心をどこにも置くな


2008年1月4日の読売新聞のコラム”日本の知力”でサバントを取り上げていた。サバントとは一種の知的障害者であるが、その抜群の記憶力、計算力で人を驚かせる人達である。映画”レインマン”でダスティン・ホフマンが演じるのがサバントであり自閉症であった。床に過って撒いた楊枝を一瞬にしてその本数を数える。ヘリコプターに乗せて東京の景色を見せた後で、記憶を元に写真のような絵画(線画)を書いてしまうサバントもいる。

このコラムに有名な養老孟司さんが登場して、脳の科学から面白い意見を発表しているので取り上げます。無為療法の重要さを間接的に説明しています。
サバントの脳は異質な部位の連合が出来ないだけで、恐らく特別なものではない。脳の能力をフルに使えば、あれだけの驚くべき能力が出るということだ。・・・・・・・

脳も体の一部に過ぎず、無意識が人間の行動を左右しているという重要な事実が忘れ去られてしまった。
人間は自分の脳のことはせいぜい「眠い」とか「頭が痛い」ぐらいにしか把握できない。意識は決定的ではない。その証拠に大事なことは論理では進まない。感情で決まる。誰が「あなたと一緒にいるのが論理的に得と判断した」と結婚を申し込むであろうか。

「衣食足って礼節を知る」の意味は深い。「頭ではなく、体を優先せよ」ということを教えているわけだ。
生物というものはもともと次の瞬間にどう動くのは決まっていない。最も抵抗無く次の行動に移れるのは、ふわっとした状態だ。どこかに力が入っていると、ある方向に動きやすくても別の方向には動きにくくなる。

剣の極意は「心をどこにも置くな」という教えだ。相手や自分の剣に集中しピンと張っている状態ではなく、無心で構えている一見無防備の状態が「隙が無い」状態になる。日本人は古来、無意識の重要性を知っていたのだ。・・・・

人間の知性を考える時に、体や無意識を含めずに考えても意味が無い。知性とはそういう総合的なものだろう。
養老さんに無為療法の説明を奪われてしまった。上の文を読むと私の説明は必要が無いでしょう。あるいは私がいつも説明していることを反復しているに過ぎない。でもあえて私の説明を付け加えると、次のようになる。

衣食足って礼節を知る
戦時中疎開をした学生がよく言う言葉です。余りにひもじいと礼節が失われる。気がついたら人の食べ物を盗んでいたとなってしまう。この行動を決定するのは最早理性とか知性とか、かくあるべしでなく、「無」、無意識がそうさせている。努力とは無縁の行動です。

生物というものはもともと次の瞬間にどう動くのは決まっていない
次の瞬間をどう動くかを決めようとするのが神経症です。それをあえて決めるように指導したのが森田療法になる。決めないから動きに自由があり、瞬間に取り巻く環境が変化しても柔軟に対応できるが、かくあるべしで固定すると危険になるのが分かるでしょう。

剣の極意は「心をどこにも置くな」という教えだ
一見無防備に構えているようで、心を縛る何物も無いから、一瞬の打ち込みにもミリセカンドで対応できる。対応を命令するのは前頭前野皮質ではなく、より下位の脳が直接命令をしている。だから動作が速いし正確になる。

我々は本来「無」の重要性を知っていて、貴方が神経症になるまではそれで対応してきた。しかし神経症になって以来、何でもかんでも意識で分析対処するのが大事であると思い違いをしてしまった。この現象は健康な人には起きていない。そうなったのは貴方の脳が不安に対して脆弱であったためで、不安を阻止するためにいちいち前頭前野皮質が邪魔をするようになってしまった。

本当は健康が回復するまで、代わりの脳にしばらく機能してもらえば確実に治るが、不安定な期間を現在の脳で乗り切らないとならないから難しい。「無」が正しいと分かっても不安が発生すれば必ず前頭前野皮質がさえぎってくる。でもこれならば完全という方法は無いから、ああだ、こうだと考えている癖を直ちに中止して簡単な雑用を開始することだ。


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