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2007年は奇跡の年 ニューズウィークインターナショナル版から 2007年10月15日号 By Lee Silver |
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1905年は物理学の奇跡の年と言われ、物理学の新発見が一気に世界を新しい方向に導いた。アルバートアインシュタインが4つの論文を発表し、極微小の原子から無限大に広がる宇宙までの従来の考えを大きく変えた。その後の数十年間に、アイシュタインと何人かの優秀な物理学者が20世紀の科学の基礎を築いたが、1世紀後の2007年の今年が奇跡の年になるかも知れない。今回は生物学の分野で、従来の遺伝の考えを根本から変えてしまった。
1900年にメンデルがエンドウマメを使って遺伝の法則を発見して以来、遺伝子が遺伝の基本単位と考えられていた。それはアインシュタイン以前の物理学が原子を物質の基本単位と考えていたのに似ている。クリックとワトソンによるDNA二重螺旋構造の発見でも、遺伝子の考えには根本的変化は無かった。だが、ここ数ヶ月の新しい技術とそれによる発見の連続で、20世紀を支配した遺伝子説は木っ端微塵に砕かれ、メンデルが提出した遺伝単位としての遺伝子はフィクションと断定されるに至っている。 一体何が起きているのであろうか。ごく最近の考え方では、遺伝とは、ゲノムの中に含まれる基本構成部品間の複雑な相互作用の結果であるとしている。この基本構成部品は全ゲノムに分散されていて、今までジャンクDNAと呼ばれた意味不明なDNA部分にまで拡散している。長年の疑問が説明されて、今や大きなパズルが解け始めた。一度従来の先入観を捨て個人ゲノムの膨大なDNA文字列を見ると、無数の病気の原因が見え始める。 この一見平凡ではあるが飛躍的進歩が起きると、奔流のように新発見がぞくぞく出てきた。4月から8月のわずか5ヶ月間に、エリック・ランダーが創設したハーバードMITブロード研究所やアイスランドのカリ・ステファンソンが設立したデコードジェネティックス、その他の研究所が論文を発表した。発表によると、次ぎに挙げる広範な病気と体質がDNA文字列の特有の変異により起こるとしている。糖尿病タイプA、タイプB、統合失調症、躁鬱病、緑内障、炎症性腸炎、リュウマチ、高血圧、むずむず脚症候群、胆石を作りやすい体質、全身性エリテマトーデス、多発性硬化症、心臓冠動脈疾患、結腸直腸癌、前立腺癌、乳癌、エイズ発症進行。過去に報告された沢山の病気遺伝子と違って、今回の報告は他の研究者の実験でも再現されて事実が証明されている。 「病気を引き起こす遺伝子発見レースは熱気を帯びてきた」とイギリスの雑誌”ネイチャー”は言う。アメリカ版ネイチャーである”サイエンス”も同調し、「新手法が次々と病気を起す遺伝子変異を特定し、今年の春は新発見のラッシュである。遺伝子ハンターはいよいよ獲物を追い詰めたようだ」と書いた。この世界でトップの両科学雑誌がまだ”遺伝子”の表現を使う所を見ても、如何に考えが新しいか分るであろう。 これらの新発見の数々は新しい遺伝の考え方と技術革命の序幕に過ぎない。物理学が20世紀に大きく跳躍したように、生命科学も21世紀に大変わりする。しばらくすると、医師はコンピューターの前に座って患者のゲノムの分析結果を見ながら診断を下すだろう。RNA干渉と呼ばれる新しい技術を使えば、DNAの表現を変えて将来起こりうる病気を回避できる。アルツハイマー、パーキンソン病、癌、心臓疾患のような人類と共に存在してきた病気も完全解消と言う奇跡が起きるかも知れない。途方も無い考えと言う向きもあろうが、天然痘と小児麻痺が撲滅された例を考えたら良い。 何故このような新しい発見が相次いでいるのであろうか。去年と今年で何が変わったのか。この疑問に答えるには、今まで生化学者がどのように病気とその遺伝子を見つけて来たか調べる必要がある。従来の努力は初期にはそれなりの成果があったがその後大きな壁にぶつかっている。 遺伝についての新しい考えの芽生えは1960年代に始まる。この頃学者は、単一細胞のバクテリアで遺伝情報がどのように統合、制御、再生産されるかを調べた。遺伝子はバクテリアの中ではDNAとして別個に存在し,バクテリアが必要とする蛋白質の生産を命令している。バクテリアの遺伝子は1本のDNA上に配列されていて、遺伝子間の隙間は大変狭い。地球上に住む生物の全てはDNAを持ち、基本的に同じ生化学反応で生きているのから、人間のゲノムも大きなバクテリアゲノムに近いと考えられていた。 1970年代にDNA遺伝子配列測定技術が発展すると、今までの考え方に矛盾があるのが分って来た。最初の驚くべき発見は、遺伝コードを持つのは我々のゲノムの内わずか2%で、残りの98%は何も意味持っていない事実であった。更に1993年にノーベル賞を受賞したフィリップシャープとリチャード・ロバーツの理論が混乱に拍車をかけた。もし遺伝子が遺伝作用の基本単位であるなら、特定の蛋白を作成指令をするDNAはそれぞれ当該の遺伝子に存在しなければならないが、フィリップ等の理論によれば、そのDNAはゲノム全体に散らばっていた。 その後、新しいDNA遺伝子配列測定技術により遺伝性の病気を大家族の中に求め、嚢胞性繊維症、ハンチントン病、デュシェンヌ型進行性筋ディストロフィー、その他多くの病気の遺伝原因が突き止められた。これらの病気は全て、DNAの蛋白質をコードする部分一箇所に変異が起きていた分りやすい病気であった。しかし老化により起きる病気の多くはより複雑で、その遺伝子背景は分らず終いであった。 この一時停滞時期に、物理学者のリーロイ・フード(現在シアトルにあるシステムバイオロジー研究所に在籍)は不満を募らせた。遺伝学研究と言っても実際は大学教授と少人数の学生からなる零細研究産業であり、それではとても無理と彼は判断した。従来のやり方では人間1人のゲノムを調べるのに10万人の研究者が1年間働くマンパワーが必要であった。優秀な研究者が、退屈で繰り返しの多い化学分析に膨大な時間を費やすのは無駄と考えた分けだ。 彼の考えは基本的で遠大でもある。生命体の基本を構成するDNAと蛋白質の構造は単純そのものであるから、ロボットとコンピューターにより読み取り、書き写し可能とする。DNAの基本文字はわずか4つであり、A, C, G と Tだけで、蛋白質もわずか21個のアミノ酸から出来ている。当時の大方の専門家は、ロボットが複雑な生命構造を分析出きるとは考えていなかったから、この考えを拒否した。もちろん現役の遺伝学者で分析器械を設計できる人もいなかった。 政府の援助が期待できないと考えたフードは、民間基金を募り、数十人の科学者、技術者、コンピュータープログラマーからなる広範なプロジェクトチームを立ち上げ、第一世代の分子生物学器械の作成に邁進した。2人が各々DNAと蛋白質から情報を読み取り記録し(配列決定プロセス)、他の2人はこの逆の読み取られたデジタル情報からDNAと蛋白質の複製をした。 フードのこの事業は生物医学を一変させた。この成果により、遺伝子工学技術者は思う存分新奇の遺伝子が作成でき、それの研究ができた。蛋白質読み取り書き込み機は、製薬会社に蛋白質をベースにした新世代薬物の生産を可能にした。DNA読み取り機は、いきなり10億の塩基配列からなる人間ゲノム全体の読み取りを可能にしている。遂に1990年、アメリカ政府は3,000億円を拠出して、15年計画の人間ゲノム読み取りプロジェクトに乗り出した。 しかしプロジェクト発足後8年の時点で達成率はわずか10パーセントで、研究の多くはアメリカの各々の研究者に依頼されていた。これに不満を持ったのはバイオテク分野の企業家であるクレーグ・ベンターで、彼は政府援助金で研究する科学者は問題を解決する人ではなく、むしろ問題を作る人であると考えた。彼は200億円の民間基金を取り付けて、巨大な研究施設の建設に着手した。この研究施設ではわずかな数の技術者が数百台の自動分析器械を一年中休みなしに稼動させる。それからわずか3年後に最初の人間ゲノムの読み取りが完成した。 ゲノムプロジェクトから得られたデータから、難しい病気である癌とか心臓病のメカニズムが解明されると期待されていたが、思わぬ困難が待っていた。遺伝学者のアンドリュー・ファイアとクレイグ・メロが発見した”RNA干渉”と呼ばれる細胞内プロセスがそれで、この発見で2006年にノーベル賞を受賞している。今まで遺伝学者は遺伝子が蛋白質を作る命令を下し、蛋白質が細胞の生命活動を担っていると考えていたが、”RNA干渉”理論でくつがえされた。俗称ジャンクDNAと呼ばれる意味不明のゲノムの領域が、マイクロRNAと呼ばれる特異の分子を生産していた。マイクロRNAとは、RNAの細切れ状のもので、RNA干渉と呼ばれる全く新しいプロセスを監視している。このRNA干渉 (RNAi)がDNAの表現を決定していたのだ。この発見の意味は大変大きく生命医学を一変させた。遺伝の基本単位は従来の遺伝子にあるのでなく、個人のDNA文字の位置になった。人間のゲノムにある30億の塩基の内、その1%の10分の1、即ち数百万の塩基配列の個人間差異だけが同定されている。この部分のDNA文字相違をスニプス(単一ヌクレオチド多形=single nucleotide polymorphisms)と呼び、これが遺伝の基本単位として踊り出た。 この発見により多くの専門家は怖気ついてしまった。「出来ない事は無いにせよ、一般の病気を起すであろう遺伝子の発見と診断方法の開発は一段と難しくなった」とジョーンズ・ホプキンス大学の遺伝学のネイル・ホルツマンは2001年に述べた。 幸運にもアイスランドの有名な科学者であるカリ・ステファンソンがこの問題の解決に乗り出していた。もしゲノムが考えられていた以上に複雑であるなら、更に多様なDNAを調べる必要があり、沢山のDNA検体を必要とした。 ステファンソンの気持ちを駆り立てたものは、フードとベンター同様、研究の遅さであった。アメリカでの病気関連遺伝子の研究では、検査対象グループの規模が小さく、対象者とその数世代前だけであるし、大家族と言っても数百人の現在生きている人達のグループだけであった。この程度の検体数では複雑で変化しやすい一般的病気の遺伝素因を特定することは出来ない。ステファンソンは問題を解決するために、世界で記録された最も大きな家族、即ち自国のアイスランドに着目した。 アイスランドの人口は30万人であるが、バイキングが1000年以上前にこの地に移住して以来の家系記録の詳細が政府に残っている。ステファンソンはハーバード大医学部の職を捨ててアイスランドに戻り、1996年にデコードジェネティックスと言う会社を創設した。彼はアイスランド政府に、独占的に市民の健康記録をデコード社に閲覧出来るよう説き伏せた。その代わり、首都レイキャビックに投資マネーとハイテク産業を呼び込む約束をした。アイスランド国民の90%がこの計画に賛成して、10万人以上がボランティア−でDNAサンプルをデコード社に提供した。 ステファンソンの計画は世界の遺伝学者や生命倫理に携わる人から厳しい批判を受けたが、それにひるまず大変な努力で全国民の家系と健康状態、DNA分析結果をコンピューターに打ち込んでデータ−ベースを作成した。この画期的集大成の威力は凄かった。例えば、肥満を調べる時に彼の開発したソフトを使ってスニプス(SNPs)を調べると、数時間後にはある特定のDNA文字の変異を発見できる。スニプスが新しい遺伝単位であったのだ。 2007年9月の段階で、デコード社は28の一般的病気(糖尿病、統合失調症、緑内障、高血圧、卒中、心臓病、、前立腺癌を含む)を起すスニプスを発見している。緑内障や前立腺癌ではこの発見が診断テストに使われる可能性が出て来た。統合失調症では、発見された特定蛋白質が病理と治療法確立に役立つ可能性もある。 ステファンソンの成功に勇気付けられて、他の学者もさらに大きなグループ調査をしようとしているが、アイスランドほど大きな対象は今のところ見つかっていない。しかし思い切って地球人類全体の家系とDNA調査はどうであろうか。ヒューマンゲノム調査のリーダーでもあり、MITの教授であるエリック・ランダーはこの問題を解決するために、2004年、MITとハーバード大学を口説き、膨大な人と資金を集め、ブロード研究所を設立した。 ブロード研究所は、富豪で慈善家でもあるエリとエダイズ・ブロードから200億円の資金提供を受け、斬新な遺伝解析技術の開発をした。その1つであるコンピューターチップ制作技法にヒントを得た技術では、4万人のゲノム中の50万個のスニプスDNA塩基を同定できる。 この計算が如何に膨大であるかは、エクセルの表にして考えると分る。各々が特定のスニプを表す縦列が50万本あり、各々が各人間を指す横列が4万本ある。躁鬱病の遺伝素因を求めてコンピューターは横列から病気を持つ人を探し、縦列から疑わしいDNA文字列を探す。実際アメリカとドイツの共同作業では、躁鬱病発症に関係するDNA文字の変異を20箇所で見つけた。 信じられない事だか、殆どの病気を起すと思われるDNA文字変異は、人類全般に最も多く存在している。躁鬱病を起すと考えられる変異で最も強いものは、健康な人で80%存在し、躁鬱病の患者では85%存在していた。DNA文字変異の多くは有益であるが、少し強すぎると問題を起すのだろう。 今この複雑な問題を解明する為に、数億人のDNA文字シークエンスの国際データベースを作成しようとしている。このデータベースは世界の研究者に開放されていて、人類の遺伝形質解明に役立ものと期待されている。如何に莫大なデータ−になるかは、30億の縦列と1億の横列を持つエクセル表を考えれば分る。 現在は個人の30億個のDNA文字読み取りに2億円かかるが、コンピューターの計算能力が年々向上しているから10年後には10万円ほどになりそうだ。将来は我々の健康記録の一部になり、医師は遺伝情報にあわせた薬を処方する事になる。RNA干渉の発見で個人に合わせた治療も可能だ。従来の薬は蛋白質に作用していたが、RNA干渉治療はDNAの表現に作用するからアルツハイマー、ハンチントン病、躁鬱病、統合失調症、その他多くの病気の予防治療が行えそうだ。 近年、伝統的手法では新薬の開発が段々難しくなっているから、最大手の製薬会社もRNA干渉に巨大な投資を始めた。ノバルチスとロシュ両製薬会社はバイオテク企業であるアルニラムと非占有的特許契約を交わし、それぞれ700億円と1000億円を支払っている。 メルクは1,100億円を出資して、もう1つのバイオテク会社のRNA干渉関連の知的財産を買い取った。ロンドンに本社を置くアストラゼネカ社は、400億円でアルニラムの競争相手であるサイレンス・セラピューティックと特許契約を交わした。 遺伝関連の新発見が毎月発表され当分休む事を知らない。これらの成果から、何故ある種の蛋白や物質が人に病気を起すのか解明されようとしている。その結果、今年生まれた子供の多くが22世紀の曙にも元気で健康であり得るし、その頃彼等は2007年奇跡の年を畏敬の念で思い出すだろう。 脳科学ニュース・インデックスへ |