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日本では森田療法の影響を80年間受けた関係で、神経症者で完治根治を言う人が大変多いが、この言葉こそが神経症者の人生を破壊する言葉であるからここで敢えて取り上げる。 私は対人恐怖、異性恐怖を17歳の時から苦しみ始め、48歳になるまで苦しみ続け、人生の多くを失ってしまった。その当時毎日考えていたのは、神経症の根治完治であった。夢の実現であり、自分が神経症が治った暁には、社交的になり恋愛結婚をして、会社では重要な人間になると思っていた。 所が神経症が治ったらどうであろうか。全く別世界であり、夢の実現とは程遠い世界に来てしまった。勿論私の年齢も影響しているであろうが、神経症当時に考えていた夢の実現とは似ても似つかない世界に来た。 あれほど希求していた女性との楽しい会話は大して重要で無くなり、大賑わいの雑踏に入ったような感じで世界が一変している。対人恐怖の方はどうなったであろうか。大学時代はサークル活動の組織運営に積極的に参加するのを夢見ていたのであるが、今は好きなコンピューターをやりながら、1日中誰にも話さなくても一向に構わない。最早対人場面での上手い身のこなしは興味が無いのである。 完治根治には希望達成、不安の克服、神経症治癒の現実離れした妄想が読み取れる。これは神経症妄想の達成であるから、不可能であり求めている限り人生は徒労に終わる。 表現が難しいが、神経症が治るとはエベレストの頂上を極める経験ではなく、エベレストに見えていたのが実は単なる丘であったと気がつくことなのだ。どうしてそんな大きな間違いをしていたか。実は我々の脳が異状に興奮していたからだ。我々の内部脳である、海馬、扁桃体、視床が興奮していた為に、我々は妄想の世界にいた。この世界では強い不安が常時発生していて、不安が現実かどうか分からなくなっている。 神経症者にとって脳が1つしかないと言うのは悲しい。我々は判断の間違いを訂正しようが無い。従って我々は必死になって不安を除去しようと努める。終わりの無い戦いに突入して、狂気の中で倒れるまで継続する。その無駄な努力をしている最中に発する言葉が神経症の完治、根治なのだ。 それでは完治根治の言葉をどんな言葉で置き換えるべきだろうか。言葉の問題ではなく、生きかたの根本転換をしないとならない。神経症が治りたかったら、朝から晩まで完治根治を求める生活を意思の力で断ち切る。 私は良く麻薬中毒患者を例に取る。麻薬中毒患者にとっては麻薬を止めるより、飲んでいる方が余ほど楽だ。例えその癖が死にいたると分かっていても患者は停止できない。 神経症者も禁断症状を恐れて神経症関連の本を読み、安逸なアドバイスを受けて気紛らわす。呼吸法をやり、自律訓練法をして症状が和らいだと言う。実際はそう勘違いしただけであり、その効果が持続するのはわずか数時間であり、明日には別の療法を求めて探し回る。その探し回る行為が無駄と気がついているが、余りの強迫観念の強さに停止出来ない。私はそれをストップするのに30年の歳月がかかった。 この不可能に近い誘惑を断ち切ることができるか。神経症を治すとは、神経症を治す努力の完全停止が大前提であり、これを無視しては何をしても無駄である。 無為療法に大変共鳴して熱心に私に質問していた人が最近大変調子がよくない。聞く所によると、彼は鬱状態であるらしい。何故か。彼は神経症を治す努力を停止しなかったばかりか、逆に無為療法で真剣に神経症を治す努力をしてしまったのだ。その激しい努力が心の分裂を誘い、鬱状態にしている。 貴方は神経症麻薬を否定して起立できるか。そのまま麻薬を飲み続けると人生の破綻が待っている。 ホームページへ |