神経症から回復された方からのEメイル

Aさんから
はじめまして。 インターネットのホームページを拝見しました。

神経症という言葉が懐かしくなり、失礼ながらメールを送ろうと思いました。私は42才の会社員ですが、16才の時に神経症を発病して神経症とはもう26年の付き合いです。私は不安神経症であり16才から18才までは、不安発作に悩まされました。19才の時に町の本屋で○○療法のことを知り、東京の病院で○○療法を
受けました。(3か月くらい)退院してから現在の会社に入り、神経症と道ずれでがんばってきました。○○療法で学んだことと、現在までの経験で分かったことは下記です。

<○○療法について>
私も最初は、病院で実施している療法なのだから最先端の医療技術であり 間違いなく直るものと思っていました。しかし、期待に反して神経症の治療技術ではなく、神経症患者が一般社会で問題なく生活するためのリハビリセンターであることに気が付きました。入院中に結論したことは、世界最先端であるはずの病院の精神障害者に対する医療技術がこの程度ならば、世界中をさがしても神経症の治療方法は存在しないと。そこで自己流による分析を開始しました。(もう22年も前のことです。)

<精神科医について>
現在の精神医学の水準では、高度な精神障害である分裂病、神経症、鬱病を治療することは不可能であると思います。また、精神科医はそのことを患者にあいまいに隠しています。また精神科医も自分で精神障害の苦しさを体験していないので、病気の本質とその苦しさを理解できないのが現状だと思います。

<神経症について>
神経症は風邪に似た病気です。風邪を引いた人はその感染したウイルスの為個人差により熱、せき、鼻水、腹痛、腰痛などがおきます。神経症を発症した人は、個人差により、不安神経症、対人恐怖症、強迫観念、鬱状態、被害妄想、などが起こります。またそれと平行して各種の自律神経失調症が現れ、頭痛、めまい、目の痛み、頭全体を覆う圧迫感などに悩まされます。(言葉では言えない異様な不快感等)風邪の諸症状にいちいち熱病、せき病、鼻水病、腹痛病、腰痛病などと病名をつけないように、神経症の各症状に不安神経症、対人恐怖症、強迫観念などと個々に病名をつけることは無意味だと思います。すべて、神経症本体が引き起こす末端の状態だと思います。このことは、○○療法室に入院中の時にほかの症状の患者さん(対人恐怖症、強迫観念、鬱状態、被害妄想等)の話を聞いていて気が付いたことです。

<神経症の正体>
人間の脳はパソコンにたとえることができると思います。脳はパソコンのハードウエアそのものであり我々の心はそこにインストールされたソフトだと思います。神経症は脳というハードウエアの故障により起こるソフトの動作障害だと思います。神経症の正体は純粋にハードウエアの故障だと思います。心(ソフト)と人間の脳(機械装置)は区別して考える必要があるでしょう。神経症は心の病気であると考えている人がいるようですが、それは違うと思います。精神科医でも神経症は心の病気であると思い、心(ソフト)を治療しようとしている人が多いようです。

<自己流神経症対策>
私が自己流で20才の時から実践している方法は下記のみです。

1.神経症を直そうと思わないこと。(なおらないから。)
2.精神安定剤など服用しないこと。(意味がない。)
3.神経症など相手にせず人生の目標を決めて積極的に行動すること。 (家にいないで外にでること。)
4.神経症は脳構造の障害であり心は正常であると常に思うこと。
5.不安神経症が起きても、本当に恐怖の対象があるのではなく脳(機械 装置)の故障により感情がかってに暴走するのであると認識すること。

以上の5つを常に念頭におき自分の心に呼びかけています。 20才くらいから「不安発作」はまったくおきません。しかし自律神経失調症的な症状が時々おこりますので、それが神経症が直っていないことを思い出させてくれます。私がたどりついた結論は以上のようなものです。乱文にて失礼します。


Bさんから
こんにちは。初めまして。私は”神経症を治すホームページ”に出会い感動しています。

そして、最近、自分が気付き始めた事に確信を持つことが出来ました。 私は対人恐怖症ですが、怖いながらに色々な努力をしてきました。今年の春、そんな永遠的に続くような恐怖や頑張りに疑問を感じ、また、専門家への疑問や限界を感じ、頑張ることを止めました。(現在は専門家には頼っていません。)

そこで、今までの経験や知識(少ないですけれど)、直感に頼り、自分なりの自己流の自己分析などを行い現在に至っています。 ここまで辿り着くまでには色々な考えや思い、そして気付きなどなどありましたが 頑張る事を止めてから毎日続いていた重い気持ちがなくなったり、夢が持てるようになったり、まだまだ人は怖いのにその事事態をあまり気にしなくなったり、前向きに明るくなったのです。

私は今の状態になって日は浅いのですが、この自分の変化に何かを感じています。そして、現実的にはまだ、人の中に入り社会生活を送っていくことには勇気が要りますが、それでも、自分の症状が良くなっていくような気さえしているのです。 まだ、自分自身が治った…といえるほど解決していませんし、うっすらとこのこと
に気付き始めたばかりの今、このホームページに出会えて 勇気が湧いてきました。


Cさんから
HP拝見いたしました。

素晴らしい内容だと思います。僭越ながら自分の体験を交えつつ貴HPに対する感想を述べることをお許しください。中学入学時から対人恐怖を自覚するようになりました。人前に出ると異常に緊張して気分がわるくなったりしましたね。何度も学級委員をやらされたので人前に出る機会が多く、想像を絶するような苦しさでした。円形脱毛症に苦しみました。(周りの人は僕の異常には気づいてなかったようで、そういう時期でも多くの友人ができ、親友と呼べるような友人もできたことは不幸中の幸いでした。)

その後、大学の前半ころまでは、深い穴の奥底にいるような圧迫感と閉塞感を常に感じてきました。 その頃は暇を見つけては神経症関係の書籍を読み漁り、治療法をその通り実践していました。治療法と言っても、たいていが自身の幼児体験の分析から始まって、結局そういった分析に終始するようなものでした。 大学入学後までそのようなことを繰り返して、結局自分の対人恐怖症はまったく治癒してないことに呆然としました。 結局、多くの治療法はショック療法の類であったり過去の体験の分析に終始したりと、一番重要な未来のことに関しては何の指針も与えてくれませんでした。

その後はそういう類の本は一切読まずに、そのうちバイトも学校も忙しくなり、自分の内面に目を向ける時間が少なくなっていきました。気づいた時には非社交的な性格を許容できるような自分に変わっていました。

貴HPの内容は僕自身の体験からもすごく納得のいくものだと思います。要するに、自分の内面に目を向けてしまうような悪い癖や悪い環境を簡単なところから改善していこうということですね。巷に出回っているほとんどの神経症関係の本よりも実践的でなおかつ確実な方法だと思います。(中には良い本もあるでしょうが
…)


Dさんから
こんばんは はじめまして 

メイルを差し上げましたのは、夫が20年程前に神経症を克服した経験をしておりまして、今ではとても元気に暮らしているので、このページを読ませていただいて 大変共感を覚えましたもので・・。

夫の場合はあるカウンセラーとの出会いがありました。その出会いで 2つの事を生活上の基本をするように指示されましたそれは なるべく仕事を休まないということ、あと一つは薬を飲まないことです。病気中に結婚した事も大変な賭けだったと思います、夫にとって。でも先生からは 結婚をすすめられました。 夫は病気か
ら徐々に良くなっていった過程をほとんど覚えていないそうです。ただ、なんとなく 考えなくなったそうです。とらわれなくなったといいますか、私にも分かるような気がしますが。

いま ネット上の心系をいわれるページを巡ってみますとあまりにも 頭で考える、マニュアルをもとうとしがちな気がします。勿論、そうならざるを得ない 辛さがあることは理解できますが・・。だから このページの主旨は本当に貴重だし 意義あるものだと思います。どうか これからもこのページを長く続けて、苦しんでいる
方々の力になってくださいませ突然メイルを差し上げて 失礼かもと思いましたがお許しください 


Eさんから

はじめまして、ではなく、おひさしぶりです。 2年前にあなたにメールを送らせていただきました。 現在の僕の意見を是非聞いていただきたくてメールをおくりました。 わたしは、もうずっと加藤諦三の本を読んでいません。 自分で神経症が完全になおったのかどうか分かりませんが 今では人生が違います。いいあらわせないほどの安定感、 しかし安定感とか言ってしまうとなんか違う、とにかく怖くはありません。

僕は過去に20冊以上の加藤諦三の本を読み、「これこそ僕が解決しなければ ならない問題だ」と思い本を重宝していました。 しかし、結論を言うと加藤諦三の本に答えを求めてはいけないということです。 あの本によく出てくる「依存心を克服する」とか「人間の幸福は情緒的安定」である とか、(たしからしい、たしかにそうかもしれないが、)それを意識してしまう 意識の段階までもちあげてしまうことよくなかったと思います。

立花隆さんの本(タイトル:文明の逆説)という本にこういう話がでてきます。「ムカデに、なぜおまえはそんなにもたくさんの足を、そんなに上手にそろえて 歩くことができるのかとたずねた。きかれたムカデは、なるほどそういわれて みればそのとおり、おれはどうしてこんな複雑なことができるのだろう。自分 にもうまく説明がつかない。今度はちゃんと考え考え足をうごかしてみよう と思って、足一本一本の動きを意識して歩こうとしたら、たちまち 足がもつれて、一歩もうごけなくなってしまった。」

僕はまさにこのムカデでした。 意識の段階までのぼらせた結果、苦しい生き方になってしまう。 そういう意味で僕は哲学も読みません。しばらくは。本の読み方が間違っていたと思います。でもそのときは真剣に「答え」を 求めていました。加藤諦三の本や哲学の本には真実と思える解釈 があります。これが、危険です! 意味あるものにみえて、それが唯一 だと思ってしまう、それ以外の心のもち方ができなくなってしまうのです。 また、私はすっかり、このホームページのことを忘れていました。 今日は偶然にここへきました。   あなた様には大変もうしあげにくいことですが、それでよかったと思っています。 つまり、神経症が治ると「すっかり忘れてしまう」、ことがあるのだと思います。


Fさんから

 私は今63才になる男性です。20才頃から神経症を発症し、その後視神経炎を患い、不眠症、うつ症状、対人恐怖症と進み、昨年まで云うに云われぬ苦しみを味わってまいりました。 特に不眠症については、6ケ月間ほとんど眠れないという経験をしましたし、対人恐怖については、営業職にありながら、人に会うと顔面の神経が痙攣するというひどいものでした。

 私の場合も例にもれず、良いといわれる事はすべて試してみましたが、どれも決定的に治癒に役立つようななものはありませんでした。○○療法の生活発見会にも数年かよいましたが、これも中身が理解不可能でした。

 私の場合敏感な体質のせいか、前日の時間のすごし方によって次の日の対人恐怖の程度や頭の重い感じなど体の好不調がすぐにあらわれてきました。 4-5年前からは開き直って、自分の体を使っていろいろとテストしてみました。つまり、どういった行動が体に良いのか、又悪いのかといったことです。 その結果分かった事は、読書や勉強のたぐいは確実に良くないということです。散歩やハイキングは非常に良いことが分かりました。

 瞑想や静座療法も大分時間をさいてやってみましたが、これは非常に調子の良い時とあまり良くない時の両方があり、これには大いに期待していただけに大変落胆しました。 これは後日、心構えとやり方次第で良くも悪くもなることがわかりました。

 こんなことの繰り返しの結果昨年になりやっと「何も考えない、何もしない」事が一番良いことを発見し、昨年の夏ごろからこれを実践し今日に至っております。 毎朝約1時間、黙想静座を行い、日中はなるべく考えごとをせず、感性を使用するように心がけてきました。 その結果、約1年程度で対人恐怖はなくなり、神経症的症状もほとんどなくなりました。この改善の早さは驚くべきものです。 何人かのうつ症状の人に私の経験を話して、治療に役立てていただこうとおもいましたが、だれも本気にしてとりあってくれません。みんなてっとり早く薬に頼って、自分の努力を必要とする治療には乗り気ではないのです。 この度インターネットで私と同じ考え方の人がいらっしゃると知り大変嬉しくなりました。

 無念無想という言葉は、剣術や宗教の修行者が目標としたものでしょうが、日々の健康の為にも、又瞬間瞬間を大切に生きるという意味でも大切であり、その意味は非常に深いものだと気付きました。


一読者から

斎藤さんのホーム・ページを読んでお便りしてます。 読んでスッキリしました。 私の感想を聞いて(読んで)下さい。

・一番笑ったトコロ 「加藤諦三は読むな」・・・・私も読んだ時期があります(笑)。

・涙が出たトコロ
 「強迫観念と健康観念の両方を持ちつつ、平静を装って生きる。 しかも誰にも助けを求めない。」

「治った状態」を読んで多々うなずける部分がありまして、自分も軽快しているんだなと、実感できました。 

神経症歴は7〜8年かと思います、まだ症状はあります。 お陰さまでしばらくは「神経症」その他”心理もの”読まずにすみそうです。 もしかしたら、ずっと。。。

「自分で考える」・・・どんなことにも通じる大切なキーワードだと思いを新たにいたしました、ありがとうございました。
                     尊敬をこめて〜


現在の私。 投稿者:クネクネ  投稿日:01月31日(月)21時17分05秒

掲示板の流れとは関係ありませんが、今現在、私の考えている事を書きたいと思います。私は無為療法によって神経症がかなり治った者なんですが、何というか大抵の人間以上に心が軽くなったのではないか、なんて時々思います。悩みって二種類ありますよね。心の問題と人生の問題。元々心?に囚われて人生の問題に対処する以前に妄想というか殻の中に閉じこもってしまったワケですけど、いざ頭が正常に機能し始めると人生の問題もやはり「one of them」に過ぎないんですよね。

実際私は無職で友達は殆どいませんし、恋人もいません。でも。別にどうという事は無いんですよね、ホントに。就職活動やネット徘徊などを淡々とやっている毎日です。気が向いた時に出掛け、思い付いた時に好きな小説を読む。何とかなるだろう、というか不安とはほぼ無関係に日々を過ごしています。確かに斎藤さんの言われるように、それは今までとは別世界です。

振り返ってみると三段階あったように感じます。最初はとにかく辛くて、何かを考えたくて仕方の無かった段階。次に、少し慣れて自分の自然な「やる気」さえ考えないようにしてしまって無気力だった段階。この時はまだ「訓練」だったのでしょう。次々と連鎖的に沸き上がる思考をとりあえず全て遮る感覚に、慣れる必要がありました。そして今。考える事と考えてはイケナイ事を無意識に分けられる段階。まあ、コレが何故勝手に
分けられてしまうようになったのかは自分でも解らないのですが・・・(不思議です)。最初の段階を越えれば、後は自然な流れで行きましたね。人それぞれパターンは違うかも知れませんが。私にも心が分裂しかねない位に無為療法が困難だった時がありましたが、おそらく思考の波が軽かった時に無為療法を実践したのが功を奏したのでしょう。「時期をみる」薬を飲んでいてもおそらくそれが一番必要な事なのだと思います。


はじめまして。 投稿者:rui  投稿日:03月09日(木)18時38分47秒

こんにちは。ここに書き込みするのははじめてです。
私も12年近く神経症に悩まされ、ありとあらゆる療法を試し(催眠やオーラヒーリング?なるもの)精神科医師の書いた本や精神世界関連の本はもう数えきれないほど読みました。それでも症状は良くならず、絶望しておりました。そんな時にこのHPに出会い、丁度その時読んでた米国の医師の書いた本の中の見解(神経症は脳の働きの不具合)と斎藤さんの意見が非常に似ておりましたので、これなら、と思い、無為療法をやってみる事にしました。「良くなるにはこうして、ああして、こう工夫して...」と考えるのを一切やめ、そんな事より今やるべき仕事や家事、延ばしのばしにしてた趣味をやるようになりました。

そうしたら、前より気持ちがだいぶ軽くなってきたのです。もちろん、社会に出れば緊張することだらけなのですが、ひとりでいる時の感じが前と違います。縛られてない、気がするのです。一番自分で驚いたのは、今日なのですが、本屋に行ったら仕事に必要な本だけ買って出てきてたことです。今まで過去12年はまっ先に心理コーナーに間違いなく

行っていたことを出口で思い出し、信じられない気持ちでした。
もちろん、気持ちがダウンしてる時は今でもあるので、いつもこうとは行きません。ただ、確かに心地よい時間が時には過ごせているので、このまま無為療法を続けて行こうと思っております。長々すみません。どうしようかと思ったのですが、いつも皆さんの書き込みを覗かせていただいてばっかりなので、今日は書いてみました。本屋の事も誰かに言いたかったので...。

それではまた。

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