者は、動きの基本である身の回りの雑用を軽視し、それを飛び越えて不安を感じやすい仕事や対人関係に入ろうとする。そのため心も動きも流れず、不安や恐怖が心に残ってしまうため苦しくなってしまう。
例えば、神経症者は何故、恋愛下手なのか?
健康人は、異性と会話や食事を十分楽しみ、お互いの気分が盛り上がったうえで、ホテルに誘う。
会話のときは会話を楽しみ、食事のときは食事を楽しみ、そしてホテルで楽しむ。心は流れているので、その時その時を楽しむのである。
それに比べ神経症者は、会話や食事を飛び越えて、いきなりホテルに行くことを目的としてしまう。
そのため、会話や食事をしていても意識はホテルに固執しているため、会話も食事も楽しめず、気分も盛り上がらないため、異性から拒絶されるのである。
結局、今ある目の前の処理を飛び越えて、仕事や対人関係、恋愛関係に固執するから、心や動きが自然に流れず巧くいかなくなるのである。
だから、目の前の雑用を処理して「無」になれと言う。「無」とは心や動きが自然に流れている状態である。
意見 投稿者:大介 投稿日:12月15日(金)23時02分49秒
森田療法をあまり良く知らないのですが、もちろん無為療法とは全く違います。他の全ての療法とも違います。知らないのに、やったこともないのに何故違うと分かるかというと、無為療法が療法ではないからです。
「治す努力を停止する」では治りません。
「神経症とは治そうとする病気」ではありません。神経症である結果、治したいと思うだけです。「神経症とは雑用ができない病」なのです。神経症である結果、雑用ができないのです。従って、雑用しないで考え込んでいるとどうなるか・・?議論の余地がありません。
他人は関係ない 投稿者:ウルトラマン 投稿日:12月10日(日)00時21分14秒
しばらくの間、投稿するのを止めようと思ったのですが、山さんのことで少し書きたくなりました。
山さんへ
他人が雑用をしているかどうかは関係のないことです。
神経症者は、他人と自分を比較してしまう癖があります。
他人ばかりを観察しているから、神経症者は自分から動こうとしないし、動けなくなっているのです。
神経症が治るか治らないか、雑用をするかしないかは自分自身の問題なのです。他人は関係有りません。
無為療法では、「無」の雑用を要求します。
「無」とは、比較、分別が無くなり、自分も他人も意識に浮かばなくなり雑用に成り切った状態です。他人が雑用しているかどうかを気にしているうちは、「無」になれないでしょう。
気づいたこと 投稿者:ウルトラマン 投稿日:11月21日(火)23時56分22秒
掲示板を読んでいて、気づいたことがあったので書き込みます。
無為療法をやっていながら、治っていく人と治らない人の違い。
無為療法をやって治っていく人は、自分の体験を自分の言葉で語っているのに対し、なかなか治らない人は、他人の書き込みを評価するだけで自分の体験を語らない。
アリさんや夜空さんなど。
確かに、間違った意見に対しては指摘し、批判することも必要ですが、治っていない人は自分の雑用を第一にすべきです。
自分の体験が自分の言葉で語れないのは、未だ雑用の中に入り切っていないのではないでしょうか?
あくまで、自分の雑用が中心で他人への評価は二の次です。
夜空の星さんへ 投稿者:匿名を希望 投稿日:11月21日(火)11時38分1秒
返信ありがとうございます。
私がこのホームページとの出会いをきっかけに、神経症というか、偏っていた物事の考え方が修正され、大きく改善しているのは事実です。今学校にいるのですが、あえて考えれば周りの学生のあらゆる動きの一つ一つが雑用で、本人はそれを意識していない。当たり前で自然です。
当初はそのような周りの人の動きのすべてが新鮮に感じられましたが、私もそれに近づいていると感じる時がふとあります。
ただそれだけで、日々は資格試験の勉強や、アルバイト、就職活動などで大変忙しいです。弱音を吐いている暇はありません。私にも信念みたいなものがありますので、その実現に苦悩している面もありますが、とにかく次に進まないといけない。
皆さんも苦悩されている方も、すぐ動くべきです。
感謝と感想 投稿者:匿名を希望 投稿日:11月20日(月)12時18分40秒
私は以前、神経症状態がひどかった二十歳の者です。しかしこの療法を知り、雑用を意識的にするようになり、最近 は大分生活の質が改善しています。以前は引きこもり状態でしたが、今は学生をやっています。ここまでくるのに3年かかりました。何にもなかった自分に、社 会性や学力などが身に付き、日々向上している自分がいます。
フラッシュバック・強迫観念が強い方ですが、何とかやっています。薬を飲み続けることに関しては、高血圧や糖尿病といった持病の対策と、同じようなことかなと感じています。ハンディキャップがあっても生きていけますし、そうする義務があります。
このホームページには稀に訪れますが、「今日の言葉」や、「禅の講義」、最新の脳の科学のページなどどこを見ても、神経症療法は「無為療法」しかないと感じています。
私の人生を、とても有意義にするきっかけを与えてくださった斉藤様に、心から感謝いたしております。本当にありがとうございました。
ホームページ運営や、ご自分の活動をがんばってください。影ながら応援していますし、斉藤様を尊敬しています。
では、寒いですので体調にも気をつけてください。どうか、この「無為療法」が世間や神経症の医学分野にも浸透していくことを願っています。それでは失礼いたします。
夜空さんへ 投稿者:伊達男 投稿日:11月13日(月)18時41分4秒
>(彼のHPで治ったといわれている9人の治癒者の内、誰も参加していませんでした。)
結局、キ○さんのところでは、誰も治っていないということですね!
治った人がいるのなら、キザさんに対する感謝も含めて、集団会に参加して自分の体験談を話してもよさそうなものです。
キザさん自身が治っていないのなら、誰も治っていなくて当然ですが…。
私も10年位前に、発見会の集団会に2回参加しましたが、その雰囲気の暗さに嫌気が差し、それ以来参加していません。
結局、神経症が治った人を出しているのは、ここのHPだけですね!
斎藤先生へ
何故、多くの神経症者はインチキ療法を見抜けないのでしょうか?
アリさんへ 投稿者:匿名=夜空の星です 投稿日:11月13日(月)12時52分27秒
先日の「今回は匿名で」のハンドルネームで投稿したのは、夜空の星私です。
>彼と直接話しましたか?何か言われましたか? 9人とは少ないですね。
キ○さんを入れて9人ですから、実質参加者は私入れて8人ですね。
大阪という大都市での開催なのに、参加者が少数ですから、ここのHPの影響もあるでしょう。斎藤さんがもし集団会を開催したら、100人単位で人が集まる のではないかと思います。要するに、誰も信用していないと思います。(彼のHPで治ったといわれている9人の治癒者の内、誰も参加していませんでした。)
彼とはあまり話しはしませんでした。他の参加者の話を聞いていたのが大部分です。
私が聞いたのは、ここのHPの「雑用」について聞いてみたのです。そしたら空気が「し〜ん」となりましたね。そこで彼は「斎藤さんは最近は間違った方向にいってるね」「治せるのは宇佐先生しかいないだろう」でした。
集団会の内容はHPの復唱のみで、あとは一人一人の悩みに対して、キ○さんがアドバイスする。それの繰り返しで会は終わりました。
24時間ブレインロック状態の人に対して、「仕事をしなさい」なんて可笑しいと思いませんか。目の前の雑用も出来ないのに、いきなりこれだから、もうガッカリですよ。
斎藤さんが言ってますが、「目の前の雑用も出来ない人間が、仕事なんて出来るわけが無い。」
その通りだと思います。脳が狂っているのに、いきなり仕事なんて馬鹿な事をこの人は言っているわけですよ。
私は森田療法をやったことがないので知りませんが、キ○さんはその二の舞をやっているのではないですか?
キ○さんは脳のぐるぐる回りを理解してますか? 投稿者:今回は匿名で 投稿日:11月10日(金)18時59分16秒
先日投稿したものです。
私は以前の斎藤さんと同じぐらい重症神経症患者だと自覚しています。
脳が空転して、薬漬け状態で悩んでいるのに、
キ○さんにアドバイスされた内容は「仕事をしなさい、それが治癒の姿です」
これですよ。んな馬鹿な。
仕事して治るんなら、10年前に治ってますよ。
本格的神経症に対して、「治さない、考えない、相手にしない」と言われても、最早脳がぐるぐる回り思考に、その方法論では歯が立たない。
リーフスさんが言ってますが
「本格的な神経症の人は脳がさらに混乱するのでは、と。」
その通りです。
重症患者にはキ○さんのやり方では土台無理なのです。
キ○さんにお聞きしたいです。
貴方は脳のぐるぐる回り思考が理解出来ますか?
脳の異常を否定してるから、恐らく理解出来かねないのではないですか?
これは物凄く苦しくて、貴方はそれを理解していないのではないですか?
斎藤さんはこれは理解しています。
反論があるのならば、ここの掲示板に書き込んでください。
神経症者の実態 投稿者:大介 投稿日:11月 4日(土)14時54分51秒
こんにちわ。お久しぶりです。
また○○さんですか・・。僕は神経症が一度治る以前に、○○さんのHPを拝見したのですが、ある神経症の人に指導している内容、「治す事の奴隷、神様から
与えられたもの、感謝して生きる」という言葉を見てまず気持ち悪いと思いました。神経症者というより、怪しい宗教団体の教祖なのでは?という感じです。僕
が理解できないのは、なぜこのような気持ち悪いHPに神経症の方が相談をしているのかということです。まともな人なら、神経症だろうが何だろうがこんな所
よりつかないと思うのですが・・・。
メンタルヘルスのチャットに毎日のように通っていたときに、知り合った人たちとボイスチャットやスカイプで話しをしたりしたのですが、神経症者の実態は以
前の僕と大体同じです。無為療法はおろか○○療法すら知らない。他の療法も知らないし、試した事もないし、関連の書物も読んだこともない。試した事あるの
は、薬物療法だけ。家事などはできる。こんな感じです。
だから、ここに来て「神経症者には雑用ができない」と言われても意味が分からないのです。だからこのHPを通過してしまうのです。2年程前にこのHPを知 りましたが、僕も通過しました。今年の4月に「動く事に対して抵抗する姿勢を示す」の一言を見て、反論しようがありませんでした。立ち上がったのは、7月 になってからなのですが、一日で健康世界に出ました。今までの人生でやっていた家事などは神経症世界でやっていたものに過ぎなかったと分かりました。
我々は自分が狂っていると自覚して、今すぐに立ち上がり、目の前の雑用を処理しないといけない。「神経症者には雑用ができない」この事が理解できるのは 治った時です。今までの人生が全て狂っていたと分かったので、治ってみてとても喜んでなどいません。一日で治りましたが、今でも全然治っていません。失礼 します。
他人の評価が気にならなくなる 投稿者:ウルトラマン 投稿日:10月28日(土)07時50分54秒
神経症が治ると、他人の評価が気にならなくなる。
神経症者は、他人の評価を異常に気にする。気にするから、勝ち負け、是非善悪、仕事、対人関係、異性のことなどに酷くこだわる。そのこだわりが、他人との対立を生み、融通を利かなくさせ、身体を力ませ、行動をぎこちなくさせる。
また、嫉妬深く、人に侮辱されると、異常なくらいに怒り憎しむ。
他人の評価が気になるとは、裏を返せば、神経症者特有の自意識・自己に対する執着が強いことの現れである。
よって、他人の評価が気にならなくなるとは、自分に対する執着を捨て去ることを意味する。
神経症が治り他人のことが気にならなくなると、今までのこだわりが無くなり、心が自由となり、雑用するもしないも自由、異性と付き合おうが付き合うまいが自由となり、自然な動き(無の動き)が出てくる。その動きは優雅であり、人を引き付ける。
そして、他人に侮辱されようが褒められようが、怒ったり喜んだりすることが無く、心が平ら(安定)になっている。
また、神経症が治った人は、他人の評価を気にしないから、雑用が成功しただの失敗しただのという報告はしない。治ったとか治ってないとか、悟りを開いたとかも言わない。只、目の前のことを処理しているだけである。
では、どうしたら他人の評価が気にならなくなるか?
一切の助けを排除して、己一人になり、目の前の雑用を処理することである。
目の前の処理に意識が向かうようになると、自然に心が展開(自由)してきて、他人の評価はどうでもよくなってくる。
○○さんのレスに対する感想 投稿者:ひとみ 投稿日:10月 9日(月)02時52分31秒
私は、対人恐怖症、赤面恐怖症から無為療法によって助けられました。毎日が死にたいほどに苦しくて心理学の本などを必死で読み漁っていた頃に、「あがってしまう自分が神様から与えられた自分であるから、あがってしまう自分のまま、欲張らず今の自分に与えられた幸せに感謝しながら、頑張ってこのまま生きていこう」と何度思ったかわかりません。一瞬の効果はあっても、継続しませんでした。「神経症を治そうとせずにありのままの自分を受け入れようと頑張る行為」イコール「神経症を治そうとしている行為」であることに目を向けたら、治るはずがなかったんだと今はよくわかります。
>「上がってしまう」は人間には皆ある正常な状態です、有って当然無かったら困る人間の心です。そしてこれは人によって強弱が有ります「上がる」が強い人もいるが、それは病気では無いだろう。不潔や完全、高所などに対して嫌悪、恐怖も人により強弱が有ります。これは病気では無い。だから治し変えたりするものでも無く、上手に付き合って行けば良いでしょう。
理屈ではいろいろとわかっていても、上手に付き合って行けないから死にたいほどに苦しいのですから、「上手に付き合って行けば良いでしょう」というアドバイスはいかがなものでしょうか。
>「上がる」も人生のたいして邪魔にならない、何の邪魔にもならない一つの性癖でしょう。
これも随分自分に言い聞かせましたよ。繰り返し、繰り返し。言い聞かせるほどに神経症の脳は「待ってました」「おいしいエサをもらった」とばかりに大きくなり、益々過敏になっていくのでした。
>個人の特徴であり人間の値打ちに変わりは無いですね。そのまま相手にせず時間を取られず生きればいい。明るく生きれる彼女の自覚は素晴らしい。
「自分に対する言い聞かせ」「人の助言、指導、激励」の類が神経症の治療には何の意味も持たないことが今の私には本当によくわかります。
私の神経症の脳は「休火山」というイメージです。雑用をすることにより、それまで大噴火を起こしていた火山がいつの間にか火を噴かなくなっていました。静かなものです。
変化 投稿者:ウルトラマン 投稿日:10月 8日(日)20時13分1秒
最近、肩だけでなく、腕・手首・指の関節にいたるまで力みが抜けてしまった。
その後、急に動きがスムーズになりだした。
以前は、意識的に雑用を処理していたが、今は自然にもよおされ身体が自動的に動き雑用を処理している。
神経症者は、何かに追われるように必死になってやろうとするが、無為療法で治ってくると逆に心がゆったりとしてくる。
私は対人恐怖以外に酷い強迫行為(確認や洗浄恐怖など)があった。数ヶ月前から症状は軽くなっていたが、今は全く症状が無くなってしまった。
それでいて、嬉しいと全く感じない。症状が無くなったことが何故か不思議に思うだけだ。
どうも、酷いフラッシュバックを超えるたびに、自分がより自由になっている気がする。
本当に、無為療法は不思議だ。
深夜ですが 投稿者:よしゆき 投稿日: 9月22日(金)02時53分20秒
このホームページに書いてあることはすべて神経症を治すためのものですがそれを神経症を治すために利用したら妄想 になります。神経症を治す方法を探してはならない、雑用を無でやる、など間違いなく真実ですが別にそれを利用し、達成して治した記憶はありません。ああそ うなんだなと言って立ち去っていくだけです。
無為療法との共通点 投稿者:秋雨 投稿日: 9月20日(水)08時48分8秒
イギリスの小説家にデーヴィッド・ハーバート・ローレンスという人がいます。曰く
「将来のことを考えていると憂鬱になったので、そんなことはやめてマーマレードを 作ることにした。オレンジを刻んだり、床を磨いたりするうちに、気分が明るく なっていくのには全くびっくりする。」
無為療法と何か通ずるものがありませんか。
青い顔をしてウンウン考え込むこと、つまり症状をなくす方法を考えることが
いかに迷惑で非生産的で精神異常な状態であるか。
ホリエモンがどうであってもよい。神経症者が普通の生活を送ることが高望みでもそうでなくてもどうでもよい。そういう議論は神経症を脱してからやりましょう。脱するには雑用ですよ。
外側の世界 投稿者:さくら 投稿日: 9月14日(木)19時33分54秒
ある時期をこえてからというもの、ほとんど、心理学、哲学的な文章、そもそも長い文章を避けてきているような気がします。外へ出てもパニックになることなく、変に楽しくなることもなく、不思議な感じです。
半年間、雑用を続けてきたのですが、このような感じは初めてです。神経症の外側の世界とは、神経症の世界とは違うということを実感しております。治ったかたの意見で、禅さんという方の意見読んでみてください、とても参考になると思います。
皆で考えよう 引っかかり 投稿者:ソリッド 投稿日: 9月 6日(水)23時22分58秒
>言葉がポンポン出ているので、
人と話している最中なのに、言葉がポンポン出ている「自分」を監視。あえて言うなら、「ポンポン話題が出て来るのです」
>自分から話せるようになっていました
話せるようになった「自分」を監視。あえて言うなら、「自分から話をしていたのです」
>治癒してしまいました
治癒については、むしろ半信半疑で良いようなものなのに、やたら確信。どうしてそこまで言い切れるのかは良くわからないが、変だ。あえて言うなら「これが治癒なんでしょうか?」
私の推測まとめ
妄想の願望達成について、たえず監視している。神経症の中の願望の達成や一時的な気分の高揚を治癒と勘違いしている。
この掲示板での議論 投稿者:台風13号で大雨 投稿日: 9月 5日(火)11時34分24秒
この掲示板での議論そのものが、所詮はコップの中の嵐であってコップの外に出ないことには一生神経症のままで人生を棒に振ることになる。じゃあどうやってコップの外に出るのかと言えば雑用するしかなく、雑用とは何か?とか雑用の是非を掲示板で論じてもコップの中のままです。
斎藤さんが皆の意見を執拗に要求するのは、それに早く気付けよ、との意図が
あるように感じました。無為療法の理解度を試すとか後継者を育てるとかは
真意ではないように思います。とにかくまずは動いて、袋小路に入った脳を
突き動かしましょう。
こんにちは 投稿者:きらきら 投稿日: 8月21日(月)14時33分13秒
斎藤先生、皆様、残暑お見舞い申し上げます。
まだまだ厳しい暑さです。身体に気をつけて、元気に秋を迎えましょう。
さて、らいむさんのご意見についてですが、私は同感しません。
ひろさんは、雑用をしながら、ご自分の心理をしっかり観察し、どれだけ「治ったか」をいちいち確認なさっているという印象を受けます。
私は無為療法に出会ってから、5年半になります。
今でも、短時間のフラッシュバックはありますが、自分がどのくらい「治ったか」とか、「これが自分なんだなぁ」などと考えることなどありませんよ。
自分の心理分析をしているうちは、どんなに雑用をしたところで、治りへの道は程遠いと思います。
○○氏の感想 投稿者:大介 投稿日: 8月16日(水)00時14分53秒
「神経症とは治そうとする病気」とありますが、この表現はおかしい。
健康な人は、我々のように治そうとしないで生きているだけ?そんな馬鹿な。彼らには我々のように脳から出る狂いはない。人類は皆、神経症者ということになってしまう。○○氏のHPは神経症がどうだとか以前に、読んでて気持ちが悪いです。
神経症とは、狂った脳が生み出す妄想、強迫観念が起こる病気で、健康な人にはそれがない。結果として我々は目の前の雑用ができない。対人恐怖とは、健康な人がただ話すという無の雑用をしているのに対して、話そうとする意識が働く。文字通り無の雑用ができない状態。
神経症について分析して、ああだこうだと言っている他の療法や精神医学に対して、無為療法では、脳の狂いにより目の前の雑用ができない事である、と神経症者の本質を説いているのです。
だから雑用をしろと言ってるのです。我々神経症者には雑用ができないからです。雑用ができないのが、雑用をしないその姿が異常であり、周りからすれば迷惑者で、我がまま者でしかないのです。
我々は自分が妄想の世界に居る事を自覚して、雑用をするだけ。日本語読解力と強い意志がないと、健康世界を知らないまま一生を終える。
○○氏のホームページについて 投稿者:ひでとし 投稿日: 8月15日(火)16時56分42秒
○○氏のホームページをチラッと見たことがあるのですが、永遠と質問と回答の繰り返しをしていて患者さんの狂いに拍車をかけていました。治すのをやめる。ウン確かにその通りですがアレ?なんでそれであなた患者の質問に答えてるんですか??治すのをやめようとしてい
る患者の脳も狂っているんですよ。患者さんは治す方法を聞いてきてるんじゃないんですか??それは違うと思いますよ。治すのをやめる治すのをやめると念仏唱えて一生を終えてしまうではないですか。
○○氏のホームページ 投稿者:たかし 投稿日: 8月15日(火)11時03分7秒
私は治そうとする病気になっているのだから、治すのをやめる。以上終わりで、身近な何かをかたずけていく。
これができず、神経脳からくる異常なシグナルに、機能不全の脳で回答を探し、どうどうめぐりの自己との会話をつづけている。たぶん、彼は今、トイレに行くことすらまともにいけないぐらい、クタクタの状態だと思います。神経症は恐ろしい。人生をまったく無駄使いしている。
そういう人の壊れた脳からくるシグナルに答えを与えている。これでは神経脳を余計にあおり、より異常な状態にしてしまう。○○さんは性格や能力の問題にして、人生論に終始しているが、神経症は脳の疾患である。
以上のことに対して○○さんの間違えがあるようにおもいます。
紅輝さんへ 投稿者:たかし 投稿日: 8月12日(土)14時38分36秒
毎日掃除、洗濯に洗い物等を無心でやるように心がけています・・・・・・。
とありますが無心になろうと意識が介在している以上無心にはなれないですよ。
斉藤療法を実践してもなかなか改善・・・・・・。
これもおかしいと思います。明らかに直る為の雑用をしていると思います。
掃除、洗濯は汚いからやるので、無心になる為やるものでもなく、神経症を直す為にやるものでもないと思います。
残念ながらあなたの実践されてることは、無為ではないと私は思います。
涼子さんへ 投稿者:リーフス 投稿日: 8月 8日(火)01時46分19秒
>涼子さんへ
自分はあまり質問に答えるのは好きではありません(とは言いつつ答えてしまう事もありますが・・)
神経症は不安を起こす病気です。脳の病気です。涼子さんは不安が起こるたびにここで質問をするのでしょうか?
もし納得のいく、一時的に不安が収まるような答えを誰かがしたとしても、再度不安が起きて、またここに来るでしょうきっと。
そしてまた誰かが親切に答えてくれて、あなたは不安を抑え、また不安になって戻ってくる。延々と繰り返すだけです。
神経症を治すことも、不安から逃れることも、雑用に意味を見出すことも、全部あきらめましょう。あきらめて目の前の雑用を片付けることです。
涼子さんへ 投稿者:大介 投稿日: 8月 7日(月)05時25分39秒
結論から言うと、雑用をすれば神経症が治ります。気づいたら神経症世界を脱しています。と聞くと「雑用をすれば神経症が治るのか。よし、雑用しよう」これが、既に雑用ではない。
皿は洗うから洗うし、洗濯物は干すから干す。神経症を治す為の雑用なんてあり得ない。スピーディーとか無意識とかいう時点でおかしいです。
「神経症を治す努力を停止して、無の状態で雑用をする」とか言う暇があったら、皿を洗った方がましです。神経症を治すには、神経症をどんなことがあっても治してやるという強い意志が必要です。自分を否定する、つまり強迫観念に飲み込まれない凄まじい意志が必要です。
しかし、神経症は本当に一晩で治るのですねぇ。治癒に至るには自分次第でしょうけど。強迫観念というのがどれ程恐ろしいものか実感しました。失礼いたします。
那津子さんへ 投稿者:ウルトラマン 投稿日: 7月18日(火)06時39分24秒
私も最近、神経症者の文章が気持ち悪くスッキリしなく感じています。
貴方が付き合っている方?好きな方?が健常者であれば、貴方をそのように見るかもしれません。私は神経症を治すことが先決なような気がします。私はさくらさんと同意見です。
雑用が自由に出来てくると、不思議といろんなことに気づくようになり人間味が出てきます。そしたら、周りの人達も貴方に好感を持つようになると思います。
質問をする事 投稿者:村西 投稿日: 7月18日(火)06時25分13秒
余り質問をすると神経症者は自己嫌悪に陥る。自分を反省して人の顔がまともにみられない。
そうではなく脳の故障から来る、信号であります。要するに神経症脳が言わすのであります。狂った脳はいろいろ考えさすがこれを否定。自己の2重否定です。そして分からないまま、立ち上がれです。答えが分かって立ち上がるのは既に神経症の世界です。分からないまま立ち上がったときが健康世界です。そして目の前30センチの雑用から始めてみませんか。
○○や○○氏は質問に答えああだこうだいいます。これに答えてすることが神経症の世界で有ります。自分のキ○ガイを自覚して、答えなしで立ち上がり進む。
しかし最初からするのは出来ないし失敗の原因。そこで有料カウンセリングを勧奨します。
那津子さんへ 投稿者:さくら 投稿日: 7月17日(月)21時19分24秒
おひさしぶりに投稿いたします。
その悩みは全て強迫観念からくるものです、恋愛にかぎらず、理由はあとづけでなんでもでてくると思います。
私も、当初は恋愛に限らず、勉強の悩み、進路の悩み、いろいろありました。しかし、雑用がすんなりいくようになりましてから、どうでもよくなってきました。まずは、動けるようになることが全てだと思います。辛いですが、悩みはほうっておきまして、雑用と動きのみだけが必要かもしれません。
たいした事言っていますが、本人まだ、治ってません。ですが、PCより、雑用という今日この頃です。
神経症は文字に表れる 投稿者:ウルトラマン 投稿日: 7月16日(日)17時07分9秒
気づいたことがあったので、久しぶりに投稿します。
私は小学生の頃から文字か汚く弱々しいと周り人達から指摘されていました。
それは、大人になっても変わることがなく、字を書くことが苦手になっていました。ところが最近、文字をゆっくりと綺麗に書いている自分に気づきました。そして、字を書くことの苦手意識も無くなっていました。
白隠禅師は若い頃には細く繊細な文字を書いていたのが、晩年には太く大胆な文字を書くように変わっていたそうです。
神経症が治ると文字までが変わることに驚きました。また最近、家の中がいつも綺麗になっていることにも驚いています。自分ではさほど掃除をしている意識は無いのですが、今までに経験が無いくらいに綺麗になっています。
言葉は・・・・ 投稿者:中田 投稿日: 7月10日(月)22時36分56秒
「治るも治らないもない、生活を徹底する姿が全治」これを神経症者に向け発しまた、神経症者が理解するととてもやばい。言葉によるイメージ化が始まる。
生活を徹底すると言う言葉、と取引しスタートする。これは、雑用を治癒の取引に使うと同じこと。○○、発見会と変わりません。
そのうち、徹底にとらわれいつまでも徹底するという判断にしがみつき、雑用とゆう判断にしがみつく。いつまで徹底すれば、いつまで雑用すればになる。
言葉、文章のイメージとらわれる。
健康人には、徹底するだの、雑用だのと言葉、取引、判断、はない。振り替えれは、やっていたが、正解。正解?これは、神経症者自身が決めるものではありません。
(無題) 投稿者:リンナ 投稿日: 7月 1日(土)09時03分11秒
こんにちは。
私は無為療法を19からやってもう四年経ちました。
無為療法で神経症が治るのは本当だと思います。
私は無為療法をこれからも続けて行きます。
ここのHPに出遭ってやってみようって思って
今に至ります。
本当に良かったです。
神経症の人はココに来るべきだと思います。
私の周りには神経症の人がいなくなりました。
友達で一人居たけどもう連絡はとっていません。
ココを教えたいですが信じないかもしれません。
知って信じるか信じないかは本人次第ですよね。
それでも数多くの人が神経症から抜け出せるといいなと思います。
これからも無為療法HPはなくてはならない存在だと思っています。
それでわ。
ステップさんへ 投稿者:リーフス 投稿日: 5月31日(水)21時21分12秒
少し遅めの回答ですけど。
健康世界にいる人間は、斉藤先生から「治っています」と言われなくても平気です。万が一治って無くとも生きていく事になんら不都合がないですから、治ったか治ってないかはまったく問題ではありません。
今僕が、斉藤先生から「あなたは神経症だ。治ってない」と言われても
「あ、そうなんですか」と言いながら明日から普通に雑用して生きて行くでしょう。
弓と禅 投稿者:ニルヴァーナ 投稿日: 5月25日(木)15時05分39秒
斉藤先生こんにちは、突然のメールで失礼します。このサイトの主旨に深く共感する者です。私は、人間の不幸は進化の過程で「言語という知恵の実」を食べてしまったことにあると思います。言語を習得し意識が形成される以前の生活では、人間は世界と一体化した半無意識の世界に常在し、幸せな生活を営んでいたように思われます。聖書ではその世界を楽園である「エデンの園」と称したのかもしれません。
私は、最近オイゲン・ヘリゲルの「弓と禅」を読みました。興味深かったのは、弓道と剣道に共通する「無の境地」に関することです。沢庵禅師曰く、剣道を学び始めた者は、稽古を始めると共に、初心者より下手になるそうです。それは、剣の技術に意識が捉われて、初心者の持つ「自由自在の心」を失うからです。つまり、極度に緊張し、注意集中して、剣に一心になればなる程、剣に捉われて、決定的な一撃を与えるにはいつも遅すぎ、敵手の剣を「敵自身に向かって転ずること」ができないのです。この悪循環から救われるには、敵手や己から離脱し、ただ無心になるしかないのです。自分が意識して習得した技術を半無意識で駆使できる、つまり、「まるで剣がひとりでに動く」状態が達人の境地らしいです。
神経症の人は、技術やコツや方法論によって救われないのは明白です。無意識の世界は、いわば言語を習得する以前の幼児の世界ですから、それに至る過程は言語で説明できるはずもなく、体験する以外に他ありません。ただ、神経症の治癒にこだわっている間は、この世界に至るのは無理でしょう。それらのものを度外視して、日々の生活を支える雑用をこなしましょう。段階的に良くなるものではないから、焦りは禁物です。
斉藤先生もどうかご自愛なさってください。長文・乱文失礼しました。
神経症を治すことが全て 投稿者:さくら 投稿日: 5月15日(月)22時48分2秒
最近になって、つくづく神経症を治すことが全てであると思うようになりました。
メリットといえばほんと、きりがありません。
1日があっという間にすぎていく事。今まで何を食べていたのだろうと思うくらい食事が楽しくなった事、なぜか、肩こりなどがとれてきている事。スムーズに動けるようになってきていること。ほんとに神経症を治すことが全てです。
現在、心理学を学んでいるのですが、その時間が無駄でしょうがないです。神経症にも悪影響ですし、鬱病などの病気をカウンセリングでなおそうとしている教育にレベルの低さを感じます。臨床心理士になろうとする夢も捨てました。落ち着いてきましたら、心理学部とはおさらばしたいと思います
気持ちよければ・・・? 投稿者:リーフス 投稿日: 5月 7日(日)22時10分40秒
うーん。個人的な感覚で言わせてもらえば、気持ちよければとか考えて雑用している時点で「無での雑用」では無いと思うのですが。辛いとか楽しいとか関係ないです。布団干したり、選択したり、買い物行ったり、掃除したり、ただやる事が大事だと思います。ただやるんです。それだけだと思います。
もちろん「ただやるんだ!」と言い聞かせては駄目です。無でやるんです。ある程度、健康世界を体感するようになってから、神経症世界に移行しないためのコツみたいなのはあると思いますが、神経症世界にいる時に何かコツを得ようとしても駄目だと思います。コツなんて無いです。コツを理解する脳が狂ってますから。
さくらさんが、もし神経症世界にいらっしゃるのに、アドバイスを送っているなら、それは大きな間違いでは無いでしょうか。間違っていたらすいません。
動き続ける事に気持ちよさが必要って言う考えは、無での雑用の理屈から大きく外れていると思いますが。。。自分は健康世界に移行するまで、雑用が気持ちいいと感じた時はほとんどありませんでした。
無為療法を評価する人達 投稿者:ウルトラマン 投稿日: 4月23日(日)12時50分35秒
斉藤療法より無為療法の方が一般人に受け入れやすいと思います。
>神経症を治すとは指導者を求めるでは無く、全面否定して己一人になり、救命の投げられた縄を投げ返す勇気が必要なのだ。
良い言葉ですね!
ところで、神経症者は妄想状態にあるにもかかわらず、自分の考えが正しいと思い込み療法の評価をしたがります。評価をするから無為療法を批判し無の雑用が出来ない。また、療法を評価することは療法を放棄していない証拠でもあります。無為療法が正しいとか誤りとかの評価を投げ捨てて、無の雑用に打ち込まない限り神経症は治らない。治った結果として、無為療法が正しかったことが分かるのです。
思考の暴走 投稿者:ゆたか 投稿日: 4月20日(木)17時28分44秒
思考の暴走は動きなくして止まらないと言うことを、雑用を毎日こなしてみて確かに感じました。自己催眠や恐怖突入ではキチガイをこじらせるだけですね。今は神経症関連の本は斎藤先生の本を除いて全て捨てました。今、職場からの帰宅途中ですが帰ったら何をしようかな。人並みの事が気楽にできるだけでも無為療法に辿りつけて幸運だったと思います。
斉藤先生へ 投稿者:洋介 投稿日: 4月18日(火)01時12分17秒
無為療法は、凄いですね。改めて、そう思いますよ。家の中での雑用で、神経症は治るなんて、誰も考えつかなかったんですね。加藤何とかさん、フロイトなんか相手じゃないですね。加藤さんのプロフィールや著書をネットで少し拝見しましたが、読めた物じゃないですね。この方、経歴は凄いけど、結果はなにも残せないんでしょうね。屁理屈しか書いて無かったです。カウンセラーは、頼りにならない訳が、分かりますよ。皆さん、無為療法を難しく解釈しすぎです。ただ動けばいいんです。研究しないでください。治す方法を探すな、ただ動けです!斉藤先生が言われていた事、ノーベル賞ものは、本当だったんです。難しい問題の答えは、案外、簡単な所に眠っている。斉藤先生、有難うございます!
初めて投稿します 投稿者:ウルトラマン 投稿日: 3月28日(火)21時17分8秒
初めて書き込みします
数ヶ月前にこのHPを発見して読んでいます。
最近、斉藤療法の正しさが実感できるようになりました。
1)療法を求めてはならない
2)自分の不安・症状を誰にも訴えてはならない
3)恐怖突入してはならない(恐怖突入すること自体が治そうとする行為)
4)無の状態で雑用をする。
仕事や勉強は雑用の延長線上にあり、無の状態で雑用が自由自在にできれば、 意識せずとも仕事も勉強も自然にできるようになる。
これらを実践しているうちに、急激に良くなりました。以前は何をやるにしても億劫でしたが、今は何をやるにしても楽しくなってきました。
二日に1〜2回フラッシュバックが起こりますが、起こった時は何もせずジッとしていて、過ぎ去ったら、肩の力が抜けており頭もスッキリしてまた動き出せます。このサイトに出会えてよかったと思っています。
Hi Mr. Saito,
I am almost completely healed in about 1.5 years. I've practised meditation
for about 10 years & believe this has helped me with Saito therapy.
I resigned from a stressful job where I made lots of money but hated every
minute & started a job where I get paid much less but love the work.
I just do my chores. I let intrusive thoughts come in, accept them, move
through the emotion and perform the next task at hand. I truly enjoy Saito
Therapy....its very much like "mindfulness meditation". I have
simply become an observer of my thoughts and actions unattached
to any outcome. I see God in everything. Thanks to you I am almost completely
healed.
I would like to help others.............Do you have any suggestions?
Cheers & lots of love,
John
雑用とは 投稿者:リンガー 投稿日: 2月26日(日)23時01分41秒
雑用なんかしていると生活が崩壊するという意見もあるようですが、これは雑用の意味を取り違えているように思います。そんなに大事なことがあるなら、ちょっとゴミ箱にゴミを捨てた後にでもやればいいでしょう。食器洗いをした後にでもやればいいでしょう。ゴミ捨て・食器洗いなどをし、その流れでやることは、どれもこれも雑用(という感覚)になります。
「無の状態で雑用をする」とは、ちょっと目につくところを掃除するとか、ちょっと気になっていたところを片付けるとか、そういうことだと思って、私はやっています。そして、おそらくそうするようになってから、だんだんと快適に生活できるようになってきています。
以前の私は、生活の基礎(掃除、整頓など)をすっとばしていきなり勉強や仕事に取り掛かろうとして、取り掛かれず、考えまくっていました。斎藤先生には感謝しています。
友達について 投稿者:洋介 投稿日: 2月23日(木)02時44分6秒
神経症が治ると、すべてがかわります。友達の種類も変わります。思えば、幼稚園の頃から神経症持ちで、人と話す事は高校生になるまで出来ませんでした。しかも、特定の人と挨拶するぐらい。小学生の時から、不眠症、強迫観念、休み時間はいつも一人でボーっと妄想に耽り、みんなは、外で遊んでいても誘われる事無く、対人恐怖に苦しんでいました。周りは分からないから、感じ悪く思われ、小、中、高と嫌われ者でした。反社会的行為を企てた事、数知れず。よく、投獄されずに、24年間生きてこれたなと今更、思います。神経症者は、本当に危険だなと思います。この人達を救わなくては、又、脱出してもらわなければ、日本の○○は、悪くなるばかりです。被害妄想を創出する人間があまりに多いです。
最近、学生時代の数少ない友人の1人に会いましたが、話が全く合わなくなっている事に驚きました。結局、彼は、神経症時代の友人であり、類は友を呼ぶであり、神経症傾向の強い彼なのでした。それっきり、彼とは、縁を切りました。気持ち悪い事ばかり言うのです。周りを気にする、刺刺しいし、被害妄想諸々。最終的に僕をひがみだし、器が違うだ、言い出したので話すのがいやになりました。神経症人生は、悲しいですね。神経症治癒は、人格再形成であり、人生再設計でもあります。そうすれば、必然的に運命は変わると言う事になりますね。
「無」の雑用 投稿者:Rosy 投稿日: 2月12日(日)00時01分43秒
私は今頃は結構遊んでいます。又楽しい1日を過ごせるように成りました。医者や療法には興味が無くなりましたというより、自分が教えたい位です。昔は何かに求めていました。結局最後はこの有様です。
故障した脳は自分には責任が無い。ただ遺伝の病気なのだと。それを知りました。後は「無」の雑用だけです。考えても駄目でした。しかし雑用をして治るか判定をしたら治らない。ただするだけです。療法家に随分お金を取られました。彼らは自分の療法がインチキ臭い事を知っているのでは無いか。しかし金儲けが前に出ているのです。
斉藤療法を知らないで居たら今も彼らのインチキは見抜けなかったです。神経症は詰まらんちっぽけな世界で苦しむのです。神経症の出口は屁理屈の無い事でしょう。心理学ではないし加藤泰三ではない。今までもがいたが駄目でした。又いろいろ療法をしましたが情けないものでした。海外の情報は自分はとても良かったです。
私はフラシュバックはあります。足元から払われる事が有ります。そして全て見失う時が有ります。しかし此れは覚悟しておけと、先生に言われた事を思い出します。何等回答も無く質問もしないで行くうちに気づくものとあります。ああ此れかと思い、目の前の雑用をしているのです。
私の場合体を使う雑用でそのとき辛いのが分かります。座り込んでカウンセリングでは体力の衰えが分かりません。神経症は体が動かなくなるのです。此れは事実でした。
私は治す治さないより体を動かしてストレスの無い雑用をする事で体力が付き自然に人間本来の姿に成るのではと思います。
斉藤療法は正しい。斉藤先生には感謝して居ります。有難う御座います。
初めまして! 投稿者:田畑 投稿日: 2月11日(土)06時02分36秒
斉藤先生、掲示板の皆様はじめまして。半年ぐらい前に「神経症を治す本」を購入しました田畑と申します。その後、順調に回復いたしましたので報告します。
僕は現在20歳で中学2年生の時に神経症の症状が出始めました。主に対人恐怖と強迫観念です。それから「治そう治そう」という努力を必死にしてきました。でもどんどん悪化していきました。そして約半年ほど前に斉藤先生のホームページを見つけ、現在に至っています。
神経症で苦しんでいる人達に言いたいこと。あなたたちが望んでいる治る方法はありません。治るか治らないかのどっちかです。自分の脳は狂っているんだということを認め、治すことを止めてください。頭がぐるぐる回りのときはとにかく立ち上がって体を動かすことがよいと思います。そしてあまり自分が不安になるような場所は極力避けることも大事だと思います。
こんにちわ 投稿者:洋介 投稿日: 2月10日(金)13時14分54秒
リーフスさんの投稿が、1番核心を突いていると思います。僕も同じことを、感じました。ただ、その先に行くと、神経症ってどんな感じだったけ?と言う疑問すら存在しなくなります。無になります。雑念が存在しません。普通の人より健康的で悩みのない生活ができます。これが、無を手に入れた強みです。2度と神経症に罹らないのが、無為療法の凄いところです。
神経症と悟り 投稿者:加藤 投稿日: 2月 9日(木)22時45分47秒
神経症になってしまった人間は、もう仕事も恋愛も諦めて悟りを目指すしかありません。
普通の健康な人間は、世渡りの術を覚えて一人前の仕事人となり、結婚をして子供を作り育て上げます。それで、定年退職して一息ホッとして隠居生活でも送りながら、それじゃあひとつ仏教にでも信心して悟りでも開こうか、となります。
しかし神経症者は異常のような普通の幸福はもう手に入らないと諦めねばなりません。それを下手にしがみ付いて、自分もその様な幸福を手に入れようなどと頑張ってみたところで、結局は無理・無駄・ムラの三拍子揃った人生が待っているだけです。なぜなら神経症だからです。
ここはひとつ発想の転換が必要です。もう、普通の幸福な人生は全部すっとばして、始めっから隠居生活に入り、悟りを開くことだけに生活の全てを捧げるのです。確かに未練が残る気持ちは分かります。後ろ髪を引かれる思いもするでしょう。事実、失っているものは大きいのです。しかしです。神経症者がどれだけあがいてみたところで、それは手に入らないものであるのだとしたら、それはもう追う必要はなくなるのではないでしょうか?
神経症者はそのまま神経症者として生涯を終えるか、悟りを開いて生きていることを喜べるようになるかの二者択一を迫られる運命を背負って生きているのです。中間はありません。幸か不幸かその大博打に打ち勝つ試練を神から与えられているのです。
風邪 投稿者:リーフス 投稿日: 2月 9日(木)17時02分55秒
実は最近熱を出して風邪を引きました。39度です・・。
本当に「あ、死ぬかも知れない・・」と思った程です・・笑
風邪を引いてる時は「治ったら健康に感謝して生きよう」と決意したのですが
いざ治ると、すっかり辛さを忘れて、感謝する事もなく普通に生きてます。
昔の自分は、「神経症が治ったら、すばらしい世界が待ってる」
と言うような考えを持って、必死に生きてました。
しかし無の雑用を行い、健康な脳を体験できるようになって思う事は、
「神経症ってどんな感じだったっけ?」と言う気持ちだけです。
すばらしい世界はありませんでした。あるのは普通に時間が流れる毎日でした。
神経症も風邪も、かかってる時は、治った後の世界に大きな期待や決意をするのですが、
症状がなくなると人間はただ普通に生活を始めるんだなと、気づきました。
でも風邪引かないように注意はしてます・・。
近況 投稿者:MS 投稿日: 2月 6日(月)23時08分19秒
私は、昨年の10月2日に投稿させて頂いた者である。リーフスさんとかなり似た症状をもっている。
私がその投稿をしてから3ヶ月程、「無と雑用」で安定な状態にあった。しかし、ふとした事がきっかけで猛烈なフラッシュバックに襲われた。ふとした事とは、「自分は,何で無と雑用をしているのだろう?」という思いが頭をよぎった事である。これはまずいと感じたが、最早手遅れで、頭の中はたちまち「疑惑」という工作員たちで占拠されてしまった。そいつらは皆、「この疑惑を晴らすことはとても大事な雑用だ」という仮面をつけ、張り巡らしていた「無」という検問を易々とくぐり抜けて私の中に闖入して来たのだ。そして私を何ヶ月か前のカオスとパニックの状態に陥れたのだった。
そうなると、昨日までどのように「無と雑用」をしていたか全く分からなくなった。出口が見出せず焦った。仕事も何も上の空で、「どうやったら無と雑用ができるのだろうか?」「真の雑用とは何だろうか?」を考え、もがき,3週間苦しみ続けた。
どういう風の吹き回しか、工作員たちは忽然と姿を消し、また安定な状態が戻ってきた。今度は、昨日までなぜあんなに苦しんでいたのかさっぱり分からなくなった。だが、分かったことが2つある。
1つ目は、「無と雑用」になる方法はないということである。たとえあったとして、その方法を座右の銘としてその通りにしようとした瞬間に、そしてその通りにしているかどうか確認した瞬間に「無」ではなくなってしまうのである。過去の自分を振り返って、あのとき「無と雑用」をしていたと感じることはできても、ある方法をもって「無と雑用」の状態になることはできないのである。「無と雑用」の状態になるのではなく、たまたま自分が「無と雑用」をしていたという方が適切な表現かもしれない。
2つ目は、雑用は考えて作り出すものではないということである。電話が鳴ったから電話に出るという雑用をし、腹が減ったから食事という雑用をする。この場合、自分とは関係ない誰かが勝手に電話をしたのだし、自分の意思とは無関係な生理現象の結果、腹が減ったのだ。つまり、雑用は雑用の側の勝手な都合でスケジューリングされて生じて来るものであって、あれこれ「動作」を並べ挙げて、吟味して、どれが真の雑用かを考えて作られたものは、既に雑用ではない。だから、我々は雑用に対しては全く受動的でしかあり得ない。そのときそのときに勝手に生じた雑用を、我々は単に一つ一つこなしていくだけである。
かつて斉藤さんが、「誰にでも強烈なフラッシュバックが必ずやってくる。これを抜けたときに本当の無と雑用にたどりつける」という趣旨のことを述べていたように記憶している。本当にその通りと感じる。フラッシュバックの前と後で変わらないのは、斉藤さんに対する感謝の念である。
全てが狂っていた 投稿者:リーフス 投稿日: 1月27日(金)20時36分16秒
どうも。リーフスです。
斉藤さんのサイトに訪れ、無の雑用をしてからしばらくたちました。
擬似神経症と言われたとおり、私は鬱や極度な不安がないので、自分は今まで
考えすぎの性格なだけで普通の健康体だと自信を持って生きてました。しかし「無での雑用」を行っていると、今まで自分の頭の中で起きていた出来事の全てが強迫観念に縛られた神経症脳だったと分かりました。そう全てです。全ては言い過ぎかも知れませんが、ほとんどと言って良いと思います。
何をするにも強迫観念が邪魔をして、それを自分は正当化して生きていたと、
そういう事だったんです。そこから抜け出すためには、それらの思考や不安を無視し、ただ無での雑用を行うと言う事だったと。そのちょっとした勇気だったのかなと。
朝起きるたびに自分の中にあった強迫観念が薄れて行くのが分かりました。無での雑用が一日一日と楽になっていっています。行動するのが楽しくなっているとも言えます。まだ自分は20代という若い時期に、このサイトに出会えた事にとても感謝してます。ちょっと固い文章になってしまいましたが、自分なりの感謝を伝えたくて、書き込みさせて頂きました。
もちろんこれからも無での雑用を行なって行くつもりです。
しかし最近では無での雑用をしているという意識すら無くなりつつありますが。
では失礼します。
久々です 投稿者:華原 投稿日: 1月26日(木)13時22分10秒
もう何もしなくていいと言われてほんとにそのままボーとしているのは神経症者だけでしょうね。動きが必要以前にボーとしていて何が楽しいのでしょうか。健康な人にもう何もしなくていいからと言ったら彼らは嬉しそうな顔で動き出すでしょう。小学校のとき授業終了のチャイムが鳴るとワーッとみんな動き始めるでしょう。何もしなくていいといわれたら動き始めるのが普通なんです。そのままボーっとしていたってヒマですから。しかし神経症者の場合は授業のチャイムが聞こえませんから一人だけずっと授業中のままだと思って先生の指示待ちです。もう授業は終わったんです。先生の指示は聞くがチャイムは聞かない神経症者の人生は一生授業中で終わります。
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